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20.窓辺に降り積もる雪を見て


 しんしんと、雪が降り積もる。

 春の女神に愛された、ウィリアローナ姫がやって来て、永遠の冬は終わったはずなのに。


「ここにきて、春がこないのはなぜ」


 高い位置にある窓を見上げ、見える雪空をネリィはいぶかしんだ。ここに軟禁されて、しばらく経つが出られる気配はない。しびれを切らしたエレオリアは、紙とインク、資料を持ち込めるよう命じて、可能な範囲での研究をひとり続けていた。


(話し相手もいないから考察も行き詰まりがちだし、実験もできないから仮説に仮説を重ねるしかなくて、とてもどこかに発表できるようなものじゃないけれど)


 手慰み、暇つぶしでしかないけれど、なにもしないよりマシだった。

 ため息交じりに、笑ってみせる。


「一生このままだというのなら、いっそこのままここを研究室に模様替えしてもいいかもしれませんね。数少ない研究員志望の女性を探して、集めて……」

 

「……元気そうで安心しました」


 ネリィが振り返ると、合図の音はなかったのに、扉を少し開いた向こう側に、赤髪の優男が立っていた。勝手に開けたのか、とムッとしていると、ひらひらと手を振られる。

 その無害そうな顔に毒気を抜かれて、ネリィはふぅ、と息を吐いた。側に控えている侍女に合図をし、長椅子へ案内させる。また別の侍女が、お茶の用意をするためか部屋を出ていった。

 部屋に入って来た赤髪の優男、名をオルウィスというらしいが、ネリィがその名を口にすることはなかった。なんだか、一度懐に入れてしまえばいっきにほだされそうな、そんな危うさのある男なのだ。

 最年少議員、オルウィス。敏腕の文官であり、手駒の少ないエヴァンシーク皇帝の片腕。北方所領の代表を務める、辺境伯爵家の長男にして跡取り。歳はエヴァンシーク皇帝よりも二歳下の二十二歳。

 十代半ばには、もうあちこちの家で実務を学んでいたというのだから、両親はなにを考えて育てているのかと呆れる。


「ずっとここにいることにはなりませんよ。少なくとも、ハイマールの復興を目論む過激派、その首謀者が拘束されたので、ネリィ様の身の上はまた変わってくると思います」


 その言葉に、きょとんと瞬きを返す。なんだか、すごいことを言われた気がする。


「捕まったんですか? 首謀者が?」


「ええ」


「それ、わたくしに言ってもよろしいのですか?」


「問題ありませんよ。首謀者が誰だったか、知りたいですか?」


「……聞いてもいいんですか?」


 問いかけてばかりですね、とオルウィスは苦笑した。

 ちょうどお茶の準備を整えた侍女が戻り、卓に並べられていく。

 茶菓子と軽食も所狭しと並べられ、あぁ、こういうものをつまむお茶の時間か、と察する。この国はお茶の時間とその内容によって大体の時間がわかるのだけれど、長く研究職だったネリィはいまだに馴染めていなかった。

 真っ先に軽食を口にするオルウィスは、咀嚼を終えてから問いに答えた。


「多分、あなたはご存知ですよ。身近に、あなた自身がハイマール人だと知っていた人はいませんでしたか? それを、わざわざあなたに告げた人は」


 言われて、瞬きを返す。目を伏せ、口元を押さえ、ネリィは自分の記憶を探った。ひっかかりを手繰り寄せるようにして、遠い記憶を呼び起こす。


『君がネリィくんかい』


『帝都は、帝国が支配した国のうち、有能な人たちがごった煮で働いていてね、研究所も例外じゃない。元ハイマール人も普通に、平和に過ごしているから、安心するといい』


 ハイマール人だ、と言われたわけではない。けれど、ハイマール人でない人に向かって、そんな言い方をするだろうか。


『君を、帝都の研究室配属に推薦する。女性研究員はまだ数が少ないので、苦労もあるかと思うが、その時は必ず便宜を図るので』


 がんばってきたまえ、とそういった。その人は。


「研究室を総括してた、文官、が……そうでしたけど」


「城の奥にこもりっぱなしだったレオンセルク陛下が城を出て、研究室を持った。元王女のエレオノーラ様が研究室にくることになって、二人が接触のしやすい存在になった。これが、事の発端だそうだよ」



 城勤めの他国人は、その身の上や思想をあらかじめ厳しく確認される。数ヶ月に一度の軍の医務官による問診で偏った思想がないか経過観察もある。

 それでも、今回の彼の行動は見抜けなかったらしいので、今後の対策も考えられている。


「わたくしを祭り上げても、ヘルクス博士……、レオンセルク陛下を害しても、エヴァンシーク皇帝陛下を脅しても、城も焼き払われ、王族も死に絶えた、かつてのハイマールが返ってくるわけはないのに」


