No.25 三話 ~2~
三話
真っ白な壁に清潔感のあるカーテン、窓からは外の明かりが差し込み朗らかな一日を演出している。はっきり言って俺は病院の持つ独特な雰囲気が嫌いだ。病院なんて元々明るい場所ではないのに、無理やりこの空間を作っているような感じが気に食わない。ただ、四の五の言っても始まらないので俺は嫌々ながら病室の扉をノックした。
「はいは~い」
いつもの調子で返事が聞こえてすぐに扉が開く。扉を開いたのは先に来ていたアイリスだった。
「なんだクレイサンデスカ」
「なんだとは何だ?」
「言葉通りの意味デス」
俺のヘソあたりまでしかない身長のくせにアイリスは一丁前に肩をすくめて見せた。この性格と態度は間違いなくアルマの影響だろう。気のせいではなくアルマやイキシアに性格が似てきている。成長期の子供とはなんとも恐ろしい生き物だ。
病室はイキシアの計らいで一人部屋。それも俺が毎日寝泊りしている事務所の屋根裏と比べると三倍くらいの広さだ。そして窓際に置かれた真っ白なベッドに寝ているのはアルマ。どうやら先日の排水路の一件でイキシアとアイリスを庇って怪我をしたらしい。あくまで後日談なので俺も詳しくは分からないがそんなに酷い怪我というわけではないそうだ。俺は部屋の隅に重ねてある椅子を手に取り、アルマの隣に腰掛けた。
「ようっ! 元気か?」
「見ての通りだよ」
頭に巻かれた包帯を親指で示してアルマが笑う。
「悪かったな。お前が怪我したのは半分俺のせいだったみたいだし、一応謝っておくぜ」
「半分じゃなくて全部の間違いデス」
「その辺の話は全く覚えてねぇんだよな」
怪しむようなジトッとしたアイリスの視線を感じながら俺は口を閉じた。何も嘘はついていない。俺は排水路の研究室を出てからの記憶が曖昧になっている。気づいたときには事務所のベッドの上だった。それが事実なのだが、他人を傷つけてしまったことに対して後ろめたさを感じていた。
「クレイ。それはイキシアの時と同じか?」
「まぁ、そうだな。記憶がなくて気づいたときには・・・」
「処理場にいた、か?」
「あぁ」
俺は素直に首を縦に振った。
「だとすると、流れからして『デリンジャー』だな」
「師匠が何か関係があるんデスカ?」
突然アルマの口から飛び出た『デリンジャー』の名前にアイリスが珍しく食いついた。
「こいつは前にも同じことがあってな。その時は首が『イド・リヴァー』になってたらしい。」
「そう言えばあの時もクレイサンの頭が生えてきてマシタ。暗くてよく分かりませんデシタケド」
「俺の頭をトカゲの尻尾みたいに言うな」
「でも現に生えてきてるじゃないか」
「だから気持ち悪いんだろうが」
「良いじゃないか。喰われてもまた生えてくるなんて便利だろう?」
「お前、本気でそう思ってるんなら頭おかしいぜ?」
俺は話上、再び生えてきたらしい自分の首を右手でそっと撫でた。確かになんとなく首筋に違和感があるような気がする。でもだからと言って無くなった首が生えて元通り、なんて話は信じたくないものだ。それではまるで俺が人間ではないみたいではないか。
そんな下らない会話を交わしていると部屋にノックの音が響いた。アルマが返事をするとイキシアが花束を片手に部屋に入ってくる。排水路の件でいつもの背広が汚れてしまったらしく、普段はあまり見ない色の背広を着込んでいた。
「んっ、私が最後か」
「他に見舞いに来てくれる人間がいなければな」
アルマのちょっとした冗談にイキシアは軽く微笑む。思っていた以上に元気そうで安心したようだ。
「こんな味気ない場所だ。花ぐらい飾ったほうが良いかと思って持ってきたんだが、花瓶はあるか?」
「花瓶ならありマスヨ」
