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12.流れた光が意味するもの

 先帝陛下を襲った凶刃は、一撃目に左腕をかすめ、二撃目には横腹に突き刺さった。生きていたのは運が良かった、というよりも、直後にスタシアが適切な処置をし、城内の典医が間も無く駆けつけたこと。そして、多くの人手がレオンセルクを安静なまま治療できる場所へ運べたことでなし得た奇跡だった。

 本人が死にかけた自覚なく、のんきにしていることで現実味がないけれど、ひょっとしたら命が危ないところだったのだ。


 直後に取り押さえられた襲撃者は、そのまま自害し、何が目的で、誰の指示でレオンセルクを襲ったのかはわからない。皇帝や宰相、そのほかの知識人はそれぞれに思うところがあるようだったが、とうとう公にはされなかった。

 それからのレオンセルクは、代わり映えのない日々を緩慢に過ごしているだけだった。この度の襲撃によって、すでにウィリアローナとのお茶会で少しずつ染み出すように知られていたレオンセルクの存在が、大々的に明るみになってしまったこともあり、こもっている方が安全だということもある。

 レオンセルク本人にはなんら変わりないことではあったけれど、周りが騒がしく、その空気にどこと無く落ち着かない。部屋の中をなんの問題もなく歩けるようになると、客室棟の中なら部屋を出てもいいと典医に言われた。

「どこか行かれますか?」

 研究棟や孤児院に行くには遠すぎて、許可はおりない。となれば、行くあてなど一つしかなかった。


「エレオリア」


 囁くようにして、その名を呼ぶ。後宮にほど近い客室の一室。忘れ去られたような片隅にあるこの場所を、果たしてエヴァンシークは知っているのだろうか。どうか父を憎んでもいいから、母その矛先を向けることがないよう祈る。

 スタシアの計らいか、楽な姿勢でエレオリアの寝顔が見れるよう、置かれた長椅子に足を投げ出し、息を吐く。

「君はよく何年も寝台で生きてこれたね。君に比べればほんの少しの期間でも、私はもう十分だよ。投げっぱなしの研究があるのに、こんなところで寝ている暇なんかないんだ」

 ネリィやアガタは、姿を見せなくなったヘルクス博士を心配しているだろうか。担当文官がうまくやってくれているはずだけれど、博士がいなければ二人の研究が進められない。このままだと、二人の将来にも関わる。

 あの二人の頭脳を、二ヶ月も放置しているなんて!

「こんなことをスタシアに言っても、見張りの騎士に言っても伝わらないんだよ。帝国だけじゃなくて世界の損失につながるだろうに」

 困ったなぁ、と苦笑する。誰か、研究と部下を任せられる医学者はいないだろうかと思い巡らすものの、人との関わりを全く絶っていたレオンセルクに、そんな知り合いなどいないに等しかった。

「これからどうしたら、いいんだろう」

 呟くように、独り言を口にして、レオンセルクはゆっくりと起き上がった。寝台横に膝をついて、手を伸ばして、滑らかなエレオリアの頬に触れる。親指で閉じたまま開かない瞼をなぞる。その瞼の下の、深海の瞳を再び見る日は来るのだろうか。

「あいしてる」

 溢れた言葉に、意味などなかった。繰り返し繰り返し、あるいは自分に言い聞かせるようにして、レオンセルクはその言葉をエレオリアに語りかけ、



 物語のように目覚めることなど、遠に期待せぬまま目を閉じて、くちづける。



 その一寸先で、震えたまつげを見ぬままに。




 時間が来て、スタシアとエリがやって来た。二人は音もなくレオンセルクのそばまで来て、両側から支え、立たせてくれた。身のこなしがそっくりなのは、二人が同じ場所でその身のこなしを学んだからなのだろう。そんなツテを持っていたあの女性は、結局何者だったのだろうか。

「そろそろ、お身体に障ります」

 わかっているけれど、まさか自分がそんな風に言われる日が来るなんて、と思いながら、はいはい、と笑う。

「でもね、何度でも言うけど、本当に大したことはないんだよ。意識だって失わなかったわけだし、内臓が飛び出たわけでもないからね。本当に、君がすぐに飛び出てくれたおかげで、深く深くは刺さらなかったんだ」

