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24.約束された福音


 皇妃ウィリアローナ。

 神聖王国筆頭貴族、シュヴァリエーン公爵家の養子。王女ハプリシアの侍女を務めた経歴あり。一時はどういうわけかハプリシア王女が嫁いで来るとの話もあった上で、直前の花嫁交代劇はそれなりに物議を(もたら)したらしい。

 現時点では、春を呼んだ聖女として、特に北方地域から信仰の対象となっている。神殿で祈る者も出て来ており、像が立つのも時間の問題だという噂がある。

 また、昨年の夏頃から情緒不安定、寝込みがちで、婚約者だった時から執務の手伝いをしていたが、ここ数ヶ月は表舞台に姿を現しておらず、季節外れの雪に民の不安は掻き立てられーー、昨年よりも少し遅れたものの、やってきた春の雪解けに胸をなでおろすのだった。


「と、まぁ、今わかっていることはこんなものか」


 寝台の上、エレオリアは一人調査結果の帳面を手にふうん、と口元に手をやる。二十年以上眠っていたとは思えないほど体の調子は良く、つい先日などは、息子エヴァンシークを呼びつけた挙句に困ってうろたえている中でのはけ口にしてしまった。調子がいいと余計なことをしてしまうのだ、と後から反省したけれど、逆に息子からのお招きを受けてしまったのでよかったのかもしれない。

 皇妃ウィリアローナに会ってほしいということだった。貴族の常として、これから会う相手のことは、当然のように調べ上げてから尋ねる。今回使ったのは侍女だったけれど、できることなら今後早いうちに、文官の手がいつでも借りれるようになるといいなぁと嘆いた。

 エレオリアは貴族で、王太子の婚約者だった頃、病弱で寝込みがちだったもののそれなりに教育を受けている。実際に生かされた部分は少ないが、かといって貴族としての振る舞い方以外を知らない。こういう時は文官の手を使うのが一般的だというのに、数奇な人生のためその伝手がないのが痛かった。


「侍女はびっくりするほど多い上に、あたしのしらないあたしの体の癖を熟知されているのは何なんだろうなぁ……。エヴァンがお腹の中にいた時、世話をしてくれていたような昔馴染みがいるかと思えば、その娘がいたり、あたしが寝ている間にレオンセルクに救われて恩返しに来ている人までいるし」


 むう。と、唸る。薄々そんな気はしていたけれど、レオンセルクは知らず識らずのうちに人を引き付ける才がある。人たらしというか、妙な人懐こさというか。なんだかんだ自分もそこに好意を乗せられ、絆された感が否めない。常に人に接する姿勢が平坦で、警戒心を抱かせにくく、人が努力しても叶わぬ方面に優秀で、尊敬を集めやすく、自分の不足をよく知っていて人を頼ることに抵抗がないため、頼られた側は悪い気がしないのだ。

 それでも、目覚めて一番に側にいて、あんな風に泣いてくれたから、そんなあの人を愛しいと思う。


 書類を傍に投げ出して、ため息をつきながら両手でむぎゅっと自分の頰を抑える。


「いやぁ、でもどうするんだこれ本当」


 ハリのある肌。それだけ考えれば、女として嬉しい点と言えるかもしれない。けれど。愛する人の側にい続けるには、あらゆる不都合が発生してしまうこの状況に、叫びながら頭を抱えて転がりたい気分だった。


「神様も、もうちょっと考えて助けてくれればいいのに」


 連れていかれると思っていた。気の毒がられて、魅入られて、そのまま、連れていかれるのだと。

 けれど実際は、病の進行を遅らせるために眠らせ、時を止め、やがてまた時が進み始めた頃にレオンセルクが見つけた治療法で完治し、さらに眠り続ける。そして目覚めたその時、外見は眠りに落ちた当初のまま、というわけのわからなさ。神様のやることに理屈を考えてはいけないのだとわかっていても、恨み言は口から出て来る。


 体を投げ出して、目を閉じる。こんな姿でも、母親として慕ってくれるエヴァンシークは、想像以上によくできた若者だった。すぐには無理だと言っておきながら、最大限の配慮と努力が伝わって来て、春が来て以来落ち着かない国の運営執務に追われているはずなのに、疲れた顔一つ見せないことにそろそろ呆れそうだ。お前完璧超人か何かになってしまっているのか、と次こそ口をついて出て来てしまいそうだった。








 そうして、ウィリアローナに会う日がやって来た。

 迎えに来た従者のあとを、ひたすら歩く。息が上がらない程度の、ひどくゆっくりとしたありがたい速度で、エレオリアは一心に歩いた。帰りは車付きの椅子で運んでもらおうか、などと検討しながら。

 案内された居室に入れば、侍女が引き継ぎ従者は帰り、軽くお茶の休憩を受けて、また別の道を進み出す。この国の城はレオンセルクの父親が謎の増改築を押しし進めたために何かちょっと変な構造なのだ。慣れてないものでなければ簡単に迷ってしまう。一般的な屋敷の構造が頭に入っている人には特に。つまりあたしだ。


