偽すとーかーのユウウツ
一人称です
「いい加減帰りなよ、ジョゼ」
「そういう訳にはいかないのよ、アレン。あんたこそそろそろ観念しなさいな」
渋面を作る幼馴染に、私自身こそ諦め半分で告げる。どんなに説明したところで、こいつが納得する日はきっと来ないんだろうな。
「今更だけど、何度も言ってるけど、何年も言い続けてるけど、私と離れたらあんたが大変なのよ」
「毎回意味わかんないよね。これ以上付き纏わないでほしいんだけど。本当に迷惑だから」
「だーかーらー」
「だいたいなんで、いっつも俺の居場所がわかるわけ?」
「探索魔法使えるからね」
「は? そんな才能があるんなら俺に構ってないで、とっとと王都の魔法学校に行った方がいいんじゃない?」
「むしろそうしたいのはやまやまなんだけど、あんたから離れる訳には」
「何なんだよ、君は。……兎に角、見ての通り俺は君の相手をしてる暇はないんだよね」
「――帰りなよ」
少し乱暴に突き放され、私は苛々を隠せず目を吊り上げた。
アレンの隣で腕を組む女がわざとらしく、こわーいと呟く。また違う女だよ……まあ、それはどうでもいい。
引き止めるも虚しく、アレンは女と連れ込み宿に入っていく。はあ、さすがにこれ以上は追い掛けられない。
ふたりの姿が見えなくなると、私は仕方なしに宿の軒下に移動した。
この距離なら何とか許容範囲だろう。
あーあ、なんで私がこんな目に遭わなきゃいけないのかな。
すでに慣れ切ったとはいえ、時折悲しくなる。
あいつが女の子とよろしくやっている間、私はひとり野宿とか残念すぎる。
本当、いい加減にしたいのはこっちの科白だ。
そもそも原因はあいつなのに、苦労するのがたまたま近くで巻き込まれた私なんて、世の中は理不尽極まりない。
軒下に蹲り、大きな溜息を吐いて、私は我が身の不運を嘆いた。
◆ ◆ ◆
『ジョゼはアレンの隣家に住む幼馴染であり、執拗な追っかけである』
これが――ご近所や学校における私の不本意な評判だった。
かれこれ十年以上もあいつから一定距離以上離れないよう纏わりついてたら、そんな悪評も立つよね。アレンの奴がこれまた随分な美丈夫に成長したものだから、余計に。
でもさあ、いくら顔が良いからって、あんな女を取っ替え引っ替えする奴だよ? 一般的に考えて、地味子の私が本気で惚れるとか思うのかね。
むしろ解放されるなら大喜びなんだけどなー。あいつの遊び相手の誰でもいいから、この面倒な立場を代わってほしい。本気で。
アレンには幾度も己の状況を理解させるべく言葉を尽くしたけれど、理解されたことはない。
私は彼から物理的に離れてはいけない。もし下手に距離を取ったなら――その報いはアレン自身の身に起こる。
簡単に言うと、危険が雨あられと降りかかるのだ。怪我をしたり病気を貰ったり、下手をすると死に至るような不幸にみまわれる(今までも多少経験してるのに、どうしてか一向に悟らないんだな、あいつは……)
何故かって?
