散歩/忘れ物
【散歩】
深夜の街を散歩することは私のささやかな趣味のひとつであるが、その道中に時々、おかしなものに出くわすことがある。その大半は酔っ払ったサラリーマンであるとか集団で群れることで気が大きくなり、おおよそ理解のできない行動を取る大学生連中だったりするのだが、それ以外にも変わった行動を取るものがいる。私はそれらを密かに『人でないもの』と呼び、遭遇しないよう細心の注意を払って散歩を行うことにしている。
「なら散歩なんかしないで寝てしまえばいいじゃないか。どうしてボクを呼び出してまで」
新宮の言うことはもっともである。しかし長年続けてきたこの習慣、一度止めてしまうと私は安眠できなくなってしまうのだ。一人でできないのかと問われれば口をつぐむしかないが、そこは心優しい暇人である。何だかんだと愚痴を吐きつつ、甘味を奢ると条件を出してしまえばあっさり折れて付き合ってくれる。出費は痛いが致し方ない。
ここで確認しておきたいことは、私自身特に怖いだとか不安だとかそういった気持ちはないことと、新宮が近くに存在していさえすれば『人でないもの』との遭遇確率は大きく下方修正されるということだ。これは過去一ヶ月分の集計に基づいており、確かな記録と言えよう。再確認。私は臆病ではないし、小心者ではない。決してだ。
「ところで泉くん」
「はい」
「今日はそっちじゃなくてこっちから行こう。遠回りになるけどいいよね?」
「はい」
振り向いた私の背後を新宮宮古は睨みつけ、そしてふわりと、微笑を浮かべた。
彼女が私の向こうに何を見たのか、私はあまり、知りたくはない。
【忘れ物】
朝食代わりに砂糖水を飲んでいると、部屋のチャイムを鳴らす音が聞こえた。こんな時間に何者だ、宗教の勧誘かはたまた新聞屋か、と覗き穴から外の様子を窺うとそこには、憔悴しきった表情を浮かべて立っている新宮の姿が見て取れた。
何事かと扉を開くと彼女は「やあおはよう泉くん」と短く告げた後、お邪魔するよと部屋の奥へと駆け込んでいった。普段であれば来客は部屋の掃除を丹念にしてから上げるのだが仕方がない。非常食の乾パンを皿に盛り、彼女に話を聞くことにした。
「急にすまないね。……ああ、お気遣いありがとう。でも大丈夫、忘れ物を取りに来ただけだからすぐ行くよ」
忘れ物。はて、新宮が以前遊びにやってきたのは確か、上下左右の住人が首を吊って精神的に参っていた頃、おおよそひと月前の頃だったかと記憶をたどる。その時に何か忘れたのだろうか、布団と本棚くらいしか置いていないこの部屋に私物以外に置いてあれば気づくはずだが、と新宮を見ると、彼女の姿は消えてなくなっていた。
状況の理解が及ばず呆然と立ち尽くしていると、放り投げてあった携帯電話が震えて着信を知らせた。手に取り相手を確認してみるとそこにはつい先程目の前に姿があったはずの新宮宮古の名前があり、私は焦燥感を飲み込むために深呼吸をし、彼女からの電話に出た。
「やあやあおはよう泉くん」
「新宮、お前」
「忘れ物、ありがとうね。それじゃあまた大学で」
一方的に電話は切られ、部屋の中には静寂だけが残された。
ふと乾パンを盛った皿を見てみると、気のせいか、量が減っているようにも見えた。