 だから、そんな風に心配しなくても大丈夫なんだよ、とあれから何日も言って聞かせているのに、彼女は以前より一層過保護にレオンセルクを守ろうとする。困った顔をエリに見せて言外に訴えるのに、エリは肩をすくめて見せるだけで何も言わない。しかし、スタシアよりもレオンセルクの視線を正しく読み取ってくれるようだった。

 振り返るとエリが笑む。

「この部屋には、誰も近づけませんので。気にせず完治するまで安静にしていてくださいね、レオンセルク様」

 図々しくも様以上の敬称をつけないこの隠密は、笑って開けた扉の内側でひらひらと手を振った。レオンセルクはスタシア一人に支えられ、自室へ戻る。



 その日の午後に、ウィリアローナが部屋を訪ねたい、と先ぶれがあった。頓着せずに了承するとやがて、わざわざ髪を結い上げたウィリアローナが真っ青な顔でやって来る。

 あまりにも悪い顔色に「何かあったの?」と思わず聞けば、驚いた顔をされ、声を失ったのか言葉は帰ってこなかった。「ウィリアローナ姫?」恐る恐る声をかければ、寝台脇のスタシアが呆れた顔で、

「おうさまが刺されてから、ずーっと心配していてくださったんですよ。何ががあったの? って、おうさまが刺された以上のことがありますか?」

 そうなの? と今度はレオンセルクが驚いて、ウィリアローナを振り仰げば、コクリと表情固く頷かれた。小さな唇が薄く開かれ、話す前触れに息を吸う。

「ずっと、安静にされている、としか知らせてもらえず。やっと歩けるようになったので、と、許可が、おりて」

 思いつめた眼差して、ぽつぽつとウィリアローナは語る。

 はくはくと口を開いては閉じを繰り返し、組んだ両手を鼻に押し当て、目を伏せるようにして頭を下げた。

「……ごめんなさい」

 皇妃さまと、ミーリエルとスタシアがたしなめる声がする。その声に構わず、ふるふるとウィリアローナは首を振った。

 ゆるりと顔を上げる。泣き濡れたように見えるその大きな瞳の顔が、まっすぐレオンセルクへと向けられた。

「わたしの、せいでしょう? わたしが、春を呼んだからですよね」

 今にも泣きそうな顔の気がするのに、ちっとも泣きださないこの姫君が不思議で、なぜそんな表情で、その大きな瞳いっぱいに感情をたたえているのかもわからなくて、レオンセルクは返事ができなかった。

 困ったように笑って見せて、違うと思うよ、とだけ付け足した。

「犯人は、ウィリアローナ姫が出て行って、姿が見えなくなってから動いたんだ。あなたのいないところで何もかもをするつもりだった。今回のことは間違いなく、僕を狙ってのことだ」

 ウィリアローナ姫は、むしろレオンセルクを呼び出す口実に使われたように思える。


 先帝陛下の城内の扱いは未だ難しく、皇帝陛下の真意がわからない以上、接触はウィリアローナ姫に限定されていた。宰相も様子を見るといった風に、時折ウィリアローナ越しに伝言をするほどで。

 不定期に定まっていない客室でお茶をする二人は、日時や場所が漏れれば、非常に無防備な状態だったと言える。当然、警護はされていた。しかしそれはほとんどが皇妃ウィリアローナを守るためのもので、その場を離れれば先帝レオンセルクの周囲が手薄になる。


 レオンセルクを害して、何か得られるものがあるとは思わない。


「だからね、これは僕の身から出た錆のようなものなんだ」

 言い聞かせるようにして、レオンセルクはウィリアローナへ語りかける。

「きっと、今までのツケが回ってきたんだよ。きっと、僕が狙われたのは、恨みによってだろうから」

 息子に恨まれているのはわかっている。

 そうでなかったとしても、皇帝時代に、レオンセルクのやり方で不遇な目にあった者たちもいただろう。政治的理由は誰かがこじつけていたかもしれないが、レオンセルク自身は理由なく国をいくつも侵略していた。その国に春を呼ぶその人がいれば、この国に春が戻って来るなどと戯言を唱えて。

