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ここで会ったが百年目  作者: 茂里ハヱル
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第二話 慇懃無礼な化け物と

長い夢を見ていたようだった。

嗚呼、全て夢だったらよかったのに。

幾度となく考えたその思いは、目を開いて最初に映った茶色の天井で、どこかへ吹き飛んでいった。

視覚から秒遅れで、身体を包む柔らかく温かな布団を感じ取り、常人より少し精度が落ちる嗅覚がその布団から香る太陽の匂いをなんとか嗅ぎ取った。

どこからか、小鳥たちが楽しくさえずっているのが聞こえた。

夢を見ていた、のではなく、これが夢なのでは。

仰向けで天井をぼんやりと見つめたまま、次々に首位から飛び込んできた情報に、まだ上手く働いていない頭を動かして整理していれば、ようやく肝心な感覚に気がついた。

勢いよく上体を跳ね起こせば、そこはベッドの上だった。

身体を包んでいたのはクリーム色の布団で、掛け布団はよく日に干されているのか、温かくふかふかしていて心地よい。

いや、そんなことは今どうでもよいのだ。

あんなに重かったはずの瞼は力を入れずともしっかり開き、脳味噌はフル回転はまだなものの、頭が割れるような痛みは軽くなっている。

それどころか、至る所の骨を締め付けるように全身を蝕んでいた痛みまでだいぶ和らいでいるのだ。

右手も左手も、右足も左足まで、驚くほど素直に言うことを聞く。

ベッドの上で上体を起こしたまま、両の手のひらを開いたり閉じたりして、その動きを確かめてみた。

身体の調子を確かめていれば、そこで顔が何やらいつもより涼しくて開放的なことに気が付く。

手を顔に当ててみて、普段から自身の顔を覆っていたはずの被り物がないことにようやく悟って、慌てて辺りを見回した。

そこは小さな部屋だった。

ベッドが置かれているのは壁沿いで、すぐ近くの小窓からは乱雑に閉められたら薄緑色のカーテンの隙間をぬって優しい光が差し込んでいる。

小鳥の囀りはどうやらその小窓の外からのようだ。

ベッドの傍らには、小さな文机と椅子が一脚。

その机の上に、頭部をすっぽりと覆い隠すほどの大きさの、鳥の頭を模して鋭い嘴までつけた黒い被り物がまるで部屋の装飾品かのごとく置かれていた。

被り物についた真ん丸の両目部分には、はめ込まれた硝子玉がキラリと光っている。

見る者からは、不気味なカラスと不評なその被り物だったが、自分ではなかなか気に入っていたため、机の上のソレが見たところ特に損傷もないようで安堵した。

被り物の他に、身につけていたはずの外套と手袋、そしてブーツまで脱がされている。

おそらくベッドに寝かせる際に邪魔だからと取っ払われたのだろうが、荷物を詰め込んだ鞄や武器まで傍らには見当たらない。

それらはどこにあるのだろうか。

自身が思いのほか丁重にもてなされているようなので、所持品等も乱暴な扱いはされていないと予想するが……

そのまま被り物から視線を横に滑らせれば、天井まで届きそうな高さの本棚が三台。

棚はどれも、苦しそうなほどぎっちりと書物が詰められている。

そして扉が一つ。

この部屋の唯一の出入り口だろう。

ドアの横にある外套掛けに見慣れた濃紅の外套がかけてあり、そこに一緒にこれまたよく見慣れた革の鞄。

鞄の上には、黒い手袋が重ねて置いてあった。

なるほど、大体の所持品は無事か。

武器だけが室内に見当たらないようだが、その理由はなんとなく予想はついているのでそこまで心配はしていなかった。

自身の革のブーツがベッドの傍に揃えて置かれていたので、布団から出て早速履こうとすれば、そこで感じ取った。

クリーム色の布団からの太陽の匂いでもなく、本棚に詰められたら分厚い書物のカビ臭さでもなく、どこからともなく漂ってくる香り。

この匂いは、と考えているうちにその香りが段々と強くなり、そして同じく段々と近づいてくるのは。


(……人の足音だな)


