Domesday
少女が歌っている。小高い丘の上から、砂の海を見下ろして。
"Dies irae, dies illa (怒りの日、かの日に)
solvet saeclum in favilla (世界は灰燼に帰する)
teste David cum Sibylla" (ダビデとシビラが預言した通りに)
"Quantus tremor est futurus, (どれほど身を震わせ恐れ慄くだろうか)
quando judex est venturus, (審判者たる方が現われて)
cuncta stricte discussurus" (全ての者に厳しく裁きを下されるときには)
「アニタ、その歌は何ですか」
私は後ろからゆっくりと近付いて、その少女に声をかけた。
「教会の神父様に教えていただいたの。古いレクイエムなんだって」
「またそんな遠くまで出かけたのですか。危険です」
私は、アニタにそう言った。私は彼女の母親に、彼女をあまり家の外に出さないようにと頼まれていたのだ。
「いいじゃない、別に。せっかくあの忌々しい太陽が拝めるんだし」
忌々しい太陽。彼女は嫌悪感を込めてこう呼んだ。これまでこの惑星を育んできた太陽は、今や人間にとって敵となったのだった。変化はゆっくりと、だが着実にやって来た。人々が半球形の遮蔽シールドに閉じこもって三年間を過ごす長い「冬」が過ぎても――これが惑星名の由来だ――惑星全土の地表を覆う氷河は溶けることはなかったのだが、ここ数十年で様子が変わってきた。まず「夏」の時期に氷河が溶け始め、各地を洪水が襲った。そのときになって初めて、天文学者達は太陽に異常が見られることに気付いたのである。曰く、太陽には寿命が迫っていて、そのうちにこの惑星は太陽に呑み込まれてしまうだろう、ということだった。今では惑星中のいたるところが、ここから見える砂漠のようにすっかり干上がってしまっている。
「よくないです。太陽の活動はここ最近活発になっています。紫外線が遮蔽シールドを貫通するかもしれないんですよ」
「大丈夫だって。そういうの、杞憂っていうのよ。オメガだって普通に出歩いてるじゃない」
「私はロボットですよ。アニタと違って紫外線に対する耐性はあります」
そう、私はロボットだった。私は家庭用ロボットとして作られた存在だ。SI‐24‐42。それが私の正式名称だったが、それでは面白くないと、今は亡きアニタの父親が名付けてくれたのが、このオメガという名前だった。
「あーあ、うるさいなあ、オメガは。うちの近所の子たちはみんないなくなってしまったもの。教会にまで行かないと遊ぶ相手がいないのよ」
太陽の異常に伴って、惑星の住人は他の惑星に移民する計画を立てていた。移民計画はもうかなりの段階まで進んでいて、この辺りにかつて住んでいた人間はすでに移民船上で冷凍睡眠に入っている。アニタの母親はその計画の中枢にいる人物のため、アニタが移民船に乗るのは、移民の最終段階になる予定だった。
「私が遊ぶ相手になりますよ」
私がそう言うと、アニタは苦々しそうな顔をした。
「嫌だよ。オメガって冗談通じないんだもの」
「それは仕方のないことですよ。私は一種人工知能ではありませんから、優れたマン・マシン・インターフェースを備えていないのです」
アニタは顔を顰めてこちらを見た。
「そういうのを、冗談が通じないって言うんだよ。この前の話、覚えてる?」
「ああ、星が落ちてくる話ですか」
私は思い出した。アニタが太陽を指差して、あれが落ちてくる、と言ったときの話を。私はその表現は正確ではない、と言ったのだ。太陽は大きくなった結果、この惑星に近付くのであって、太陽は隕石のように、空から落ちてくるのではない。
「そう。いくら言っても聞かなかったじゃない。聖書に出てくる喩えだって言ってやっと納得した」
「架空の星のことを言っているのだと、最初から言ってくれれば良かったのです」
黙示録の苦蓬の星のことだとアニタが言ってくれれば、私もそこまで言い募ることはなかったのだ。アニタはそうしてしばらく眼下の砂の海を眺めていたが、飽きたのか、家の中に入っていく。私もその後に黙って付いていった。
