第六話 きみは特異体質
===========
第六話 きみは特異体質
===========
ガンッと爪先へ響いた衝撃にトリルは眉を潜めた。
ちょっと気を抜くと、道端に散乱したゴミを踏んづけてしまう。
足元にあった陶器のカップを蹴飛ばしてしまい、爪先の痛みを我慢しつつ後ろを振りかえれば、フェルジャルは器用にゴミを避けて歩いていた。
裏市を抜け、人の賑わいが減った代わりにゴミだらけの道を二人で歩く。
いよいよと問題の廃墟が近づいてきて、少し緊張して口数が少なくなるトリルに対し、フェルジャルは気の抜けるようなのんびりとした口調で喋る。
「人のものに手を出すような暇あるのなら、自分んとこの根城周辺の清掃活動にでも勤しめばいいのに」
落ちているゴミを見ては、やれ派手な柄の皿がある、変わった人形だ、なんて独り言を口にしている。
あまりに緊張感がない連れに、トリルは釘をさした。
「あのな、この先は裏市以上に治安が悪いんだ。もっと気を引き締めろ」
足を止めてそんな注意をするトリルの隣へ歩みを並べると、フェルジャルは忠告なんて聞いていなかったかのように両手を広げて大きく伸びをした。
そもそも、忠告したところで素直に聞く輩ではないことは、裏市での小瓶の一件で気づいてはいた。
あの後、何度も「本当に身体はなんともないのか」と心配そうに訊ねるトリルへ、フェルジャルは事も無げに問題ないと主張していた。
挙句、返答に面倒くさくなったのか、最後に言い放った言葉がこれだ。
『私の身体、腐ってようが、アルコールが強かろうが、大抵の物は問題なく摂取できるんだ。だから、さっきのアレも平気、平気!』
フェルジャルの身体に驚かされるのも何回目かわからなかったが、心配の代わりにやはり「じゃあ、俺の作った飯も食べろよ」という思い出し怒りが湧いてくる。
本当にこのカラスは……というトリルの非難めいた視線に気づけば、フェルジャルは足元の瓶を豪快に蹴飛ばした。
「そんな怖い顔しないでよ。でもさァ、これだけ乱れまくって汚い、領内の掃き溜めみたいな場所の割には、ここの空気が淀んでないのが不思議だね」
領内の掃き溜め、とはまた酷いこと言うが、周辺は完全に崩れてしまった家屋や、辛うじて形を保っている建物、枯れ果てた草木に道端のゴミの山と、確かにフェルジャルがそう例えたのも理解できないことはない。
トリルは改めて、くんくんと鼻を鳴らした。
その鼻腔をつくのは、お世辞にも良い香りとはいえない。
「うん?きっつい匂いはするし、埃っぽいし、十分淀んでるだろ」
手で鼻を押さえてそう答えるトリルに、フェルジャルはパタパタと顔の前で否定するように手のひらを振った。
「違う、そっちの『空気』じゃない。どちらかというと、ここより大通りの方が酷かったよね?」
「はぁ?何を言ってるんだ?」
フェルジャルの言わんとしていることが理解できず、トリルが眉間の皺をますます濃くしていれば、フェルジャルは彼の胸ぐらを突如ぐいと掴み上げた。
「……!?」
いきなりの暴挙に反応もできず、驚いたものの、なすがままに胸ぐらごと身体を引っ張られたトリル。
瞬間、勢いよく自身の脇を一本の矢が飛んでいけば、その目は一層見開かれた。
「お出迎えは嬉しいけど、ご挨拶は手荒みたいだね。それとも、これもヒペリカム流の歓迎の挨拶ってやつかな?」
ぐいっと自身にトリルの身体を引き付けたまま、フェルジャルは矢が飛んできた方に顔を向け、そんな軽口を叩いた。
的を見失い地面へと突き刺さった矢を見て、トリルは青ざめる。
数秒遅かったら、あの矢が刺さっていたのは自分の身体ではないか。