足音の数から予想するに一人。

ゆっくりと、だが確実にこの部屋へとその音は近づいてくる。

さぁ、これは一体どうしたものかと考えこんだのも一瞬、すぐに起き上がった身体を布団の中に戻し、ギュッと目を閉じることにした。



============

第二話 慇懃無礼な怪物と

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両手が塞がれていると扉を開くのも一苦労だ。

抱えていた鍋を通路横の棚へ一度置き、目の前の木製の扉をゆっくりと押す。

できるだけ大きな音を立てないよう慎重に扉を開くと、トリルは部屋の中へ素早く視線を走らせた。

どうやらまだ目覚めていないようだ。

部屋の奥のベッドの上に、身じろぎ一つしない塊が乗ったままなのを確認すれば、トリルは棚から鍋を抱えあげ、室内へと進んだ。

歩くたびに、鍋蓋の隙間からこぼれ出る香りが、彼の鼻をくすぐった。


「我ながら自信作だぞ、これは……」


自画自賛しつつ、ベッドの傍まで近づくと、ゆっくりと鍋を文机の上へ置いた。

得体のしれない鳥の被り物に、運んできた鍋の中身がかからないよう、机の端へ少しずらしておくのも忘れない。

そうして、両手がすっかり自由になれば、トリルは改めてベッドの上のソレをまじまじと観察した。

掛け布団が小さく上下しているのを確認できれば、とりあえず息はあるらしい。

自分でも変なものを拾ってきてしまったなという後悔が全くないといったら嘘だが、興味を惹かれずにはいられなかった。

昨日の夕方、御神木の前で遭遇した……おそらくヒトであろうもの。

おそらく、とつけるのはトリル自身、それが本当に自分と同じ生き物なのか、まだ自信がないからである。

目の前に横たわるソレは、醜悪そのものだった。

皮膚はところどころどす黒く変色し、爛れており、かたく水を絞った手ぬぐいで顔や首を拭ってやったものの、特に変わりはしなかった。

瞼が閉じられていれば、どこに目があるのかわからないほどで、今までに死体を目にしたことは一、二回ではないけれど、ここまで酷い状態はトリルも初めて見た。

しかも、それで生きているのだから驚きである。

発見した当初、頭が鳥で身体が人間の、御伽話によく聞くこれが獣人、いや鳥人なるものなのではと胸を高鳴らせたトリルだったが……あたりを渦巻く瘴気に顔をしかめながら恐る恐る倒れていたそれへ近づくと、頭部に鳥の頭を模した被り物をかぶっていることに気づいた。

