心霊写真のうつりかた
私は怖い話が好きだ。テレビや映画で怖いものをやっていたら進んで見るし、遊園地に行ったら友達を引きずってお化け屋敷に向かう。
もう一度言おう。私は怖い話が大好きだ。
「皆、よく来てくれた。さあ心霊写真撮りに行こうぜ!」
「絶対に嫌です」
「何でだよ! お前そういうの好きだろ!?」
家の外に出るだけで倒れそうな日差しが降り注ぐ八月のある日。携帯に入ってるアプリの部活グループで副部長から緊急招集がかかったので来てみたら、第一声がこれだ。
クーラーの効いた私の部屋を返せ。
「ねえ瑞希、私帰っていいかな?」
「まあ待ちなさい慧。副部長にも何か言い分があるかもしれないから」
隣に座っている部員の同輩をチラッと見ながら言いやると、宥められてしまった。ちなみに慧とは私のことだ。
うちの学校はこの辺りでは名の知れた進学校だ。強制ではないものの、大抵の生徒が部活に所属している。
でも運動部や音楽系の部活は大変だし、あまりにオタク過ぎるのも嫌。そんなわがままな学生が集まったのがこの写真部だ。
普段もほとんど活動せず、文化祭などでも申し訳程度にしか展示をしないから、写真部は知名度が極端に低い。だから部員も10人弱しかいない。
そんなに人数が少ないのに、今日集まったのは更に少なくたったの4人。部長と副部長が部員を呼び出して、来たのが1年生2人だけとはあまり笑えない。
「瑞希よくぞ言った! 俺達3年生は知っての通り今年で卒業だ。毎年碌に活動もせずにグダグダ過ごしてきたわけだが、最後の文化祭くらい真面目に参加しようと思ったのだ!」
「部長、翻訳をお願いします」
ドヤ顔で語っていた副部長に瑞希が冷たい眼差しを送る。なんだかんだ言って瑞希もあまり乗り気ではないらしい。
「昨日テレビでやっていた心霊写真特集が面白かったから自分でも撮って文化祭で展示してあわよくば女子にモテたい、かな?」
「おい佐藤、部長だからって人の心読むなよ!」
「最低ですね」
瑞希の言葉が岩となって副部長の頭上に落ちてくる。
私の記憶では瑞希と副部長は付き合っていたはずだが、思い違いだったらしい。
***
夜になり、結局近場の心霊スポットに来た私達。副部長が騒いでいるだけなら良かったのだが、どうも部長も興味があるらしく、1年生の私達は先輩たちの意見に圧されてしまったのだ。
電車とバスを乗り継いで少し山を登った先にある古ぼけた洋館。誰が使っていたとかは全く分からないが、今はとりあえず幽霊が出そうな感じではある。
「けい~。お前来るの相当嫌がってたもんな。どうだ? 怖いか?」
幼稚園児が見たら泣いてしまいそうなくらい酷い顔をした副部長――もとい如月先輩が迫ってくる。
「だから怖くないって言ってるじゃないですか」
先輩の顔の方がよっぽどホラーだ、なんて言葉を飲み込んで佐藤先輩と瑞希を窺うと、もう洋館のドアに手を掛けているみたいだった。
「2人とも、早く来ないと置いてっちゃうよ」
「なっ! ちょっと待てよ!」
私たちの元へ戻ってきた佐藤部長。いつもは穏やかなのに、ちょっと強引に私達を引っ張る。
巷では部長は草食系男子とか言われてるけど、部員の私からすると先輩は間違いなくSだ。彼女に卑猥なことを言わせて楽しむタイプの人間だ、絶対。
いざ中に入ってみると、割れた窓とか、崩れた壁とかがあって怖い以前に危ない。1人ずつ持っている懐中電灯で照らしつつ慎重に進む。
「おう、これはまじで出そうだな」
「何か写るかな?」
先輩方は普段使いもしない一眼レフカメラを構えてどんどん進んでいく。まさしく宝の持ち腐れ。
「ほら、慧も早く着いて行こう!」
