No.37 四話 ~1~
四話
鐘の音が街に鳴り響き、空に空砲が打ち上げられる。薄い雲が張った空に桃と緑と黄の煙が漂う中で賑やかな声が屋敷の辺りにまで聞こえてきていた。大通りから外れているこんな場所にまで観光客が歩き回っているのだから祭りというものは侮れない。
俺はリヴァーファミリーの屋敷手前に店舗を構える衣服店のショウウィンドウに自分の姿を映した。普段より少し洒落た服を身に着けた俺がそこに立っている。俺は鏡代わりにそこでシャツの襟を正し、顔を眺めていると背中から煙が立ち上がってくる。今まで何度か見てきたあの黒煙だ。だがもう俺はそれを見ても驚きはしない。それがなんなのか、それを知っているからだ。
「お前、まだ生きてるのか?」
『イド・リヴァーほど諦めは良くない』
厄介そうに俺が言ってやると、煙に模られたデリンジャーは馴れ馴れしく首に腕を回して寄りかかってくる。この煙は俺が生きたまま飲み込んだデリンジャーの人格だ。生きているかどうかその判断こそつき難いものの、こうやってたびたび姿を現しては生き返る機会を窺っているらしい。たいした男である。
「で、ニーシャはちゃんと成仏したんだろうな?」
『貴様を生み出す過程で出来た不純物に興味は無い。だが俺の分析に狂いは無いのは確かだ』
「そりゃ良かった」
『そんな事より貴様はどうするつもりだ? このままあの不純物と同じ運命を辿るつもりか?』
「お前には関係ないことだろ。俺の勝手にさせてもらうよ」
自分のせいであんな事になったニーシャに謝罪する気がないどころか、不純物扱いするデリンジャーの頭を掴んで身体に取り込む。その腐った根性とは対照的に大人しく取り込まれていくデリンジャーは最後の鱗辺を宙に漂わせて消えてなくなった。
デリンジャーの言うとおりニーシャは俺が生まれるとき偶然に術の影響を受けて生き返ってしまったらしい。そのときの記憶は誰も持ち合わせていないが、その拍子にマーセル・ロイドの持つニーシャに関する記憶は彼女に持っていかれた。だから俺には彼女に関しての曖昧な記憶しか残っていなかったのだ。
この身体を模る三人の関係者達に出会い、すべての記憶を取り戻した俺は自分に残された時間と定めを知った。それはやはり残される者たちへ預けなければならないし、同時に消える定めならば消していかなければならないものもある。俺は今から本来存在しない『クレイマン』という人間の後始末をする。それが俺に残された最後の仕事だ。
ちょっとでも時間稼ぎをしたい気持ちで煙草に火をつけるが、通行人の視線が痛いので意を決して屋敷の玄関へと向かうことにする。正式なマフィアとなったリヴァーファミリーの屋敷は始めて俺がやって来たときと何も変わらない。今思えば悲しい事、楽しい事、いろいろな思い出がある屋敷だ。その屋敷の扉を俺はノックした。
しばらくしても誰も出てくる気配がないので、俺は咥え煙草のままリヴァーファミリーの屋敷の扉を開ける。静まり返った屋敷の中には人の気配がしない。祭りともなるとマフィアも仕事が立て込むのだろうか。
「おーい。勝手に入るぞー?」
一応礼儀として了承を取ろうと声を張ると、二階から慌ててこちらに駆け寄る足音が響く。階段の上からイキシアがシャツのボタンを留めながらボサボサの頭で顔を覗かした。
「もう来たのか! 約束の時間はまだだろう?」
手櫛で髪を必死に直すイキシアは少し不機嫌そうに二階から俺を睨みつける。見たところ寝坊したらしい。
「遅く来るよりはマシだろ?」
「早く来られても逆に迷惑だ! 今行くから下で待ってろ。それと室内は禁煙だ!」
そんなの初耳である。イド・リヴァーが居たときには平気で煙草を吹かして屋敷の中を歩き回ったものだが。俺は渋々煙草の火を握りつぶして吸殻を窓の外に投げ捨てた。
俺がわざわざ約束していた時間より早くここに来たのには理由がある。二階へ続く階段の脇を抜けて突き当りを左。普段からファミリーの利用率がやたらと低い物置部屋。いわゆる倉庫という場所に俺は向かう。
金色のさび付いたドアノブを捻り、扉を開くと押し寄せる埃の香りと共に山積みになった本が視界のほとんどを覆い尽くす。この部屋に唯一ある高窓からこぼれる日光が筋を作りながら部屋を流れていた。
「悪い事は言わないからもう少しまともな場所で読んだらどうだ?」
俺は本の背表紙を指でなぞりながら机の上に何冊も開いた本を熱心に読解しているアイリスに言った。大人用の椅子にちょこりと座ったアイリスは隈の出来た目で俺のほうを向くも、すぐに興味を失い本に視線を戻した。
「何のようデス?」
「用事は無いな」
「嘘デスネ。用事も無いのにクレイサンは僕に会いに来たりシマセン」
