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9.春の聖女との交感


 人目を避けて、約束の時間、約束の部屋へ行く。途中で合流した騎士の案内を経て、たどり着いたそこに姫君の姿があった。

 レオンセルクの姿を見て、ウィリアローナは席を立ち黒い頭を下げた。騎士はそのまま、室内に待機する。随分時間をかけて一礼をし、ウィリアローナは肩にかかった黒髪を払いながら、謝罪した。

「無理を言って、申し訳ありません。」

 表情は固く、そんなに思い詰めなくてもいいのにな、と、苦笑する。

 無理をしているのはお互い様で、けれど先帝陛下、太上皇帝レオンセルクならともかく、『ヘルクス博士』の方はウィリアローナに比べて自由度は高いのだ。レオンセルクと知らないウィリアローナが、そこまで身を固くする必要はないだろうに。

 皇妃となって数ヶ月のウィリアローナに、人々の耳目は集まっている。一挙一動に気を使う中で、なぜこの姫君は先代の宰相につながる人物を求めているのだろう。

 そうまでして、なにが得られるというのだ。


 お互い向かい合わせに長椅子に座る。目の前にはお茶が出されたが、二人とも手をつけることはなかった。お互い、何から切り出そうか決めかねている。

「先代の宰相を通じて、誰に会いたいの?」

 思わず、そう問いかけていた。

 ウィリアローナはしばし瞬いていたが、すぐに表情改めて、うかがうように聞いてくる。

「交渉ですか」

 先代に繋がりたければ、目的を告げよという?

 そんな風に問いかけてくる時点で、この娘に交渉ごとは向いていないな、とわかる。ただただまっすぐに向かうしかない、無力な少女だった。


 ふと、悲しく思う。

 そんな少女が、春を呼んでしまったのか。

 そこから生まれた、流れに巻き込まれてしまったのか。


 それが、雪どけ水のような清流であればよかったのに。


「内緒にしたいなら、構わないけど」

 そう言うと、ウィリアローナはすぐに首を振った。視線を固く握った膝の上の両手に落として、ぽつりと自嘲するように呟いた。

「こんな風に足を運んでいただいて、今さらですよね」

 レオンセルクが考えている間に、ウィリアローナも一つの答えにたどり着いたようだった。

 姿勢を正して、レオンセルクの方を見据える。古代紫の瞳は、まっすぐにレオンセルクの琥珀を見つめていた。


「わたしは、太上皇帝レオンセルク陛下にお会いしたいのです」


 うん、とレオンセルクは思った。きっとそうだと思っていた。きっと、レオンセルクの過去を問わずに未来を聞いたこの子なら、いつか、また、レオンセルクの前に現れようとあがくだろう、と。

 なぜって、エヴァンシークは、きっと、レオンセルクのことを、

「会って、どうしたいの」

「知りたいのです」

 全くこの子は、レオンセルクをどれだけ信頼しているのだろう。まっすぐに、どこまでもまっすぐにウィリアローナは向かってくる。

「何を」

「それは、っ」

 ここでやっと、ウィリアローナは言葉に詰まった。ウィリアローナ自らが動く事柄といえば、エヴァンシークのことだろうか。レオンセルクは首をかしげる。ウィリアローナがここで口を噤むのは、それがエヴァンシークの願いではないと言うこと、それが、簡単に触れていいことではないと言うこと。

 何を今更、と思う。レオンセルクはつい先日、皇帝陛下その人から釘を刺されたばかりだと言うのに。エヴァンシークは、ウィリアローナの行動でさえも咎め立てるだろう。

「わからないんだ」

 今こうしていることは、お互いに、エヴァンシークの逆鱗に触れることだった。なのに、なぜ、二人はこうして向き合って言葉を交わしているのだろう。

「エヴァンシーク皇帝の寵姫であるあなたが、どうしてろくな噂のない先帝陛下に会いたがるんだろうね。先帝陛下は婚儀の席に参列しなかった。今に至るまで、レオンセルクはエヴァンシークの婚儀に祝いの言葉を述べていない。二人の間に確執があることは明白なのに、なぜ、あなたはレオンセルクに会いたがるんだ」

 その物言いに、何か言いたげにウィリアローナは顔を上げたが、すぐにまた視線を落としてしまった。言葉を懸命に探しているのはわかるのに、何から言っていいかわからないように思える。