現実逃避をしていると、見かねた瑞希が私の手を引いて早歩きをする。流石に足元がおぼつかない場所で走るのは危ない。
本当に幽霊屋敷に来たのか、ってくらいテンションの高い3人だが、ここで私には1つ問題が発生していた。
『おい! カモが来たぞカモが!』
『本当だ……ってあの兄ちゃんたち良いカメラ持ってんな~』
ずばり、私は“見える”人間だ。
“見える”人は大抵怖い話を嫌がると言うがそんなことはない。巷に溢れている霊能者など、私に言わせれば只の嘘っぱちだ。
中には本当に霊感がある人もいるのかもしれないが、おそらくはっきり見えてはいないのだろう。
例えばテレビでやっている心霊写真。
「端に恐ろしい女の顔が……」とか「これは死神で写っている者に不幸が……」とか言っているが、幽霊がはっきり見える私からすれば、写っている彼らは満面の笑みでピースをしているようにしか見えない。
今も彼らは先輩の向けるカメラの前でバッチリポーズを決めている。
きっとデータを見返したら皆にはボヤけて見えることだろう。
何が言いたいかと言うと、全く怖くないのだ。
満面の笑みでポーズを決めてくる幽霊が怖いわけがない。
本物の幽霊ほど、私のスリルを台無しにするものはない。
だから来たくなかったのだと遠い目をしているとき、急に周りにいた幽霊達が消え始めた。
『なんであんなのがここにいるんだよ!』
『知らねえよ、とりあえず逃げろ!』
「え、何?」
「どうかしたの?」
不意に静まり返った屋敷。幽霊は何かに怯えたように消えていったのだ。
「おい! 佐藤、しっかりしろ!」
先に進んでいた如月先輩の叫び声か響いてきた。
――何かあったんだ。
「あ、ちょっと待ってよ!」
瑞希が止めるのも気づかずに走り出した。
先輩達がいたのは屋敷のダイニングだった。屋敷の大きさにぴったりの大きなテーブルがある。
「先輩大丈夫ですか!」
「慧! 大変なんだ、佐藤が急に……っ」
倒れたとでも言おうとしたのだろうか。如月先輩は佐藤先輩を抱えたまま、呻きながら床に伏した。
「先輩!? 先輩!」
何が起こったのか全く理解できないけど、とりあえずここがやばいのは確かだ。
引きずってでも出た方が良いと瑞希を呼ぼうとする。
ザワッと生暖かい風が吹く。
そういえば、先輩達が持っていた懐中電灯はどこだ。如月先輩はさっきまで持っていたはずなのだ。
だって私はその明かりを頼りに先輩を探したんだから。
恐る恐る懐中電灯を探すと少し離れた場所に転がっているが、光が弱々しい。まるで何かに遮られているみたいに。
私は持っている懐中電灯を先輩達から奥の方に動かす。
いままでテーブルがあった場所は黒い霧に覆われ、更に奥に“何か”がいた。
シルエットだけなら人にも見えるが、肉は爛れ、眼球は抜け落ち、涎をダラダラ流しているものを人とは言い難い。端的に言うとゾンビのようだ。
『ア゛ア゛……ア゛ア゛ア゛……』
テレビのホラー映像が愛おしい。画面の中なら大丈夫なのに。
本当に人に危害を加えるものに出会ったら、まず正気ではいられない。
逃げたい。
逃げたいけど、先輩をこんなところに置いて行くわけにもいかない。
おそらく先輩達はこの黒い霧を吸ってしまったんだ。霧は“何か”が出していて、普通の人には見えない。見えないのに体に悪いなんて、何かのバイオテロみたいだ。
アイツは多分、私が何か音を出したら襲って来る。幸い目は見えないみたいだけど、ああいうのは音に敏感だと相場が決まっている。
「慧? そこにいるの?」
「!?」
瑞希の事を忘れていた。
瑞希は普通の人。“あれ”は見えない。
「だめ! 来ちゃだめ!」
「え? なんで?」