 馬鹿な人ですね。


 そう口にしたネリィを、オルウィルはハッとして見つめ、少しの沈黙ののち、優しい顔をした。


「思ってもないことを、言わないほうがいいですよ」


 ただ首を振るだけだ。そんな風に言い捨てなければやっていられない。誰も頼んでない。ネリィは何にも、頼んでいないのだ。ただ、平穏な日々を送れればそれで良かったのに。

 こんなことになってしまえば、これから先、今までのような暮らしは送れないとわかっていた。

 オルウィスが真面目な表情に改めて、居住まいを正した時、覚悟を決めた。ネリィも自然顔を引き締め、背筋を伸ばす。


「これは、まだ内々の話ですが」


「はい」


「議会では、エレオノーラ様の婚姻を進言する声が一部で出ています」


 そうだろうと思っていた。それがまともな考え方の一つだし、どこかの屋敷に奥方だとか第二夫人としてだとか後妻としてだとか、とにかく閉じ込め、監視するのが何よりも手っ取り早い。

 それでも、こんな話をこんな形で、オルウィス個人から聞くということは。


「……あなたと?」


「まさか! あぁいや、すみません。これでも俺、婚約中の身でして」


 ギョッとしたようにオルウィスは手を振った。近々結婚を控えている身で第二夫人をとるわけはない、ということだ。いかにも優男、女性にまんべんなく優しげな雰囲気なので、決まった相手がいるというのが意外だった。

 ネリィがそう思っているのが表情から伝わったのか、聞いてもいないことをペラペラと喋り出す。


「いや婚約してから一年ほど経つものの、あれこれと忙しく、向こうも地方領主のご令嬢ということでなかなか会うこともできないまま、そろそろ愛想をつかされてもおかしくないという現状ではあるのですが」


 エレオノーラ様と俺の結婚は、ないです。と、強く念を押された。わかりましたよ、とネリィがパタパタと手を振ると、ほっとしたように胸をなでおろされる。なんだか失礼な男だった。


「皇帝陛下、上皇陛下、お二人のお考えはまだわかりませんが、実際、エレオノーラ様は政略結婚をいかがお考えです?」


「つくづく変わった人ですね。それ、わたくしに聞く必要がありますか? 否やの権利が?」


「あのお二人の性格上、おそらくあなたの意思を無視した婚姻は進めないかと思いまして。先に聞いておきます」


 やけにハキハキと答えるのが腹立たしい。なぜ年下の男にこんなにも繊細な事情をズケズケと聞かれねばならないのだろうか。

 この人は多分、ネリィに敬意など微塵もない。


「この歳で夢を見ていません。贅沢が許されるなら、研究できる環境を維持していただけると幸いです。干渉してこない方だとなお良いです。……自分の状況を省みて、拒否ができるとも思っていません」


 オルウィスの顔は見なかった。もういいでしょうか、お引き取りください、と告げる。きっとおそらく、こうしてネリィの反応を見るのが役目だったのだろうから。

 ネリィの拒絶を受けて、オルウィスは立ち上がった。気まずげにその場で頭をかいて、困ったように息を吐く。


「そんなこと、言ってもいいんですか、って何度か聞いてきましたよね」


 それが? と口にしないまま、ちらりとその顔を仰ぎ見た。


「すべて、あなたの反応を見るためなので、良いんですよ」


 目があうや否や、にっこりとする。あぁいやだ。自分の顔の良さをわかっていて、なおかつ武器にしてやってきた男の態度だった。


「それも、言って良いんですか?」


 良いんですよ、と笑った。ネリィの心中を探るための人選だとしたら、完全に趣味が悪いと思った。レオンセルクも皇帝陛下も、オルウィスに指示した風ではなかったので、かといって、独断でわざわざネリィの元へ来るような人ではないだろう。

 宰相閣下あたりが采配を振るったのだろう。あの人もいけすかない人だった。


(こんなふうに、人にケチつけれるほど立派な人間でもありませんけど。わたくし)


 そっぽを向いているネリィの前で、まだオルウィスは立っている。上から見下ろして、何を思うのだろう。


「オルウィス様」


 廊下の方から、オルウィスを呼ぶ声がした。慌てた様子の声で、今にも駆け込まんとするようでだっため、侍女がこちらに目配せをしたのち扉を開ける。

 やってきたのはオルウィスと同年代の侍従だった。ネリィのきつい視線に出会うと、ひるんだようにたたらを踏むが、すぐにオルウィスを見上げて退室を促す。

 略式の挨拶をしてきたけれど、それに対しネリィは返事をしなかった。オルウィスが困った子供を見るような目で、部屋を出て行く。

 出て行くと直前、わずかに、侍従の青年のささやきが聞こえた。




『ウィリアローナ姫が、急変しました』




 部屋についている侍女二人も、彼らが去って言った方を見つめたまま固まっている。それに対し、ネリィが気遣うこともなかった。取り残されて、気を許せる相手もいないまま。


「……冬の大帝国に、逆戻りってこと?」


 っは、と思わず吐き捨てるよう口にしていた。いや、言わずにはいられなかった、そんなはずはない、と誰かに否定して欲しくて。




 その場の誰も、否定できる根拠など持ち合わせていないのは知っていたのに。





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