偽薬
世の中には偽薬と呼ばれる薬があります。
読んで字の如くなんも効果の無い乳糖やでんぷんなどが入ってる、良薬でも毒薬でもない物です。
薬に依存している患者さんを騙して飲ませ、暗示だの自然治癒だのに頼って治す療法だったんですね。
これをプラシーボ効果と言うらしいです。
つい魔が差してしまって、試しにこれをちょっと怪しい質屋に売ってみたんですよ。
そしたらそこの店主がおっしゃいました。
「お客さん…… アンタの様な客は初めてだよ」
何故と聞き返してみると。
「ここに来る他の客と同じで悪意に満ちているのに、一番無害な品を持って来たからさ」
そういえいばそうだ。良薬な風邪薬でも過剰に摂取すれば覚醒剤となんら変わらない。
だけど冷静に考えるとおかしい。
「盗品だろうと無害な品だってあるだろ? それこそ値打ちもんだけでも種類はある」
「……こんな噂を知っていますお客さん?
戦争の続く国では薬は何よりも貴重品。当然です。
しかし貴重なだけに数は限られていました。
困った医療従事者は恰も平等を装い、金の有る者には本物を売り、
そうでないものには何の効果も無い偽薬を渡していたんだ」
「…………」
「するとどうだ?
なんと全ての患者さんが平等になった……」
「……そもそも本物の薬も毒物だったからでしょ?」
「あぁそうだ…… 全員分け隔てなく戦争から解放されたって話よ。
そして儲けた医療従事者は方々へ高飛び。だが楽じゃなかったぜ?」
「……アンタがその一人か?」
「あぁ…… この世で一番得した気分だったぜ。
だけど替わりに、地獄絵図を記憶に残したまま生きなきゃいけねぇ代償を負っちまった。
それに比べてたらアンタが俺にくれる偽薬は、中々悪意のある無害な品だったぜ」
店を出て目を擦ってみると、なんと後ろを振り返ればそこは看板も掛かってない廃墟だった。
臆病風に吹かれたのか、しかし偽薬は失っていなかった。
罪悪感に囚われて嫌な夢でも見たんだろう。私はそのとき持ち直したんです。
切り替えて次の質屋に向かいました。ヨボヨボの老婆が新聞を読みながら応対してくれたが、
「へぇ…… デザインがそれっぽいカプセルだねぇ。ホントに偽薬なのかい?」
「うちには結構余ってるんだ…… どうにかしてくれないかい?」
「だったら適当に使っちゃえばいいじゃないか。 ……アンタなら可能なんだから」
「これより少し前に変な夢を見てしまったんです。
在庫処理も金が掛かるので何とかして下さい!」
「エッエッエ……!! やなこったい!! 他を当たりなよカズヨシさん」
まともに取り合って貰えなかった。
確かに未認可だが、偽薬は偽薬。別に危ない薬ではないのだから受け取ってもバチは当たらない筈。
もう自棄になるしかないと、私はセールスマンに偽装して民家に売りつけに行った。
インターホンを押せば初老のお爺さんが茶の間から顔を出して、
「どちら様ですか……?」
「カプセルで飲めるサプリメントを販売して歩いてる者でして、
これを飲めば日々の調子が良くなるとリピーターも増えつつあるんですよ?」
「へぇこれがねぇ…… そう言えばセールスマンさん。こんな噂を知っているかね?」
そう言ってお爺さんは私を奥の納屋まで案内した。
断ってもよかったのだが、偽薬を買ってくれるなら有意義な時間と考える。
中に入るとそこには沢山の写真が置かれていた。写っているのは戦場。
それも沢山の死体の山、山、山。顔を上げるとお爺さんが木の壁を人差し指でなぞっていた。
「何をしているんです?」
「噂…… 噂…… 気になって仕方ないんだ…… ハハハ…… スクロールする手が止まらない……」
「偽薬は買ってくれないのか? そのボケた行動も治るぞ?」
「本当に治るなら、既に自分で飲んでるよ」
目を擦ると、そこは誰もいない普通の納屋だった。
初老の爺さんも写真も無くなってたんです。
これはおかしいとさすがに思い始めていたんですね。