アイリスがどこに置いてあったのかガラスの花瓶を引っ張り出してくる。しばらく使われていなかったのか埃がかぶってくすんでいた。
しかし流石は俺たちの中で一番の常識人だ。見舞いに花束を持ってくる心がけは十分に評価したい。ただアルマが花というものに対して興味が有るか無いかという事は置いておいての話だが。どうせ「これは食えるのか」なんて言い出すに違いない。
埃だらけの花瓶を見たイキシアはそれを気持ちよく受け取り部屋を見渡す。いくら病院と言っても部屋に水道は無い。花束を抱えたままイキシアは踵を返した。
「では水を入れてこよう」
「いえ、イキシアサンはそこに座ってクダサイ。それはクレイサンがやりマス」
俺の了解もなしに何を勝手に話を進めているのだろうか。しかもアイリスは俺の座っている椅子を指差してさっさと其処を退けと顎で示す。記憶は無いがこの状況を作ったのはすべて俺らしいので、俺は仕方なく花瓶を受け取って立ち上がる。まったく酷い仕打ちだ。
背中で文句を聞きながら部屋を出た俺は消毒液の香りで満たされた病院の空気を吸い込んだ。そして大きく吐き出す。なんだか最近身体が重たく感じる。手足に鉛の錘を下げているような気分だ。早いところ暖かい病室で適当に話を聞き流しながら座って休みたいので、さっさと水汲み場を探すことにしよう。
平日の昼間だからか、見舞いの客人たちは少なく不細工な看護婦と死にかけの爺さん祖母さんばかりが目に付く。壁に付けられた手すりにもたれ掛かるおっさん、病院食を運ぶ新人のお姉さん、バケツを片手に掃除をする清掃のおばさん。
その中にぽつんと俺を見つめる一人の少女が居た。病院に居るにしてはやけに派手な服装をしている。いい所のお嬢さんと言ったところだろうか。俺はその少女に見つめられていると感じるのだが、何故か俺からはその少女の顔がぼやけてよく見えなかった。目が疲れているんだろう。目を擦った後、再び目を開けると少女は煙の如く姿を消していた。
「ん?」
俺はその少女に見覚えがあるような感覚と懐かしさを覚えて彼女が居た場所に立った。別に何も無いただの廊下だ。両方には病室の扉があり、何も変わったようなところはない。俺は病室に入院している患者の名前が書かれた札に自然と目が行った。。
「・・・・・・・・ニーシャ・ロイド?」
俺は習ったことも無い文字を読み上げた。まさか、彼女は死んでいるはずではないのか。それともただの同姓同名なだけか。俺は何の考えもなしにその病室の扉を開けた。
病室の間取りはアルマの部屋と何も変わらない。強いて言えば部屋の配置が鏡写しになっているのと、ベッドに座っているのがアルマではなくニーシャであるということだけだった。記憶の中で見た時と何も変わらない姿でニーシャはベッドに座っている。しかしその目は光を帯びておらず虚ろな目をしている。小さい体が白くて無機質なベッドをより大きく見せていた。
俺はニーシャの傍に立ち、そっと顔を覗き込んだ。
「ニーシャ?」
「・・・・・・・・・」
俺の声に彼女は一切反応しない。まるで抜け殻のように視点の合わない目でここでない何処かを眺めているだけだ。もしかして死んでいるのかもしれない。ふと不安になり、俺はニーシャの手を取る。微かにだがまだ温もりがあり、弱弱しい鼓動が細い血管を伝わって感じられた。
「死んでマスネ、その人」
病室に忍び込んでいる手前、予期せぬ声に俺は動揺する。振り返るとアイリスが真剣な眼差しで俺を見ていた。
「・・・・驚かすなよ」
「心配だったので付いてきマシタ」
「花瓶に水を入れてくるぐらい一人で出来る。俺は子供じゃない」
「でも知らない人の病室にふらふら入って行きマシタ」
