No.34 三話 ~11~
その日の真夜中。私は事務所の扉をノックする音で目を覚ました。夜の暗さの中で暖かく気持ちの良い布団の中から抜け出すのは至難の業だ。私はしばらく居留守を決め込んでいたが、真夜中の来客者は相当気が短いらしい。扉が開かないと分かった途端に外から大声で私の名前を叫び始めた。
こんな夜中になんて常識はずれな奴だ。私は嫌々ながら布団から抜け出して部屋の明かりをつけた。時計の針はまだ四時にもなっていない。夜中というよりも朝の時間帯だ。新聞屋もまともに働いていないようなこの時間にやって来る客なんてとんでもない客に決まっている。
一階に降りるのも面倒くさくなって私は二階の窓から一階の玄関口を見下ろした。仄暗い処理場の入り口に一台の車が止まり、玄関先に二人の影が見える。暗闇に目が慣れるまではそれが誰だか分からなかったが、次第にその輪郭から表情まで鮮明に見え始めた。
「アルマサン!」
独特なイントネーションの言葉遣いはアイリス。そうなると隣で寒そうに首を小さくしているのはイキシアだろう。私は窓の淵に両腕を乗せて眠たい目を擦った。
「こんな夜中に何しに来たの?」
「アイリスが私たちに話したいことがあるらしい」
イキシアも夜中に無理やり起こされたのだろう。いつもより歯切れの悪い口調でこちらを見上げる。
「今降りて開けるからチョイ待ち」
わざわざこんな時間にやって来るほどだ。きっと何か重大な問題に違いない。私は寝巻きの上に一枚羽織り、階段を下る。
真っ暗な一階の電気をつけ、玄関を開けてやると挨拶もなしにアイリスが猫のように飛び込んできた。その後に寝癖頭のイキシアが続く。
「夜分にすまない」
小さく鼻を啜り、イキシアは眠たそうに挨拶をした。
「紅茶でも入れるか?」
「入れてくれると嬉しい」
「はいよ」
開いた扉の施錠まできちんとするイキシアと対照的にアイリスは私たちのことなどそっちのけで、机の上に本やロール紙を広げている。夢中になると周りが見えなくなるのは研究者気質というやつだろうか。今のところ睡眠妨害とちょっとしたアクロバティックな事件に巻き込まれているだけで実害こそないが、そのうちとんでもないことを引き起こさないか少し心配だ。
やかんに水と茶葉を入れ、ガスコンロの上にかざして火をつける。窓の外は不気味なほど静かで風の音も、近くを流れているはずの河の音も聞こえてこない。夜中というのはこうも静かなものなのだろうか。
「そう言えばクレイマンは居ないのか?」
椅子に腰掛けたイキシアが部屋を見渡す。
「朝に使いに出してから帰ってこないんだ」
「それは大丈夫なのか?」
「喧嘩祭の前だ。どっかで殴られて伸びてるんじゃない? 心配ないでしょ」
バルガ祭の直前にもなると事前にライバルを減らそうと企む悪い輩も大勢いる。体格の良いクレイなら襲われていてもおかしくはないし、どっかで気絶して倒れていても男ならそんなに心配な事はないだろう。そもそも首がなくなっても死なないような奴だ。心配すること自体が無駄というものだ。
やかんの水が沸騰をはじめ、私はそれをコップに直接流し込む。真っ白な湯気がコップの口から上がった。
「しかしこんな夜中にやって来るなんてどういうつもりだ?」
三つのコップを机の上において私はアイリスを見た。アイリスは待ってましたとばかりにニッと歯を見せてくる。
「まずアルマサンに聞きたいことがありマス。ニーシャ・ロイドの死体はここに運ばれてきまシタカ?」
アイリスの質問に私は記憶を辿って見る。そもそも一日何十という死体を見ている。二~三日前ならともかく、二週間近く昔のことを覚えてるはずがない。だが小さな子供の死体というのは珍しい。相当腐敗して判断出来なくなっていたりしない限りそんな死体を見た覚えは無かった。
「覚えは無いな」
