表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
87/91

23.重なる杯と、春嵐


 エヴァンシークが生まれたばかりの頃。二十数年前の城の様子は、伝え聞いただけでもよくわからなかった。


 暗君だと評される先々代の御代というのは、激動であったと文書に残される。

 優秀な皇太子だった。彼が皇帝の座につくのを、臣民全てが心待ちにしていた。にも関わらず、皇帝になった途端、その評価は反転する。

 政治手腕は真っ当で、かつ、不正は許されなかった。皇帝に従順か否かに問わず、時折戯れのように臣下に手を上げ、気まぐれに側近を取り立て、廃し、派閥争いを混乱に陥れた。気がつけば有力貴族が次々と失脚していったのも理由の一つだろうし、その混乱の最中に施行された新しい取り決めも数多い。

 また、当時一夫一妻が慣例であり、例外や特殊な措置として側室の存在を認めていた皇室において、南の砂漠地帯の後宮文化(ハレム)が唐突に取り入れられ、王族専用居住空間の無理な増改築が重ねられた。やがて完成した広大な後宮に、貴族や豪族から差し出させた美姫を留置き、その花を気まぐれに散らした。

 最初の御子は皇子だったらしい。皇太子が皇帝になり、その苛烈な朝が明らかとなった混乱期に、集め始めた美姫の中から出生した。またその頃に、反乱勢力が育ち始め、当然の成り行きとして、まだ幼児の第一皇子を担ぎ上げるようになる。

 その処断は迅速だった。反対勢力の有力者は瞬く間に断罪され、余罪が明らかになり、いくつもの貴族家がお家断絶に憂き目さらされることとなった。幼児だった第一皇子の行方については、何も残されてはいない。当時の中枢を知るものも城に残っておらず、権力をもたない外縁部にいた者たちに事情を知る者はいなかった。

 ただ、その第一皇子の父親が本当に当時の皇帝その人であったかを疑問視する歴史家は多い。その後皇女が数人、皇子が数人と誕生した記録はあるが、その一人として王宮で育った者はいない。

 皇女の一人が南方の古王国へと嫁いだほか、何人かは他国の高位貴族へ養子になるなどの道筋をたどったが、その全てが記録に残っているわけではなかった。


 そうして、唯一戻ってきた皇子が、先代皇帝レオンセルク。


 神聖王国にほど近い国境の、辺境で研究者をしていたところを、皇帝に指名され、皇太子となった。しかし、レオンセルクの当時を知る者はほぼ皆無と言っていいほどで、何をしていたかは発表論文でしか伺い知ることはできない。

 彼の目立った功績といえば、何千人に一人が先天的に発症する、とある病に関する研究論文だった。皇帝になってから発表されたその論文は、国中の研究機関に注目された。国外にもヴェニエール帝国レオンセルク皇帝の実績として、記憶されることとなる。

 先々代が混乱をもたらした貴族間の派閥争いは、一方で膠着を見始め、一方で落とし所を見つけ、一方では未だ様々な思惑がくすぶっていたとある。国内の政治を円滑に執り行い、国外への影響を最小限にしたとして一部の識者からの評価は高かったが、内情を知る者らは、突如として現れる皇妃の存在について言及していた。しかし、公式に残された情報は驚くほど少なく、何かしらの隠蔽工作を度々指摘されていた。当時皇妃として振る舞っていた人物は自らそれを真っ向から否定し、また、繰り返し王太子エヴァンシークの血筋についても保障したと言う。


 ……祖父と父について、調べれば調べるほど、わからないことが増すばかりだった。情報収集の苦手なエヴァンシークは早々に投げ出し、投げた先のオルウィスは苦笑しながら引き継いだ。かつて腹心としてそばに置いていた存在は何かしら知っている様子だったが、とうとう最後まで教えてくれることはなかった。


 この人に聞けば、全て答えてくれるのだろうか。


 目の前で、エヴァンシークの用意した酒を興味深げに眺める父に、なんと声をかけるべきか考える。

 最高級の革張りの椅子にそれぞれテーブルを挟んで腰かけ、持ち込んだ酒瓶や軽食を広げる。侍女が細々とした用意を整えるのを、レオンセルクが興味深げに眺めていた。

 その様子になんとなくため息をつきながら窓の外を眺める。外は暗く、とうに日の落ちた夜更けだった。


 エヴァンシークとレオンセルクは今、レオンセルクの居室で酒盛りを始めようとしていた。



 時間はあるかい、とレオンセルクに問われた直後、あると答えたエヴァンシークの元に、急用を知らせる侍従がやってきた。オルウィスのところで止められるはずのそれは、けれど、オルウィスでさえも至急執務室へと判断せざるを得ぬものだったらしい。

