≪おまけ3≫おしゃれは自覚の第一歩
相棒のフィオネはいつも可愛く着飾っている。制服である修道服だって改造していつもおしゃれだ。化粧だってネモに比べてこまめにしている。唇にリップをしたり、顔の産毛を気にして剃ったり、眉を整えたり。髪形だって戦闘時は毎回お団子ヘアだがオフの日は服に合わせて気にしている。それくらいにフィオネはお洒落だった。対してネモはそういうのを気にしていなかった。眼帯だって、前は医療用のものを交換して使用していたが、今ではフィオネがこだわって購入したものを使用している。服装も、修道服でオフの日でも過ごしていたが、それを見かねたフィオネが引っ張り出してネモに合うものを揃えた。フィオネみたいに、フリル満載の派手な格好は断固拒否したので、その要望に応えてシックで大人っぽい恰好を選んでくれている。更には、フィオネにとってネモは随分とスタイルも顔もいいらしい。普段フィオネが着用しないような服を好むので、フィオネもネモを着せ替え人形と化することが多い。結果、皇国にある自宅にはクローゼットに納まりきれない服が溢れていたりする。基本オフの日はそう多くないのでこの私服たちをどう処理したらいいんのか、ネモには分からなかったのが常だった。
そんなネモに少しだけ変化が起きた。
「……」
それは新作化粧品の広告前。
広告にはモデルが色っぽく口紅の宣伝をしている、大きなポスターがデパートの外壁に張り出されていたのだ。それに意識を持っていかれたネモは、じっとその広告を眺めていた。恐らくモデルは中位吸血鬼らしく、白に近い銀髪に綺麗なルビー色の瞳。顔はとても整っていて、遠目からでも目を引く。見てくれがとても綺麗な吸血鬼はこういうモデルや役者活動などをする人が多い。なので、人間の国の広告にも吸血鬼を採用している会社は少なくない。街を歩けばよく見かける。もちろん、人間のモデルもいたりする。
教会側でもそこは特に問題視していない。敵対心を持っていない吸血鬼に対して警戒をしていても、特に意味がないからだ。問題なのは、教会側に敵対心を持っている中位以上の吸血鬼と、人間を見境なく襲う下位の吸血鬼だけだ。そういう意志のない吸血鬼は、こちらも警戒態勢にはならない上に、下手に刺激する必要もない。連合国への入国や、皇国内への入国には規制があるため入ってこれはしないが、そこ以外での交流は無ではないのだ。それこそ、ビジネスライクというもの。時折、連合国側から下位吸血鬼の取り逃し依頼を受けたりもするので、敵対しているとはいえお互いの理に適えばお互い嫌な相手でも手を組むことだってする。
そのため今回、ネモは吸血鬼が広告に写っているから足を止めているわけではない。じっと釘付けになったのは、そのモデルが持っている新作の口紅だ。少しだけ濃い目の赤が、妖艶な唇を鮮やかに縁取っている。それをつけただけで大人っぽさを出しているようにも思えて、ネモは興味を示したのだ。
「ネモ?どしたの?」
フィオネがそんなネモに気が付かないはずがない。広告をじっと見つめる空色の瞳が少しだけ期待に満ちているように思える。
きっと考えているのは、あのおっさんのことだろう。フィオネは、少しだけ女の子らしさを取り戻しているネモの変化を良いものと思っている。相手はもっと選ぼうよとは思うが、感情だけはフィオネにもどうすることだってできない。それに、フィオネがやめた方がいいと言ったからやめさせるべきというわけでもない。むしろ、ネモのこういう変化は応援したいため、それとなくカルマにアドビーの好みを聞いたことがある。それの返答が以下だ。
『アドビ―の好み?そうだな、この間、20歳以上の女の子でぼんきゅぼんじゃないと興奮しないとは言っていたな』
(サイテーだよな、本当にさぁ)
いや、もしかしたら20歳以下は手を出さないと暗に伝えているので正常とも思えなくもない。
