19.春の議会
文官の異動を指示し、執務に励み、各部署に大小ある不正を解きほぐして。
なんだか、レオンセルクは想像よりもずっと自由に、過ごしていた。
(もっとずっと前に、こうしておくべきだったんだ)
今と昔では、周囲の状況が許さなかった。わかっているけれど、そう思わずにはいられなかった。敵ばかりで、味方もいなくて、弱点を抱えたまま、表でこんな風に生きていくことなど。
「おうさま、なんだか、本当の先帝陛下みたいですよ」
スタシアが暢気な顔でそんなことを言うので、レオンセルクは笑ってしまった。「先帝陛下なんだよ。こんなでもね」と言うのに、スタシアはむ、と顔を不満げにする。
「おうさまは、お医者様の方が似合ってましたよ」
口を尖らせ拗ねた様子のスタシアが珍しく、レオンセルクはくつくつと笑う。「ありがとう」と言って、書類に目を落とす。周囲で同様に働く文官たちは、黙々と職務に励んでいた。
「本当に、ここでこうしてお仕事をして、春の議会というのに同席して、おうさまの望みは叶うんです? なにをどうすれば、ネリィさんを救えると?」
「もう台本はできてるんだ。大きく間違わなければ、大丈夫」
「台本……?」
「春の議会っていうのはね、あらかじめほとんどの内容が決まってるんだよ」
「あらかじめ、とは。始まる前にってことですか?」
「そう。あらかじめ、議題を公表して、それぞれが考え、意見を出し合う。根回しをして、意見を揃えて、それらをより集めて、答えを出しておく」
「と、いうと……、お芝居、ということですか?」
「そうとも言えるね。その台本を披露した上で、保管しておかなくてはいけない」
だから、かつてレオンセルクは後宮から出ることなく政治の手綱を握っていられた。皇帝の言葉携える、代理を立てれば良かったので。
冷静に話し合えず、場を乱す者はそもそもレオンセルクの父によって排除されていたし、議会での発言は都度文書として提出され、打ち合わせにない発言は、その補足や間に合わなかった情報をねじ込みたい場合に限られる。そう言った発言でその場の結論が覆ることはないし、滅多にないが精査された上で翌日以降の議会に持ち越されることもある。
「大変な、会議なんですね」
「まぁ、エヴァンシークが数年まともに働いて、北方貴族との関係はいいという話だけど。どうかなぁ。若き皇帝エヴァンシークに歩み寄ろうとはるばるやって来て、いるのが悪の先帝レオンセルクだと知った時、彼らの心情がどう傾くのか。おまけにこの天気。何を言われるかわかったものじゃないな」
数日前に降り出した雪に、城も城下も不安に揺れている。ウィリアローナ姫の身に何かあったのでは、エヴァンシークはどこに行ってしまったのか。残念ながら、レオンセルクは答えを持っていない。オルウィスや宰相なら知っているかもしれないが、やって来る人々はそんなこと知らない。きっと、問いかけは議会へ同席するレオンセルクへと集中するだろう。聞かれても答えないレオンセルクを、人がどう見るのか。
考えるだけで憂鬱だった。執務をこなしつつも誰が知っていてどう対策を頼むべきか、できればあの若い宰相には頼りたくないな、と考えつつ、やはりなにか嘘でも建前として答えを用意しておくべきかな、と思考していると、出し抜けにスタシアが口を開いた。
「そういえば、おうさまと、今のへーか。それ以外だと、誰がこの国の王様になれるんでしょう」
思わず、手を止めて書面から顔を上げた。
ふと、執務室内の光景が見えて、黙々と働いていた文官たちの手が一瞬止まったのが見える。思わず吹き出した。
「それがねぇ、いないんだよ」
くつくつと、肩をすくめる。レオンセルクの兄弟姉妹は数多いが、レオンセルクが皇位を継いだ時、その継承権は全て剥奪された。