そう、事の起こりは――まだ私たちが幼児の頃に遡る。
+ + +
この国は女神を信奉しており、大きな街には必ず女神神殿があった。私たちの住む街も決して例外ではない。
神殿の一区画は参拝者のために開放されていて、出入りは概ね自由だった。
もちろん立ち入り禁止区域もある。それは見事な女神の神像が奉られている奥の殿とか。
……なんで知っているのかって、まあ入ったことがあるからね。忍び込んだというか。
善悪もわからない子どもの悪戯心だった。今となっては親の言いつけはちゃんと守るべきだったと深く悔いている。
幼い日の私とアレンは大人の目を盗んで、神殿の禁域にこっそりと侵入した。
そして、あろうことか――当時は今と違いやんちゃ過ぎたアレンは、私が止めるのも聞かず、美しい女神像に酷い落書きを施したのだ。
当然、見つかって大目玉を食らい、互いの親には不信心を泣かれた。私はとばっちりな気もするけど、連帯責任だそうで。
それでもまだ、私は考えが甘かった。真のとばっちりはこんなものでは済まなかったのだから。
散々叱られ泣き疲れて眠った夜、私は奇妙な夢を見た。
その夢の中に件の女神像とそっくりな女性が現れて、厳かに宣ったのである。
『不届キ者ノ小僧ハ感度ガ鈍ク我ノ声ガ届カヌ故、娘、其方ニ告ゲル』
「は、はいっ……!」
無機的な声に淡々と告げられ、幼い私は恐怖で泣きそうになった。女性が女神の化身であり、彼女の言う小僧がアレンを指すのは何となく察した。
「ご……ごめんなさいごめんなさい、アレンがごめんなさい。おゆるしください、女神様!!」
『娘、小僧ノ無礼ニハ相応ノ罰ヲ与エル。即チ小僧ハ我ノ加護ヲ失ウ』
「! それって……どういう?」
『スベテノ幸運カラ見放サレ、アラユル災イヲソノ身ニ受ケルデアロウ』
私は絶望した。
真っ青になっていたと思う。
幼馴染が悪かったにしても、無知な子どもあまりにも非道な罰ではなかろうか。女神様、心狭いよ!と今なら思わないでもないが、そのときはひたすら悲しくなって泣いた。
「うぁーん、アレンが……アレンが!」
『……慈悲深キ娘ヨ。ソレホドマデニ小僧ヲ哀レニ思ウカ』
号泣する私を見て、女神様はしばし思案していた。幼女が必死で友人を心配する様子に心を打たれたのだろう。
『小僧ヘノ罰ハ覆セヌ』
「ひぃっく、アレンぅ……」
『……ガ、娘、其方ノ涙ニ免ジテ、救済ヲ与エン』
「え?」
表情を持たぬ女神の化身は、重大なことを殆ど義務的に決めたように見えた。
それでも私は、アレンを救ってくれるかもしれない、という言葉に縋りつく。
「ほんとうですか、女神様!」
『小僧カラ加護ヲ取リ上ゲル。コレハ決定事項』
「ふぇ……」
『シカシ』
『其方ト共ニアル限リハ、其方自身ノ加護ガ小僧ニモ及ブモノトシヨウ』
「わたしが……いつもアレンといっしょにいればいいのですか?」
『是』
「あ、ありがとうございます! ありがとうございます!」
深く考えずに、女神の齎す光明を信じた私は、本当に愚かで盲目だった。
神託は下された――。
それから十年以上、互いの心はとうに離れてしまったにも拘らず、私はなおも幼馴染の運命に縛り付けられている。
◆ ◆ ◆
幼児だった頃は私がアレンにべったりくっついていても、仲が良い程度で不審がられずに済んだ。
幼年学校に上がってから数年、さすがに性差を意識するような年齢になると、アレン自身も周囲の目も変わってきた。
更に上級学校に進むと、私は露骨に奇異の目に晒された。まあ当然だよね、常識的に考えて。
でも私は女神の慈悲――或いは呪い――により、アレンの近くに居続けなければならない。理由は何度も説明しているけれど、残念ながら誰にも信じてもらえなかった。
私だって疑念がなかった訳じゃない。
過去何度か、実際にうっかり離れてしまったこともあった。どうなったと思う?
一度目は池に落ちた。二度目は流行り病に罹った。三度目は間一髪で落雷に当たりそうになった(多分、私が間に合って助かった)。四度目は馬車に轢かれた。五度目は暴漢に刺された。六度目は倒れてきた木材の下敷きになった。
どれもこれも、下手しなくとも生命を失い兼ねない状況だった。偶然と言い切るには重なり過ぎていたけど、女神の罰を信じたのは夢でお告げを聞いた私だけ。普段は信仰がどうとか煩い大人連中さえも、子どもの戯言と一蹴して取り合ってはもらえなかった。畜生、不信心共め!
もし私が目を離したせいで、アレンに取り返しのつかない事態が襲ったら。この分だと最悪の場合だってあり得る。
そんなの後ろめたいったらないよ……。
一生罪悪感に苛まれるよりは変人扱いの方がマシ、と開き直って、いつしか私は周囲を憚ることなく、アレンの追っかけを極めた。
幸い魔法の才能があったらしく、ほぼ独学で探索魔法やら隠蔽魔法やら、どちらかというと間者や隠密になるのに役に立ちそうな技術まで身に着けた。将来何かに使えるかなー。
思い返せば苦労ばかりだった。
諦めてしまおうか、と何度思ったか知れない。
いや、まさに今この瞬間も考えている。
「ジョゼ、いつも言ってるけど、校内で後をつけるのを止めてくれない?」
「あんたすぐ逃げるじゃない。学校くらいサボらずに通いなさいよ。ただでさえ夜遊びばっかして、小母さんに心配かけてるくせに」
「……君には関係ない。隣だからっていちいち煩いよ。放っておいてよ、うちのことなんか」
同級生の女の子を幾人も侍らせたアレンは、仏頂面で悪態を吐く。私は殴り掛かりそうになる拳を抑えた。
関係大ありだ、この阿呆が!
