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冬の帝国 黎明期 ⑤


 ロルフが何かを差し出して、それを拒む姫さまの姿。

 その状況に気がついて、二人を引き離すべきか悩んでいるうちに、事態は取り返しのつかないところに行き着いてしまった。


「姫さま!」


 拒んでいたはずの何かを、とうとう姫さまが受け取りそれを口に含むまでに、止めるほどの時間もなかった。

 対面に座るロルフさまはにこやかな顔をしていて、ハガテと二人、部屋に戻った私は、様子のおかしい姫さまのそばに、すがりつくように膝をおる。何かを口に含んで、一瞬。息を詰まらせた姫さまは、私が駆け寄ると同時に、崩れるように私の腕に倒れこんで来た。荒い息で、目を閉じて、呼びかけにも答えてくれない。女神様である姫様のこんな姿を見るのは初めてだった。

「何をしたの」

 思わず、姫さまを固く抱きしめ、言葉でロルフに詰め寄った。凶悪な顔になっている自覚があるのに、ロルフの表情は変わらない。それどころか、高揚を抑えきらない様子に、薄気味悪さを感じる。

「春の女神、その長年の悲願を叶えて差し上げたのです」

 ロルフは囁く。その、ささやきに秘められた熱量に、私は怯んだ。にこやかに見えていた表情が、徐々に徐々に上気していく。はは、と響いた声は短かった。

 激しくはないのに、狂気の滲む声でささやく。


「これで、全ては私のものだ」


 その刹那、ロルフは立ち上がり、堪え切れない歓喜の叫びをあげた。


 狂ったような高笑いを、私は呆然と聞いている。ハガテがどういう反応をしているかも見えない。すぐ横にいるはずなのに、ロルフが現した狂気から、目が離せなかった。

 なんのために、何をしたのか。なにもわからなかった。ただ愕然と、信じるべき相手ではなかったことだけを強く感じとる。ロルフの哄笑が響く中、私はやっとハガテを振り返った。

 腕に覚えのある、女神の筆頭騎士だった人でさえ、目を瞠り自身がここまで連れてきたその人を、警戒心もあらわに凝視している。ロルフへ視線を戻し、眉をひそめる。


「何をしたの」


 私の問いが届いたのか、それともただそのことについて喋りたかっただけなのか、ロルフがピタリと声を上げるのをやめて、私を見下ろした。姫様を抱きしめたまま、私は挑むようにロルフを睨みつける。

「言っただろう。女神の望みを叶えて差し上げた。これで、私が」

 そうして、信じられないことを、その人は言うのだ。

「私が、エレオラウファンだ」

「馬鹿なことを!」

 何を、言うのと私は返す言葉を持たず、弾けるように拒絶したのはハガテだった。

「あなたがエレオラウファンなものか。あのひとは、今」

「女神の望みを叶えた。エレオラウファンたる証は、それで十分なんですよ、ハガテ?」

 私の知らない言葉が交わされる。エレオラウファンである証? 一体、それは。そんな、誰にでもなれるものだったのなら、どうして、姫様はこんなにも長い間こんな場所に捉われなければならなかったのか。

「伝説に踊らされているだけですと再三申し上げたはずです。エレオラウファンは世にただ一人あるのみ。当代のエレオラウファン様は、今、城の奥に」

「あいつがエレオラウファンだなどと笑わせる! ならばなぜ、自分自身でここに来なかったのです。私を送り込まず。真にあいつがエレオラウファンだと言うのなら、その威光でここまでたどり着けたはずでは?」

 人が変わったかのようなロルフの物言いに、ハガテは言葉を詰まらせる。拳を握りしめ、憎しみを噛みしめるようにして、ロルフを睨む。

「あなたが、嵌めたのではないか。ただ王位を欲したあなたが、ただ、女神とまみえるために足掻いていたあの方を、言葉たくみに嵌めたのだ」

「不幸な行き違いですよ。言いがかりはよしてください。私は、この国の王となる資格を得たのですよ」

 無礼者、とロルフがせせら笑う。それに怯むハガテではなかった。声を荒げることなく、ただ強い口調で、ロルフを糾弾する。

 どちらの言葉が真実か、確かめるすべはない。私はただ、途方に暮れて二人の言い合いを聞いていた。

「あの方は不幸の行き違いとしか思っていなかったようだけれど、今確信を得た。あなたは、親切な顔をしてあの方に近づき、そうと知らせず故意に貶め、城に閉じ込め、出し抜いて、あの方が永遠にこの神殿へ、女神の元へたどり着けぬようにしたのだ」