しかし金を欲する魔力は継続していました。中々冷めない物ですね、恐ろしい。
次に向かった民家には若い女性が居ることが分かったんです。
ベランダでパソコンを使って仕事をしていました。
目が合うと優しい顔でお辞儀をしてくれたのはちょっと嬉しかったな。
それにやっぱりサプリメントは女性ウケが良さそうだし、太客になってくれそうだ。
「この薬…… 確か例の紛争地帯で問題になった奴ですよね?」
「何を言ってるんですか? これはただのサプリメントですよ」
そう偽っているが、でも正体はただの偽薬だ、間違いない、そう、間違いまい。
「私ジャーナリストなので現地にも行ったことがあるんです。
何十年も前に起こった悲劇ですけど、忘れてはならない悲しい事件ですよね」
「いえいえこれは大丈夫な薬なんですって!! だってこれただの偽薬ですよ?!」
「……本気で言ってるんですか? これ毒薬ですけど?!」
「違う!! 偽薬だ!! これは飲んでも大丈夫な奴なんですってば!!」
「……ちょっ! ちょっと外で待ってて貰えますか?」
扉をピシャリと閉められてしまった。
次の場所へ移動しようかと思ったが、中にいる女性が何をしているのか聞き耳を立ててみることに、
すると驚くべきことが。
「もしもし警察ですか……? 三十二年前の例の話題になった毒薬のカプセルが……
……はい ……えぇそれにおそらくあの行方不明者かもしれません」
世の中には酷い人間がゴロゴロいるもんですが、家の中にいる女性も大概です。
私は扉をこじ開けて中に入りました。一瞬悲鳴のような声を聞きましたが、
気の所為だったみたいで目を擦れば、椅子に縛られて頭から血を流している女性が。
「大丈夫ですか? 怪我はありませんか?」
酷く怯えている状態だった。可哀想に何があったのだろうと同情してしまう。
頭から血を流しているから早く止血しないと、そうだ。
「この…… 薬を飲めば治ります。大丈夫です、私も治りましたから」
「うぅっ……!! うぅんあぅぅぅ!!!!」
意識が朦朧としているのだろう。言葉になっていない。
台所から水を持ってきてあげて彼女に薬を飲ませて上げた。
しかし女性はまともな教育を受けていないのか、せっかくのご厚意を無下に、
口に入れた薬を吐き出してしまったではありませんか。
私は酷く心に傷を負ってしまいました。
なので彼女を叱るつもりで数回叩き、
そして口の中に強引に薬を押し込むと、大量の水を飲ませて上げました。
そりゃぁもう私は優しいので、浴びるほどバケツで飲ませてあげたのです。
数分経てば彼女も〝平等〟になれました。
良い事したら気持ちが良いですねぇ。
女性が目を覚ますまで茶の間でカップ麺を戴いていた私は、
外のサイレン音を聞きながら、気になっていたパソコンに目を移した。
そこには偶然にも最初の質屋の店主が話していた内容と、同じ内容の記事が載っていて。
『1992年 某国服毒大量虐殺事件
紛争地帯で患者達を治療していた日本従事者達二十三名が、
現地の人間達に毒薬を売り付けて大量殺害を画策したのだった。
当時某国には薬品類の輸送が滞っており、貴重な薬品の数が限られていたことで、
医療関係者の二十三名が結託し、金儲けを目的とした今回の計画を企てたと見ている。
関係者達はそれぞれ方々の国に高飛びし、今日まで約三十年間。捕まえた日本人はたったの六名。
そしてこの事件の被害者の中には日本人も含まれていた。
当時ジャーナリストのK氏は長年交友関係にあったブラインマルクス家に滞在していたが、
例の毒薬のカプセルを同郷の医療従事者を信頼して購入し、
そして自分を含めて一家全員に渡して、これを飲んで全員を毒殺してしまったのだった。
しかし幸か不幸か、K氏だけは雑に混ざっていた偽薬を飲んだことにより死を回避する。
後に残るは態々言うのもK氏に配慮し、記事はここまでのものとする。』
