表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/31

8話 夕闇の娘



 シャンと剣鈴が鳴る。



 月光の差し込む理科室で、円がくるくると、回る。



 シャンと剣鈴が鳴る。



 円が、私には理解出来ない言葉で、言祝ぐ。



 ――いつもながら、気分悪いわね。


 耀子を見れば、少しは気が安まった様子で、落ち着いた表情をしている。

 祝詞というものは、神に捧げる言葉、そしてその加護は、常世の人間のみ効力を発揮する。

 つまり、私のようなバケモノは、別ということだ。


 私は円と契約で繋がっているから、彼の祝詞で苦しみ、のたうち回るような事は無いものの――。


「ガアアアアアアアアアアアア!!」


 獣の怒号とでも形容できない声を上げ、風流センセイはこちらに怒りの目を見せ、全身を立っていられないほどの苦痛で震わせながら、這い寄ろうしていた。

 円の祝詞は産まれたてのバケモノである彼女には、効果覿面ということである。


「センセイ、どうしたんですか? 随分とご気分が悪そうですが」


 私がそう嘲笑った時、円の準備が整った。


「――御影様、願い奉る。火澄!」


「任されたわ!」


 次の瞬間、周囲の景色がぐにゃりと曲がり、どことも知れない教室と変貌した。

 窓を見れば、冬特有の吸いこまれそうな夜空であったものが、不気味なほどに鈍い、深い橙色をした逢魔ヶ刻へと変わっていく。

 つまりは。



 ――私の時間。



 人でも無く、バケモノにも成りきれない、狭間にある私を象徴する空間。

 日常で架せられてきた、枷が全て外れる。

 全身から力が吹き出し世界と交わりあい、森羅万象に存在する全ての不自然なモノ、歪みと同一化が果たされる。


「さあ、平伏しなさい」


 私は世界の陰と一体化した体を使い、漆黒の触手を伸ばし、風流センセイを床に絡め捕り口枷をした。


「ア、アナタ何なんですの! 只のバケモノじゃあ……」


 枷から解放されて上機嫌でいる中、酷く怯え驚愕した声の主に視線を向ける。


「あら、耀子いたの」


「いたの。じゃありませんわ! どうなっているんですの!」


 本来ならば、ここは私と浄化の目標だけが入ることのできる結界だが、耀子は私にくっ付いていた為、入り込んでしまったようだ。


「ここは、逢魔ヶ刻。人の住む昼とバケモノの住む夜、その狭間を具現化した結界の中」


「……」


「私は『歪み』、嘗て矮小な弱者であった者が、この地全ての歪みを飲み込んで、バケモノと成った存在」


「……」


「……わかった?」


 私の言葉を聞いた耀子は、神妙そうな悲しそうな瞳をし、黙り込む。

 その様子を見て、私は風流センセイの対処に専念する事にした。


「それで? センセイ、晴れてバケモノになった気分はどう?」


 私は風流センセイの口枷を解き、嗜虐的な笑みを向ける。

 彼女の姿は人で在った頃より、酷く様変わりしていた。



 髪は色褪せ灰色に染まり、伸び放題伸び、全身を覆い隠さんというほどだ。


 目は極端に大きくなり、血走っている。


 口は大きく裂け、ギザギザの歯が見えている。


 肌は皺くちゃになり、浅黒く変色している。


 右腕は肥大し、鉤爪になっている。


 足に至っては間接が逆になり、まともに歩くことが困難に思える。


 唯一、面影を残すのは、元のまま変わらない左腕だけだ。



「ぅあっぁぁぁぁうぅぅぅぁ」


 風流センセイは私の言葉を理解せず、自身の変貌を掠れた声で嘆いていた。


「……ああ、そんな事って、ありませんわ」


 人間がバケモノに堕ちる一部始終を目撃したらしく、耀子はボロボロと大粒の涙をこぼしながら、悔しそうな声を出している。


「どうしたの、耀子? アレは貴女を犯そうとしたのよ。いい気味じゃない」


「ッアナタは! この人で無しッ!」


 私の言葉に、耀子は激昂した。


「へぇ、じゃあ貴女は、風流センセイが哀れで、悲しそうで、可哀想とでも、言うつもり?」


「貴女も、同じ女でしょう! 先生が何の罪を犯したのか知りませんが、これはあまりに……!」


 耀子の言っていることは、理解できなくもない。


 しかし――



「仕方ないわ」



 私はどうでもよさそうに、冷たく言い放った。


「仕方ないですって!」


「ええ、このセンセイは罪人よ。人の世で裁かれても、きっと誰かに殺されるわ」


「……」


「貴女も解っているのでしょう。この地でバケモノになるのは、只、心の闇が、負の感情が、溢れるだけではない。と」


 耀子は押し黙った。

 頭脳では理解しているが、心が付いていかない、という所だろう。

 私は、もう一押しする為に、言葉を紡ぐ。


「風流さゆり、彼女は人を殺したわ、己の欲望の為に、この地に死の汚れをもたらしたわ。彼女の喰らった無垢なる魂は、人の理を外れ、汚れし魂に取り込まれてしまった。だから――」


