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10.ひらめく光と傍らの遠い味方へ



 それから三日経ったけれど、ヘルクス博士の生活は変わらなかった。

 寝て起きれば、孤児院へ赴いて、研究をする。ネリィは相変わらず献身的に上司へ食事を提供し続けているし、アガタは優秀に研究を支えてくれている。

 スタシアも時折深夜に現れては、疲れた顔で笑いかけてくれた。


 変わったことといえば、レオンセルクとしてウィリアローナ姫のお茶に呼ばれるようになったこと。そのため、眠る時間が朝方から真夜中になったこと。


 そしてその眠る場所が、お城の客室になり、その扉を騎士が護衛するようになったこと。


 そのくらいだ。



「君が、陛下にとりなしてくれたの?」

 何度目かのお茶席で、やっとレオンセルクは問いかけることができた。

 対するウィリアローナは、きょとんと瞬き首をかしげる。あれ、違った? と、レオンセルクも首をかしげた。二人して首をかしげていても話が進まないため、レオンセルクはそのまま続ける。

「僕、幽閉されると思ってたんだ」

「そんなこと」

 ギョッと、目を向かれ、レオンセルクの方がびくりとしてしまった。二人ともかしげていた首は元に戻った。

 そして、ウィリアローナはかまわず首を横に振る。強く降りすぎてめまいを起こすほど。

 向かい側で頭を抑える姫君を、忙しない子だなぁと、眺めながら、根拠もなく、なんとなく、そういうものだと思ってたんだよ。と付け加えた。そんな、とやはりウィリアローナに が、悲痛そうな声を上げる。

「お父上を、幽閉だなんて」

「父親ってなんなのか、僕にはわからないんだ。」

「そう、なのですか?」

 離れて暮らしてたからね、と、笑えば、ウィリアローナも視線をめぐらせ、そう、ですか。と囁いて、

「わたしも、です」

 と笑った。

「わたしも、幼い時に父を亡くして、シュヴァリエーン家に引き取られて、でも。公爵様はお忙しい方で、わたしは口を聞くことさえままならないくらいで」

 だから、わたし滅多に、お父様、と呼べなかったんです。

 遠くを見るようにして、ウィリアローナはそう言った。そっかそっか、とレオンセルクは相槌を打って、お茶に口をつけてほっと息を吐く。

 ウィリアローナの侍女、ミーリエルが淹れてくれたお茶は美味しい。先日スタシアにそう漏らせば、なぜか今ここに、侍女として同席していた。お茶を入れる際のミーリエルの手元を、無言でじっと見ているのが、怪しくて面白くて、ついくつくつと笑ってしまう。

 笑うレオンセルクを不思議そうに眺めながら、ウィリアローナは視線を落とし、

「本当に、わたしがエヴァン様にとりなした、ということはないんです。エヴァン様は、わたしを政治に関わらせようとしません。わたしの言葉は何も、あの方の考えを動かすことはありません」

 少し寂しそうに、先ほどの、レオンセルクの問いに答えた。それでも不思議は不思議なのだ。レオンセルクはじゃぁ、と首をかしげた。

「どうして、僕はお城に部屋を用意されたんだろう。こうしてウィリアローナ姫とお茶ができているの? 僕は君をさらった前科があるのに?」

 わたしに聞かれましても……、とウィリアローナが眉を下げ、レオンセルクもそれはそうか、とため息をついた。攫われた当人であるウィリアローナだって、レオンセルクに怒っていないのだろうか。長い間塔に一人きりというのは、怖かっただろうに。

「あのこと、わたし、怒ってないですよ」

 レオンセルクの表情を読み取ったのか、ウィリアローナは紅茶を飲みながら、ぽつりと言った。いやいや、たいした出来事だったと思うけどねぇ? とレオンセルクは苦笑いをするのに、ウィリアローナはどこか遠い目だった。

「あの後、色々ありすぎてですね……」

 なんだか、たいしたことじゃぁ、なかったわ、って。思ってるんですよ。

「ただ、ずっと、不思議だったんです」

 彼女の 古代紫の瞳は、じっと手に持ったカップに注がれていて、レオンセルクの方は見ていなかった。

「どうして、あの方はわたしを攫って、母様のことを聞いて、何を得たかったんだろう、って。ずっと不思議だったんです。聞いていいですか? わたしを攫って、陛下は何を得たんでしょう? 春の女神の神話は、どんな意味が?」

「それは……」

 姫君の瞳が、すっとレオンセルクの瞳と合わせられる。じっとみつめてくるその問いかけに、レオンセルクはすぐには返事ができなかった。ただ微笑むにとどめて、言葉を探すけれど見つからない。この娘なら何か知っているかもしれない、という期待が、胸に湧き出でると止まらなかった。