小母さんのことさえなければ、ろくでなしのあんたなんかいつ見捨てても構わないんだよ。
早くに旦那さんを亡くして、女手一つで一人息子を育てたアレンのお母さんは、実はあまり身体が丈夫ではない。
昔から面倒を見てくれて、優しくしてくれた隣家の小母さんを悲しませたくないから、まだ私は頑張っていられる。
なのに……こいつときたら、ふらふら女と遊び歩いてからに!
家で大人しくしていてくれたら、小母さんも安心するし私も面倒がないしで一石二鳥なんだけど。
「じき卒業を控えてるんだから、ちょっとは真面目に生きようって気はないの? だいたい進路決まったの?」
「知らないよ。君こそ何も考えてなくない?」
「そうでもないけど、あんたのことがあるからね」
「……それが鬱陶しいんだって」
「仕方ないじゃない」
「失せなよ、ウザい」
舌打ちひとつを向けると、アレンは私に背を向けて歩き出す。女の子たちがくすくす笑いながら連れ立っていく。私はまた追い掛ける。
「待ちなさいよ、アレン」
「異常だよ、君。本気でいつまで続ける気?」
「……いつまでって」
今更か。
って突っ込もうとして、私は一瞬言葉を止める。
いつまで。いつまでと問われれば。
「そりゃ、あんたが……許される、まで、でしょ」
ああああああ!!
ようやく思い至り、私は茫然とした。
今更なのは私だ!
いったい今の今まで何故こんな初歩的なことを失念していたのか。
もしかしなくとも、一生だ。
万が一にも女神様のお怒りが解けたりするかもしれないけれど、すでに十年以上、そんな予兆は欠片もなかった。
じゃああれか、私はこの先ずっと卒業しても就職しても、こいつが結婚しても、疎まれながら我が身を犠牲に追っ掛け続けなければいけないと!?
勘弁してくださいよ、女神様……。
悪かった。私が悪かった。
こんなクズ野郎に育つと知っていたら、あのとき減刑を請うなんて絶対にしなかった。幼気な私の馬鹿馬鹿。
「あんたなんか……見捨てられたら、どんなにか」
「またあの与太話か」
心底煩わしそうに、振り返りもせずにアレンが言い捨てる。
「子どもの頃のくだらない作り話に拘って、何がしたいわけ? 俺にどうしてほしい? そんな空想に浸ってないで、一言君が――」
「?」
何やら言い掛けたアレンの科白を、私は最後まで聞くことができなかった。
何故なら丁度そのとき、バタバタと騒がしい足音と共に、学校の教師がこちらに向かってやって来たからだった。
「あ! アレン君! 探したよ!!」
「……?」
初老の教師は焦った様子で私を追い越してアレンに呼び掛ける。
顔が青い。嫌な汗をかいている。
……何だろう。妙に胸騒ぎがした。
「先生?」
「アレン君、今さっき、連絡が。その、落ち着いて聞いて」
「君の――お母さんが倒れた」
+ + +
小母さんは持病を抱えていた。
買い物中に道端で倒れて、昏睡状態に陥ったまま、結局意識を取り戻すことはなかった。
私はずっとアレンの傍にいたから、こいつが招いた不幸ではない。多分、普通に人間の寿命で、運命だったのだろう。女神の加護など関係なく、世界はいつだって酷く残酷だ。
葬儀の間中、私はアレンから離れなかった。
そして、このときばかりはアレンも私を突き放さなかった。
久しぶりに手を握る。
昔はよくこうして、互いの温もりだけを頼りに眠った。
女神の罰が怖くて涙目でしがみつく私を慰め、俺がついてるから安心して、と豪語してたね。あんたが原因なんだから勘違いも甚だしいけど。