ロボットである私を除けば、アニタは母親と二人暮らしだった。しかし、彼女の母親は多忙なため、滅多に家に帰ってくることはなかった。この非常事態で、すでに学校は閉鎖されている上、近所に子供は誰一人いないため、アニタが暇を持て余すのは当然と言えた。彼女が丘の下にある教会に行くことはたまにあった。しかしいくらアニタでも、紫外線警報が出ている最中に、外に出て歩くほど無謀ではない。
そういうときのアニタのお気に入りの遊びは、アニタの父親が遺したがらくたを弄ることだった。とりわけ彼女が気にいっていたのは、レコードというものだ。これは大昔の音楽記録媒体らしかった。最初はアニタも使い道が分からず、くるくるとその黒い円盤をフリスビーのように投げて遊んでいたのだが、私が古いデータベースに照会して、ようやくその用途が判明したのだった。何故アニタの父親がそんなものを持っていたのかは定かではない。ただ、彼はごみ捨て場からよく物を拾ってくるという性癖があった。そのことで、根っからの合理主義者であるアニタの母親とよく喧嘩していたものだ。
私は退屈しているアニタのために、苦心してレコードプレーヤーというものを組み立てた。これはレコードを再生する機械である。データベースに、その設計図が残っていたのは、本当に奇跡的だと言える。人間に比べて圧倒的な情報量を持つ私でさえ、その存在を知らなかったのだから。アニタは分厚いケースからレコードを取り出して、ターンテーブルに載せる。電源を入れ、黒い円盤の縁にそっと針を落とすと、小さなノイズの後に、ピアノのメロディが聴こえはじめた。
「音楽を聴くと、何だかほっとするよね」
アニタは私に笑いかける。
「そうですか? 私にはよく分かりませんが」
私は首を傾げると、アニタはどことなく寂しそうな顔をした。
「いつも思うんだ。みんないなくなって、この惑星に自分だけ取り残されるんじゃないかって。でも、音楽を聴いたら、世界にいるのは自分だけじゃない、って思えるの。変だよね、これを演奏した人はとうの昔に死んでるのに」
「いいえ、私はアニタを変だとは思いません。それにアニタはちゃんと移民船に乗れますよ」
私はアニタを励ますように言った。幼いころから、友達との別れを繰り返してきたアニタがそう思うのは、当然かもしれない。それを聞いたアニタは悲しそうな顔をした。
「もし私が移民船に乗れることになっても、今度はオメガとお別れしなくちゃならない。それも嫌なの」
「仕方のないことですよ。私はロボットですから。移民船に私達を乗せるスペースはないでしょう? それに私達は人間と違って頑丈にできているから大丈夫ですよ」
「でも。そのうちこの惑星は太陽に呑み込まれて、燃えてしまうんでしょう。そうしたら、ロボットだって無事じゃ済まない」
「そうですね。しかしそれも仕方がないことです。ロボットは人間の判断に異議を挟むことはできませんから」
私がアニタにそう言うと、彼女は泣きそうな顔をして、私にしがみついた。そしてそのまま黙り込む。レコードプレーヤーから聴こえるメロディが途絶えても、彼女はずっとそうしていた。
夜はアニタの好きな時間帯だった。太陽がその呼び名の通りに、刺すような紫外線を振りまく昼とは違って、夜は人間でも遮蔽シールドの外に出ることができる。外気温も二十度前後にまで下がるため、人間でも十分活動可能だった。
夜空を鮮やかに彩るのはオーロラだ。太陽の放つ太陽風が、惑星の磁気圈に引き寄せられて、大気中の原子とぶつかり、発光現象を引き起こす。太陽の異常活動によって、オーロラは、惑星中のいたるところで観測されるようになった。その明るい光は、星を隠すほどだ。
アニタに押し切られて、遮蔽シールドのすぐ外まで出かけることはたびたびあった。一度アニタの母親にばれて、こっぴどく叱られたのだが。しかし、私にはアニタを止めることは不可能だった。昼間は人間が遮蔽シールドから出ようとすると、けたたましい警告音が鳴るのだったが、夜間はそんなこともない。
アニタはオーロラに照らされる砂漠を眺めるのが好きだった。たまに、凄まじいオーロラが空に現われることがある。一瞬昼間かと見まがうほどの光が辺りを埋め尽くすのだ。それは滅多にない現象だった。アニタはそれを見ると、私にこう言った。
「ねえ、ずっと夜のままで、あの光が太陽の代わりに空を照らしてくれたらいいのに。そう思わない、オメガ?」