やはり獣人は絵空事の世界なのか、と少々がっかりしたのは否めなかった。

それから外套に包まれたその身体が、抱き起こした際に露わになれば、彼は眉をひそめた。

ふざけた頭部に対して、質の高い布地で作られていて、かといって上流階級が好むような華美すぎるものでもなく、機能性に優れて居そうな衣服を身に纏っていた。

腰に剣を携えていたこともあり、この辺りでは見かけないがどこかの軍服だろうかとトリルは首を捻った。

これは一体、と小さな疑問を浮かべながらも、顔色をみるためにそのヒトらしきものの被り物を外したトリルは危うく腰を抜かすところだった。


『…………っ!!』


被り物の下から現れたその顔に思わず息をのんだ。

生きている者の顔とは到底思えなかった。

どれだけの怨恨を受けたら、こんな様相になるのだろうか。

いや、怨恨のせいなのか、怪我や病気か何かなのか。

辺りを渦巻く瘴気は酷いものだったが、瘴気ぐらいではここまでならないだろう。

驚きのあまり、抱き起こしたソレを投げ出しそうになったのはなんとか堪えたものの、トリルは呆然とした。

これはさすがに関わり合いにならない方がよい輩なのではないか。

自身の心臓の鼓動が早く鳴りつつあるのを感じながら、早々にそんな決断をくだし、それを元の状態に戻すべく、ゆっくりと地面へ横たえようとしたトリル。

すると、その異形の者の口が微かに動いたのだった。


『やっと……会えた……ね』


一瞬、それはほんの一瞬のことだったが、閉じられていたはずの瞼が開き、トリルを見て―――信じがたいことに笑ったのだ、ソレが。











「いや、まぁ、あのまま放り出してても良かったんだが、瘴気が御神木にまで影響するのは良くないだろうし」


誰に言い訳するでもなく、そう言ってトリルは文机用の椅子をベッド脇へ近づけると、どっかり腰を据えた。

元の顔が酷すぎるため、顔色を確認するのも難しい頭部へちらりと視線を走らせた後、掛け布団の上に投げ出された異形の者の右腕へ手を伸ばした。

屋敷へ運んでベッドへ寝かせる際に、被り物のほか身につけていた手袋やブーツも取っ払い、シャツの胸元のボタンを弛めてやった際に気づいたが、顔だけでなく全身に渡ってこの変色や爛れが広がっているようだった。

怪我や病気由来のものであれば、治療魔法である程度は治せそうなはずだし、身につけていた衣服の質からして金銭的に治療魔法を受けることが難しい層でもないだろう。

ということであれば、この症状は呪詛によるものなのだろうが、それにしても……?

眉をひそめながら、指から始まり、手のひら、手首と、具合を確かめるようにトリルが右腕を触っていけば、そこで。


「……あははっ」


「わっ!?」


どうにも我慢ならないというように、枕に沈んでいた異形の顔から、笑い声が漏れれば、トリルはびっくりして椅子から飛び上がった。


「ああ、悪いね。どうにもこの顔は人を驚かせやすくて」


クスクスと笑い続けるその顔は、先程まで閉じられていた両目がしっかりと開き、トリルを見つめていた。ところどころ変色して歪に強張り、ギョロリと白く光る目ときたら、子どもはおろか大人まて泣き出す面相だ。

少ししゃがれた声だが、はっきりと喋った異形の彼に、トリルは顔を赤面させつつ怒ったように言う。


「顔の問題じゃない!起きてるなら起きてるって言えよ!」


「言いたいのは山々だったんだけど、あんまりにも熱心に調べているもんだから、邪魔するのも憚られちゃって」


堂々と彼にそう言われてしまえば、トリルは口を噤むしかなかった。

目を向けることも躊躇うような異形のその顔からは相手が何を考えているのか全く読み取ることはできない。

まだ一言二言、言葉を交わしただけだか、呪詛の匂いどころか、食えない性格の匂いがプンプンしている。

どうしたものかと気もそぞろにトリルが出方を伺っていれば、先に動いたのは相手の方だった。

少しふらつきながらも、上体をベッドの上に起こし、しっかりとトリルを見据えた。


「様子を見るに、君が命の恩人というわけか。こんな化け物を助けようとは、なんとまぁ、ずいぶんと変わった人だね。いや、助けてもらったことはとても感謝しているんだけどさ」