一度目の不幸で池に落ちた夜、憔悴し切っていたくせに、強がって笑ってみせた。自分が迂闊にも離れたせいだと謝罪を繰り返す私に、俺は不死身だから大丈夫だよと苦しい息を隠して言ってのけた。
アレンは本当は、顔だけが取り柄の最低男じゃなかった。でなければ、いくら何でもあんなに女の子に人気ある訳ないか。
馬車で轢かれたときも子どもを助けようとしたからだし、刺されたときも暴漢から他人を守ったせいだった。
……駄目ですか、女神様。
加護を奪われ、唯一の身内を喪い、まだ幼い日の償いは不充分と仰いますか。
ねえ、狭量な女神様。
貴女の信徒に救いをください。
+ + +
その夜、私は再び夢を見た。
実に十年以上ぶりに、美しき女神の像が現実のように肉感を持って動く夢を。かつて幼女の私が感じた荘厳さは些かも損なわれておらず、神託が訪れたとすぐに実感できた。
「女神様……!」
『娘、其方ノ声ハ確カニ聞キ遂ゲラレタ』
相変わらず何の感情も含まない声音に、当時よりも成長したはずの私は――否、成長したからこそ一層過敏に、寒気を抱いて立ち尽くす。
「女神様、それでは」
『其方ハ信仰ヲ忘レナカッタ。更ニ小僧ノ母ハ敬虔ナ信徒デアッタ。両者ノ祈リヲ聞キ入レ、小僧ニハ慈悲ヲ与エン』
「本当ですか!!」
「じゃあ、アレンに加護を……!」
『人間ノ月日デ数エテ二年』
女神の化身は所謂喪に服すとされる期間を指し示して、きっぱりと告げた。
『ソノ間ハ小僧ニ再ビ加護ヲ与ヨウ』
「……二年」
短すぎる、と文句を言うべきか、それとも皆無だったのが二年も猶予を与えれて幸いと喜ぶべきか。いや、これは後者が正解だろう。
「ありがとうございます!」
『加エテ』
謹んで礼を述べる私に構わず、女神は続けた。
『ソノ間ニ小僧ガ見ツケルコトガデキタナラバ、我ガ信徒トシテ認メ、過去ノ無礼ハ水ニ流シテモヨカロウ』
「見つける?」
私は首を傾げる。
『真実ノ愛ヲ』
むしろ皮肉かと思うほど容赦なく、女神は予想もつかない単語を並べる。
愛、と仰いましたか? 愛と。
「そ、それはつまり……二年の間にアレンにちゃんとした恋人ができれば、という意味でしょうか?」
『是』
『我ハ愛ノ神、愛ノ化身。常ニ真実ト愛ヲ守ルモノ。其方ガ無私ノ愛デ友ヲ救ッタ栄誉ヲ称エル。次ハ迷エル同胞ヲ導クガイイ』
謡うように紡がれる祝福が、だんだんと小さくなってゆく。女神の姿も徐々に薄れた。おそらくもう覚醒する――。
「ちょ……無茶でしょ女神様!!」
目が覚めたとき、私は葬儀が執り行われた女神神殿の片隅で寝転がっていた。横にはアレンの端正な寝顔があった。どうやらアレンとふたり、疲労のあまり寝入ってしまっていたらしい。
そうか、それであんな夢を……。
夢を思い出し、私は新たな試練に頭を抱える。
二年間の時間をもらった。それはいい。重畳だ。何という幸運だろう。
しかし。
――この女ったらしに、特定の恋人を?
厄介な話だった。
こいつ、女遊びは激しいが、確か熱烈にひとりに入れ込んだりしないんじゃなかったっけか。
けれど悩んだのは僅かな時間だった。
そんなん私がお節介をやかなくったって、きっと自然体でいれば勝手に叶うんじゃない? 顔は良い、性格もまあ難あれど致命的な悪人でもない、成績はそこそこ優秀、選ばなきゃ卒業後の仕事も困らないだろうし、大人になったら落ち着くに決まっている。
面倒な追っ掛けもいなくなるし?
