7.姫君は沈黙しない
毎日通っている孤児院に、いるはずのない息子のお嫁さんを見つけたら、義父としてはどう反応するべきなのだろう。
それよりも、もう、関わらないで欲しいと釘を刺され、遠ざけたと思えば向こうからぶつかってきたかのようなこの状況を、どう説明すればわかってもらえるというのか。
「ええと、ですね、わたしこの国のことを、もっと、知りたくて、ですね」
聞いてもいないのに、ウィリアローナ姫は喋りだす。お願いですから城の誰にもこの場にわたしがいたこと言わないでくださいと何度も何度も繰り返しながら。
「以前からご縁のある修道院に行った帰りに、たまたま、本当にたまたまこちらによることになりまして」
ええ本当に偶然に!
カタンと勢いよく立ち上がるのを、まぁ、落ち着きなよ、と思わず腕を掴む。するとびくりとウィリアローナ姫の体がこわばった。その反応に違和感を抱いて、腕を掴んだままじっとその表情をうかがう。男性に対して強い恐怖心を抱くという話を以前聞いたことがあるが、この反応はすこし違う気がした。
まさかと思い腕を掴んだ手に力を込めると、堪えるようにわずかに眉がひそめられた。
「姫」
「はい」
「私がなにか、今聞いたね?」
「……お医者様、です」
よろしい、とレオンセルクは微笑み、椅子にかけなさい、と指示を出す。ウィリアローナ姫はおとなしくしたがった。
「これから、腕を見せてもらう。文句はないね?」
「ありま、せん」
観念したように、ウィリアローナ姫はうなずいて、レオンセルクが腕を見やすいようにあげてさえくれる。うんうん、良い子だねぇ、とうなずいて、そっと修道女の袖をまくった。
貴人であるが故のその白い、なめらかな肌。十代半ばの娘のきめは細かく、つやつやしている。けれどその手首から肘にかけて、赤黒い痣があった。顔を顰めながら、その痣を見つめる。打ち身か何かのように見えるけれど、姫の大切に守られているはずである生活の中で何がどうなってこうなったのか見当もつかなかった。
「……これは」
「つい、その、こけてしまって」
「……」
思わずじっと見つめると、しおれるように俯いてしまう。
「……修道院から、お城に戻る途中で馬車が、その……」
「馬車が横転したのです」
突然入ってきた侍女の姿に、ウィリアローナ姫は振り返りほっと肩の力を抜く。「ミーリエル」と短く呼ぶ姿は、本当に気の休まる相手なのだと伝わってきた。
外で雨宿りをしているように思えた侍女だっだ。ウィリアローナの侍女だったのか。
「研究棟の学者様、とあちらで伺いましたが」
「うん? まぁ、そうだね」
「なぜこちらに?」
唐突な問いかけに、面食らう。にこやかな表情だけれど、よく見るとじっと見つめるその目は笑っていない気がした。合わせて、馬車が横転したという事実を付き合わせて見る。
「私は」
「先生は、毎日くるよ?」
そこに、一人の少女が声をかけてきた。孤児院の少女だ。レオンセルクによく懐いてくれている。
「あぁ、足はもう大丈夫かい」
「うん! 痛くなくなるまで、走るの我慢してたよ。えらい?」
えらい、えらい、とレオンセルクは笑って、寄ってきた子供の頭を撫でた。この少女、以前男の子に混じって木登りをして、降りる際に軽く挫いたのだ。お転婆を咎めるつもりはなかったので、元気になってよかったねぇ、と笑む。
結果として返事を先延ばしにしてしまうこととなった侍女、ミーリエルの方を見ると、その目から険は消えていた。
レオンセルクの様子に、警戒を解いたようだった。レオンセルクからすれば、その判断は早すぎると思ったが、それよりも先ほどの言葉の意図がきになる。
「ここに現れた私を警戒していたということは、ただの事故ではなかったと?」
子供の前で、不穏な言葉はあまり使いたくなかったが、せめて短い言葉で問いかける。