「嘘だろ!?いやいやいや、ちょっとたんま!」
頬に冷や汗をたらしながら、首を振って喚くトリルであったが、生憎、待ってくれるほどの優しさはこの場に存在しなかったようだ。
「やれ!」
そんな掛け声が辺りに大きく響いたと同時に、いつから潜んでいたのだろうか。
周囲の廃墟から一斉に、武器を手にした覆面集団がぞろぞろとその姿を現した。
数にして二十近くだろうか。
剣や槍、斧など思い思いの武器を手にしたその者たちから漂うのは、友好的とは程遠い雰囲気である。
フェルジャルを船着き場で襲った集団に違いなかった。
ヒッとトリルが息を呑んだすぐ後だった、彼の胸倉をつかんでいたフェルジャルの手が容赦なく外され、勢い余って彼が地面に転倒したのは。
「ぐえっ!?」
顔面から着地を決め、潰れたカエルのような悲鳴をあげたトリルを気に掛ける様子もなく、フェルジャルの身体が瞬時に動き、彼もまた一瞬だが地面に伏せる動作をしたかと思うと、二人を一斉に取り囲もうとした覆面たちに向かって何かを投げつけた。
派手に割れる音や鈍い音が聞こえたかと思えば、音の数だけ覆面も地面に倒れこんだ。
あっという間の出来事に、地面から顔をあげたものの、トリルの脳みそは追いついていかなかった。
(何が起こったんだ!?)
倒れている覆面たちの周辺を見れば、砕けた陶器の皿に、鉄瓶、鍋……と転がっている。
フェルジャルが投げつけたものを物の見事に身体へ喰らったようである。
どうやら、その辺りに落ちていたゴミを拾って投げつけたようだが、当たり所が当たり所なので、投げつけられた方が地面の上でのたうっている。
顔や脛、そして可哀想に股間を狙われた者もいたようだ。
これにはトリルはおろか、攻撃を受けなかった覆面たちにも動揺が走る。
その油断を逃さず、倒れた仲間へと視線を動かした残りの覆面連中へとフェルジャルは第二撃を繰り出した。
「目を離すな!来るぞ!?」
フェルジャルの次の手を察知して叫んだ者がいたようだが、一足遅かった。
両の手を使い、右に左にと距離があった集団へと彼はまた何かを投げつけた。
「…………!!」
咄嗟に身を動かして攻撃を避けた者もいたが……
投げる動作の後、すぐに地面を蹴っていたフェルジャル。
今度はしっかりとその全容を息を押し殺して見ていたトリルは、背筋がゾッと冷たくなった。
フェルジャル……この恐ろしい怪物が、二度目は別に本気で敵に命中させるつもりで投げていなかったことに気づいたからである。
投げつけられた瓦礫から身を躱されることを折りこみ済みで、フェルジャルは相手の動きをコントロールしたのだ。
自分にとって都合の良い位置に相手の身体を動かすために。
それに気づいたのは、地面に伏せながら戦いを見ていたトリルと、そして。
フェルジャルの進路を読んだであろう矢が、邪魔をするように廃墟の陰から続けさまに鋭い唸り声をあげて飛んでくる。
しかし、すでに腰につがえていた剣を引き抜いて完全に臨戦態勢に入っていたフェルジャルは意にも介さず、これを風を立ち切るようにスパンと叩き切り、あっという間に覆面たちと距離を詰めていた。
気づけば間近となっていた標的に、慌てて手にした武器で応戦する覆面集団。
数名で果敢にフェルジャルへと襲い掛かるが、一撃、二撃と武器を交えれば、三撃もいかないうちに彼の攻撃を受け止められず、次々と地面へとなぎ倒される。
そのまま、倒れた覆面たちの身体へ容赦なく剣を振り下ろそうとしたものだから、これにトリルが目を剥いた。
「おい!?駄目だ、やめろ!」
トリルの叫び声と同時に、再び矢の雨がフェルジャルの身体を襲った。