そんな軽口を叩いたかと思えば、至極丁寧な所作で、胸に右手を当てて深々と礼をする異形の怪物。

その風貌には些か似つかわしくないふるまいであったが、身に纏った衣服や所持品の質からすれば、それなりの家の出身なのだろうと推測できた。


「ここいらではあまり見かけない紋様みたいだが」


濃紅の落ち着いた中にも艶があり、特徴のある金色の紋様を縁取った外套。

部屋の壁にかけてあったそれにトリルがちらりと視線を向けてそう口にすれば、ベッドの上で怪物は目を細めた。


「こちらのゴートウィード国じゃなく、アルストレーマー大陸から来たもんでね。私はフェルジャル。どうぞお見知りおきを。旅の途中でちょっとしくじっちゃって」


もう駄目かと思った、とからから笑う異形の怪物……フェルジャルは思いのほか、陽気な性格らしい。

その見た目との落差にトリルは内心呆気に取られながらも、ベッドの上の彼へ名乗った。


「トリルキルティスだ。ここは、俺んち。昨日の夕方、隣町へ出かけた帰りに、アンタが倒れているのを見つけた」


トリルがそう伝えれば、ふうん?とフェルジャルは目を瞬かせた。


「治療も、君が?」


両手を握ったり開いたりと自身の手で動作を確認するフェルジャル。

彼の問いに対して、トリルは質問で返した。


「というか、アンタの身体、一体どうなってるんだ?」


至極もっともな疑問であった。

住居まで運ぶ道中、ベッドに寝かせてからも、意識を戻すこともなく、あまりにも弱りきったその様子に、トリルはだいぶ気をもんだ。

家へ連れてきて看病を尽くしたものの、すぐに死んでしまうのではないか?

発見した当初に比べればましだが、それでもか細い呼吸に、生を感じられないほどひんやりとした肌。

そろそろ日が変わる時分に、目覚めないまでもようやく呼吸が強くなり始めたのを見て、ベッド脇にかじりついていたトリルは胸をなでおろしたのだった。


「呪い殺されていないのが不思議なくらいだ」


トリルが深い溜息と共に本心を述べれば、これにフェルジャルは肩をすくめてみせた。


「変なものを吸い寄せやすいというか、どうにも好かれる質みたいでさ。困ったもんだよね」


当事者のわりに堪えた様子もなく平然とそう答えた彼に、トリルは呆れるばかりである。


「好かれるってレベルじゃ……そもそも、大陸のどの辺りからか知らないけど、それでもこのヒペリカムまで、結構な距離だぞ?よく、そんな身体で移動してきたな」


アルストレーマーは世界一の広さを持ち、五つの国から成る大陸だ。

対してトリルの住まうヒペリカムは、大陸から海を挟んではるか東に浮かぶキントラノオ島にある。

正式にはゴートウィード国ヒペリカム領。

アルストレーマーほどの広大な土地ではないものの、キントラノオ島には大小様々な国がひしめき合い、ゴートウィード国もその一つだ。

近隣をいくつもの国に挟まれているものの、フェルジャルの外套や衣服の紋様はここいらではあまり見かけない柄だったため、余所者だろうとは予想していたが、あまりにも遠方だった。

なんせゴートウィード国自体、島の内陸部に位置しており、ヒペリカム領はその中心に近いところにある。

大陸から海を渡ってきても、そこからたどり着くまで陸路を延々と進まねばならない。

フェルジャルの旅路が一朝一夕のものではないことは明らかだった。


「元々はそこそこ身体は動かせる程度だったんだけどね。だからヒペリカム領に入るまでは順調だったよ。確かにちょっとしくじったっていうのもあるけどーー」


フェルジャルがそう口を開けば、二人の会話を割くように、突如として乱暴なノック音が屋敷内に響いた。

ドンドンと容赦なく扉を打ち叩く音だ。

二人のいる部屋の扉ではない、どうやら家の外に誰かがいるようだ。

可哀想なくらいに繰り返し叩かれているのは玄関の扉のようである。


「トリル!いないのか!?いるんだろ、開けてくれよ!」


続いて、甲高い子供の声が聞こえてくれば、名を呼ばれたトリルはため息混じりに椅子から立ち上がった。


「……どうやら客人らしい。悪いが続きは後で」


声の主が誰かを瞬時に察したトリル。

異形の怪物の話は非常に興味深いが、うるさい訪問客を黙らせるのが先だった。

これまでの付き合い上、居留守を使ったところでいつまでも外でキャンキャン喚いているのが容易く推測できたからだ。

フェルジャルの容態からしてすぐにトリルの家を発つことも難しい。

さっさと追い返して話の続きを、と部屋の出入り口に向かったトリルは、ふと思い出したかのようにベッドの方を振り返った。

そうして、フェルジャルと目が合えば、ベッド横の文机を指差した。


「そこの鍋の中身はアンタの分の飯。それでも食べながら待っててくれ」




2023/07/05

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