「エヴァン様と、先帝陛下については、その……。あまり、勝手を言うことはできないのです。わたしの、勝手なこと、ですから。勝手な思いで、勝手な、想像も多くて、希望も、あって。その、その根拠や理由は」

 言っていいことと、言ってはいけないこと。自分だけならまだしも、大切な存在の敵を増やすことも許されない。そんな風に、一人でがんじがらめになっているのがわかった。

「向いていないよ」

「え」

 おもわずレオンセルクは呟いていた。驚いたウィリアローナが顔をあげてレオンセルクを見上げる。その視線に応えることなく、レオンセルクは言葉を続けた。

「向いていないよ、こんな風に、誰かに隠れて、目の前の人に隠し事をしながら、思い通りの答えを手に入れようだなんてこと。人の視線や声を使って、機微を読み取り、感情を察し、言葉を選んで、心を操作するなんて。こんなこと向いてないんだ。そんな、無力な人間には」

 はっ、とウィリアローナが目を見開く。図星を指されたかのように、顔を歪めた。握りしめた両手が震え、噛み締めそうになった唇をはっと薄く開き、引き結ぶ。

「でも」

 と言い募ろうとするのに、その声は言葉にならない。かわいそうになって、レオンセルクは笑って見せた。

「私のことだよ」

 え、とウィリアローナの表情に疑問符が浮かぶ。困ったな、と聞こえるように言った。レオンセルクはゆっくりと席を立って、ウィリアローナの傍に膝をつく。驚いた顔で、なのに身構えることのないお姫様は、じっとレオンセルクの真意を読み取ろうとしていた。

「私たちは少し、似ているね」

 国の中枢にいるのに、そこで生きるすべを何一つ身につけていない。周りの手を借りて、ようやく立っている。そんな、無力な存在。

 そう言って、手を伸ばす。ウィリアローナの頭を撫でると、身じろぎもせずに、ウィリアローナは目を閉じた。

「ダメだよ」

 思わず、苦く言葉が転がる。ずっと以前にも聞いた、自身の言葉だった。

「そんな風に、目を閉じるのは良くない。全てを預けてもいい相手かな、私は」

 よくないよ、と繰り返す。なのに、ウィリアローナは答えた。

「いいえ」

 短く。間近で二人の目が合って、ウィリアローナはそれでも、強くいいえ、と繰り返した。

「あなたは、怖くありません」

 ふと、思う。そういえばこの娘、男性に対し、恐怖心を抱くのではなかっただろうか。だと言うのに、目の前のウィリアローナは、瞳を開いて、目をそらさず、固く固く強張らせていた表情を、ゆっくりと解いていく。ゆるく、優しく、笑って、


 エリオローウェンのように、笑って。


「なぜでしょう」

 泣きそうに笑う彼女は、もしかしたらもう気づいているのかもしれない。

 隠し事は、お互いに苦手だとわかった。

 その上で、そんな顔を見せられたらレオンセルクは敵わない。だから、これからは駆け引きなしで言葉を紡ごうと、レオンセルクは決めたのだ。


がレオンセルクだって言ったら、信じるかい?」


 ウィリアローナは優しく笑う。


「そうじゃないかと、思っていました」


 どうして? ととぼけてみせるレオンセルクに、だって、とウィリアローナは答える。

「エヴァン様に対する言い方も、わたしに対する言葉遣いも、そうとしか思えなかったんです」

 敬意も何もなく、敬語も使わず、呼び捨ててさえ見せた言動を振り返って、苦笑する。

「ほらね」

 向いてない、って、言っただろう?

「取り繕うことさえ、考えもしなかったんだ」

 もう一度、義理の娘であるウィリアローナの黒髪を撫でて、立ち上がる。改めて、と断って、背筋を正した。

「僕はレオンセルク。エヴァンシークの父で、君の義理の父になる。会うのは三回目なんだけど、覚えてるかな」

 覚えてたら、今更ここでこんな言葉は言わないんだけど、と笑う。ウィリアローナは気まずそうに視線をそらした。そしてそちらも、長椅子から立ち上がり、淑女の礼を取る。

「ウィリアローナです。神聖ニルヴァニア王国公爵家、シュヴァリエーン家の第四子、ウィリアローナ・ヘキサ・シュヴァリエーン、と、今までは申しました、けど。ええと、今は、ただの、ウィリアローナです」

