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14.得ていたものを、自覚する。



 闇の中で、手を伸ばしている。

 きっと、その手を取る誰かを、待っている。




 眠れないな、とレオンセルクは暗闇の中で瞬いていた。時刻はもう真夜中過ぎ、ウィリアローナがエヴァンシークに連れ出される姿を何度も思い返しては、あの二人は、きっと、幸せになるのだろうと確信を深める。

 何度目かのため息を吐いた時、ふと、こんな時にこそ、会いに行こうと身じろぎした。まだ一人で体を起こすのは辛いけれど、エレオリアに会いに行くためなら構わなかった。遠ざかったり近づいたり、我ながら勝手なものだと思う。

 春が来て、空が明るくなり、城に重くのしかかっていた空気が消えて、レオンセルクもどこか身軽になったのだろうか。一時はあんなにも絶望の象徴のようだったエレオリアに、また、こうやって、会いに行こうと思えるなんて。

 ずいぶん時間をかけて、そーっとそーっと寝台を降り、ゆっくりと室内を横切って、居間へ行き、廊下に続く扉を開ける。一時は寝ずの番が扉を守っていたけれど、今はもういない。建物周辺や、廊下の警備が主体の、通常警備体制に戻っていた。さすがに交代時間や廊下を見張る順序などは知らないので、扉をあけてすぐに騎士がいなかったのは偶然だ。

 客室に部屋を与えられているレオンセルクは、廊下を壁伝いに歩いて、近くのエレオリアの部屋を目指す。そもそも、与えられた部屋が客室と言うのも、笑える話だった。エヴァンシークの父親であるはずのレオンセルクは本来、皇帝の身内として、もっと中枢に近い区域で暮らすことが許されるはずなのだ。

 それはつまり、レオンセルクを父として扱わないと言うことに違いなかった。

「嫌になるな全く」

 自分がどれだけの仕打ちをエヴァンシークにしてきたか、わかっていると言うのに。こんなことにいちいち傷つく自分の勝手さが、嫌になる。

 こんなの、父親だと思いたくなかっただろうに。

 レオンセルクだって、自分の父親を身内としてそばに置こうとはしなかっただろうに。


 自己嫌悪に苛まれながら、エレオリアが眠る部屋にたどり着いた時、内側から扉が開いてどきりとした。部屋を守るエリが、なんともいえない困った顔で立っている。

「……今、開けようとしたところだよ」

 思わずそういえば、「わかっていますよ」と肩をすくめられた。何が、と思えば「気配がしましたので」と応える。レオンセルクは何も聞いていないのに、心を読まれたかのようだった。

「どうぞ」

 そう言って部屋に招き入れてくれたものの、寝室の扉を進んで開けようとしない。不思議に思いながら自らの手でゆっくり扉を開けると、違和感に動きを止めた。

 寝台に向けて、進もうとするのに、足が動かない。何がどうとは分からなくとも、強烈な違和感に身体全体が反応していた。

 思わず、問いが口からこぼれ落ちる。

「……目覚めたの?」

「いいえ」

エリの返事は素早かった。

「最初の問いかけがそれだなんて」

 呆れた様子でため息をつく隠密に構わず、レオンセルクは足をなんとか動かし、寝台に手をついた。

「エレオリア?」

 囁くように問うのに、返事はない。以前と同じ、呼吸の音だけが聞こえる。何が違うと表すことはできない。けれど、確実な差異に心臓の音が嫌に響く。寝台を回り込んで、置かれた長椅子に手をつきながら、エレオリアの顔を覗き込む。その頬に触れ、唇をなぞり、指でその口をこじ開ける。成り行きを見守るエリは微動だにせず、その目の前で、レオンセルクがエレオリアの口内に指を突っ込むのを見ていた。

 そのほかにも、まぶた、頰、首など、一心不乱に眠るエレオリアの確認を始める。一通り終えてから寝台から身を起こすと、レオンセルクは背後に佇む隠密を、ちらりと振り返った。

「……いつから?」

「レオンセルク様が部屋を出てすぐ、ウィリアローナ様がレオンセルク様の部屋を訪れる前に」

「スタシアは」

「知ってます。今頃は、情報を集めに出かけているんでしょう。朝になったら、報告するはずでした」

 出かけたりせず、ここにいたら、って、言ったんですけどね。

 エリの解答は簡潔で的確で、これでちゃんとすぐに報告しに来てくれていたなら言うことはなかった。無所属であるらしいエリに、レオンセルクが何か言える立場ではなかったが。

 振りかざす権力はあっても、レオンセルクはもう、そういう使い方をするつもりはなかった。

「そっかそっか」

 言い置いて、身を翻す。機敏に動けずとも、動ける最大限の速さで部屋を出た。エリが追ってくる気配はなく、そうとわかっていたのに何も言わずにおいていく。典医からは激しい運動を禁じられ、研究棟までいくのは遠すぎると難色を示されていたものの、行かないと言う選択肢はなかった。


「治療が、できる」


 治療法が見つかった直後に眠りについたエレオリア。その眠りは、全てを拒絶する眠りだった。食事も、水も、老いも。当時、口をこじ開けてでも水を飲ませようとしたし、注射器を使おうとしたこともあった。けれど、そのどれも、エレオリアに届くことはなかった。