はるか南の古王国に、姉だか妹が嫁いでいるが、他は把握できていない。もともと興味がなかったのだ。知っていたとしても権利がない。再び議会にかけ、再考しなければならないだろう。
「だから、この大国は今、あらゆる意味でウィリアローナ姫にかけてるんだ」
あの少女の、小さな肩にハリボテで踏みとどまっている大国の全てがかかっている。かつてはレオンセルクが、そしてエヴァンシークが背負っていたものの全てが、ウィリアローナ姫に。
彼女が、この国に、そこまでする理由などはあるのだろうか。
『わたしは、選んだのです』
いつか響いた言葉に、息を吐く。彼女のことを勝手に心配するふりをして、見積もって、侮るのはやめよう。
心配ないよと、スタシアに笑いかけた。
この国は強い。それは、数百年の冬を乗り越えた事実が証明している。
皇族としての自覚もなく20年以上もの間引きこもって生きてきたレオンセルクが、やっとそんな風に思えるまでになっていた。
レオンセルクが今更力になれることなどなく、その必要もなく。それなら、レオンセルクは悪の先代皇帝らしく、好きに生きることができる。
雪が降り止まぬ帝国皇都で、春の議会が始まった。
集まった北方諸侯、北の領地の辺境伯爵が雪に足を取られて間に合っていないが、彼の地の議題を後回しに、皇都駐在の代官を立て、議会は進む。
宰相を軸に、様々な話し合いが行われ、決まりに則り話がまとまっていった。この場のレオンセルクはただの置物で、ただ宰相の背後にいるだけの存在だ。会議が始まる際に挨拶をし、好奇の視線にさらされる。意外なことに、憎悪に似た感情を向けられることはなかった。さすがに民の信頼厚く、人格者の揃う北方諸侯にこんな場で感情をあらわにするものはいないらしい。
治水工事や食糧問題、街道の整備、孤児の扱い。そのどれもがこの国の行く末を左右する重要事項で、けれど、その場の誰もが頭を痛めているのは、まだ顔を見せない辺境伯爵が受け持つ、最北の山々を根城にする異民族の存在だった。
その山より先に、地図はない。その山を越え、戻ってきたものはいないからだ。
山々が広がる先に、峻険な天へ届く数々の氷の大岩が連なる。その向こうに、人の住める土地はないと伝わっている。
その手前、山あいに暮らす異民族と、帝国は長くにらみ合いを続けている。明確に敵対しているわけではないが、友好関係を結べているわけでもない。
単なる北の領主の一つだった伯爵家だったが、異民族の存在が知れるにつれ、彼らが帝国の領地に無断で入り込み、悪さをしないよう騎士団をもつために地位を賜り辺境伯となった。一族は、勤めを忘れず日々異民族との交渉を進めているが、その現状報告をすることも今回の主題の一つだった。辺境伯の報告する現状次第で、場合によっては、戦が決まることもあるだろう。
数日かけて会議は進み、限られた日数の限界になっても、辺境伯は現れない。そろそろ来なければ、満足に話し合いがこなせないであろう頃合いだった。
「北のお方がお見えです」
取次の文官からの連絡に、宰相フォルトナが頷き、発言する。
北の辺境伯爵の到着に、ちょうど良かったとレオンセルクは安堵の息をついた。このまま会議に間に合わなければどうしようかと心配していたのだ。宰相の声で会議室の扉が開かれる。
「遅くなり大変申し訳ありません」
涼やかな声が、耳を打つ。
北の辺境伯は、代々北の領地をとりまとめる武に秀でた御仁だったはず。レオンセルクよりもいくつか年上で、北方領地のまとめ役のような存在だ。だというのに。
「君は」
床をこする衣裳の裾、結い上げられた豊かな栗色の髪。紅のひかれた唇は、弧を描いてた。
優雅に貴族の礼をして、現れたルティーカは首を垂れる。
「辺境伯の名代としてまいりました」
