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22.春の日差しの中で

 

 先帝レオンセルクに呼び出されたのは、春先のヴェニエール帝国の雪が止み、春が戻ったほんの数日後のことだった。

 執務代理を任せていたとは言え、今度はレオンセルクが客室から出てこなくなった。それゆえ戻ったばかりで執務に忙殺される中、そのレオンセルクから届いた面会申し込み。それを最優先で処理することに決め、皇帝エヴァンシークは組まれていた予定をこじ開け、父レオンセルクの居室を訪れる日程を三日後に決定した。


 エヴァンシーク自身も、レオンセルクに会う用事が、あったので。


 三日間、どちらかと言えば苦手な机仕事を黙々と処理していると、オルウィスや宰相が代わる代わる執務室にやって来てなにか失礼なぼやきとともに去っていく。二人ともしっかり書類を取り上げ、また新たな書類を追加していくのだから、黙ってやれと一瞥した。


「異常に機嫌がいいですね……、いえ、当然だとはわかっているのですが。お父上との面会が明日でしたか。執務について何があっても戻ってくるまで呼び出さないよう厳命しますので、どうぞごゆっくり」


 何を勘違いしているか知らないが、なぜ実の父親との面会で、そこまで機嫌が良くなると思うのか。甚だ見当違いもいいところなのに、誰も彼もがエヴァンシークの機嫌の良さに呆れた顔をする。ただ調子よく仕事をしているだけなのに、納得いかなかった。







 窓の外は春の陽光が満ち、庭園は庭師が腕によりをかけて整えた春の花や樹木が誇らしげに植わっている。あぁ、あそこで最愛と二人きりの時間を過ごせたら何にも代えがたい穏やかな時間になるだろうな、と思う。思うだけで、エヴァンシークは今それどころでは無いのだが。

 柄にもなく緊張した面持で、身なりを整え、準正装で面会に臨む。実の父親相手とはいえ、あれでも対外的には太上皇帝という身分を持つ相手だ。

 二人の護衛と、付き添いの文官としてオルウィスを連れ、父レオンセルクの居室へと向かう。護衛はもちろん、オルウィスでさえもどういった主旨の面会か知らぬままで、伺うような視線を後方から感じる。

 説明が足りない、とよく注意を受けるがそういう場合、エヴァンシーク自身よく知らないことが多い。エヴァンシークの態度のせいか、それに気づく者はあまりいない。付き合いの長さからいえばオルウィスはそういった主人の傾向に気づいているかもしれなかったが、言質を取るまで確信を抱かないようにしているらしい。

 言質も何も、エヴァンシークは自分がなぜレオンセルクに呼び出されたのか知らなかったのだけれど。


 居室を守る騎士に取り次ぎ、無防備に顔を出したレオンセルクに、目を眇める。エヴァンシークよりも背の低いレオンセルクが、その視線を受けて少し後ろめたそうに身をよじった。中へ招き入れるのかと思っていたら、促されたのは隣の居室だった。

 山ほどいるんだから、来客には侍女か側仕えか護衛を使うべきだと忠告するべきだろうか。と考えていると、


「……会わせないといけない、人がいるんだ」


 目線も合わせずレオンセルクがそう言った。隣の居室の扉を自ら開け、中へと促す。すぐに足は向かなかった。エヴァンシークもこの城の主人として、レオンセルクが匿う誰かの存在は知っていた。その正体も、おそらく、レオンセルクの最愛であることまでは。


 それが、どこの何者かは、いまだにつかめないままだった。


 今日の面会が、その相手を紹介したい、ということなら、どういった気持ちで臨めばいいだろう。一度、目を閉じて、息を吐く。何もかも、レオンセルクの真意を聞いてから判断すべきことだ。少なくとも、最愛の妃ウィリアローナならそう言うだろう。


 次の間から居間へ案内される。護衛も含め、連れはすべて次の間で止められた。居間へはレオンセルクとエヴァンシークが進み、数人の侍女に見守られながらさらにその奥の寝室の扉の前へ立った。

 隣に立つレオンセルクの顔を盗み見る。ひどく思いつめた顔をしていて、視線に気づいたのか、ハッとエヴァンシークを見上げてきた。何を言うのか口が変に動き、けれど何も言わずに閉ざす。


「……あなたから、こんな風に呼ばれると思っていなかったから、驚いた」


 張りつめた緊張の糸をなんとかしたくて、つい、そんなことを口にしていた。レオンセルクが一つ間をおいて、苦笑を浮かべる。


「思ったよりもずっと早い日程に決まったから、私たちは慌てたけどね」


「……あなたの、気が変わらないうちにと思ったんだ」


 忙しいと聞いていたのにねぇ、と、そう言う表情は先ほどと比べて随分柔らかだったせいで、つい口が滑った。こちらを見るレオンセルクの目が大きく見開かれて、居心地が悪くなる。