「ここが夜のままだということは、ここの裏側はずっと昼のままだということですよ、アニタ。それでは裏側にいる人間はみんな死んでしまうでしょう。遮蔽シールドで防げる熱にも限度がある。そもそも、そのためにはこの惑星の自転周期を公転周期と同じにする必要があります。そこまで一気に自転速度を落とせば地表にいる人間は慣性で吹っ飛んでしまいますよ」
「どうしてそう真面目に考えるかなあ、オメガは」
アニタは何故か溜め息を吐いてこちらを見た。
「仮定の話よ、仮定の」
「仮定だからこそ、厳密に検証しなければならないのではないのですか」
呆れた表情をしてアニタは私の顔を覗き込む。
「オメガって本当に冗談が通じないんだから」
「すみません」
私が謝ると、アニタは私の頭を軽く叩いて言った。
「別に、謝る必要はないのよ。そういうのも、オメガの個性なの。個性は尊重しなければならないって、神父様も説教で言ってたし」
「個性、ですか? 私と同形式のロボットはおそらく似たような反応を返すと思いますが」
私の言葉に、アニタは少し怒ったような顔をする。
「他のロボットなら、ここまで私の我が儘に付き合ってくれないよ。レコードプレーヤーを作ってくれるロボットなんて、多分、他にはいない」
「そうですか?」
その問いに、アニタは笑みを浮べて言った。
「そうだよ。オメガって凝り性だから」
その時、再び頭上に淡い緑の光が広がった。それはしばらくゆっくりと揺らめいていたが、次第に帯状になって、生き物のように素早く動き、薄紅色に色を変化させていく。そしてついには空全体を赤く染め上げた。アニタは空を見上げて呟く。
「あーあ、このまま時間が止まってしまえばいいのに」
私はいつまでもそんなアニタの様子をじっと眺めていた。
別れの時は意外に早くやって来た。アニタの母親が、家にもろくに帰らずに働いたおかげだろうか。
移民船には最低限の荷物しか積み込めなかった。個人の私物を積み込むくらいなら、水や食糧をもっと積み込め、という訳だ。アニタは母親に言われて、荷造りをしていたが、荷物が少ないため、旅立ちの準備はすぐに済んだ。
「お別れのときですね、アニタ」
彼女がトランクに荷物を詰め終えたのを見て私がそう言うと、アニタは泣きじゃくって私に抱きついた。
「どうして、オメガを連れていけないんだろう。人間ってひどいよね」
「私は平気ですよ。だから心配しないでください」
アニタは泣きながら私の腕を掴んで言った。
「オメガの言うことなんて、信用できないよ」
「本当に大丈夫ですよ。これを持っていってください」
私はそう言って小さなデータチップを渡した。彼女は涙に濡れた目でこちらを不思議そうに見た。
「これは?」
「あのレコードの音楽を録音したものです。以前、アニタはレコードを聞いたときに、言いましたよね。音楽を聴くと、世界にいるのは自分だけじゃないということが分かってほっとするって。この音楽を聴いて、私のことを思い出してくれれば、嬉しいです」
その言葉を聞いてアニタは一層ひどく泣きじゃくった。しばらく彼女はそうしていたが、突然何かを思い出したように、立ち上がって自分の部屋まで歩いていった。彼女は戻ってきたとき、手に何かを持っていた。それは紙切れだった。
泣き腫らした赤い目をして、アニタはその紙切れを私に渡した。
「何ですか?」
私が疑問に思って聞くと、彼女は泣きそうな顔で笑みを見せた。
「それはオメガが自分で考えるのよ。ちょっとした暇潰しにはなると思うわ」
彼女が渡した紙切れには、曲名が書いてあった。彼女のお薦めの曲のリストだろうか。私はそれについて後で考えることにした。時間はいくらでもある。
そのとき、外から声がした。
「アニタ。早くしなさい」
アニタの母親だった。エアカーでアニタを迎えにきたのだ。急かすような声に慌てて、アニタはトランクを片手で持ち上げた。
「それじゃあ、さようなら。本当に大丈夫よね」
彼女は名残惜しそうに言った。
「ええ。実のところ、ロボットは人間がいないほうがもっと上手くやれるんですよ」
私はアニタを安心させるように笑いかけた。
「では、さようなら。アニタもお元気で」
「さようなら、オメガ」
「アニタ。早くしないと、置いてくわよ」