乱戦になると誤って味方を射る恐れがあるため、一度は攻撃が止んでいたようだが、仲間の覆面たちが皆、地面に伏した今、フェルジャルは格好の的だったろう。
振り下ろそうとした剣をフェルジャルがすぐさま矢への応戦に切り替えれば、地面に転がっていた覆面たちが互いの視線を交わす。
そこからの集団の判断は早かった。
倒れている仲間を急いで叩き起こし、退く体制を見せた彼らへ、再び剣を向けようとするフェルジャルだったが、その行く手を続けさまに飛んできた矢に阻まれる。
「へぇ……?思いのほか元気じゃないか」
続いて、あの時もっと痛めつけておけばよかったかなァ、という一言がフェルジャルの口から洩れたのは気のせいだろうか。
トリルが矢の飛んでくる先へと視線を投げれば、そこにはチラリと見え隠れする人影が一つ。
仲間たちが逃げるのを助けるように、瓦礫の陰から援護射撃をする者がいる。
いや、単に足止めだけではなく、フェルジャルを射倒す気迫を感じるそれだった。
トリルの視線を感じたのだろうか、続いて飛んできた矢が自身の顔のすぐ横を通過していけば、トリルは顔面蒼白となる。
すぐさまフェルジャルが彼を庇うように立ち塞がり、飛んできた後続の矢を剣で叩き切ると、青年へ指示した。
「下がって。矢の届かないところまで」
身体に付着した土埃を落とすどころではなく、慌ててトリルは地面から跳ね起きると、背後をフェルジャルが守っているうちにその場から命からがら逃げ出した。
フェルジャルはというと、連れの青年が駆けだしたのを確認するや否や、すぐさま弓兵が隠れているであろう廃墟へと距離を詰めるべく地面を駆けた。
(なんで、こんなことに……)
息を切らしながら、崩れかけた廃屋の影に飛び込んだトリルは、途方に暮れたように天を仰いだ。
屋根が見事に崩落してしまっていたそこは、青い空がよく見えて、今の今までの小競り合いが嘘のようだった。
そのまま現実逃避を始めたトリルは、いつの間にか辺りが静かになったこともすぐには気づかなかった。
トリル邸で少年を捕えた時の身のこなしや、突然現れた覆面集団との交戦、飛び交う矢を次々に無効化していたその動きを見れば、フェルジャルが戦い慣れていることが十分にわかった。
本人は善良な一般人だと主張していたが、やはり只者ではない様子だ。
そんなことをぼんやりと考えたところで、ようやく周囲に静寂が訪れたことを察知したトリル。
戦いの行く末を確かめようと恐る恐る、廃屋の影から顔を出した彼だったが、眼前に広がる荒れ果てた土地には敵の姿どころか、連れの姿さえ見当たらない。
誰も、いない。
「え!?」
思わぬ事態に動揺をしつつ、そろりそろり廃墟の間を縫って歩き、周囲を探る。
いきなり襲われたりしないだろうかと警戒を強めて歩を進めていたトリルだったが、幾分も歩き回らないうちにソレを発見した。
「……うわっ!!?だ、大丈夫か!?怪我は!?」
地面に散らばった矢とともに、これまた地面にみっともなく転がっているソレは、探していたフェルジャルその人だった。
彼の濃紅色の衣装は、この色の褪せた廃墟街ではよく目立つ。
トリルは大きく叫ぶと慌てて彼の元へと駆け寄り、急ぎ、戦いの傷の具合をとみようとするトリルだったが……
「怪我は……してないんだけど……」
地面に伏せったまま絞り出すように言うフェルジャル。
その姿は、言っては悪いが馬車に轢かれたネズミのようだった。
傍らまで駆け寄れば、さすがにトリルも気がつく。
フェルジャルの外套には大して切り傷等、破れた箇所が見あたらないこと、そして彼の身体に渦巻く瘴気に。
またどこからともなく、厄介なものに取り憑かれてしまったようだ。