 やがてたどり着いた居室には、エヴァンシークが待っていた。手を取ってエスコートしてもらう。なんて素敵に育ったんだろうと心の中でため息をついた。


 世界一素敵な皇帝なのでは、とは、やはり親バカだろうか。


「こちらだ、エレオリア様」


 寝室へと案内される。促されるまま部屋に入ったエレオリアは、その部屋の光景に息を飲んだ。


「……エヴァン? つまり」


「つまりそういうことなんだ」


 エヴァンシークの声は硬い。そこにいるのは、寝台の上のウィリアローナ。それだけではない、それだけではなかった。


「……ええと、このこと、レオンセルクには?」


「まだ言っていない」


「……泣くかなぁ」


 それは知らない、と戸惑ったように返すエヴァンシークに、エレオリアはちょっと笑った。







 レオンセルクが、不定期になった孤児院の訪問を終えて戻ると、いるはずの部屋にエレオリアの姿がなかった。侍女に連れられて湯浴みかな? などとよぎるけれど、もう夕方だ。夕刻はどこも忙しくなるため、湯を使うというのなら昼間のうちに済ませるだろう。エレオリアはそうそうわがままを言わない。言ってくれればどれだけ助かるかと思ってしまうのは、夫としての甘えだろうか。

 それなら、どこへ、と立ち尽くしていると、侍女の一人が進みでる。手紙を差し出され、その場で読んだ。

 読み終えると部屋にそれを投げ捨てて、身を翻す。



 手紙は、エヴァンシークからのものだった。


「しばらくあなたの最愛をお預かりする。外出から戻り次第、こちらまで来て欲しい」


 こちらとはどこだ! と思いながら、レオンセルクは早足で歩いた。歩いていると、先導するような影がある。従者だろうか。エヴァンシークの周囲はそれとなく把握しているけれど、その従者は見たことがなかった。それでも構わず追いかける。


 たどり着いた居室の扉に手をかけそうになって、少し戸惑う。う、と眉を寄せて、本来なら共なり侍女なり連れ立って歩かなければならないのだったか、と思い出す。身分あるものとしてそういうことを怠ると、エヴァンシークは以外にも口うるさい。いや、口では言わないが、目が雄弁に語ってくる。あれは実に堪える。エレオリアに似ているからだとは、長い間考えないようにしてきたけれど。


 その扉が、突如内側から開けられる。先ほど追いかけていた、従者だ。レオンセルクが手を中途半端に上げた状態で固まっていると、大きく扉が開かれた。促すように、招かれる。

 早足で入れば、長椅子に腰掛けお茶を飲む息子の姿に脱力した。


「早かったな」


「……なんなの……、私をからかって遊んでいるのかい」


「まぁ、大事なことを一人で勝手に決めたあなたに、少し怒ってるな」


 はぁ? と顔を上げる。少し考える。思い当たる節がなく、エヴァンシークに知らせた自分の行動を順に並べ、あぁ、とわかった。そんなに大事なことかい、あれ。と眉を寄せると、そういうところだ、と呆れられた。ネリィのことでこんなにあれこれ言われると思っていなかったレオンセルクは、それでこんなことをされるのは想定外だよ、と頭をかかえる。必要だからやることの何がいけないんだ、と唸った。


「エレオリアは? どこ」


「隣の部屋だ」


 隣? と眉を寄せる。つまり寝室? と訝しむ度合いが跳ね上がる。どうやらここは夫婦の寝室ではないにしろ、調度からして女性の部屋だ。エヴァンシークのくつろぎ方を見るに、ウィリアローナの部屋だと簡単に予想がつく。その寝室に、なぜエレオリアが? 不審感いっぱいの目で見るのに、エヴァンシークは全く気にする様子がなく、ため息をついて寝室の扉をノックした。返事はない。エヴァンシークを一度見ると、そのまま促されたので扉を開いた。


 鈴のような笑い声が響いて、その声の出所を目で探す。探すまでもなく、目の前に広がる光景に、息を飲んだ。

 大きく取られた窓から差し込む光の中で、ウィリアローナと後ろ姿のエレオリアが顔を突き合わせて笑っている。ウィリアローナは寝台で、その脇に椅子を置いて座るのがエレオリア。エレオリアがいつも寝台にいるわけじゃないんだなんだととよくわからないことを思いながら、学友のような空気感にしばし見とれた。


「いったい、なにを」


 言いかけて、また、言葉が止まる。一歩二歩と進むうち、エレオリアの腕の中に、何かがいた。遠い昔に、見たことのある光景だ。そんなふうに、優しい眼差しで、腕の中の存在を見ている。

 ウィリアローナと目があった。彼女も、ふんわりと笑っている。まっすぐの長い髪をゆるく編んで、家族にしか見せない姿で、優しく眼を細める。エレオリアの肩を叩いて、何か促すのに、どうしてだかエレオリアは振り返ろうとしなかった。


「エレオリア?」


 振り返ろうとしないどころか、肩を震わして顔を背けようとする。それを見つめるウィリアローナは困った顔だ。少し考えた後に、エレオリアの腕から白い塊を取り上げる。


「レオンセルク陛下」


 そんな風に呼ぶ人は滅多にいなくて、つい笑ってしまう。気持ちはそうだったけれど、でもその腕の中の白い塊に意識がいってうまく笑えたか自信はなかった。


 もぞもぞと動くそれに、自身の心臓の音が聞こえた。


「お祖父様ですよ」


 ウィリアローナが、腕の中の温もりにそう囁いたことで、全てを知る。



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