だってもう、私がアレンの傍にいる理由はない。
そう、自由だ。
私は初めて解放されたのだ。
◆ ◆ ◆
上級学校を卒業後、私は王都の魔法専門学校に進路を定めた。
魔法は才能であり、素質がすべてである。すでに開花しているにも拘らず進学しない人間は稀で、私の年齢からすると入学は遅すぎるくらいだった。
小母さんが亡くなり、女神様のお告げを受けてから、私は少しずつ慣らすようにアレンから距離を置いた。一応、万一があるからね。そこは慎重に。
結果としては問題なさそうだったので、進学に踏み切った。
アレンには一切話さなかった。
親にも教師にも口止めをして、卒業式と同時に生まれ育った街を出た。
煌びやかな王都で、私は変わらず地味子のままだったけれど、やっと自分のために息を吐けた。
あいつを追わなくていい。探さなくていい。不測の事態に心臓を脅かす必要もなく、華やかな女の子たちに嗤われることもなく、常識を重んじる大人たちに諭されることもなく――あいつ自身に疎まれることもなく。
離れて気づいた。
結構しんどかったんだな、私。
いくらアレンのため小母さんのためと自らを鼓舞しても、誰にも理解されないで邪魔者扱いされながら他人を守るなんて、どんなに仲の良い幼馴染でも惨めで耐え切れなくもなるよ。
まあ女神様には認められたから、良しとしよう。
ねえ、アレン。
今あんたがどうしているかは知らないけど、私と小母さんが身を挺して捧げたとも言えるこの二年間を、有意義に過ごすことを祈っている。
愛するひとと結ばれて、真実の愛とやらを早く見つけてほしい。
私が不満を言い続けながらも犠牲になったのは、それでもあんたを大事に思ってたからなんだよ。
+ + +
魔法学校の授業は忙しかったが充実していた。
殆ど独学で魔法を身に着けた私はかなりの矯正を余儀なくされ、多少の苦労はあった。でも、どうということはない。
努力すれば報われ、他者に認められる日々の何と喜ばしいことか!
このまま進級してそこそこの成績を維持できれば、将来は魔法協会直属の国家魔法使いも夢じゃない。貴族のお抱えになって優雅に生活するのだって可能だ。
一年が経った。
私は忘れてはいなかった。
どんなに舞い上がっても、幸運の波は人間の与り知らぬところで見えざる手に攫われていくものだ。油断をしてはいけない。
刻限まで残りあと一年、あいつはどうしているだろう。
とは言え、忙しさにかまけて、私は一度も帰郷せずにいた。実家の両親とは手紙のやりとりをしていたが、誰もアレンの話題には触れない。あー……私が諦めて失意の末に出奔したとでも思ってるのかもなー。大誤解だけど、まあいいや。
便りがないのは大きな問題もないという意味だし。あいつが結婚するとか、そんな話題でも出れば万々歳なんだけどね。頑張ってほしいものです。
心配しつつも以前よりは固執することなく過ごしていたある日。
私たちは不意に再会を果たした。
+ + +
魔法専門学校の隣には、騎士養成学校がある。
まあ要するに軍の士官学校かな。これまた結構な難関で、完全な実力主義らしい。もちろん貴族の子弟は優先度が高いけれど、平民でも文武両道なら入学する機会がある。魔法学校とは別の意味で特別視されている。
隣接しているという点で、魔法学校の女生徒たちの関心も高い。あちらは男子校だからね。
言ってはなんだけど、魔法の素質がある男って研究肌の頭でっかちが多いせいか、女子受けは悪い。騎士学生は金持ちやら男前やらが揃ってるから、そりゃあ人気が高いわ。
地味子の私には関係ないけどねー。
悲しいかな、思春期を無駄に浪費してきたため、私は女性的な魅力に乏しい。解放されたと思ったら勉強三昧だし、お洒落とか化粧とかする余裕ないんだよ、と言い訳。
アレンのせいで、他の男の子に目を向ける余裕もなかったもんなー。
いや仮に興味を持ったとしても、容姿度外視しても、アレンべったりの私を好いてくれる男なんていないでしょ。
もしかしたら、そろそろいいのかもしれない。
折しもそんな頃、偶然にも私なぞには珍しくお誘いがあった。枯れ木の賑わい的人数合わせか、良くても引き立て役か何かだろうけど。
「騎士学校生と食事会するんだけど、どう?」
交友関係の広い魔法学校同級生の言葉に一も二もなく飛びついた私は、きっと彼女らの中で男に飢えた身の程知らず認定されたに違いなかった。
すでに言わなくとも明白だろうが、その食事会会場――王都でも有数のお洒落居酒屋だ――にて、私はアレンと再会したのだった。
予備役の騎士服に身を包み、少しばかり軟弱さが抜け精悍になったアレンは、相も変わらず女たちに囲まれていた。
おおい!
ちょっと待ってよ!
