ラベンダー5
母は、花好きの人だった。父が亡くなって収入が無くなっても、一日中庭の花の手入れをして働く様子はなかった。元々生活感が全くない人ではあった。実家が東京の由緒正しい呉服屋さんで、深窓の令嬢として大切に大切にそだてられたためであろうか。いつもニコニコとし、花だけを見つめていた。人間というより妖精みたいな人だった。母は、小さい頃から欲しいものは全て手に入れてしまってたためだろうか、服は似たような白のワンピースを着回して、鞄も一つ靴も一足しか持っていなかった。宝石もつけず、お化粧もあまりしないが、とても美しい。食べ物にも、おしゃれにも頓着しなかった。ただ、庭の花だけを眺めていた。母の花好きは、幼い頃に彼岸花のように美しいお姉さんと出会ってからだと聞いた。しかし、それがなぜあれほどの花好きへと繋がるのかはよくわからなかった。
一度母の実家に行ったことがあった。何十年も栄えていた呉服屋であったから、それはそれは立派な邸宅で、お手伝いのおばちゃんは昭和初期に建てられたのよと言っていた。木造の二階建てで、枯山水の白い砂が眩しく歪んだガラスにキラキラ反射していた。庭のあちこちにどんな季節でも、木犀や芍薬、椿、牡丹、梅などの花が咲きみだれていたと母は話していた。しかし、僕が家を訪れてから2、3年経った頃、新しく始めた事業に失敗したらしく、祖父母はどこかに夜逃げし、家は売られたか差し押さえられたかしてしまった。家を継いでいた母の姉夫婦は、婿さんの実家の田舎へと逃げたらしい。
祖父母や実の姉連絡が取れなくなったことに母はなんの関心も示さず、「お庭の花達は大丈夫かしら?」などと呑気にしていた。
そんな母だから週末、学校が休みの時に連れて行ってくれるのは植物園だけだった。寂れているとはいえ春はいくらか花が咲いていたので、まだみられないこともなかった。白くて丸い石で仕切られた花壇にはスミレが甘い香りを放ち、梅園では老梅が小さく枝に張り付いてその香りを風に漂わせていた。そして、唯一美しいのは桜だった。桜で有名な公園などに比べたら、数も大きさも鮮やかさも劣っていたが、夕暮れに妖しくその花弁を散らしている桜は、不可思議な魅力があった。桜と夕暮れは似合う。
「きれい。」
と僕が呟くと、
「桜の下には死体が埋まっているのよ。」
母は、微笑みながらそう言った。