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初めまして、クレイマン  作者: 青六
36/40

No.36 三話 ~13~


 車のアクセルは常に全開に、俺はとある場所へと車を走らせていた。とはいってもその場所までの正確な道順なんてものははっきり覚えていない。他人の記憶のうえに、その人物がまだ幼かったときの記憶だ。曖昧で正しいかどうかは半分賭けのようなものだった。

 いつの間にか舗装された道路を走りぬけ、土がむき出しになっている農道を走っていた。そのせいで車の速度は街中よりもずっと落ちている。その代わりに寒さは和らいだような気がする。

 助手席では冷静さを取り戻したイキシアがしきりに後ろを確認していた。魔物、ニーシャが追ってきていないか確認しているのだろう。そんなに後ろを振り返ったところで見つけることなんて出来やしない。魔物は闇に溶け込んで音もなく移動する。それはまるで潜水艦のように。俺の中に居座る男がそう呟いた。

「クレイサン。確認したいことがあるのですがいいデスカ?」

後部座席にいるアイリスが運転席の背もたれに腕をかけながら身を乗り出してきた。このタイミングで持ち出す話。ニーシャのことだろう。俺の予想通りアイリスはニーシャの名前を出す。

「ニーシャ・ロイドは今までの行動からクレイサンを狙う傾向にありマス。万が一みんながバラバラになった時は貴方が一番危険デス」

「それはよく分かってる。危ないから座ってろ」

速度の上げすぎで大きく軋みを上げる車の上で俺はアイリスの頭を押し返して後部座席に座らせた。まだ何か良い足そうな顔をするアイリスだったが、やがて大人しく黙り込んだ。

 アイリスの言う通り、ニーシャは俺を襲う。その理由は単純だ。自分の兄が他の二人に囚われの身になっている。彼女にはそう見えているんだ。大好きな兄を、一度は死に別れてしまった兄を、今度こそ一緒に幸せに暮らせると思っていた兄を助けたい一心での行動。それが度を越して俺が関わる人間にまで危害を加えるようになってしまっている。今まで彼女が受けてきた仕打ちを考えれば仕方のないことでも、無関係な人間を巻き込む事は許せない。

「追ってこないな」

交通法なんてものは当に守る気がないイキシアは助手席の上に立ち上がって後ろを見つめている。緊張が解け始めた後部座席のアルマはうとうとと舟をこぐ始末。アイリスは流石に緊張した面持ちでずっと俺の背中を睨みつけている。何か考え事でもしている様子だ。

 地平線の向こうには靄のかかった山脈。延々と続くかのように思える森が左手に見え、右手に広がる牧場の中には小さな風車が一つ回っていた。一面緑の草地に放牧されている牛や馬たちが、朝露の乗った牧草を口にしている。

 今日は気持ちの良い晴れになりそうな空が白み始め、徐々に見え始める周りの風景で随分と街から離れてきたのが分かる。遠足気分で来たのならこの景色は心癒すものになっただろう。だが、そんな気分はそう長く続かない。

 俺は車を細い林道の中へと進ました。日が昇れば美しい紅葉が広がっているだろう森も、まだ暗いこの時間帯に来ると不気味以外の感情は湧いてこない。

「クレイマン。どこに行くつもりだ?」

「この先に展望台がある。そこに行く」

「展望台?」

イキシアはしばらく考えた後、思い出した様子で手を叩いた。

「確かそんなものが在ったな」

「そこに行ってどうするつもりデスカ? 魔物は滅ぼすのに非常に手を焼く相手デスヨ」

「滅ぼす必要なんてねぇよ」

滅ぼすという言葉は嫌いだ。俺は少しムキになってアイリスに言い返した。

「デスガ!」

「クレイに任せればいい」

居眠りをこいていたアルマが声を荒げるアイリスを片手で押さえ込んだ。そして片目だけ開けてミラー越しの俺を見るとまたどうでも良いといわんばかりに寝相を打って目を閉じる。

 なんでそこまで俺のことを信用しているのかは知らないが、不思議と嬉しさがこみ上げてきた。何とかその期待に答えたいものだが、良い考えが無いのも事実だ。ありのままのことをありのままぶつけるしかない。