騎士学校進学希望なんて、一度も聞いたことないよ! だいたい成績的にそこまでじゃなかったじゃん。普通の大学ならまだしも。
ってことは、もしや留年でもして一年勉学に励み鍛錬に勤しんだのか? そこまで真面目な人間だったか?
いや、本当に待って。
それじゃあ、真実の愛は?
何とち狂って男子校なんかに入ってんの!?
……いやいやいや。
食事会に来てるんだから別に大丈夫かな。現時点で特定の恋人がいなかったとしても、出会いは探してるんだよねえ?
放置だ。
構わないのが正しい対処だ。
折角上京して汚点を払拭できる機会を得たのに、好き好んで再び泥水を啜る謂れはない。あいつだって今更関わってこようとも思わないでしょ。
せいぜい美しいお嬢さんでも見繕って、今度こそ真の意味で私を解放してくださいよ。
そのための協力なら惜しまないよー。
私の目標はアレンの過去になることなんだ。
子ども時分に、学生時代に、何だか妙な幼馴染にしつこくされたっけ……って、何かの拍子に思い出して、恋人か妻か愛しい我が子にでも語ってくれればいい。
それでようやく、アレンは試練を乗り越え幸せを取り戻した証になる。
私はわざと目を逸らして、ひたすらに葡萄酒をがぶ飲みした。酒は比較的強い方だけれど、今日は酔いが回るのが早い気がする。
柄にもなく緊張しているのかな。
だって……妙に視線を感じる。
気のせいだ。気のせいだから。
アレンがずっと私の方を見ているなんて、絶対に勘違いだって。
+ + +
声を掛けられたのは帰り道でだった。
送っていくとか、えーどうしようとか、送り狼と送られたい兎の攻防を尻目に、ぼっちの私は速やかに帰り支度を調えて立ち去ろうとした。男漁り、もとい運命の出会いはなかったけど、金払った分は飲み食いできたし、良しとする。
途中退出しなかったのは意地だ。なんで私がアレンのために遠慮せねばならんのだという。
思えばそれが間違いだった。
ああ、私はいつも軽々しい選択をして後悔する。
店から少し離れたところで、私はアレンに肩を掴まれた。
「……は? 何?」
「ジョゼ……」
久しぶりに近くで目にしたアレンの美丈夫っぷりは、さすがというか何というか。以前はまだ子どもっぽいところもあったのに、今は大人になりかけの色気すら感じる。
「ご無沙汰しております」
何故か丁寧語になってしまった。
「ああ、一年ぶり」
よし、挨拶終了!
同郷の義務は果たしたよね。撤収!
……のはずが。
踵を返そうとする私の肩を、アレンが強く抑えて離さない。え? 何なの? まだ何か用があるの?
「アレン?」
「君、なんで……」
「何? うちのことで何かあった?」
「いや」
ううん? 要領を得ないな。
……あ、そうか!
自慢か? 騎士学校に入ったこと自慢したいんだな? さては私ごときが魔法学校に入って躍進するのが悔しかったとか、そういうのじゃん?
わかった、わかった。
自尊心を満足させてあげればいい訳ね。
「騎士学校、入学おめでとう。全然知らなかったけど。いやーあれだけ遊んでてよくも合格できたものだよ」
あれ、ちょっと嫌味になった。まあ事実だしご愛敬だ。
「同郷の誉れだね」
「……気持ち悪いな」
「君って鬱陶しいくらい纏わりついていたくせに、俺を褒めたことなんか一度もなかったよね」
「そ……う、だっけ?」
言われて思い返すと、きっとそうだったんだろうな。ていうか褒める要素ないし。強いて言えば顔だけだし。女の子にモテモテだね、とかわざわざ言われたいかなあ。
「まーいいでしょ、昔のことは」
「……昔」
「昔話するほど年数は経ってないけどね」
確かに多少感慨深くはある。
小さい頃から腐れ縁だっただけで、巧くすればもう少しで切れる縁しかない私たちが、故郷を遠く離れた王都で再会したのは、どんな女神様の采配なんだか。
「まあお互い元気にやってるってわかって、良かったよね。幼馴染として、今後のあんたの成功を祈ってるよ」
これは本音だった。
いくら面倒を掛けられた相手でも、不幸を願うほど落ちぶれてはいない。
「あとは……いいひとが見つかるといいよね」
更に本命はこっち。
あと一年、兎に角アレンが誰かと結ばれてくれたならば、何よりの朗報だ。
「君……」
「ん? もしかしてもうお相手がいる? だったら羨ましい限り。私もさあ、こんなんだけど物好きがいないか探してるんだな」
「ジョゼ、君は本気で……」