 今になって、再び表舞台へ現れたレオンセルクへその恨みの矛先を向けてもおかしくはない。

 先代の宰相ロードロスを全ての矢面に立たせて、いろんなものから隠れ潜んでいたあの頃の自分への、罰なのだろう。

「そんな、こと」

 血色の良くない顔で、ウィリアローナはレオンセルクへ眉を下げて見せる。寝込んで寝台にいるままのレオンセルクよりもよっぽど具合が悪そうだった。

「想像していたより、僕は元気そうだろう? ウィリアローナ姫もゆっくり休んで、本当に酷い顔だよ」

 帰ったほうがいい、と促すのにウィリアローナはそこにとどまったままだった。わからない、と途方にくれた顔をしている。

「陛下は、エヴァン様はわたしを部屋から出そうとしません。固く固く護衛に守らせ、部屋に押し込めて、危険があるから、と。皇妃としての教育をわたしに施そうともしません」

 一息に言って、ウィリアローナは一度息を吸った。まとめた髪から落ちる一筋を、弱々しい手がゆっくりと耳にかける。

「エヴァン様はあなたを恐れている。わたしはそうは思わない。あなたを恐れているのに、わたしがあなたに会うのを止めないのはなぜですか」

 レオンセルクを理由にして、エヴァンシークとウィリアローナが仲違いを起こしているのがわかった。ウィリアローナが答えを求め、エヴァンシークはそれに沈黙で答える。五年もの間ほとんど独裁のような形で城内を立て直したエヴァンシークの態度は想像通りだったけれど、意外なのはウィリアローナの方だ。大したことではないのよ、とエヴァンシークのためならどんなことでも従順そうな彼女が、明らかに反発している。

「あなたは、優しい人だと思います」

 そうやって、レオンセルクに信頼を示そうとする彼女は、ほとんど冷静さを欠いていた。顔色は悪く、侍女のミーリエルの手をかりて、立っているのもやっとだ。レオンセルクが襲撃されたあの日のお茶会から二ヶ月、一度も会っていなかったが、一体その間に何があったというのだろう。

「いいや。僕は冷たい人間だよ、ウィリアローナ姫」

 優しく言ったつもりだった。それでも彼女は首を振りながら俯いて、侍女にすがりながらもその場に崩れ落ちていく。侍女が慌てたように騎士に声をかけた。騎士や侍女が何を言っても、ウィリアローナはそこから動こうとしない、レオンセルクがなんとか寝台から立ち上がり、そばに膝をつくものの、何をしてやれるか見当もつかなかった。

 ウィリアローナはただ気分が悪そうで、額に手を当ててみるものの、発熱している様子はない。ここ数ヶ月で、大きく身の回りの環境が変わったことによる疲労だろうか。正式に皇妃として立ってから四ヶ月、溜め込んできたものが溢れ出るには、納得できる期間だった。

「ウィリアローナ姫」

 呼びかけは、別の声と重なった。侍女が呼んだのか、執務の途中だっただろうに、エヴァンシーク皇帝陛下が室内に入ってくるところだった。さすがのウィリアローナも、エヴァンシークの言葉には従わざるを得ないと踏んで、誰かが呼んだのだろうか。

「調子が良くないんだろう。部屋で休もう」

 素っ気なく見える言葉の中に、案じているのがわかる優しい眼差しでエヴァンシークがウィリアローナの傍に立ち、手を伸ばす。それをすぐそばから見上げていたレオンセルクは、まるで空気のようだった。ふわふわとして、存在感があやふやになる。

 さっとひと動作でエヴァンシークはウィリアローナの体を抱え上げる。横抱きにされて、ウィリアローナはなすすべなくエヴァンシークの胸に顔を埋めた。

「……失礼する」

 空気のようだったレオンセルクに、エヴァンシークが声をかける。たったそれだけでまるで存在が承認されたかのように、地に足がついた。目を丸くして、じっとエヴァンシークを見ているのに、エヴァンシークはレオンセルクに背を向けて、部屋を出ようと扉に向かって行ってしまった。