 不思議な力で断絶され、守られ、奪われたエレオリア。

「君を、治せる」

 その力が消えた今なら、眠ったままでも治療はできる。

 はやる心臓を押さえつけ、レオンセルクは研究室へと急いだ。






 この真夜中にもかかわらず、研究室にいたネリィとアガタの手を借りて、必要なものをまとめ、城に戻る。彼らを連れて戻ることがわかっていたかのように、手引きはエリがしてくれた。城の抱える研究員とはいえ、この時間の入城は本来許可されない。当たり前だ。それを頼んでもいないのに準備をしているのだから、エリは本当にできすぎた人材だった。

 半ば担がれるようにしてアガタの手を借り、エレオリアの部屋に辿り着く。寝台横の長椅子に、有無を言わさず転がされた。

「なんて体調で外出してるんですか。ここ誰の部屋ですか」

 アガタの声が冷たい。研究室で過ごしていたあの頃には、まず聞くことのなかった声だった。まずいのかもしれないな、とぼんやり思う。こんな風に、こんなところまで連れてくる予定はなかった。巻き込むつもりなんてなかったし、こんなはずではなかった。でももう、今更だった。

「手伝って、欲しいんだ」

「手伝いますって言ってるじゃないですか」

 返す声は強かった。責められているような、頼もしいような、判断がつかなくて困ってしまう。もうずっと、困っているのだけれど。

「せんせい」

 声がした方を振り向けば、ネリィが古い資料を見つめていた。古い紙だ。くたくたになっていて、変色していて、インクも見辛く、他人が解読できるとも思えない。当時まともに保管せず、投げやりに、粗雑に扱っていた。やっと我に返って、いつか必要になるかもしれないと思えた時には、もう、擦れて読みにくくなってしまっていた。

 二十年以上前に、書いたものだった。

 そんなものを、ネリィはただじっと見つめていた。

「この論文の、被験者情報」

 指でそっとなぞりながら、ネリィはじっと視線を注ぐ。

「そこにいる方ですか」

 それは、エレオリアを治すために、必死に書いていた研究資料。被験者をエレオリアとして、名前は伏せて、一通りの体格などの情報を記していた。その情報を読み取って、ネリィはそこに記されている被験者とエレオリアを結びつけた。

「何年前の論文だと思っているんだい」

「でも、そのまま情報が当てはまるのです」

「君にはそこにいる人が、いくつくらいに見えているのかな」

「なら、なぜその資料を持ってきたのですか」

 横からアガタに問われて、口を噤んだ。思わず振り仰ぐと、内心何を思っているのか全くわからない顔で、レオンセルクが指示し持って来させた資料を見つめている。

「使える資料なのか、そうでないのか。俺が知りたいのはそれだけです」

 そのほかの事情など知るものか、と、アガタはやはり、冷たく突き放すような声だった。

「これから、その方の治療を始めるのですか」

 ネリィは睨み合う二人を放置して、エレオリアの横につく。軽くエレオリアの腕や顔、首に触って、不思議そうな顔をしていた。

「最近眠りについたばかりのようですね。それなのに、今までこの病を治していなかったのは……」

 なぜですか? と聞くために振り返った途端、ネリィは口を閉ざした。レオンセルク自身はいま、自分がどういう顔をしているのか全くわからない。けれど、ネリィが口を閉ざすような顔をしているのだろう。わずかに口の端をあげて見せれば、ネリィは思いつめた表情で、寝台を回り込んでレオンセルクの前に立った。

 向かい合っていたアガタの前に、立ち塞がるような位置にもかかわらず、ネリィは背後のアガタに見向きもせずに、レオンセルクへと両手を伸ばす。

「変なお顔になっていますよ、先生」

「ネリィくん」

 むに、と頰を挟まれ、レオンセルクはきょとんとする。即座にアガタがネリィの肩をひいて、その手は離れていった。「何してんの……」完全に血の気の引いた顔でアガタはネリィを叱る。ネリィも、アガタに対してきょとんとしていて、何を怒られているのかわからないという顔だった。

「上司に向かって……」

「でもアガタ、先生はこうやって、ちゃんと言って聞かせないと、わからない方です」

 負けじとネリィは言い募り、くるりとレオンセルクへと向きなおる。

「半年経てば、間合いくらいわかります! おかしな顔になった先生は、ろくなことなさらないんですよ!」

 現実逃避に大規模な実験装置作り出すし! 作ったものの処分ができなくて笑顔のまま途方に暮れて一晩明かすし!

 そんなことを真正面から言われて、レオンセルクはどうしていいかわからない。そっかそっか、と笑って見せて、ごめんね? と思いながら首をかしげると、ネリィはもっと怒ったような顔をした。

「そんなお顔になるなら、何も聞きません。でも私もアガタも医学者の面が強くて、治療や診断に慣れているわけではありませんから。……指示を、ください」

 最後のお願いは、ひどく真剣な顔だった。

「……うん。文字通り、私は今、手足が欲しいんだ」

 落ち着いた気持ちでそう頷くと、ネリィはほっと息をついた。ネリィの背中を、叩いて、アガタも顔を寄せる。

「……途中で、ここまできたらもういいよ。は、なしですからね」

 釘を刺されたような気分になって、苦笑する。まさしく、そういうこともあり得るような気がしていた。でもそう言われたからには、最後まで。


 ……最後とは、どの時点を指すのだろうね。


 ふとよぎった思考に、ため息を吐く。ムッとした顔でネリィが両手を伸ばすのを、アガタが押し留めるのが見えて今度こそ、やっと、ちゃんと笑った。

自覚の薄い人は、その周りの人が苦労するのもわかってないです。

予定してたところまでいけなかったよ……。6話くらいから狂ってた気もするけど。


様子の変わったエレオリアの、治療がやっと始まりました。

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