暗転.襲撃事件の後《エヴァンシーク》
レオンセルクが刺された直後です。
『エレオリア』
そう、呼ばれたのだろうか。
「エヴァンシーク陛下」
赤髪の最年少議員、オルウィスが書類を片手に部屋に入ってきた。前触れがあったはずだが、気づかなかった。驚いたことを悟られぬよう、咳払いをしながら手を伸ばし、書類を受け取る。
「先帝陛下の容体、ひとまず安定いたしました。襲撃者の背後の調査は進めています」
そうか、と一言、つぶやくようにして返した。
明け方の執務室で、数時間後の朝議に必要な書類を片付ける。ここにいるのはオルウィスと護衛、そして物好きな侍従と文官たちだ。護衛はともかく侍従や文官にはもう休んでいいと指示しているのに、もうしばしお付き合いしますと言って聞かない。
エヴァンシークの仕事を把握して、朝議をつつがなく進行するのが役目なのだそうだ。使える主人以上に物事を把握し、やり手の議員からの追求に、やり返せなければエヴァンシークの恥になるというので。
(文官というのは、すごいな)
素直に感心していた。エヴァンシークはもともと武よりの皇帝であるために、騎士団や軍と心理的な距離が近しい。文官はいま、オルウィスや宰相フォルトナが手配した人員と、前宰相が残してくれた人員で回している。
正直に言って、執務の人手は足りない。
(オルウィスがきた当時に比べると、だいぶマシにはなったんだが)
書類の山が崩れて圧死する可能性さえあった、あの頃。
「お疲れですか」
そう言葉とともに、香草茶が目の前に置かれた。エリだ。
「神出鬼没だな」
「窓が開いてましたよ。先帝陛下が刺された直後にこれは、無用心では?」
「護衛が立っている……。いや待て、お前はなぜ入ってこれたんだ」
「ざるだからじゃないですか?」
黒を基調とした隠密の服を身にまとい、襟巻きに顔を半分埋めながら「警備が」と付け足して、ニンマリとその顔は笑った。
今、エリはエヴァンシークのそばに居られる立場にない。長年そばに仕え、護り、時に決意を鈍らせ、時に背中を押した腹心は昨年、任を解かれ城を出たはずだった。しでかしたことの責任を取ると、自ら宰相に直接掛け合ったらしい。
ほんの数ヶ月前に戻ってきては、誰かの指示で動いているらしく、余計なことをして居るのではないか、見ていて腹立たしい。エリはエヴァンシークの味方だったはずだが、最近は、違う思惑で動いている気がしてならなかった。
「……」
エリを前にすると、つい本音が出そうになる。弱音ともいうかもしれない。不安や、迷いを、際限なく口にしそうになる。オルウィスをはじめとする何人もの側近がいるこの場では、ありえないことであったけれど。
父の、血だまりに倒れる姿に動揺している自覚があった。
父親として振舞われたこともなければ、そんな未来見えもしないし、父と呼ぶことも今後あり得ないだろう。それでも、エヴァンシークにとってレオンセルクは間違いなく父であったのだ。そう、気づいていなかった自身の感情を突きつけられた。
ただ、近頃思うことがある。ウィリアローナに何度となくレオンセルクとの関係を修復してはどうかと促され、それを拒絶し、最愛と衝突してきた中で、ぼんやりとしていた輪郭がはっきりしてきたような。
父は、才覚は申し分なかったのだろう。研究者として、文官として、人を統べ動かす才覚が。もしくは、その才能を持った人間を味方にする力が。けれどその性格や、感情、在り方が、皇帝という地位に全く向いて居なかったのでは、と思うようになった。
皇位を継承するとき、王冠を掲げるその手が、震えて居たような気がするのだ。
顔を合わせて、言葉を交わすたび、痛みに耐える表情をしている気がするのだ。
あの人の中の、何があんなにも、あの人自身を追い詰めているのだろう。
救えるとは思わない。理解したいとも思わない。ただ、いつか、知ることができるのだろうかとふとした時に思う。ならば、そのいつかのために、外敵を徹底的に排除すると決めて居た。
決めて、いたのに。
「……守れなかった」
エリにしか聞こえない声量で、気づけばつぶやいていた。聞き取ったエリはハッとして、困った顔をして、目を伏せる。エリがいればよかったのにと、今日何度思ったかしれない。けれどエリは今エヴァンシークの手駒でなく、エリ自身はなにか別の任を負っていて、……そうやって、仕方がなかったのだと思える理由を探している。
単純に、エヴァンシークの皇帝としての力が足りなかっただけだ。
「へーか、今日はもう休んでくださいな」
柔らかい口調で、エリがいう。この数時間で何度聞いた言葉だろう。かまわない、と一蹴してそのまま手の止まっていた仕事を再開すれば、
「ウィリアローナ姫をおつれしますよ」
などと脅すように、最愛の名を出す。苦笑しながら首を振った。やってきた春と、変わらず雪深い冬、それぞれの対策に仕事が山積みなのは変わらないのだ。寝付ける気がしないので今こうして仕事をしているけれど、やらなくていいことを無理にしているわけでもない。それに、
「……あのお方に比べれば、なんてことない仕事量だ」
つい、口にしてしまった。そのことに自分自身がどきりとする。
もう、城にいない、だれもその存在を口にしない人のことを、なんとなしに口にしてしまった。さすがに意表を突かれたのか、エリも黙ってしまう。たしかに、あの人の仕事量を引き合いに出すのは、ずるかったかもしれない。
「……いつか、『皇妃様』の行方を知りたいと言えば、手を貸してくれるか」
身体を壊したのだときいている。無理を重ねて、激務をこなして、皇太子となったエヴァンシークのために、議会の腐敗をなんとか止めようと奮闘した果てに、とうとう身体を壊したのだと。……春がきた頃だったか、前宰相だか誰かの手引きで消えてしまった。
皇太子時代に戦へ駆り出されていた頃、時折戻った城で、執務に奮闘する皇妃の姿を覚えている。それを支える宰相を。限られた人数で、城の頂点を守るため我欲を捨てて執務机に向かう姿を。
今でも、その姿は、エヴァンシークの目標だった。
そんなエヴァンシークの申し出に、エリは、最後まで返事をしなかった。