私の愛想笑いとは真逆に、アレンの表情は険しかった。何か機嫌を損ねた? まったく意味がわからない。
「意味が、わかんないよ」
こちらの心内を読んだかのように、アレンがぽつりと吐き捨てた。
「はい?」
「君はいったい何を考えている? あれだけしつこくしてきたくせに、母親が死んだら急に余所余所しくなって……俺のこと、避けてたよね」
「あー……まあね」
「その後いきなり魔法学校に行く? 王都? 聞いてないよ!」
「言ってないからねー」
「俺から離れたらどうこう言ってたのは何だったわけ? 突然消えるとか今までと真反対の行動を取って、何なんだよ、それ? 一体どういう神経してるんだ!」
激昂……だろうか。
普段からあんまり感情的になる性格じゃなかったから、珍しい。まあ女の子の前だけでは紳士面してたのは知ってたけど。
申し訳ないが、私は臆さない。
今まで何度も何度も罵声を浴びせられてて、まだ傷つくような繊細な心根が残ってたら却って狂気の沙汰だよ。
「必要がなくなったから、としか言いようがないかな。そもそもさあ、アレン」
「散々ウザイ邪魔だ帰れ失せろと罵倒され続けた人間が、その通りにいなくなったとして、なんで文句言われなきゃいけないの?」
「……それ、は」
「別にいいよ。正直気味悪かったろうし、好かれようと思っての行動じゃないし。そんなん承知のうえだったからね。ただ、現状をあんたに責められるのだけは業腹なんだけど?」
酔っ払った勢いもあり、私は辛辣だった。目は座っていたかもしれない。
アレンは押し黙る。
そうだろう、言い返せまい。
ああ、私は悟る。
私は決して傷ついていなかった訳ではない。
拒否される度、好意を無にされる度、存在を厭われる度――悲しくて辛くてやりきれなくて、心の奥で涙していた。
強がっていただけだ。
今もなお、平然を装ってるに過ぎない。
「ジョゼ……俺は」
「心配しなくとも、恨んだりしてないから」
「そうじゃない。俺は……君は」
「私が何?」
「……俺は多分、君に甘えていた。君が俺の傍からいなくなることは、ずっとあり得ないと思っていたんだ」
振り絞るような告白に聞こえた。
……なんで?
順風満帆な白皙の騎士候補様が、一介の幼馴染に見せる顔じゃない。
「ジョゼが俺を好きなんだと信じてた。何があっても何を言っても結局一緒にいてくれるんだって、勝手に」
「好きって恋心って意味で? だとしたら一片もないよ。それにさあ、たとえ好意を抱いてたとしても、そんな対応されたら百年の恋も冷めると思うんだけど……」
「そう、だね」
やけに殊勝になったアレンが、私の指摘にがっくりと項垂れる。えと、なんていうかこいつ、残念な美形ってヤツじゃないの?
認知の歪みが私の追っ掛け行為に端を発していたら、ちょっと責任を感じるかもなー。
「まあ挫折から学ぶものもあるでしょ」
乾いた笑みでその場を誤魔化しつつ、私は今度こそ帰ろうとした。
「さっきも言ったけど、昔のことは置いといて、お互いいいひと見つけてさー、幸せになるのが勝ちじゃないかな」
うん、我ながら綺麗にまとめた。
気まずさも罪悪感も捨て恥もごちゃ混ぜにして、私たちの人生はこれからだって感じで、過去を振り返らず未来を望む若者らしい結論だよね。
じゃあまた来世で、って無難にさよならしようとした私だったけど、アレンの方は違ったらしい。
肩を掴む腕が、まだ。
――重い。
「お互い、いいひと……か」
「うん?」
痛い痛い痛い!
力任せに女の身体を扱うな!
遊び慣れてるなら、せめてそのへんだけは丁重に頼みたい。他の華奢な女の子と違って、労わる余地もないですかそーですか!
「アレン!」
「黙れ」
「はぁぁ? 何様!?」
「他の……男になんか」
突然――だった。
口の中で不可解な言葉を呟いていたアレンが、どこをどうしたのか知らぬ間に私の顔の間近に接近してきて。
抵抗の暇もなく。
接吻、された。
◆ ◆ ◆
次の日は見事な二日酔いだった。
あー、なんか起きながら悪夢を見た気がする。麗しの女神様の夢とどちらがマシだろう。
頭痛い。活動したくない。休日だし何もしたくない。……何も、考えたくない。
でも下宿先で惰眠を貪るのは体裁が悪い。勉強熱心、将来有望な魔法学校生の評判に傷がつく。私は無理矢理身体を起こした。
昨夜掴まれた肩が痛かった。
くそぅ、あの加減知らずめ……!
