No.27 三話 ~4~
街灯に明かりが灯り始める中で小さくなっていく背中を見送りながら私は肩にかけられた上着の襟に顔を埋めた。クレイマンの匂いがする。何の匂いかなんてわからないがこれがクレイマンのものであるという事は分かった。
私はどうしてもクレイマンとイドを重ねて見ているような気がする。イドではないという確信に似た感情があるにもかかわらず、どうしても彼の名残を残すクレイマンを見るたびに心に残った気持ちが揺らいでいた。その気持ちをさっきクレイマンに見抜かれたようだった。
だが、それでも私はクレイマンにいなくなって欲しくないと心の底から思っている。それは確かに偽り無い素直な気持ちだ。
夜の闇に消えていくクレイマンの背中を眺めていると、両手にたくさんの出店の品を握りながらすまし顔でアイリスが帰ってきた。
「クレイサンは行きマシタカ?」
「あぁ、帰った」
まるでクレイマンが居なくなるのを待っていたような口調。アイリスはそれを確かめるようにもう小さくなったクレイマンの方を見た。
「今日病院で『ニーシャ・ロイド』を見つけマシタ」
「まさか。彼女はもう死んでる」
「新聞にはそう書かれていたそうデスネ。でも確かに生きてマス」
アイリスは自信満々に言い、串に刺さった肉を齧った。
ニーシャ・ロイドが生きているという話はどうも信じ難い。新聞社が嘘の情報を書いたとでも言いたいのだろうか。私はその業界に詳しくはないが、そんな事をしては信用に関わる大きな問題になりかねないだろう。そんなリスクを負ってまで新聞社の連中が嘘の情報をばら撒くとは考えにくい。
「イキシアサンは排水路でのことを覚えてマスカ?」
アイリスは顎に手を当てその話の信憑性に疑問を感じる私を見上げる。
「記憶力は良い方だ」
「では隠し部屋に『ニーシャ・ロイド』と書かれた空のビンが在ったのを覚えていマスネ」
覚えているも何も、あの光景はそう簡単に忘れられるものではない。五十はある瓶の中に人間の心臓がつめられ、棚という棚に所狭しと並べられていた。その中で唯一中身の入っていない瓶、それがニーシャ・ロイドの名前が書かれたものだった。
そこまでを鮮明に思い出して私はアイリスに話を進めるよう促す。
「魔術において心臓は生命力を示すものデス。普通は羊の心臓を使いマスガ、人の心臓はその何倍も生命力を秘めていマス。つまりその心臓があれば---」
「死んだ人間を蘇らせることが出来る?」
「ハイ。けれどもそれはあくまで理論上の話で、実際にやってのけた魔術師は居マセン。倫理上の問題もデスガ、何より存在や生命を扱う魔術は高度すぎて人の手に負えないものがありマス」
人の命を扱うことが出来るなんて魔術というものはどこまで進んでいる技術なのだろう。話を聞いているだけでは実感が無く、おとぎ話を聞いているような気分になる。だが、実際にそんな出来事が目の前で起きていたとしたらそれはとても恐ろしいことだと思う。
「『デリンジャー』はその心臓をあれほど集めて何をするつもりだったんだ?」
「師匠はきっと不老不死を現実にしようとしたんだと思いマス。昔から死ぬことに対して人一倍敏感な人でシタカラ」
まるで他人事のようにアイリスは言い、串を河の向こうに向けて投げた。投げられた串は風にあおられて河に届く手前、手すりの部分にぶつかって地面に転がり落ちる。そして枯葉と共に埋もれて見えなくなった。
「師匠と呼ぶわりにあまり関心がないんだな」
「親代わりみたいな人デシタ。でも死んでしまった人にそこまで感情を費やすのは無駄デス」
「死んだ人?」
「えぇ。師匠はもう死んでマスヨ。排水路で魔術を使ったときに確信しマシタ。僕の血や師匠の血ではあんな魔術は発生しマセン。するとしたら魔術の根源になる背骨、それもより高密度の液化した背骨を大量媒体にした場合だけデス」
彼女は本当に死んでしまった人に感情を向けることを無駄だと思っているらしい。次々とで店で買った焼き串をほお張りながら口をもぐもぐと動かしている。そのとても幸せそうな姿を見て私は正直ショックを隠せなかった。
死んだ人間をいつまでも引きずっている私と、さっぱりと居なくなった人間を切り捨ててしまうアイリス。対極に位置している人間を見たときこんなにも衝撃を受けるものなのだな。私は感傷的な気分に浸りながら暮れる夕日を見た。
「師匠の話は置いておいてデス。私は今度はニーシャ・ロイドについて少し調べて見たいと思ってイマス。なんたって師匠が残した秘術を解明できるかもしれマセンカラ」
口の周りにタレと肉汁をいっぱい付けて笑うアイリスは本当に楽しそうだ。私もこんなふうに要領よく生きていけたらどれだけ楽だろう。
呆れ笑いを浮かべながら私はハンカチを取り出してアイリスの口元を拭いてやる。両手に串を持ったアイリスは嫌がりながらも手が使えないので大人しく私の言うことを聞く。
「そこでデスネ、イキシアサンに手伝って欲しい事がありマス」
一通り口を拭き終えたアイリスはまだ話したいことがあるようでキラキラ輝く瞳で私を見上げた。もしかしたらとんでもない頼みごとなのかもしれないと思いつつ私は答える。
「なんだ?」
「排水路の研究室から師匠の本や書物を運び出したいんデス。あの中にニーシャ・ロイドの秘密を解く鍵があるに違いありマセン!」
ビシッと人差し指を立ててアイリスは間の抜けた真剣な表情を浮かべた。
簡単に言ってくれるがこの前のことを覚えていないのだろうか。魔物に襲われてクレイマンは首を食われ、アルマは怪我をし、私たちも危うく死ぬところだった。それでもまたあの場所に行きたがるアイリスはさながらマッドウィッチと言ったところか。いや魔法使い自体始めからマッドネスなのかも知れないが。
「この前のことをもう忘れたのか? あそこには魔物が居るだろう?」
「大丈夫デス。今度は抜かりない準備をしていきマス!」
その自信はなんなんだろう。私はこぼれ出そうになるため息を堪えてアイリスに手を差し伸べた。
「とりあえずその話はファミリーに通してからでいいか?」
「もちろんデス。人手は多いに越した事はありマセン」
アイリスは満足そうに私の手を掴む。多少べたつく小さな手をしっかり握り、私たちは帰宅の路へとついた。