なんとも不便な身体をしている、とトリルは深い溜め息を吐くと、伏せったフェルジャルの襟首を掴み、そのままズルズルと地面を引きずっていったのだった。
時折、地面に転がっているゴミに当たって、抗議の声をあげるカラスの言うことは、緊急事態ということで無視しながら。
「ここは……」
「ようやく目が覚めたか。このまま目を覚まさなかったら、今度は我が家まで引きずって運ばないといけないとこだったぞ」
目を開くなり、薄暗い中で自分を見下ろしているトリルと目が合ったフェルジャル。
急に跳ね起きれば、さすがにそれを予測していなかったトリルは見事に彼の頭突きを喰らうことになって、床にひっくり返った。
「うわっ!?」
「あっ、ごめん!」
「い、いきなり起き上がるなよ!?」
しこたま打ち付けられた顔面を手でおさえて、必死に痛みと戦うトリルに、フェルジャルは申し訳なさそうに頭を下げた。
元の身体のつくりが違うのか、鍛え方が違うのか、トリルに対して、フェルジャルはというと特にダメージを感じていない様子だった。
身動きがとれなくなったフェルジャルの面倒を見てあげていたというのに、なんとも酷い仕打ちである。
いや、もしかしたら、廃墟街に転がるゴミにぶつけながら引きずり歩いたことを根に持っていたのだろうか。
ちょっと涙目になりかけているトリルを気にせず、起き上がったフェルジャルは状況確認のため周囲を見回した。
ふと床を見れば折りたたまれた自身の外套。
どうやらそれを枕にして、床の上に寝かされていたようだ。
室内、と表現するにはギリギリの、ところどころ屋根は欠け、壁は半分以上崩壊しているわ、と荒れに荒れたこの場所は、トリルいわく近くにあった廃屋の一つだという。
日がだいぶ落ち、空も暗くなってきているのを見れば、もったいないことに数時間は気を失っていたのだろう。
「倒れたところを狙われなくて良かったな」
そう言うトリルから、一緒に地面に落ちていたという矢を投げられれば、フェルジャルはそれを受け取ってまじまじと観察した。
「ヒペリカム領では、弓矢の洗礼がスタンダードなお出迎えなのかな」
「……そんな出迎え、聞いたことがない」
大して面白くもない軽口に、トリルは呆れて返す。
「船着き場の襲撃でも、しつこく弓で狙われたからさァ。これ、矢尻や作りがその時のものと一緒だ。さっき狙ってきた奴と、やっぱり同一人物だね。思ったより楽しませてくれるじゃないか」
淡々と自身の考察を口にしながら、ボキッとその矢を片手でフェルジャルがへし折った。
矢って片手でそんな簡単に折れるもんだったっけ、とトリルは少し怯む。
表情はもちろんのこと、その声色からも読み取りにくかったが、目の前のフェルジャルがご機嫌でないことだけは確かだった。
折れた矢をポンと床へ投げ捨てると、手袋に付いた屑を払うフェルジャル。
そうして、さてどうしようかと腕組をして考え込む彼に、トリルは真剣な表情で告げる。
単に悪ガキ集団に盗られた持ち物を取り返すだけの話だったはずだが、錚々たるお出迎えといい、そんな小さな話におさまりそうな展開に見えなかった。
「あれは明らかに俺たちが狙われていた。縄張りに近づいたからの威嚇とか、そんな雰囲気ではなかった。アイツら、武器も持って待ち構えていたんだぞ。領内に入った時に襲われたことといい、無差別ではなく明確に狙われるような理由がアンタにあるんじゃないか……?」
もっともなトリルの指摘ではあったが、これにフェルジャルは心底不思議そうに首を傾げた。
「う~ん?身に覚えがないなァ……?人の恨みを買うようなことをした覚えがないんだけど」