「こんな風に呼ばれることなど、一度もなかっただろう……。重要なことかと」


 言い方が、どこか子どもの言い訳じみていて、さらに居たたまれなくなる。隣を横目で見れば、亜麻色の髪の隙間から、とろりとした不思議な色の瞳がじっと見つめていた。

 真正面から見れないまま、様子を伺っていると、見つめあって少しして、ゆっくりとその瞳が笑みに変わる。


「そっか。そうだね。大事なことだよ」


 うん、とレオンセルクは頷いた。


「とても後ろめたくて、言い訳をこの先一生かけてしていくだろうけれど、でも、会ってもらうなら今しかないんだよ。今会ってもらわないと、一生後悔するだろうから」


 そう言って、レオンセルクは扉を叩いた。扉は中から開けられて、レオンセルクとエヴァンシークは二人で足を踏み入れる。


 窓が開け放たれたその部屋は、花の香りが、した。




 そこには、寝台が一つあった。

 体を起こし、もたれるようにして1人の女性がこちらをじっと見つめている。


 思いがけない若さの女性に、思わずレオンセルクを振り返る。反射的に口を開いたが、何かを言う前に涼やかな声に遮られた。


「わけあって、こんな姿をしている。驚くのも無理はないよ」


 女性らしくない口調で、けれど柔らかな声にレオンセルクへの勢いが削がれた。そっと女性へ視線を戻すと、彼女の深い青の瞳と目が合う。心底嬉しそうに、女性は優しく微笑んだ。


「エルアンセルク」


 誰の名だろうか、と訝しむ。レオンセルクと随分似た音だと問いを口にする前に、女性は口ずさむように続けた。


「【エレオリアと、レオンセルクの息子】というつもりで、あたしが考え」


 深い青の瞳が、レオンセルクを示す。


「レオンセルクが決めた名前が、エヴァンシーク」


 今までふわふわとしていた何かが、腹の奥底で形になっていく気がした。


「お前の誕生を願い、祝い、最初の贈り物をした一人。血縁者なのだと、あたしのことを知ってくれればそれだけで嬉しい」


 微笑むその眼差しは優しかった。優しくて、それでいて押し付けがましくなくて、まるで、今にも消えるつもりかのような。

 女性の言葉を何度も反芻して、目を閉じる。自分の存在、どこか、地に足がついていなかったような感覚。皇帝になるために生まれ、育ち、皇帝になるしかなかった自分。そう定義していた自分の存在が、やっと、どこか、一人の人間として望まれて、誕生したのだと実感した。


 何か、言わなくてはと気が急いた。


「……すぐに、あなたのことを、母と呼び慕うことはできないかもしれないが」


 虚をつかれたかのように、女性はまたたいた。見開かれた深い青の瞳が、深海のようだな、と場違いにもエヴァンシーク思う。何処かで見た色だな、とも。


「産んでくれて、ありがとう」


 恥ずかしがるように女性は目をそらし、あー、だとか、うーだとか唸る。黙って見守っていると一度その白い手で自身の頰を抑えた。


「お前があたしを母だと慕うことに時間がかかるように、あたしもお前が自分の息子だと実感することに時間がかかりそうなんだ。なにせ、最後に見たのは、一歳の誕生日を祝う前だったから。あの子が成長してこうなったのか、という感動はあるけれど…」