叫びも虚しく瑞希はこちらに近づいて来る。アイツはゆっくりに私の後ろに視線を動かし、首を傾げたと思ったら、今までの緩慢な動きは嘘のように瑞希に向かって飛んでいく。
「瑞希!」
「だから何?」
瑞希が少し苛立っているようだが、そんなことを気にしている場合ではない。もう少しです瑞希に“あれ”がたどり着く時、
『とう!』
変な掛け声と共に何かが横切った。
「な、何?」
「何はこっちのセリフよ慧! 置いていったりして!」
今まで部屋を充満していた嫌な気配がなくなっている。
あの化物は部屋の隅でシューシューと煙を出しながら消えていく。
問題はその隣に立っている人だ。恐らく“あれ”を消したのはあの人だろう。
暗くて色ははっきり分からないが、床まで届きそうな髪で一見女にも見えるものの、それにしては背が高い。そして性別なんかよりも大問題なのが、手に持っている大鎌。
おそらくはその大鎌で“あれ”を倒したのだろうが、目的が分からない以上、私たちの味方なのかも不明だ。
ダイニングに瑞希が入ってくる。部屋の入り口に走り、危険人物から瑞希を隠すように立つ。こんなことに巻き込んだ倒れている先輩なんかより怖がっている友達の方が優先だ。
どうも化け物が完全に消えるまで見守っておくつもりらしいが、いつこっちに注意を向けるか分かったもんじゃない。
「……慧? さっきから何見てるの?」
瑞希が不審に動いた私の肩ごしのぞき込む。
「何って、そこに変な人が――」
「変な人って……ここには私達しかいないよ?」
「え?」
変な人は動かない。広いと言っても風もなく静かな夜。私達が何を話してるなんて聞こえているはずなのに。
「……気のせいだったのかも。そこのカーテンが人に見えたんだよ、多分」
「あ、うん……って先輩!? 倒れてるじゃない!」
瑞希が先輩達の元に駆け寄る。それでも変な人は動かない。
久々に幽霊と人間の区別がつかなかった。というか幽霊だって分かった今も見た目じゃ判断がつかない。
――こんなに人間みたいな幽霊、初めて見た。
と、化け物が完全に消えた。立ち上っていた煙も空気に溶ける。
幽霊がゆっくりこちらを――
「慧! 先輩起こすの手伝って!」
はっと我に返る。慌てて友人の元に駆け寄り先輩達の頬をペチペチ叩く。
変な人がこちらを伺う気配があるが無視だ。
深淵を覗き込むとき、深淵もまたお前を覗き込む、なんて有名な言葉もあることだし。
哲学なんてよく分からないが、自分の都合のいい意味にとって深く考えない。これ鉄則。
暫く声をかけつつ叩いていると、先輩が2人とも気がついてくれた。
「如月先輩……良かったよぉ!」
「おいちょっと待て何がなんだぐえ!」
瑞希が副部長に抱きつきに行く。やっぱり2人は付き合ってたのか、なんていらん事を再確認させられた。ちょっと骨が変な音してた気がするけど聞こえてない聞こえてない。
「俺達……何してたの?」
同じく目を覚ました佐藤先輩にいろいろ端折って説明をしてみる。
「そっか、急に倒れたのか……」
「取り憑かれたりしたんじゃないですか?」
冗談混じりに言うと、笑えないから止めてくれなんて言われてしまった。
***
その後、私たちは落としてしまったカメラを回収して街に戻った。
幸いカメラは無事で、写真には案の定幽霊がピースをして写っていて、みんなはそこを指して「ボヤけて見える!」と騒いでいたから一件落着だ。
あのときいた“化け物”も顔も見なかった“変な人”のことも忘れていつもの日常に戻る。
だから私は知らなかった。
『あの娘……もしかして……』
あの日いた“変な人”が何かを言っていたなんて。
私と“変な人”が恋人になることになるなんて。
――これは人間と幽霊の、恋の物語。