そこまで口にしたところで、疑いの眼を向けてくるトリルに気づくと、フェルジャルは外套を羽織りながら小声で付け足した。
たぶん、と。
「『たぶん』ってなんだよ!やっぱり何かやらかしてるんじゃねーか!」
フェルジャルの呟きを耳聡く逃さず、キャンキャンと小犬のようにうるさく喚くトリル。
実際、フェルジャル自身、ヒペリカム領内で襲撃されるような心当たりが(今のところは)なかったのだが、いくら言い訳しても目の前の青年は信じてくれそうになかった。
こういう時は、とフェルジャルはトリルを黙らせるべく頭を回転させた。
「そうそう、大事なことを思い出した!これからはできるだけ、私は君の傍から離れないようにしよう」
相手の意識を焦点から逸らしてしまうのが一番だ、と内心舌を出すのはフェルジャルだ。
ガラリと話題を転換した彼に、はぁ?とトリルは怪訝そうな表情を浮かべた。
そんな青年に対して、フェルジャルは朗らかな口調で伝えたのだった。
そう、その口調だけはとても明るかったものだから、さっきまで喚き散らしていたトリルの頭に、話の内容がきちんと到達するのが遅れてしまった。
やっと合点がいったんだ、と嬉しそうにフェルジャルは話す。
「呪詛についてだよ。この国……というか、ヒペリカム領は辺りを漂う瘴気がやけに多いんだ。瘴気を吸い寄せる私の身体には本当に相性が悪い場所だし、この濃い瘴気量では領民の皆さんも、いくらか身体に支障が出ているだろう。大通りに人影が少ないのも当たり前だ、あそこは特に瘴気が強いから」
目の前の怪物の言わんとしていることが、すとんと脳みそに入ってきた瞬間、トリルは全身の血が引いていくのを感じた。
何か返事をしなくてはと思うものの、彼は上手く言葉が出てこなかった。
一体、フェルジャルは……このカラスは『どこまで』気づいている?
冷や汗をたらすトリルの喉がごくりと鳴った。
「そんな瘴気だらけの土地で、大事なお守りを無くした私は、本当は身動きをとるどころじゃないんだけれど。こうして今もピンピンと行動できているわけだ。いや、訂正しよう。私は『君の傍らにいる時だけ』問題なく動くことができるんだ」
薄暗い中で、カラス頭が真っすぐに自身を見つめてくれば、トリルは今にもその場を逃げ出したい衝動に駆られた。
まるで肉食動物を前にした小動物のように。
得も言われぬ圧力を感じて、じりっと後ずさりしかければ、その肩をフェルジャルに強く掴まれてしまい、トリルは息を呑んだ。
私と逆の体質なんだね、とその口調はどこまでも穏やかだったが、肩に込められた強い力から逃げることは不可能だった。
「辺りに漂う呪いも瘴気も、自然と君のことを避けているんだ。いや、浄化されているんだろうか?君の近くにいれば、新たな呪詛に取り憑かれることも瘴気にまかれることもないんだ。なんて素晴らしい!」
トリルと出会った後、ペンダントを持たないフェルジャルが瘴気にまかれて行動不能になったのは、たった二回だけだ。
一度目は、トリルの店から逃げた少年を走って追いかけた時。
そして二度目は、覆面集団に襲われて、トリルが身の安全を確保すべく、フェルジャルが敵を追いかけるべく、大きく距離をとった時。
どちらも、二人が物理的に離れた際に起こっているのだ。
「どこまで距離をとったらその素晴らしい恩恵が切れるのかは、まだ測りかねているけれど……念のため、君の傍からあまり離れないようにはしよう」
顎に手を当ててそんなことを呟くフェルジャルは、まだもう片方の手をトリルの肩にかけたままだ。
驚きの発見と興奮があるのだろうか、その手に込められる力が一層強くなっている。
はぁ、とトリルは大きく溜め息を吐いた。