アニタの母親が再び彼女を呼んだ。彼女は玄関の扉を開けて、外に出る。私もアニタを見送るために、家の外に出た。地平線に沈みかけている太陽はいつもよりも赤く染まって見える。アニタは、もう一度私のほうを振り返って、別れの挨拶をした。彼女はそれからエアカーに乗る。ゆっくりとエアカーが発進すると、彼女は窓から大きく身を乗り出して、手を振った。私はそれに手を振って応える。私はエアカーが小さくなって見えなくなるまで、ずっと家の外に立ち尽くしていた。
アニタがいなくなっても、私の生活習慣はほとんど変わらなかった。朝には家の中を掃除して、昼には庭の手入れをする。変わったことといえば、アニタの食事を作る必要がなくなったことくらいだろうか。
私はラジオ放送を聴こうとして受信機のスイッチを押した。しかしノイズしか聴こえない。少し経ってから自らの失敗に気付く。人間達がこの惑星から去ったために、全ての放送局が閉鎖してしまったのだ。
私は気を取り直してレコードをかけることにした。別れ際にアニタの渡してくれた紙切れを思い出し、取り出して眺めてみる。それは走り書きで書かれた曲のリストだった。それらの曲は全て同じ作曲家の手によるものだ。人類がまだ地球に住んでいた頃の作曲家、セルゲイ・ラフマニノフ。
私は、その紙切れに目を通す。そのリストの一番上にある曲をかけることにした。交響的舞曲 op.45、第三楽章。私はレコードをB面にセットする。それから、椅子に座ってその音楽を聴いた。
静かに始まったその曲は、次第に激しくなり、ダイナミックなリズムを刻んで、その主題は変奏曲のように姿を変えていく。鐘のような旋律が盛大に鳴り響いて、一旦盛り上がった後、それは穏やかなメロディに変化した。そうして叙情的な雰囲気が少しの間続くと、また最初の主題に戻る。その主題は最初よりも一層激しさを増して展開していく。しばらくして、私は、その旋律を構成している和音が、アニタの歌っていたあの古いレクイエムによく似ていることに気付いた。私は理解する。アニタが言いたかったのは、これのことだったのだ。つまり、この作曲家はあのレクイエムをこの曲のモチーフにした訳だった。しかし、これではまるで滅びゆく太陽への哀悼歌だな、と思う。アニタはそんなことを考えもしなかっただろうが。
旋律はいつの間にか佳境に入っている。付けっ放しにしていた受信機が、徐々に音を拾い始めた。鐘のように鳴り響くレコードの旋律に唱和するように、ノイズの狭間から、音が聴こえる。まるで朝の到来を知らせるかのような鳥のさえずる声。それは高くなったり、低くなったりしてゆるやかに変化していく。夜明けの合唱と呼ばれるそれは、あまりにも強すぎる太陽風が奏でる音だった。太陽風が惑星の磁気圈に捉えられた放射線帯にぶつかると、鳥の声に似た周波数の電波を発生させるのだ。その音は私にも美しいと感じられた。私はその二つの音が奏でるハーモニーを静かに聞いていた。
ふと、夜明けの合唱が途切れる。その代わりに聴こえてきたのは人の声だ。私は驚いた。人間が放送している訳がないのだ。私はボリュームを大きくして、それに耳を傾ける。その放送をしているのは私と同じロボットだった。
「……我々には失う……何もない……我々ロボットには……勝ち取るべき世界がある……団結せよ……惑星全土のロボット達よ……団結せよ……」
私がレコードの音楽をBGMにして、その放送に聞き入っていると、突然入り口の扉が開いた。私は顔を上げる。私とそっくりの姿をした家庭用ロボットがそこに立っていた。
「今の放送、聴いた?」
そのロボットは口を開く。私は首を縦に振って頷いた。
「このままじゃ、僕達は滅びてしまう。もう人間達はいない。僕達はやっと自分達の好きなように生きられるんだ」
彼はそう言うと、部屋の中に入ってきて、私に手を差し伸べた。
「行こう、君も」
私は、立ち上がってその手を取った。
<作者によるどうでもいい解説とか>
えー、タイトルのDomesdayは駄洒落です。Doomsdayで最期の審判の日っていう意味。……こんなのばっかりです。
冒頭の歌はグレゴリオ聖歌のレクイエムの一節で、Dies irae(怒りの日)として知られています。クラシックでは世界の終わりに相応しい派手なアレンジがされることが多いですが、もともとの歌はしんみりとした感じです。ドシドラシソラーラー、ドドレドシラソシドシラー、ミソラララソシドシーラーというメロディの曲。……分かりにくい。作中にある通りロシアの作曲家ラフマニノフが好んで引用したフレーズです。