「シュヴァリエーンである前は?」

 唐突な問いかけにも、ウィリアローナは戸惑うことなく答えた。

「辺境伯爵、ウィリアローナ・エラルベール……。わたし、こんな風に、名乗ったこと、ないんです。公爵家に引き取られたのは、随分小さい頃だったので」

 寂しそうな表情に、ごめんねと謝ってから、

「そろそろ、ここを離れないと。午後になればエヴァンシークが会議から執務室に戻ってくるからね」

 だから最後に、言いたいことを言わせてほしい。

「君は、エリオローウェンによく似てる」

 見開く古代紫に、この言葉を、この子はどんな風に受け止めるのか想像できなかった。

「彼の持っていた銀の髪に、深海の瞳。色彩こそ全く異なるけれどね。その顔かたち、仕草、表情。いろんなところに、彼の面影が残っていて」


 だから君は、隠されてきたんだ。


 レオンセルクは断言した。ウィリアローナの姿を見て、エリオローウェンを知る人々は皆気づいただろう。だから引き取られてから数年間、屋敷から一切出されなかった。ウィリアローナ本人に何か事情があったのかもしれないが、それでも無理に出すことをせずうちに込め続けたのなら、それは、守られていたからだろうと推測できた。

 きっと、あの神聖王国の繰り返しの配役に、据えられてしまっただろうから。

「エレオリアの妹の手によって、エリオローウェンの娘が守られてきたのか……」

 思わず独りごちると、またたくウィリアローナに気づいて慌ててなんでもないよ、と繰り返した。またたくウィリアローナは小首を傾げながら、「エレオリア」と小さく呟く。

 彼女が、その名を知らないことがわかって、ほっとしたのはなぜだろうか。

「よく似ているけれど、違う物語を歩いている」

 だから、安心していいよ、とレオンセルクが笑うけれど、ウィリアローナにはよくわからないだろう。きょとんと瞬いたまま、困ったように笑って一礼する。

 それで、いいよとレオンセルクはもう一度笑みを浮かべて、先に、失礼するね、と扉の方へと向かった。

「また、お会いできますか」

 ウィリアローナの言葉に、レオンセルクはさぁね、と肩を竦める。答えないまま、廊下に出た。案内役として先に出ていた騎士が、深く深く、頭を垂れている。


「関わらないでほしい、と、言ったはずだが」

「怖いな。いつから居たんだい」


 金色の髪に、菫色の瞳。エレオリアの面影を強く残す、その美貌。

 皇帝エヴァンシークが、そこにいた。

「私がしたことではないよ。姫君が望んで、私は断りきれなかった、それだけだ」

「それでも」

 エヴァンシークはレオンセルクを睨みつけた。

「関わるなら、表に出てくればいい。公務として、皇帝と先帝の会談でも申し出ればいいだろう」

 エヴァンシークは父であるレオンセルクに、家族としてではなく。公人として、関われと言っている。


 あまりにも遠かった。これが、レオンセルクが失ったものの答えのようだった。エレオリアを遠ざけて、全てを放棄した果てに、失ったもの。自分を強く持ってさえいれば、失わなかったはずのもの。


「私を幽閉して、四六時中見張りをつけるかい」


 それもいいかもしれないね、とレオンセルクは笑った。

「でも、ここで失礼するよ、皇帝陛下」

 身をわきまえて、そう呼びかけたのに、どうしてかエヴァンシークの表情が凍りついたような気がした。ただでさえ、その美貌に全ての感情を押し隠し、内実を伺うことができないというのに。

「ヘルクス博士の部下が待ってるんだ。迎えが来たら抵抗せず従うから、一日くらい時間をくれないかな」

 返事はなかった。レオンセルクも答えを待つことなく、その場を後にする。人が増えた昼間の城内を、顔を隠すこともなく歩くのは本当にいつ以来だろう。


「あぁ、もしかして、また」

 自棄になっているかも、しれなかった。



きっと、お互い神様みたいに思ってるんだろうなぁ。



 あっちもこっちも二進も三進もいかない感じがもどかしいですね。

 レオンセルクはそろそろ自棄になるのやめたらいい。もういい歳なんだから。

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