 謝罪とともにその場を離れようとするエヴァンシークを、レオンセルクが引き止めた。


「……夜にでも、どうだろう」


 勝手がわからないくせに、寝仕度を済ませて酒盛りでも、と提案するレオンセルクだったが、その光景が似合わなくて笑ってしまった。

 笑うエヴァンシークをぽかんと眺めて、レオンセルクはここで待ってる、と穏やかに言ったのだった。


 執務が片付いてから仕度を整え、レオンセルクの元を訪れたエヴァンシークをで迎えた時も、全く同じ顔をしていた。

 雰囲気が少し最愛と似ていて、調子が狂うなと思っていると、酒瓶をしげしげと眺めていたレオンセルクが、ふとエヴァンシークの方を向いた。


「……これはエヴァンシークが好きなお酒かい?」


「あなたがどんな物を飲むのか、よくわからなかったので。今まで飲んだ中で美味だったものをいくつか選び持って来させた、好きに見てくれ」


 数種の酒瓶を示す。どれを飲む、と聞いたつもりだったのに、レオンセルクはエヴァンシークがどの酒瓶を選ぶか待っている。諦めて、エヴァンシークが普段飲む酒瓶を開けると、嬉しそうに口をつけた。


「普段あまり飲まないから、飲みすぎる前に話したいことを話した方が良さそうだね」


 見るからに強そうには見えない父の笑顔に、エヴァンシークは頷き一つで同意を示す。話さないといけないことがある、と言っていたレオンセルクは、手の中の杯を眺めていた。


「……エレオリア様には、もう?」


「いや、あれからずっと寝てる。次はいつ起きてくれるか、ちょっとわかんないな。寝たり起きたりを繰り返して、ちょっとずつ起きていられる時間が増えて、その時間を体力づくりにあててみたり、色々してるけれど」


「……俺が先に聞いても、いいのか」


「いいよいいよ。相談じゃなくて、決まったことの報告だからね」


 それでも、私自身の口から言うべきことで、エレオリアに怒られるなら、エヴァンシークの目がない方が、いいし。などと、ごにょごにょと続ける。


「ハイマール王国を、おぼえているかい」


 今はもうない国名に、エヴァンシークは口を閉ざした。覚えているか。覚えているか、だと。初陣の舞台となった国だ。……忘れるわけがない。


 レオンセルクに呼び出され、王太子となって、ハイマール王国へと侵略した。継承争いによって疲弊していたハイマール王家の指揮系統は、練度の高いヴェニエール帝国に圧倒され、瞬く間に瓦解していく。

 初陣であったエヴァンシークの手腕など問題にもならぬほどの力量差に、王国の完全掌握は時間の問題だと思われていた。そこへ、レオンセルクの指示が舞い込んだ。

 それが、城を、焼き払うという指示だった。


 全ては、密約の元なされた、決められた手はずだったと知ったのは皇帝になってからだ。


 ハイマール王国は、泥沼化した継承争いに終止符を打つことを望んでいた。そう言った意味で、ヴェニエール帝国は利用されたのだ。ハイマール王国へ攻め込むことで他国からの謗りを受けながらも、帝国は王国の要求を受け入れ、その継承争いを侵略という形で治めた。継承する国王という立場ごと、消し去ったのだ。

 では、城というものはなおさら不要だろうと、そういうことらしかった。


 ではなぜ、ヴェニエール帝国はハイマール王国の嘆願を聞き入れたのか。


 レオンセルクが一言、落とすと告げた。それは事実らしい。けれどその上で、その皇帝の指示をどういった形で実現するか。宰相ら他、幾らか残っていた心ある大臣が協議を重ねた結果、けして外部には出せぬ決定理由が、『それでも、帝国に春を呼ぶために』だった。