「――だからって、そうやってバケモノにして、殺すのですか?、人の手で裁くことを、させないのですか?」


 耀子は、敬虔な使徒が神に問うような、しかし地獄のそこから生み出されるような、やり場のない怒りを声に満ちさせて、私に問うた。


 ――この様子だと、遅かれ早かれバケモノになると言っても、耳を貸さないでしょうね。


 そう思いながらも、私は耀子に答える。



「ええ、だって彼女はバケモノになってしまったから、仕方ないわ」



「……仕方、ない?」


「ええ、運が悪かったとでも、言い換えましょうか? この地でなければ、ただの狂人が起こした凶行、で済んだかもしれないのにね」


「……それでもッ!」


「それでも? 今この瞬間何も出来ず、私の側で座り込んでいる小娘が? 何が出来るというの?」


 私の言葉に、耀子は血を流すほど強く唇を噛んで私を睨む。


 ――ふふ、うふふふふ、ふふふふふ。


 私は、哂う。


 ――ああ、楽しい、楽しくて仕方が無いわ。


 風流さゆりの、醜い末路も、その末、死に際さえ、この世にでないその人生に。


 阿久津耀子の、己の無力さ故に、打ちひしがれ、憎悪と怒りを加速させる魂に。


 私は、哂った、狂ったように哂い続けた。


 下腹から、昏く甘い、蜜のような毒の悦楽が噴出し、全身へと迸る。


「ふふふふ、ふふふふふふふ、ふふふはははは、あはははっははっはははっはは」


 気が済むまで哂うと、私は風流センセイに向き直る。


「楽しい、一時だったわセンセイ。名残惜しいけれど、これでお仕舞いにしましょう。これでも仕事なのよ、円に時間掛けすぎだと怒られてしまうわ」


「ッ!」


 隣で、耀子が息を飲んだ。

 何一つ見逃すまいと、食い入る様に見ている。



「地獄の閻魔様ではないけれど、貴女に沙汰を申し渡すわ」



 私は、風流さゆり、その総てをこの眼で視た。

 彼女の人生が、産まれてからずっと、その思いの様まで伝わってくる。


「みぃるなぁぁぁぁ! みぃるなぁぁぁ!」


 私に総てを視られている事を察したのだろう。

 彼女は拘束を外そうと、もがきながら訴える。


 ――けれど、そんなの関係ないわ。



「貴女、その体醜いわね。その右手、愛する者を殺した手ね、汚らわしい。――切り落とすわ」



 私の操る触手によって彼女は磔にされ、あっけなく右腕を切り落とされる。



「――――――――ぁ」



 耳障りな声で喚く彼女を無視し、私は続ける。



「その足、みっともないわ。前に進む事をしなかったのね、ならいらない。――潰すわ」



 彼女の足が、圧殺される。

 私は、少し彼女に歩み寄る



「その肌、中途半端な色ね。罪悪感を感じるなら引き返してもよかったのに。――燃えなさい」



 彼女の肌だけが、黒い炎に包まれる。

 私は、少し彼女に歩み寄る



「その口、気味が悪いわ。求めても求めても足りないのはこの世の常だけど、節度を知りなさい、――閉じてあげる」 



 彼女の口が、黒く、細い触手で縫い合わされる。

 私は、少し彼女に歩み寄る



「その目、便利よね、折角見たいものだけみれるようになったのに、ここでは無駄よ、どうせなら選りすぐりしないで、全部見ないほうがいいわ。――抉ってあげる」



 彼女の目が、抉り取られる。

 私は、少し彼女に歩み寄る。



「その髪、まるでお婆さんみたいね、まだ若いのに。ねえ、そんなに心を隠したかった? 愛する者にさえも、傷を見せるのがいやだった? ――駄目よ。曝け出してあげる」



 彼女の髪が、乱雑に引き抜かれる。



「その左腕。……そう、貴女のたった一つの本当なのね。小指から見える赤い糸。貴女の中に続いている」



 私は彼女の側に来た。

 そして、左腕を優しく撫でた後、その全身を抱きしめた。



「辛かったでしょう? 両親から愛されずに育って、初めて愛を知った男に裏切られ、女に走って、満たされた? 


 違うわね。愛する事に、愛される事に自信の持てなかった貴女は、常にその証を探していた。


 けれど彼女達が、その死を以って証としたのに貴女は満たされなかった、解らなかったわね。


 心が痛くて、寒くて、堪らなかったわね。


 でも、いいの。いいのよ。私が全部許すわ、貴女の過ちも罪も。……貴女はただ、自分に正直だっただけ。


 そう、寂しかっただけなのよね」



 私がそう言うと、彼女の縫い合わされた瞼から、一筋の涙が流れた。



「もう、安心して良いわ。貴女はこれ以上傷つかないでいいし、悲しい思いもしない。その証をあげる」



 彼女がその身を震わせた。

 私は彼女の額に、優しく口付けをすると、世界の闇に自身を融かした。

 闇が、彼女を包む。この世全ての歪んだ想いが、彼女と全てを共有し始める。



「……でも、死んだ生徒の魂は解放してやってくれないかしら。私、独占欲強いのよ。貴女だけが欲しいわ」



 彼女は、風流さゆりは、私の言葉に答えた。


 三つの光が彼女から立ち上る。

 天へ熔けて行くその光、その内の一つは、彼女の体を一周した後、他の二つと同じ様に昇って行く。

 その光には、彼女の小指から赤い糸が途切れず繋がり、やがて見えなくなった。



「ではセンセイ。そろそろ逝きましょうか」



 センセイは頷く。

 私は、闇をその身に収め始める。

 そして――。



「おやすみなさい」



 そう言った刹那、骨が押しつぶされ粉々に折れる音がし、闇がなくなって私という姿になる。

 そして、彼女が履いていたハイヒールが一つ、コロンと転がった。


明日も多分、こっちを更新です。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