あの後、私は相手をぶん殴って隙を作ると、一目散に逃げ出した。アレンは追って来ようとはしなかった。多分。
私は冷静じゃなかった。
いやだって、口づけされたんだよ!?
恋愛未経験者にして男女の機微なんか全然知らない私が、恋の語らいも知らぬまま一足飛びに接吻なんて、どうしたらいいのかわかんないって。
……まあ、どうもしなくてもいいかもしれないけど。私は兎も角、アレンは経験豊富な女ったらしだから、大した意味もないんでしょ、きっと。
けど、私にとっては大事な大事な初体験だったんだよー。
許すまじ、アレン。
長年の私の献身に対し、恩を仇で返すとは。
もう一度女神様に頼んで呪ってやろうか。
朝っぱらからそんな物騒なことをブツブツ呟きながら身繕いをしていると、何やら表通りが騒がしくなっているに気がついた。
ざわざわと言うより、きゃーきゃー?
女の子の歓声みたいなのが聞こえるなぁ。
何事?
窓を開けて、二階の自室から階下を見下ろす。いつもと変わらぬ古めかしい煉瓦通り……だよね? いいえ、なんだろう? 紅い?
――薔薇!?
見れば下宿の家の前の道が、真っ赤な薔薇で埋まっていた。な、なんで!?
「え……アレン?」
よろめきながら私は幼馴染の姿を視認する。何なの、あいつは? 花に埋もれながら佇む孤高の騎士でも気取っているのか。
「……ジョゼ!」
「ちょっとちょっとちょっと!!」
よく通る声で名を呼ばれ、致し方なしに私はどたどたと階段を下り、外に飛び出した。
目の前にすると物凄い薔薇の香りだ。
早朝からどうやって用意した!?
「何なのアレン、これ……」
「君のために」
「は!?」
「贈り物。女神の花、地上の化身と呼ばれる真紅の薔薇。知っているだろう、君は女神の熱狂的な信奉者なんだから」
えええ……。
いったい何から突っ込んでいいか、そもそも下手に感想なんか述べたらいけないような……マジでどうしよう、これ。
昔っから女神様の罰がどーのと主張してきたから、私が濃い目の女神信徒だと誤解するのはまだ理解できるとして。
「女神の薔薇は……愛の」
「そう、真実の愛を意味する」
「ですよね……」
嫌ぁぁぁぁ!!
これどう対処したらいい!?
とち狂ったに違いないアレンを、私はどう更生させればいいの!? 今から軌道修正可能なの!?
「ね、ねえアレン、落ち着いて。あんたは多分、気の迷いで何かおかしな考えに憑りつかれて……そうだ! きっと熱でもあるんじゃないかな……」
「そうだね、確かに熱があるよ」
うわぁ、絶対言ってる意味違う。
うわぁ、なんでイキナリおかしくなっちゃってるの、こいつ? 故郷で見せてきた醒めた表情はどこにやった? 情熱とか無縁だったじゃん。
「ジョゼ、俺は君に去られて考えたんだ。いや、本当は以前から朧気ながら自覚していた。君に対する想い、君に求めていた感情」
「き、気のせいでしょ」
「それが昨夜――君に拒絶されて、はっきりした。今までの不実は謝罪する。一生君の奴隷でも構わない。俺は――」
「制止! お願いだから!」
「止めない」
アレンは一面の薔薇の背後に、王子様も斯くやと思えるほど優美に近寄って来る。昔はこんな技持ってなかった!! 騎士学校で何を学んでるの!?
ああ、このままではヤバイ。何がヤバイって私がヤバイ。もしアレンがあの科白を口にしたら、一貫の終わりだ。もう後戻りはできなくなる。
しかし私の懸念をそのまま具現化したように、アレンは容易く口を開いた。
「俺はね……見つけたんだよ、ジョゼ」
何を、とは訊かなかった。
聞きたくなかった。
「真実の愛を」
ああ、女神様。
高笑いが耳に鳴り響きます。
貴女の信徒に救いをください――。
<完>
ありがとうございました