「陛下?」

「たすけて」

 ほしかった、だけなんだ。古代紫の瞳を受けていられなくて、顔をうつむかせて、両手で覆った。どうしていいかわからない。あの頃も、今も。

「君の知っていることで、救えるかもと、そう、思っただけだった」

 結局は、無駄に終わってしまったけれど。足掻いたことの全てが、意味をなさず、ただ、レオンセルクの心臓に掻き傷を残していくだけだった。あれも駄目だった、これも駄目だったと、無力感を味わうだけの。

 顔を覆って俯いてしまったレオンセルクの頭に、小さな、柔らかな手ののる感触があった。おずおずと、撫でてくるその小さな手。息子の最愛。レオンセルクが失ってしまった、たった一人。国中に愛された、たった一人が遺した子。

 そんな子が、今、レオンセルクの横に膝をついて、そっと頭を撫でてくれている。

「君の存在は、とても、とても尊い」

 俯きがちで、笑顔の乏しいお姫様に、レオンセルクは繰り返した。

「みんなが失ったと思った人が、遺していたなんて思ってなかった君を見たとき、みんなが救われる」

 まるで、呪いが解き放たれるように。


 エリオローウェンを失って、嘆いた人々の光になる。

 けれどそれは、ウィリアローナ本人の幸福には繋がらない。だから、エリオローウェンは彼女を辺境から出さなかったのだし、引き取った公爵家もそれを受け継いだ。


 どういった経緯でこんなところに来てしまったのかはわからないけれど、それは、彼女の幸になるのだろうか。


 そんな、まるで父親のように、祈る資格はないけれど。



「エヴァンシークは、一人で何もかもをしているのかなぁ」

 レオンセルクは俯いたままだったが、声の調子はいつも通りで呟いた。それでも、ウィリアローナはそばから離れず、手はレオンセルクの髪をすいていた。

「フォルトナ宰相様や、オルウィスという最年少議員の味方を得ています。騎士団や軍部も味方で、ええと、『駒は多い』そうです」

 わかりやすく聞いたまま答えた、というようなウィリアローナに、苦笑した。本当に、こんな娘が皇妃で大丈夫なのかと思う。皇妃教育さえされていない。何も知らない娘を、どうしてこんなところに置いていられるのだ。


「僕ら、どうしてこんなところにいるんだろうね」

 ただ、レオンセルクには、この場にいるウィリアローナの存在がありがたかった。仲間のように思えて、少なくともたった一人で嵐を越える必要はないのだと思えたからだった。

 だから、途方に暮れてそう言ったのに、口にした途端傍らの気配が遠のいていく気がした。頭に触れていたはずの小さな手は気がつけばすでになく、思わず顔を上げると、膝をついたままのウィリアローナがレオンセルクを見ていた。

 真剣な顔で、わずかに口角を上げて。


「わたしは、選んだのです」


 ひとりぼっちにされて途方にくれるレオンセルクに、慈しむように微笑みかけて。


「わたし、いろんなことを全部を知っているわけではないですけれど、これから起きること全部、呑み込んで見せると決めて、選んで、エヴァン様のお側にいることにしたんです」

 さっきは逃げ出した古代紫の瞳から、逃れられなかった。

「エヴァン様のお母様も、そうだったのではないですか?」

 その秘密を暴くかのような色に射抜かれて、レオンセルクは言葉を返すことができなかった。


 その時、扉が外から開けられ、お茶の時間の終わりが告げられた。ウィリアローナがそっと遠ざかり、次女のミーリエルを連れて退出していく。スタシアはその場に残って、じっとレオンセルクを待っていた。

 ため息をつきながら、レオンセルクは長椅子の背ににふかく寄りかかる。


 最初から、どこまでも。ウィリアローナ姫はこの核心に触れようとしていたのだと、今ならわかった。どこまで察していたのだろう。そして、きっと今後も触れてくるのだろう。


 エヴァンシークの過去を得ようとしなかったウィリアローナは、現在と、未来ならばどこまでも手を伸ばしてくる。そういうことなのだ。

 じっと見つめているスタシアはひょっとすると心配しているように見えて、なんでもないよ、と笑って見せた。研究室に戻ろうか、と促して、レオンセルクも立ち上がった。








 レオンセルクとのお茶会を終え、自室に戻ったウィリアローナの元に、慌ただしくかけこむ女官の姿があった。

「皇妃様! ご無事ですか」

「騒々しいですよ。何かあったのですか」

 ミーリエルが対応に出ると、駆け込んできた女官は一礼し、報告した。

「先ほど、先帝陛下が何者かに襲われ、怪我をしたと報告が。一緒にいたはずの皇妃様のご無事を確認せよと指示をされ、まいったのです」


 ウィリアローナは息を飲み、部屋を出ようとすると専任の騎士に止められる。視線で訴えるが、首を振られ、部屋へ押し戻れる。それでも、ウィリアローナは報告に来た女官に食い下がった。

「先帝陛下は無事なのですか。命は?」








「エ……」

(エレオリア)

 霞む視界の中で、伸ばした手が宙をかく。その先に求めていた姿があったような気がして、その呼びかけに応えるように手を握られた。



 思ったよりも力強いその手に、思わず、祈った。


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