 森の中を走ること数分。挟むようにして並んでいた木々が突然なくなり視界が開ける。なだらかな坂になっている向こうにはフラエズ河を挟む俺たちの街が一望できる。夜の色を深く残した街はまだ目覚めておらず、小さな明かりがちらほら見受けられるだけだ。けれどもその僅かな明かりだけで街は十分に美しかった。

「うわー」

思わず歓声を上げるアイリス。またイキシアからの悪影響で座席に立ち上がると両手を広げて気持ち良さそうに背伸びをする。要らない所ばかりを見習ってしまうのがこの子の悪いところだ。

「そろそろ車止めるけど、お前らはここに残ってろ」

「どうしてデスカ?」

頭の上からのしかかるようにアイリスが顔を見せてくる。視界の上辺がアイリスの顔で一杯になった。邪魔なことこの上ない。

「どうしてもだ」

「クレイサンに指示される筋合いはありマセン」

「指示じゃない。命令だっ」

アイリスの額にワザと爪を立てて小突く。おでこを押さえながら大人しく後ろの席に戻ったアイリスに続いてイキシアが身を乗り出して俺の肩を掴んだ。どいつもこいつも今運転中だということを忘れているのではないだろうか。

「クレイマン。私もお前一人に行かせるのは不安だ」

「駄目」

「何か私たちに隠したいことがあるのか?」

「そういう訳じゃねぇけど・・・・」

思わず歯切れが悪くなってしまう俺も正直者だ。

 肩に乗ったイキシアの手を払って俺は真っ白な石が組み並んだ歩道の前で車を止めた。車の通れる道はここまでだ。確かあの時もここまでは家の車でやって来ていた。マーセル・ロイドの記憶が正しかったことに一安心し、俺は車のドアを開ける。

「いいか、ついて来るなよ」

イキシアとアイリスに再度釘を刺し、俺は扉を閉めた。

 見上げた空は昨日の空とは逆に茜色が紺色を侵食し始めている。夜の星空が朝日の陰に消えていき、フラエズ河に映った美しい闇色が水面の輝きと共に色を失う。列車のレールが街に向かって延び、冷たく頬を打つ丘の風が近くまで迫った冬の季節を予感させていた。

 俺は森と芝生の境に陰を見つけて芝生の中に伸びる石灰岩の石畳を歩き出した。俺を見つけた陰は始めこそは勢いよく走り出すもだんだんと歩を遅めていく。やはりもう時間がなくなっているようだ。俺は何度も振り返りながら陰がやって来るのを待った。

「おーい。早く来いよ」

やっとのことで車の傍を通り過ぎた陰に俺は大きく手を振った。陰は一歩進むごとに身体の一部が崩れ、宙に黒煙を溶かしながらも、なお懸命に俺のほうへと向かって来る。

 俺に呼ばれたことで少し元気を取り戻した陰は歩いては休み、歩いては休みを繰り返しながら悲しそうな声を上げて追いかけてきた。この不思議な状況にイキシアやアイリス、アルマが車の中から出てきている。彼女たちには俺が一体何をしているのか分からないのだろう。それでも俺はニーシャとの記憶を思い出しながら丘の頂上へと向かった。

 いよいよ頂上が目の前に迫った頃には魔物は纏った陰のほとんどを無くし、記憶の頃よりいくらか成長したニーシャの姿しか残っていなかった。その身体ですらペンキが剝げていくように指先が砕け、残された力の微量さを物語っている。長く見積もっても半時間。そんなに持たないかもしれない。

 俺はあえてニーシャに手を貸さず、背中を向けて展望台へと向かった。そうすることが彼女のためになると思った。どうしてかは分からない。でも自分の力でここまで上がってくることに意味があるような気がした。

 頂上の展望台は昔と何も変わらない姿でそこにあった。丘の頂上が綺麗にならされ、石灰岩で出来た石畳と展望台が作られている。その真っ白な展望台は記憶で見たものよりもずっと小さく見える。それは俺たちが大きくなったせいだろう。俺は展望台にもたれかかり、彼女が上ってくるのを待った。

 君はあの頃とは違って身体も他人と変わらないほど丈夫になったし、性格もずっと明るくなった。人見知りで他人と仲良くするのが苦手だったのは最後まで変わらなかったけど、それでも君は大きく成長した。