 永遠の冬に囚われたヴェニエール帝国において、全ての免罪符になりうる大義名分がこれだった。


 沈黙するエヴァンシークをちらりと見ながら、レオンセルクはちびちびと杯を口にする。


「その、王女様が、うちにずっといたんだけど」


「……いま捕らえている、元王女エレオノーラの話か」


 そうそう、その子。とレオンセルクが嬉しそうにするのに、少し苛立ちが湧き上がる。その、ハイマールの残党に何をされたのか、この人はもうすでに覚えがないらしい。


 血だまりの中のレオンセルクを見た。その体を、この手で受け止めた。実の父のそんな姿を誰が見たいと思うのか。二度目はないと、心から思っているのに。


 レオンセルクが、何かを言った。


 聞き返そうと顔を上げれば、その瞳と目があって、つい、言葉を飲み込む。


「もう決めたことだから」


 かける言葉を決めかねていると、そう言ってレオンセルクが笑顔を見せた。今しがた聞いた言葉が理解できず、何を、と意味をなさない言葉しか出てこない。


「太上皇帝レオンセルクの名の下に、元ハイマール王家の末姫エレオノーラを、ヴェニエール帝国皇室に取り込み、その立場を保証する。現皇帝エヴァンシーク、そして、皇太后エレオリアには、それを承知置いてほしい」


「馬鹿な」


「もう、決めたことなんだ。エヴァン」


 そんな風に、優しい声で呼ぶのは反則だと思った。今までそんな風に接してこなかったくせに、エレオリアとの邂逅を経て、今更なんだと罵られることさえ覚悟の上のような、そんな態度は。


「エレオリア様は、それを許すのか」


「エレオリアは、怒るだろうね。勝手に決めたのかって怒って、詰って、でも、きっと最後は許してくれる。私は、それを知っている。エヴァンシークが怒るのも、知っていたよ。けどね、ネリィ君は私の恩人なんだ。アガタ君にも、頼まれてしまったし。このままではいさせられない。私の持てる力をもってして、助けたいし、守りたい」


 大事な、部下なんだよ。と、エヴァンシークの知らぬ絆を見せる。


 勝手な、とエヴァンシークは思わず罵るものの、そこに嫌悪は乗らなかった。レオンセルクが目をそらすことなくエヴァンシークを真正面から見つめているからだろうか。穏やかな表情で酒を飲む姿に、完全に毒気を抜かれている。

 ため息をついて、好きにするといい、と呟いた。大きく杯を煽って、空にする。驚くレオンセルクの顔に、あなたは酒の飲み方が下手だ、と笑った。







 後日、レオンセルクが不在の際に、エレオリアに呼び出されたエヴァンシークは、何に置いても最優先としてその呼び出しに応えた。


 その、花の香る部屋を訪れる。

 寝台の上で上体を起こした若く美しいエレオリアは、侍女の導きによって現れたエヴァンシークの顔を見て、笑った。笑って、困ったように眉を下げる。


「ハイマール王国元王女のことを、聞いた」


 エレオリアは、まったくあいつは、とレオンセルクのことを仕方のないやつだよ、と許していた。その上で、困り果てた様子でエヴァンシークを頼ったのだった。


「エレオリア様。体の具合はどうでしょう」


 ああもう、と困り果てているエレオリアに、エヴァンシークは身を乗り出す。言葉に惑って、ギクシャクとしてしまった。


「起きていられる時間も増えたし、少しなら歩くこともできるようになったぞ。エヴァンを産む前の、寝込みがちだった頃よりは健康になったと思う」


 それが、とエレオリアは首を傾げてエヴァンシークを見上げる。それなら、とエヴァンシークは頷いた。


「我が妻、ウィリアローナに会いに来ていただきたい。訳あって、今、居室から出られないが」


 エレオリアが瞬く。それは、と傾げていた首を、さらに傾げた。


「レオンには内緒で?」


「父には内緒で」


 思わず口が滑りながらも、頷いた。レオンセルクを父と呼んだエヴァンシークに、エレオリアは瞬きをしながらも口元は嬉しそうに弧を描く。秘密の共有に、お互い胸が弾むのがわかった。


「わかった、行こう」


 ときおり、レオンセルクはエレオリアのそばを離れることがある。いまだに、医学者としての立場に必要な仕事や、その頃習慣にしていた孤児院訪問を時折思い出したように行なっているらしい。その時を見定めて予定を決める。


「ちょっとした、仕返しだな」


 そう言って、エレオリアは笑った。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