だが提示された条件が、ネモはとは正反対だ。胸は控えめではないが、ぼんきゅぼんではない。むしろ程よい筋肉の結果、腰はきゅっとなっている。その為、胸は目立つが、実際は大きすぎず小さすぎず。程よい筋肉で脂肪がつきにくいのだろう。それでもかなりのプロモーションで、今目の前にある広告を飾っているモデルよりも劣らないだろう。顔はいわずもがな。教会1美人である。年齢は……きっとアドビーからしたら幼く見えるに違いない。だから少しでも大人っぽく見せたいのだろうと思う。そして今回化粧がそれの一歩になるのならいいのだが、使用を間違えると合わなかったりする。それに、ネモもまだ若い。ただでさえナチュラルで綺麗なのだから、下手な化粧はしなくてもいいのだと伝えたいが、彼女の前向きな心は応援したい。応援をしたい気持ちとそいつだけはやめておけという葛藤を心の中でしながら、結局フィオネはネモを甘やかすのだ。
「新作コスメじゃん。ナニ、ネモが気になるのって珍しいネ。見に行く?」
努めて明るい声で言うと、表情の乏しいネモの瞳が光る。どうやら見たいらしい。その姿がいじらしくてたまらなく可愛いと思ってしまうのは、長らく相棒をしているのだから仕方がない。
ネモは、フィオネの言葉を素直に頷くと、フィオネに連れられて大型のデパートに入っていく。そこは高級なお店がずらりと並んでおり、庶民生まれ、教会育ちのふたりにとっては少しだけ大人びた場違いの空間に思える。流石のフィオネも臆しそうとなるが、しっかりと繋がっているネモの手の存在に、怖じけつきそうになった足を踏ん張って目的のコスメショップへと向かった。
「いらっしゃいませ」
出迎えてくれたショップ店員さんの清潔さと美しさに幼いふたりはうっと息を飲む。
「どのようなご用件でしょうか」
ショップ店員さんも、ふたりが若すぎるからと追い出そうとはしない。それは従業員としての鏡で、とても誠心誠意対応してくれている。醸し出す大人な雰囲気に流石のフィオネも怖気着いてしまいそうになった。気恥ずかしくなり、どう話せばいいのかわからず、口をもごもごと動かしている時だ、隣にいたネモが半歩前に出た。
「外に出ている大きな広告の口紅が見たくて来ました」
突然現れた超絶美少女。ただし、眼帯をしているその姿は異質で、ネモのあまりにもの綺麗な顔に見惚れてしまいそうになった店員も、左目を覆っている眼帯ではっと意識を取り戻す。そして、少しだけ困ったように笑った。どう見ても、お金を持っているような年齢ではない。さらに、美少女なのに眼帯。異質すぎるそのお客様の相手は少し控えたく感じる。
一応ショップに来たお客様で対応はさせてもらったけれど、高級化粧品を買えるような層ではなさそうだと、見た目から判断してしまっている。どうやってお帰り願おうかと悩んでいると言った表情だ。無下には出来ないのは、このショップが高級品を扱うからだろう。それを察したのか、ネモは肩掛けカバンから教会関係者証を見せる。それを見たとたんに、ショップ店員は一気に表情を変えた。所謂、教会関係者証はクレジットカードに近い。月々の限度額はある程度決まっているが、だいたいはこれを見せれば物品の購入が出来るようになっている。対吸血鬼部隊はその過酷な環境下での仕事ということもあり、かなりの高給取りだ。限度額はあってないようなもの、そのツケは教会本部が払ってくれている。
「教会関係者の方でしたか。申し訳ございませんでした、ただいまお品物をお持ちしますね」
そういって店の奥へと下がった。ディスプレイにはお高そうな様々な化粧品が並べられている。ネモはそれらを一生懸命に見つめていた。どうやら、気になるらしい。フィオネはその横顔に感動を覚えながらネモの隣に並ぶ。
「ナニナニ、最近随分と積極的じゃん。前まではこういうのに興味なかったのにィ」
「……うん。アドビーは大人っぽい人が好みみたいだから、こういうので少しは変わるかな」
その横顔はどう見ても恋する乙女だ。甘酸っぱい。はたから見ても心がむずむずしてしまうこの甘酸っぱさ。ネモにお兄さんと言われただけで、全人類を虜にするほど蕩けた顔を見せた偏愛シスコン野郎には申し訳ないが、この初心でピュアで可愛いネモは確実にアドビーだけに見せるだろう。
フィオネは心の奥が歯がゆくてむずむずとしてしまう。自然と口許が不自然ににやけてしまう。
「えぇ~、ネモはやっぱりアドビーのことがスキなの?」
長年見慣れた人たちがずっとそばにいて、恋バナも特になく、そういう刺激が薄い教会内。こういう刺激はとても新鮮だ。それが自分の相棒なら尚更である。しかも、家族を殺した吸血鬼に対する復讐と、兄捜索しか眼中になかったネモなのだから尚更だ。