 ニーシャの身体から解け出した記憶が本来あるべき俺の体の中へと戻って来るのを感じる。その中に浮かび上がる懐かしい記憶たち。その一つ一つに映ったニーシャとマーセルの姿はいつも嬉しそうで楽しそうで、そして幸せそうだった。その記憶を見るうち俺の瞳からは自然と涙がこぼれ、ニーシャが頂上にやって来たときには歯止めが利かないほどに頬を流れ落ちていた。

「懐かしいだろう」

足元が覚束ないニーシャは俯き気味に俺の傍へとやって来る。

 いつかの記憶のように俺はニーシャの隣に寄り添い、氷のように冷たい手を握った。心なしかニーシャが俺の手を握り返してくれているような気がする。そんな些細、かつ気のせいかもしれないようなことが嬉しくて同時に悲しく思えた。どうしてこの兄妹がこんな結末を迎えないといけないのか。その運命に対して何も出来ない自分の無力さを嘆かずには居られない。

 記憶のマーセルが流す涙ではない。自身の涙を流す俺の隣でニーシャがゆっくりと街の景色を指差した。その指先はもう砕けて無くなりかけている。涙で歪む景色の向こうでもニーシャがどこを指し示しているのか俺にはすぐに分かった。

「そうだ。双眼鏡・・・・・持ってくるの、忘れたな」

唇が振るえ、なかなか上手く言葉が出なかった。

 展望台から見える景色は今大きく変わろうとしていた。街の向こうから見えてくる朝日の光に芝生の朝露が乱反射し宝石のように美しく輝く。たち上がる朝靄の中で街が幻想的に白く浮き上がり、そこには二重三重の虹が架かる。空の紺色が赤、燈、黄、緑、青と様々な色合いへと変わり、紅葉に染まった山や林を華々しく照らしあげていた。

 黒と灰色の世界はたった数分で見事な彩を織り成し、世界は虹色に光りだす。でも、その中にたった一人だけ存在できないものがあった。

 傍らで力なく肩に寄りかかるニーシャはついに腕を上げることも出来ないほどボロボロになり、虚ろな瞳で息を呑む美しい景色を見つめていた。俺はただその小さな肩を強く抱きしめていることしか出来ない。腕の中で確かに小さくなっていくニーシャは消え行く最後の最後に俺の耳元で何かを呟いた。

「             」 

言葉とは言えない吐息に近いニーシャの声が聞こえた直後、俺の腕に支えられる彼女は重さを無くして消えていった。

 ニーシャが最後に言ったその言葉が何だったのかは分からない。けれども俺はこみ上げる感情を抑えきれず、その場で雄叫びをあげた。


     ***


 クレイはしばらく蹲ったままその場を動こうとしなかった。背中を大きく震わせながら嗚咽をあげるクレイの姿は清々しい朝の街とは対照的に強烈な陰影を漂わせていた。

 彼がようやく顔を上げたのは街に人々の活気が帯び始めたころのことだ。今まで大泣いていたのが嘘のようにあっさり立ち上がるとクレイは心配して駆けつけた私たちに向き直る。目元が真っ赤に摩れている。それでも恥ずかしがることなくクレイは鼻を啜りながら照れ笑いを浮かべた。

「魔物は・・・ニーシャは何処に?」

不安そうに周りを見ながらイキシアが言う。

「在るべきところに帰ったよ。寿命だったんだ。形あるものはすべて終わりがある。それは魔物でも人間でも同じだ」

やけに軽い口調でクレイは答える。決定的な何かがあるわけではないが、いつものクレイと少し違うような気がした。

「クレイ。お前もしかして」

「あぁ。これから話さないといけないことが山ほどあるな」

「やっぱりそうか」

たった二言三言、私とクレイとの間で会話が完結してしまう。それでも勘の良いアイリスとイキシアの二人は私たちが何を言いたいのか分かったようだ。

 ようやく本当の自分を取り戻したクレイは朝日を全身に浴びて肩をならす。そして輪郭から漂いだす黒煙を片手で押さえて苦笑いを浮かべた。

「まぁ、そういうことさ」

いつもの調子でクレイマンはおどけて見せた。

第三十六回

三話、終了です。今回はやたらと長くなりました。この物語で自分の書きたかった場面の一つで、それなりに気合が入っていたパートです。ですのでぶつ切りにせず、読んでいただきたく、長くしました。残り数話で物語が完結します。次回をお楽しみに。


青六。

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