「そうデショウ。ニーシャ・ロイドの死体は恐らく排水路の研究室にあったんだと思いマス」
アイリスは力強く語尾を切り、机の上のロール紙を指差した。何故いきなり『ニーシャ・ロイド』の話が出てくるのか分からないが、しばらく様子を見たほうが良さそうだ。私は指し示された紙の上に視線を落とした。
分厚い高級紙には手書きでミミズのような文字が書かれ、その下に複雑な紋章のような何かが描かれる。よく物語の中なんかで出てくるような円形のものではなく三次元的な紋章だ。四角の箱の中に球体が描かれており、その中心に集結するように線が引かれている。それを見ても魔術の知識がない私たちではどうも意味が分からない。
「この術式は魔物を作り出すものデスガ、それに特殊な魔術文字が加えられてマス。それは、簡単に言えば人間を作るための魔術文字デス」
「人間を作る?」
「ハイ。ですが流石に一から作ろうとしたら膨大な情報量が必要デス。ですから人の形を完全にコピーするわけデス」
「なるほど。それならニーシャ・ロイドを蘇らす事も可能なわけだ」
聞き捨てなら無い言葉を聴いたような気がして私は慌てて話を遮るようにして口を出した。
「その話は初耳だ」
「そう言えばアルマサンに話してませんデシタ」
「なに、そうなのか?」
アイリスはすっかり忘れていたという表情を浮かべる。イキシアに至ってはあたかも初めから私が話の内容を知っているものだと思っていたらしい。これでは私が何のために深夜起こされたのか分からない。
「説明するのが面倒くさいデスネ。イキシアサンお願いします」
「私がするのか? えっと。分かりやすく言えば『マーセル・ロイド』の妹が病院で生きていた、という話だ。」
「なんだ。良かったじゃないか」
「いや、一度死んだ人間が生きてるなんておかしいだろう」
「言われればそうだけど。生きてるならそれで万々歳じゃないか?」
「そうとも言えないんデス」
注がれた紅茶を飲もうとしてアイリスは慌ててコップから顔を離した。思っていたよりもずっと熱かったらしい。ちょっと涙目になっている。
「排水路での魔物の一件を覚えてマスカ?」
「それなりには」
「ではあの時に魔物がクレイサンを見て『お兄ちゃん』と言っていたことも覚えてマスネ」
どうだっただろう。あの時は一瞬で頭に血が上ったので完全には覚えていないがそんな事をいっていたような気もする。アイリスはそれ以上何も言わず、私たちの理解を促した。
当然、お兄ちゃんと呼ぶような相手は妹しか居ない。そしてクレイの頭は『ニーシャ・ロイド』の兄、『マーセル・ロイド』のものだ。それが分かっていればあの魔物が『ニーシャ・ロイド』だとすぐに見当がつく。合点がいったことで後味の悪い気分が胸の中に広がった。
「つまり、そういうことか」
「ハイ」
きっとここに居る三人ともが胸糞悪い気分に浸っている。生きたまま心臓を抉り取られて殺されたと思えば、今度はあんな化け物に姿を変えて街を彷徨う事になった『ニーシャ・ロイド』。想像もつかないような悲惨な運命に彼女はどれだけ苦しんでいるのだろう。私は胸を引き裂かれるような思いがした。
「デスガ、彼女にはおかしなところがあるんデス」
重たい空気が充満している中でアイリスが紅茶の水面を見つめながら言った。
「師匠が作った術式ではあの化け物は生まれないはずなんデス。ニーシャ・ロイドは魔物としてもあまりに不細工に出来上がってイマシタ。これは重要な話デスガ、もしかするとなにか別のものを生み出したときにたまたま生まれた副産物ではないかと思うんデス。そしてその主産物というのが・・・・」
慎重に言葉を選びながらアイリスが確信的な部分を言い出そうとしたとき、本日二回目の来客を告げるノックが部屋に響いた。
第三十四回
物語の終わりが見えてきました。もう少し続きます。お楽しみに。
青六。