フィオネだって初恋もまだだと言うのに。いや、初恋はあった気がするが、それはフィオネにとってはなかったことにしたい記憶である。
もそもがフィオネは男がそこまで得意ではない。普段からアドビーをからかう為にカルマを引き合いにだしたりするが、実際は綺麗な顔の男はもっと苦手だ。吸血鬼の男なら尚更無理である。それは、フィオネの抱えているトラウマが起因となっており、それを植え付けた高位吸血鬼は、直に見るだけで恐怖と吐き気と混乱を今でも覚えてしまう。
アドビーは顔はいいが、人間の顔だ。特別整っているわけでもなく、始終あんな態度である。フィオネを妹以上に思ってないのを理解しているため、早い段階から平気とはなった。対する、カルマはぎり平気な部類になるのにも随分と時間を要した。今では近づいて会話するくらいなら平気だが触れるのはダメだ。
勿論、ネモはのことも事情も知っているので、男が近くにいるときはフィオネの傍には絶対にいてくれるし、できるだけ接触をさせないようにしている。
そのため、フィオネは初恋もままならない状態だった。だからこそ、ネモの心境の変化を嬉しく思うと同時に、少しだけ羨ましくも思う。
「好き、とかはよく分からない。でも、アドビーには少しいいところを見せたいと思ってしまう」
それが無自覚であってもだ。フィオネは、ネモの言葉に「そっかぁ」といつもの調子で応えた時に、奥に引っ込んでいた店員さんが色のサンプルをいくつか持って戻ってきた。
そこからは怒涛だった。何せ、教会関係者証を持ってる人は顧客の中でも上客だ。お金に糸目は見せずに購入出来るような身分なため、紹介できるものはできるだけ購入して貰いたい。その為お店側は、よく口が回る。確かに教会側は質素倹約を謳ってるわけではない。ただし、豪遊をしすぎてしまうと言うのも教えに反するところはある為、それなりに控えなくてはならないのは事実。ネモも、全部が全部欲しい訳では無いので、実際に購入する際には悩んだ。
ネモの色に合わせるならこれだとか、それに合う色合いだとコレ。下地化粧だとか、ファンデーションだとか、それに伴った小物だ何だと紹介されて、化粧初心者のネモにとっては無表情で困惑していた。何をどう反応したらいいのか分からなくなる。情報が錯乱して、全て正しい内容だと言うのに、今彼女にベストなものがどれか分からない。結局、ショップ店員に全て持ってかれてしまっまたため、ネモ脳内は完全にショートしてしまった。そんな固まってしまったネモの横に手が伸びる。
「ネモの今はこれと、これとこれがあれば良いよ。下手に化粧したら肌が荒れちゃうからサ。せっかく美人なのに肌に、ニキビが出来るとか嫌じゃない?というか、ネモにニキビなんて人類の損失だと思わない?ね?お姉サンもそう思うでしょ?」
フィオネが圧のある言葉でショップの店員さんに問いかけると、ショップの店員さんは赤べこのように首を縦に何度も振った。
「お姉サンの話は参考にできるから、また買いたくなった時に買えばいいと思うヨ。初心者が何もかも鵜呑みにして購入した結果、無駄にする方が勿体無いし。あまり無駄金使うと教会本部に怒られちゃうから、ネ」
フィオネによって選ばれた口紅の色は、少し鮮やかだった。しかし、ネモにはよく似合っており、鮮やかだと言うのに派手ではなく、むしろ上品にさせてくれる。健康的な唇は、つやつやとして見ていて口付けしたくなる。
ネモは色白で、日にどれだけ焼けても綺麗だからこそ、その色がとても綺麗に映える。女のフィオネですらその潤った唇にむしゃぶりつきたくなるくらいだ。脳内が変態おっさんだが、それくらいに口紅1本で十分に魅力的になるのだから、ネモは充分に綺麗だ。
最終的にネモは、フィオネの助言の通りに必要最低限の買い物で済ませた。今まで使用していなかった基礎化粧品なるものを購入。お風呂の後に毎日使いなさい、とフィオネに指導をもらいながら、ネモは素直にその言葉に頷いた。その後ネモは、再びフィオネの着せ替え人形と化しながら洋服を数着購入して教会へと戻ったのだった。
おまけ小説はここまでです。ここまでお付き合いありがとうございます。2章開始までお待ちください。