頁を捲りながらアイリスは欠伸をかみ殺す。寝る暇も惜しんで読み漁っていたのだろう。俺は机の上に並んだ本を覗き込んだ。デリンジャーが生涯をかけて集めた秘書がものの見事に同じ事項を開いている。その事項とはもちろん魔物の生成、そして消滅に関する記述だ。
「勉強熱心なのは感心するが、少しは寝ろよ」
「どうして・・・・どうして貴方はそんなに余裕なんデスカッ」
突然声を荒げるアイリスはらしくもなく苛立った様子で机を叩いた。そして涙で潤んだ瞳を見開く。
「ニーシャ・ロイドの一件で分かったはずデス。人工的に生み出された生命の寿命はとても短く、魔術で生み出された存在としての彼らは消えてしまえば人の記憶からも消えてしまいマス」
悔しそうに小さな手に握りこぶしを作りアイリスは机の上に突っ伏してしまった。
アイリスが不安に感じている事は事実だ。ニーシャが消えたあの日から数日たった今日の時点で、俺たち四人のうち彼女が存在していたとい事実を覚えているのは俺とアイリスの二人だ。そしてそのアイリスはじわじわと記憶が虫食いのように消えていくのを感じ取っている。本来ならすでに忘れているはずの記憶をまだ残しているというのはアイリスの最後の意地なのかもしれない。
「僕はクレイサンやアルマサン、イキシアサンとの思い出を消したくないデス。だからクレイサンが消えない方法を探してマス。デモ、デモ・・・・・」
「デリンジャーはそこまで魔術を完成させていなかった、だろ?」
「うっうぅ」
泣いてるところを見せたくない一心で机にしがみつくようにしてアイリスはしゃくりをあげた。小さな赤毛の頭を撫でながら俺は机の上に寄りかかった。古い木の机は俺の体重で大きくしなる。
「デリンジャーは不死を完成させるためにこの街に来た。この街は他の場所に比べて死に関して無頓着だったから。ほら、死体処理場なんてものが街のど真ん中にある時点で変だと思っただろ?」
「・・・・少しは」
「心臓を集める過程で出会った一人の少年を助手に付け、デリンジャーはいよいよ研究の最終段階に入る。でもそこである事件が起こった。助手の少年、マーセル・ロイドが自分の妹を殺した犯人がデリンジャーだと気づいてしまったんだ。そこでデリンジャーは彼を殺してしまう。その光景を偶然マーセルを追いかけてやってきたイドに見つかり---」
「その話を僕に聞かせるために来たんデスカ?」
顔を伏せたままアイリスは感づいたような口調で訊いてくる。本当にこの子は賢い。一番初めに話をしに来て良かったと思った。
「そうだ。消える前にちゃんと皆に話しておこうと思ってな」
「なら泣いてる暇は在りマセン」
鼻からこぼれた鼻水を服の袖で拭い、アイリスは躍起になって本を掴む。ここに置いてある本のどれにも、どこにも彼女の知りたい答えが載っていないと分かっていても俺は止めなかった。こうして背伸びをしながら人というものは大きくなっていくんだ。アイリスはまだ若い。これから色々な人に出会い、様々なことを学んでいくだろう。
本で顔を隠すアイリスをいつまでも、いつまでも見ていてやりたいと思う気持ちはある。デリンジャーがそうだったように俺もアイリスの言葉や表情に救われるものがあった。その礼が出来ないこと、それが俺の彼女に対する一番の名残惜しさだ。
「じゃあ、またな」
別れの挨拶を残して俺は倉庫の扉を開けた。するといきなり椅子を倒して立ち上がったアイリスは少し迷いながら、声を上げる。
「その台詞はっ、帰ってくる気がある人が言うものデスッ」
泣きっ面のくせに無理やり満面の笑顔を作ったアイリスは、最後の最後までお得意の嫌味を言い放ってくれた。
扉の閉まる音。そしてしばらくして部屋の中からすすり泣きと一緒に紙の擦る音が聞こえ出す。俺はそれを聞いて安心した気持ちでこっそりと盗み取った日記帳を袖から取り出した。
子供っぽい真っ赤な日記帳は表紙も背表紙も擦り切れ、使い込まれている。きっとアイリスは毎日この日記帳をつけているんだ。そしてこれには今までの俺やイキシアやアルマとの日々が几帳面に書かれているはず。それを毎回見る事で彼女はニーシャの事を忘れないように努力していたのだろう。
だが、これが残っていればアイリスは俺がいなくなった後も消え行く記憶で苦しむ事になる。それでは後味が悪い。たとえナイスバディーの天使が迎えに来ても、泣きじゃくる子供を残しては鼻の下も伸ばせないじゃないか。忘れるときにはスパッと忘れたほうがためになる。
俺は心を鬼にしてその日記帳を一階にある暖炉の中に投げ込み、二階から降りてくるイキシアの足音にあわせて玄関へと向かった。
第三十七回
何を書いていいものやら。次回、続きます。
青六。