「ハハ…… 何だよ、何だよこれ…… うぅっ!!」
突如引き起こされた頭痛が私を苦しめた。
そして記憶に無い映像が浮かび上がる。
〝 薬を買って来たぞ皆!! 我が祖国の者達が良い薬を売ってくれたんだ 〟
〝 待っていたぞ我が家族よ。さぁ皆で頂こうじゃないか 〟
ガリガリにやつれた人達が輪を描いて座っている。
私も座らされ、目の前にはブラインマルクス家の家長が私を見て感謝を述べていた。
〝 おそらくカズヨシを贔屓してくれたのだろうなぁその医者達は。
貴重な薬の競争は常に順番待ちが九割と、中々手に入らないと聞いた。これは不平等な話だ 〟
〝 この家の人達を少しでも救えるなら俺は、やっとここの家族の一員だって胸を張れる 〟
〝 あぁ…… カズヨシも我々の一員、平等だ 〟
家長と対になって座れている自分がとても誇らしかった。
しかし現実は、自分を残した周りの者が死体となって、
温かかったその場所は吐血の海と化してしまった。
雑誌の記事とは別に、椅子に座っている女性が書いたであろう、
独自のレポートもあったので拝見した。
『帰国したK氏はその後行方不明となり、そして数十年間に渡り十人以上の人を殺して回っていた。
中には虐殺の医療従事者数人がリストに入っていたが、
どうやら調べていく内に、全く関係のない人間も殺されていたことが判かった。
殺人の方法は極端に分れていて、
・医療従事者の場合 撲殺・絞殺・刺殺とやり口に迷いが無く殺意すら伝わるやり方。
・無関係の被害者の場合 何故か全員椅子に座らされて毒殺させられていたのだった。
この事からK氏の身に起きた悲劇を振り返ると、ある人間の心理が浮かんでくる。
人は過去に耐え難いトラウマを植え付けられたとき、
他者に自分のされたことを真似して与えてしまう傾向がある。
例を挙げるなら、
・リアルで受けたイジメの構図をネットを介して仲間を募らせ、カモを見つけて行動に移す。
・または長年の加虐・迫害によって強迫性神経症を患い、後天的な潔癖症や完璧主義者となり、
自分はこうであるべき、こうでないといけないという自分自身を脅迫し傷つけてしまう心の病気。
転じてそれを他者にも求めてしまう反応閾値が低下してしまう傾向。
上記で満たされない場合は最悪のケースだが、
強制的に共感者を増殖させる為、他者に強引にも近い原動力が働いてしまうのだ。
その場合、二人以上用意して片方を殺し、片方を生き証人にさせるのがベスト。
以上を以て、レポートを終了します。
心を患う人間に、外部の人間から理解を持たれて歩み寄られることを願うばかりだ。』
気が付けばパソコンの画面は割られていた。いや私が割ったのか。
そして目の前には最初の質屋の店主が私の方を後ろめたく見ている。
「貴方は…… 私に薬を売ってくれたお医者さんだったね?」
〝 申し訳ありませんでした…… 申し訳ありませんでした…… 〟
「そして私が貴方を殺した……」
〝 ごめんなさい…… ごめんなさい…… 〟
店主が半透明になり、ゆっくり消えていく。
そして玄関を割って突入して来た警官達に取り押さえられた。
私と同じ道を歩んでいた女性のジャーナリストは助からなかった。
薄暗い地下で身柄を拘束されている私の耳に届くのはそれくらいだ。
食事も喉を通らなければ、もはや私のこの傷ついた心身に合う薬も無いだろう。
「食うもん食え!! 薬も飲まなければ治る身体も治らないぞ!!」
刑事さんはそれの一点張り、そんな刺激の強い劇薬なんか私に効果が出るわけないだろう。
「薬はいらないのでもっと人を殺させて下さい…… それが何よりの特効薬です」
いつの間にか植え付けられた暗示こそが、何よりも効く私の自然治療法だった。
これは噂だが、薬で解決するよりも、自分の受けた痛みを他者にも受けて共感して貰うやり口。
私のこのやり方もプラシーボ効果になるのかどうかは、まだ誰にも解明されていない。
ご愛読ありがとうございました