「……ルティーカ」
「おや、ルティーカ様」
「またですか。あなたもお忙しい身というのに」
「辺境伯爵は人使いが荒い」
「お邪魔して申し訳ありません。今回も、お手柔らかにお願いいたしますね」
レオンセルクのつぶやきは彼女へ届かなかったらしい。ちらりとも見ないまま、挨拶を口にしている。北の領主たちは、辺境伯の代理を務める彼女になれているのか、親しげに言葉を交わしていた。レオンセルクがぽかんとしているうちに、議会は進んでいき、辺境伯爵の到着を待っていた議案についても話がまとまっていく。
そうして最後に、それでは、と宰相がレオンセルクを振り返った。
「あらかじめ大体の状況は伝えてありますが、ハイマールに関わる件について、先代の皇帝であるレオンセルク上皇陛下より皆様へ依頼がございます」
「あぁ、あの、ハイマールからかつて預かっていた元王女」
「陛下が、ハイマール復興派に害されようという中」
「その、旗頭になりうる元王女がエヴァンシーク皇帝陛下に軟禁されたというのを」
「自由の身にしたい、と?」
それぞれが言葉を繋げるようにして、レオンセルクへと視線を向けて来る。目配せをしあい、ときにはため息さえついて見せて。そうして最後は、全員がルティーカの方を向いた。
栗色の髪の貴婦人は、にっこりとして、
「その件については、辺境伯爵本人とも意見の交換が済んでおります。わたくしども夫婦は、レオンセルク上皇陛下のお望みを叶えて差し上げたいと存じますわ」
「え」
まさか受け入れてもらえるとは思っていなかったレオンセルクは、伏せがちだった顔を上げ、ルティーカを見つめる。北方領主からはうめき声などのどよめきが上がった。
「あぁ」
「あなた方はそういう人たちですよ」
「より困難な方をお選びになる。異民族の対話もそうだ。攻め込み武力に物を言わせることだってできただろうに」
ほほほとルティーカはいつの間にかもっていた扇を開いて、口元を隠した。上品な貴婦人の仕草のひとつのはずなのに、なぜだろう。こらえきれない満面の笑みを隠すためだけに出しているような気がする。
「力づくがお好みですか? 血の気の多いこと。対話の余地があるのでしたら、こちらから武力を持って制するのは愚策ですわ。対話の席さえ作れるのであれば、」
目元だけしか見えないけれど、ルティーカの笑みが深くなった気がした。
「細く長く、より大きな利益にするのが、基本というもの」
そんな貴族の基本は知らない、とレオンセルクが北方領主を見渡すと、何人かが片手で顔を覆っていた。ルティーカの淑女あるまじき不穏な発言は、彼らにとってもあまりなじみのない文脈のようだった。
だれかが、呻くようにして指摘する。
「それは、ご実家の商会がもたらした商人の基本だろう……」
何か言いまして? と、ルティーカは扇をパチンと閉じた。
「さて、話を進めましょう。レオンセルク上皇陛下」
何事もなかったかのようにルティーカはぽん、と静かに手を合わせ、レオンセルクに向き直った。
「亡国とはいえ王家の血筋、不穏の種、敵対勢力。それらを自陣に引き込みたい場合、王道とも言える手段がありますが、ご存知?」
レオンセルクの瞳を覗き込み、ルティーカはぱちぱちと瞬きする。
「よくあることです。政略結婚、というのがその一つですわ」
身内にし、地位を与え、その身の上を保証する。
表情の消えたレオンセルクを顔を伺いつつも、ルティーカはにっこりとして、ひとつ手をたたいた。
「元ハイマール王女レオノーラ、現在28歳。縁談を考えるには遅すぎるといえますが、手遅れで打つ手なしとまでは申しません」
いたずらっぽく笑う目元で、畳み掛けるようにして、ルティーカはその紅を引いた唇で、囁いた。
「ご決断くださいませ、上皇陛下」