 それを黙って見送っていると、エヴァンシークが足を止める。

「もう、ウィリアローナ姫の申し出を、受けないでくれ」

 心臓が固まっていく感じがした。柔らかい拒絶を受けて、また、足元が不安になる。

「姫は優しい。何か望んでいるようでいて、その望みは、誰かのために何かを成すことだ。叶わなかった時、自分に落胆するのではなく、成せなかったことを後悔する」

 あなたが姫を思ってすることでも、やがてそれは、姫自身を傷つける。

 だから、もう関わらないで欲しいと言ったのに。


 駄々のような言い方だった。ああ言ったのに、どうして、どうして、と。

 その姿が本当に子どものようで、なのにウィリアローナを大切そうに慈しむその姿は、一人の男の姿で。相反する印象に、レオンセルクはどう返事をしていいのかわからなかった。

 ただ、この人のこれからの生に、自分は少しも必要ないのだと。

 そんなことを、強く、思ったのだった。













「エリ? いるの?」

 寝静まった真夜中の城内、エリに聞いてもらいたい話があって、スタシアはエレオリアの眠る客室に訪れていた。居間にはいない、寝室だろうか、とスタシアは小さく扉を叩き、中を覗くと、寝台脇に佇むエリの姿があった。

「返事くらいしてよ」

 スタシアが驚いた、と肩をすくめる。気配を消すのが常態なのはどうなのよ、と呆れて見せるのに、エリの反応はなかった。ただじっと寝台に視線を落として、その横顔が困惑しているように見えて、スタシアは異常を感じ取る。いつだって飄々としているエリが、目に見えて困っているのがわかる。

「どうしたの」

 その問いかけは、ささやくような声量となった。エリのそばに近づくと、その手には柔らかな手巾と、傍らの卓には水を張った盥があった。なぜ、こんなものが、と湧き上がった疑問と同時に、心臓が一拍大きく脈打つ。

 呪いか、祝福か、どちらにせよ不思議な力で眠りについたエレオリアは、同じく不思議な力で守られていた。

 歳を重ねず、髪も伸びず、栄養も食事も水分も必要とせず、時を止めたかのようにそこにあった。寝たきりであれば床ずれを心配したこともあったけれど、その必要もなく、だからこそ、侍女を必要とせず人の出入りを極力制限でき、城の奥深くに隠してこれた。もちろん、汗も涙も流さない呼吸だけは見て取れるものの、ひょっとしたらそれもそう見せているだけで、必要ないのではと考えてきた。それなのに今。

 なぜ、エリが傍で盥と手巾を手に佇んでいるのか。

 「すぐに気づいたんだ。多分、すぐだったんだと思う。でも」

 困惑を隠さぬまま、取り繕うこともなく、エリはスタシアを振り仰いだ。

「これを、レオンセルク様に報告すべきなのか、エヴァンに言うべきなのか、それについて意見を仰ぐべきはスタシアなのか、全部、見当がつかなくて」

 私は、事情の全てを知ってるわけじゃないからね。


 エリがエレオリアへと、視線を戻す。その視線を追うようにして、スタシアも寝台へと視線を向けた。向けるのが怖かった。向けたくなかった。それでも、見なければと言う強い意志に突き動かされて。


「ねぇ、スタシア。この人は、目覚めたと思っていいのかな」



 金の髪、閉ざされた瞼は依然変わらず、わずかに上下する身体も変わりはない。ただ、どこか、今まで重さを感じさせなかった身体が、より深く、寝台に沈んでいるように思えた。

 何も変わりはない。ただ一点だけを除けば。




 そこには、一筋の涙を流す、エレオリアの姿があった。



お待たせしました・・・。

11月頑張り過ぎてちょっと休憩してました。またポツポツ更新していきます。


年内。。。に、終わると。。。終わるといいなぁ。。。

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