アイリスは迷いの無い足取りでベッドに登るとニーシャの瞼を持ち上げる。彼女なりにニーシャに対して何か感じているらしい。
「瞳孔が開いてマス。呼吸も形だけで普通ではありマセン。クレイサンはこの人とお知り合いデスカ?」
「いいや」
「ではクレイサンの記憶の中の知り合いデスネ?」
「『マーセル・ロイド』の妹、ニーシャ・ロイドだ」
動かないからといって好き勝手に弄っていたアイリスは突然手を止めた。そして俺の言葉が信じられないといった様子で確認をする。
「今、ニーシャ・ロイドと言いマシタカ?」
「言った」
「そんな馬鹿な話ガ・・・」
口を一文字に閉じてアイリスは納得いかない様子でニーシャを見つめた。何がなんだかさっぱりだが、いつもふざけているアイリスの真剣さに俺は思わず黙り込んだ。
「幾つか調べてみたいことが出来マシタ」
「俺も何か手伝うか?」
「いいえ結構デス。クレイサンは大人しくしていてクダサイ」
「なら良いが・・・。それよりさっきから看護婦さんが凄い目でお前のこと見てるぜ?」
俺は扉の横にいる棒立ちの看護婦さんを指差した。驚きと軽蔑を足して二で割ったような視線に対して、逆に睨みつけるアイリスは何事も無かったかのようにベッドから降りた。そして俺の膝の上に座ると可愛らしく微笑む。
「お兄ちゃん、今日は寒いネ!」
一体何が始まったんだろう。膝の上に座る可愛らしい悪魔は未だかつて無いほど純粋な笑顔を俺に向けていた。
お前、そんな顔出来るんだな。それより俺は何時からお前のお兄ちゃんになったんだ。こんなときだけ子供面に戻る都合のよさと図々しさには恐れ入る。アイリスがニーシャの上に馬乗りになったあたりから看護婦さんがずっと見ていた、なんて事を今更言い出せない空気になってしまったじゃないか。
看護婦さんは咳払いで雰囲気を誤魔化しながらカートを引いて部屋に入ってきた。見たところまだ新人のようにも見える。さっきまで見ていたものを見なかったことにしようと必死な様子がよく分かる。
「ご、ご兄妹ですか?」
看護婦さんは俺と目が合うとぎこちない口調に明らかな愛想笑いを浮かべて言った。いや、そんなに無理してこちらに合わせなくてもいいんですよ看護婦さん。
「腹違いの兄妹デス」
さっきまでの愛想のよさはどこに行ったんだ、と突っ込んでしまいそうなほどいつも通りにアイリスが答えた。ほら、よく見ろ。看護婦さんの表情が愛想笑いのまま凍りついてるぞ。
「看護婦サン。彼女の容態はドウデスカ?」
「えっと・・・生きてます」
そうだろうね。でなきゃ病院じゃなくて死体処理場に直行してますから。この看護婦さんは大丈夫なのかな。それでちゃんと勤務できているのかな。見ている俺のほうが不安になってきたぞ。
「あっ、でも奇跡的に生き残ったみたいでして。新聞では心臓を抉られたと書かれてましたがご覧の通り外傷は無いんですよ。でも・・・」
「植物状態というやつデスネ」
「その通りです」
看護婦さんは何故か申し訳なさそうに小さくお辞儀をした。関係ないにしても後ろめたい気持ちがあるのだろう。聞きたい情報を聞き出して満足したのかアイリスは俺の膝から立ち上がった。
「クレイサン、早く行きマスヨ!」
「お、おう」
兄妹の設定はもう無かったことにされているらしい。狸に化かされたような顔をする看護婦さんを残して俺たちは病室を出た。
第二十五回
おそらく過去最長の投稿になりました。だって区切りがないんだもの。仕方がないでしょう。あまり細切れで投稿しても物語がつながりにくいのかも、と最近思いますがいかがでしょうか。個人的にはあまり長すぎても読む気が失せそうで、心配です。それほど面白くもない小説なものでして。
青六。