このまま力を込められて肩の骨をへし折られてしまうのはごめんだった。
「……ご明察のほど痛み入るよ。今更、それがバレたところで逃げやしないから、いい加減に肩を自由にさせてくれないか?」
「うん?ああ、こりゃ失礼」
指摘を受けてフェルジャルが慌てて彼の肩から手を離せば、トリルは掴まれていた側の腕を大きく回して肩をほぐす。
以前に腕を掴まれた時のように痣が出来ていそうで、後で身体を確認するのがちょっと怖い。
「司祭職にはなくとも、領国にはナイショで君が解呪の技術を心得ているのかと推測していたんだけど、それももしかして……」
探るように言葉を選ぶフェルジャルからそう訊ねられれば、もう黙っている必要もないかと観念ししたように、トリルは肩を落とした。
図星をつかれた影響で、少し緊張で心臓が高鳴っているのをなんとか抑えながら。
「俺は呪詛や瘴気の有無ぐらいは察知できるが、自分自身の魔力は、からっきしでね。だから光魔法にも長けていないし、治療魔法も使えない、だから司祭職に就く資格もない。別に大層な術式にのっとって呪詛や瘴気を祓っているわけでもないんだ。俺がその類に近づけば、ものによって多少の時間がかかったりもするが、向こうが勝手に消えちまうみたいだ」
トリル自身、素直に『全て』を明らかにしたわけではなかったが、この旅ガラスに手の内を明かしきってしまうには、まだ信用が足りなかった。
差し障りがないところまでそう語ると、トリルはフェルジャルを真っ直ぐに見つめた。
「そこらへんのちんけな呪いはともかく、アンタにかかっている大元凶の呪詛には全く効果がなかったみたいだけどな。ここまで厄介な呪いも初めてだよ」
これは青年の素直な感想だった。
大抵のものならトリルが近づくか、呪われた対象物を近くに置いておけば半日も経たずに無力化することに成功していた。
だが、新たな呪いや瘴気を防ぐことはできていても、すでにトリルと過ごして一日は経過しているフェルジャルからは大本の呪詛が消え去った気配がない。
「あはは、まぁ『コレ』はそう簡単に祓えない類のものだろうからね。それにしても、魔力もないというのにその体質は非常に興味深い。生まれつきかな?ご家族に似たような体質の人がいたり……」
興味を隠そうともせず、矢継早に質問を繰り出そうとしたフェルジャルに、途端、すぅっとトリルの表情が固いものになる。
「俺のこれは生まれつきみたいだが、身内に同じような体質はいなかったと思う。俺を除いた皆、すでに死んでしまったから詳しくはわからないが」
意図せずして青年の地雷を踏んでしまったようだ。
感情を出来るだけ出さないようにしているのか、強張った声色のトリル。
なるほど、彼の住まいに他の人間の気配がなかったわけだ。
この件に関してはそれ以上は深入りをするな、と言葉には出さずとも暗にほのめかされれば、さすがにフェルジャルも空気を読んで大人しくなった。
「そうか。話してくれてありがとう」
佇まいを正したフェルジャルへ、さてどうする?とトリルは訊ねた。
もちろんこれからの行動について、だ。
二人が会話を交わしている間に、とっぷりと日が暮れてしまった。
空に浮かぶ月は、時々流れる雲にその姿を隠しながら、ほんのささやかな明かりを地面にもたらす。
「日も暮れてしまったところで、敵意を向けられているのが明確にわかっている中、相手方にとって圧倒的に有利な場所へ乗り込むのは上手くないな」
そう言ってフェルジャルがトリルを見やれば、連れの視線に含むものに気づき、トリルは仕方ないといったように肩をすくめた。
「わかった。一度、うちへ戻ろう」
2023/07/06