 関係ありません、とロルフは笑う。

「神から人間へと生まれ変わり、人として目覚めたこの方に認められれば、何も関係はなくなるのですよ」


 認められるはずがない。


 私は姫様を抱きしめたまま、強く思った。姫様の待ち望んだたった一人が、こんな男のわけがない、と。確信を持って。


「じきに目覚めるはずです。飲み込んだあの石が、神の力に反応し心臓として動き始めるまで、そう時間はかからないでしょう」


 ロルフが姫様を見つめるその目は、会いたかった人を見る目でも、愛しい存在を見る目でもなかった。神殿の奥深くに、象徴として飾った人たちと何も変わらない。この人は、その言葉が本当なら、王となってその象徴として、傍に姫様を置くのだろう。

 嫌悪に全身に悪寒を感じながら、姫様の様子を伺う。まぶたのわずかな動きから、その言葉通り、目覚めが近いことがうかがえた。


「ん……」


 その閉じられた瞼がわずかに動き、瞬きしたと同時に、強烈な違和感を抱く。腕の中の女神が、ただの少女のように見えて、そのはずはないと、頭を振った。

「姫様……?」

「……わたくし、何が」

 その声、その眼差しから、変化は明らかだった。かつてあった女神の神々しさは見る影もなく、輝いていた金の髪は色あせ、古代紫の瞳はきらめくことなく燻み、沈んだ色をしている。

 神が、人になるというのはこういうことなのか、と私は愕然とする。あれほど神威に満ちていた春の女神が、本当に、ただの、どこにでもいるような少女となり変わってそこにいる。

「わたくし」

 まじまじと両手を見つめる姫様は、果たしてご自身の状況がわかっているのだろうか。その答えは、すぐに彼女自身が告げた。

「人間に、なったの……」

 喜びとも嘆きともつかぬ口調で、吐息と一緒にそう吐き出された。

「このすべを見出したのは、だれです? 今どこに?」

「それは」

「ここに」

 私が止めるよりも先に、ロルフが名乗り出た。喜びの顔で、姫様を見下ろす。

「私が、あなたのエレオラウファンです」

 自信満々にそう告げるロルフを前にして、姫様は瞬いた。私の腕の中で身じろぎしたかと思えば、ほんの少し私の肩を支えにして、長椅子から立ち上がる。

 目の前に立つロルフを真正面から見上げ返して、深いげな表情を隠しもせずに言い放った。

「何の冗談です?」

 ただその一言で、ロルフの表情が固まったのがわかった。

「本当のたった一人の名を告げなさい。あなたに手段を与え、実行させた者の名を。もう、待つ必要はないのです。動けないというのなら、わたくしが、迎えに行って差し上げる」


 さぁ、その者の名を。


 詰め寄る姫君の言葉に、ロルフは答えない。固まったまま、呼気が荒くなって行くのだけがわかる。よくない兆候のような気がした。あんなにも、あんなにも、感情を高ぶらせ、歓喜の哄笑をあげていたのに。

「春の女神、その方は、城の奥に。謀略により城に留められています。どうか、あの方をお救いください」

 ハガテが姫様に言い募る。

「城に?」

 答えないロルフに見切りをつけたのか、姫様はすぐさま背を向け、ハガテに向き直る。

「では、わたくしをそこに連れて行ってください」


 姫様はハガテのそばに駆け寄った。


「私をここから連れ出して、今の世に生きるエレオラウファンに、会わせてください」

 すぐに。そう重ねて告げる姫様は、ただの無力な少女にしか見えない。けれど、座して待ち続ける女神の姿は消え去って、自分の力で立って歩き、目的を叶えようとするその姿。

 そのひたむきさに、どうして、こんなにも胸を打たれるのだろう。


「お願いします」

 姫様の言葉に、ハガテは少し考え込んだ後、頷いた。どちらにせよ、ベルギウスが神官兵を多く連れ神殿から離れている今しか、姫様は出られないのだ。動くのなら早い方がいい。

「最低限必要なものを用意しよう」

「準備なら、私が」

 名乗り出て、ハガテから必要なものを聞く。神殿の下働きまで人が減らされているために、そう行った必需品の場所が私にもわかったのが幸いだった。厨房や倉庫に行けば、たいていのものは手に入るだろう。

 その間に、馬を調達してこよう、とハガテが言ったところまでは聞いていて、私はその場を離れた。


 そうして、私たちは、それを深く後悔することとなる。



 あると思っていなかったのだ。

 女神であった姫様が、人間になったとはいえ



 何者かに害されることがあるなど、微塵も、考えていなかった。




 そしてその果てに、冬に閉ざされた帝国が誕生したのだと、誰が、想像するのだろう。




遅くなりましてひれ伏してお詫び申し上げます・・・。

お知らせ通りなら過去編これにておしまいです。ここで終わるかー。という感じですが。


さらなる顛末については、本編にて。。。


思うとこあれば終わり側から後日修正プラス加筆の対応をいたします。ひとまず時間切れですすみません。

6月はもう少し早めに更新できたらいいなと思います。よろしくお願いします。

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