 ううん。難しいな、と女性は唸る。


「そう言ってもらえて嬉しい。こちらこそ、元気に育ってくれてありがとう。立派な皇帝になり、夫となったと聞いている」


 まぁ、だから、と気を取り直すように、エヴァンシークの隣を示した。


「そこで、今にも泣きそうな父親にも、何か言ってやってくれ


 隣で、エヴァンシークからも女性からも顔を背けて微動だにしないレオンセルクの姿に、なんだか呆れてしまった。


 何か声をかけようとするけれど、何も思いつかず助けを乞うように女性を振り返った。視線を受けて、女性はにやにやとした顔で、レオンセルクをなじった。


「エヴァンが困っているぞ」


「……今はちょっと待って」


 消え入りそうな声で頑なに顔を見せないレオンセルクを諦めて、女性は肩をすくめてみせた。

 エヴァンシークは小さく笑う。

 初めて出会うようなものなのに、気安い空気のおかげか心が軽い。ウィリアローナもここにいればいいのに、と思ってしまった。


「母と呼びにくければ、あたしのことはエレオリア、と呼ぶといい。お前はこの国の皇帝陛下なんだから」


 気安い提案に、思わず頷いた。


「エレオリア、…様」


 口にした、その響きに頭の奥で何かがカチリとハマる。知らず立ち上がり、椅子が音を立てた。


 見つめる先のエレオリアの目が、見開かれていくのがわかる。驚愕の顔をしているのは、きっと、エヴァンシークの方だ。エレオリアはまた、諦めたような顔をした。


「あなたが、【エレオリア】なのか?」


 そんな顔をさせたかったわけはないのに、疑問は口を突いて出た。思わず傍のレオンセルクの肩を掴んで、部屋を出て話そうと思うのに、他ならぬエレオリア自身に制止される。


「神聖王国セレス領フェンディス伯爵が第三子。エレオリア・アジェンヌ・フェンディス」


 それが、あたしの正体だよ、と、エレオリアは笑う。

 さぁ、と、艶やかな貴族の顔をして、手を差し伸べた。


「ヴェニエール帝国の若き皇帝、エヴァンシーク。あたしを今後どうするか、お前は考えなくてはならない。情が移る前に決めるといい。皇帝として、帝国に一番良い道を選びなさい」


 あたしがここにいる経緯を、全て話そう。

 そう言って、エレオリアは話し始めた。全てに期待された神聖王国王太子の話から、エレオリアの病気のこと、破棄された婚約のこと。(つい)住処(すみか)としてやってきた冬の大国(ヴェニエール)。そこで出会ったレオンセルク。城に招かれ病を治すために、故郷に偽りの死を知らせたこと。やがてエヴァンシークを産み、そして、神様の力によって眠りについたこと。


 全てを話し終えたエレオリアはぐったりと寝台に体を沈め、レオンセルクが体を浮かせる。心配そうに覗き込む姿に、エヴァンシークは苛立ちを隠さずに告げた。


「父のしたことは、愚かな詭弁で、欺瞞だろう」


 レオンセルクは言い逃れをしようともせず、笑う。そのとおりだね、と、なにも言い訳することなく。一生かけて言い訳していくのではなかったのか。逃れる道を探せというのに。


「清廉潔白な皇帝陛下として、なすべきことをするといい」


 レオンセルクは、エヴァンシークに全ての選択を任せたのだ。


「その評価は、私一人の力とは思っていない。仮に、もしそうであったなら、そういう皇帝であれたのは、きっと、祖父と父のしたことがあったからだ」


 ついムキになって言い返したけれど、レオンセルクは何も言わなかった。エヴァンシークの言いたいことが何も伝わっていないことがわかり、ため息をつく。近頃になってようやく、この父親は裏の言葉の読めない鈍感さを備えていることに気づいたけれど、今更どんな言葉を選べばいいかわからなかった。

 よくこれで皇帝を務めていたと、心底思う。


「当時、その欺瞞が必要だったとして、今更打つ手は限られる。事実を正直に告げ、リンクィンとシュヴァリエーン公爵夫人に、恩赦を請うか……」


「シュヴァリエーン公爵夫人……?」


「我が妻、ウィリアローナの養母。エレオリア様の実妹だ」


 わかっている、と寝台に沈んだまま、エレオリアは声だけ返した。


「……妹はともかく、公爵はそう簡単に懐柔できないぞ」


 彼こそ公明正大。義を持って神殿に対抗し、他国を牽制し、王室を守る神聖王国最大の守護者。その長子は騎士として武功を打ち立て、次男は外交をもってして他国との親交を深め、国外への働きかけに隙がない。長女は神聖王国王室に嫁ぐことが決まっていて、社交を行い国内へ影響力を持ちつつある。三男と四男はまだ学生の身ではあるが、それぞれ頭角を表しているという。そして、養子に引き取ったウィリアローナは帝国皇妃として春を呼んだ聖女だ。

 公爵夫人はかつての王太子妃候補で、公爵とは大恋愛の末愛の力によって結ばれたと国外にまで聞こえるほど。神聖王国筆頭貴族として、象徴のような家だ。


「けれど、エレオリア様をこのままひた隠すわけにはいかない。協議の上、落とし所を見つけるべきかと」


「今後、か……」


 レオンセルクが思いつめた顔で、エレオリアを見ていた。


「…………君達二人に、話さないといけないことがあるんだけど」


「悪いが、また今度にしてくれ。少し疲れた。もう、これ以上は……」


「エレオリア!」


 レオンセルクの言葉を遮るように、エレオリアが弱々しく告げる。すぅ、と閉じられた瞳に、レオンセルクが寝台へ駆け寄った。


「ばかだな。ただ、もう、ねむくて……」


 すぅ、と眠りに落ちたエレオリアに、レオンセルクがほっと息を吐く。膝をついて、寝台に突っ伏した。それを見ていて、エヴァンシークはただ、思い知る。父は、母のことを、大切にしているのだと。


「まだ、時間はあるかい」


 レオンセルクの問いに、エヴァンシークは頷いた。





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