饅頭
私の友人はほんの少しばかり変わっている。それは実際のところほんの少しで済ませられるようなことではないのだろうが、そのこと以外は至って普通の女子大生であるから、やはり、ほんの少しばかり変わっているという評価で良いのだろう。
私が彼女に出会った当時、私には友人がいなかった。大学に入って半年も経つというのにだ。元々社交的な方ではないという自覚はあったが、大学生になれば多少内向的であってもそれなりに交友関係を持てるものだと思っていたのだ。しかしそれが甘かった。小中高を通して友人と呼べるような存在はおらず、俗に言うところのボッチであったのに、私はこの十数年、一体何を学んだのだろうと眠らず悩んだこともあった。
もういっそ、大学を辞めてしまおうかとも思った。友人ができないので辞める。傍から見れば何を馬鹿な、と嘲笑われるようなことかもしれない。しかし私は、独りが寂しかったのだ。元々何も目的を持たぬまま入った大学だ。辞めてニートになろうがフリーターになろうが死のうが世界は全く変わらない。私は必要のない人間だ、それならいっそ死んでしまっても良いのだろう、ああ死んでやる死んでやるともなどと、中高生の辺りで済ませておくべきようなことを、私は大学に入ってから経験したのだ。
話を戻そう。そんな時に出会ったのが新宮宮古である。私が彼女に出会ったのは、忘れもしない、やたらに晴れて暑く感じる冬の日だった。しばらくの間まともに睡眠や食事を取っておらず半ば動く死体のようだった私に対して新宮は、たった一つの饅頭を寄越してきたのだった。私は当然、呆気にとられた。見ず知らずの女性が、私に、饅頭を? なぜ? 一体何を企んでいるのだ、私を嵌めて笑いものにし、動画サイトに投稿でもするつもりなのかと足りない頭で瞬時に思考を張り巡らせたものだ。
しかし新宮はただ私に一言「それを食べれば良くなるからさ」と微笑んで去っただけだった。当時の私は彼女の名前すら知らなかったが、何度か大学に通ううち、風の流れでその名を知った。今思えば全く理解できないが、学内ではそれなりに人気があるらしかった。
「それで? キミは饅頭を食べたのかい?」
ああうるさい。人が懐古に浸っているところを現実が邪魔をする。テーブルの向こうでニヤついている友人は知っているはずなのだが、私は饅頭を食べなかった。明らかに普通の饅頭ではなかったからだ。貰っておいて失礼千万であるのだが、私は饅頭を学内のゴミ箱へ捨てて帰った。
そして次の日から、そのゴミ箱からは何やら嫌な、気持ちの悪い、吐き気を催すような臭いが漂ってきた。しかし私と新宮以外は誰もそのことを指摘しなかった。大学全体に広がるほどの酷い悪臭だったというのに、誰一人もだ。
「いやホント、嫌な再開だったね」
それは私の台詞である。私と新宮は、吐き気を堪え切れず駆け込んだトイレから出てきた所で鉢合わせたのだ。互いにこみ上げてきたものを出しきって、青白い顔をしていただろう、そして再び鼻につく異臭。私と新宮は理解した。あの饅頭が原因であると。しかし鼻をつまみながらゴミ箱へ行くもちょうど清掃業者に回収されてしまったのか饅頭は既に残っていなかった。顔を見合わせ、恐る恐る鼻をつまんでいた指を離すと、臭いを感じることはなかった。多種多様の動物の死体が腐ったような臭いは、饅頭とともにどこかへ消えてしまったようだった。
見知らぬ男性から貰った饅頭だったと新宮は白状した。よくよく考えなくとも怪しげなもの、それも食べ物を赤の他人に渡すなどということは本来、常識をわきまえている人間であれば決して実行はしないのだが、新宮はそれを私に行った。「だからごめんって」うるさい。とにもかくにも、私と新宮はその饅頭の件からどこをどう間違えたのか、それなりに親しい、と言って良いのか、そのような関係になってしまった。私の人生における初めての友人が眼前で苺大福を次から次へと頬張るような奴だというのが癪に触るが、私には友人ができたのだ。これでもうしばらくの間、少なくとも大学を卒業するまでは、私が自殺を考えることはないだろう。その点においてのみ、私は友人である新宮宮古に感謝している。
これは余談であるのだが、現在も時々、饅頭を渡す男の姿が目撃されているという。しかしその饅頭男が誰であり何を目的としているのかは、今もなお、分かっていない。