レオンセルクの意図が通じたかは定かではないが、ミーリエルはうなずくこともなく、視線を落とした。
「気にしすぎ、でしょうか」
ウィリアローナの傍に寄って、じっと俯く。城下とはいえ、少女たちの足では城は遠すぎた。迎えの馬車を待っていると言ったが、その言葉も果たして真実なのか。
「帰る当てはあるの?」
「騎士が、お城に戻って迎えの馬車で戻ってくるはずなんですが」
「そっかそっか……」
うーん、とレオンセルクは顎に手をやりつつ、ひとまず、腕の手当をさせてね、と脇に置いてあった鞄から応急処置の為の道具を取り出す。ミーリエルがきょとんとしてウィリアローナの腕の痣にギョッとする。患部をまともにみていなかったのか、それともウィリアローナが隠し通していたのか、どちらだろう。
どちらでもいいけどね、と顔を上げると、ウィリアローナがじっとこちらを見ていた。なあに、と微笑むも、何かを考え込んだ目をしている。こちらを見ているようで、見ていないような。
「そっかと繰り返す、その、口調……」
「うん……?」
古代紫の瞳がじっとこちらを見てくる。あれ、なんだかおかしいな、とレオンセルクはここで気がついた。もしかして、と思う。もしかして、このお姫様。
「いえ、なんでもありません」
思案顔をパッと笑顔に変えて、ウィリアローナはゆっくりと首を振る。気のせいですね、と囁いた。あぁ、とレオンセルクは思う。もしかしなくても、この、お姫様。
「少し、知っている人に似た雰囲気がしたのですが、きっと気のせいですね。あの方が、研究棟で医学者様をしているわけがないですから」
あ、と気がつく。このお姫様、レオンセルクの顔を覚えていないのだ、ということに。
「あぁー……」
処置をしながら、全く思いもしていなかった事実に気づき、レオンセルクは何をいうべきか。いっそここでひたいに手を当てて見せたいところだった。そういえば、スタシアは一時期ウィリアローナの部屋に侍女として出入りしていたにもかからず、結局最後まで顔を覚えられなかった、と言っていた。特に憤慨する様子もなく、他人に興味がないんでしょうね。と評価していたが、つまりこういうことだろうか。
いや、最初に会ったのはほんの一瞬だったし、レオンセルクとして認識していたけどうかも微妙だろう。二度目は誘拐した時だ。暗い部屋で、影に隠れて言葉を交わしたので、ウィリアローナはもしかしたらレオンセルクの顔を見ていないのかもしれない。
うん、それに、顔をわかっていないというのは好都合じゃないだろうか。このまま、ただの医学者として、出会って、別れれば。
できたよ、と腕の手を当てを終えると、ありがとうございます、とウィリアローナは律儀に頭を下げ、大げさに感謝を伝えてくる。これくらいいいよ、とレオンセルクは苦笑して、こんなことで頭をさげるなんて、偉ぶったところのないお姫様というのは、あの場所に立つには頼りないかなぁ、となんとなく思う。エヴァンシークの弱みにならないことだけを、少しだけ、願うことにしようと思った。
「うん、そっか」
短く会話を切り上げたつもりだったのに、その言葉にウィリアローナがくすりと笑う。
「お顔は覚えてなくて、声もあまり。ただ、そんなふうに歯切れよく「そっか」と繰り返す方だったんです。お会いしたいのですが、なかなか」
「あなたなら、誰にだって会えるのでは」
「居所が掴めないのです。せっかくの手がかりも、取り付く島もなくて」
ふーんと聞き流しながら、出した道具を片付け始めた。この話題を続けると、レオンセルクにとってはあまりよくないことになりそうだ。レオンセルクはウィリアローナに関わるべきではないのだから。
「そうだ、研究棟にいらっしゃるなら、ご存知ありませんか? 何度か会談を申し込んでいるんですが、断られるばかりで……」
手がかり、とやらのことだろうか。二度目の嫌な予感だった。思い当たる節がありすぎて、何も言わずに笑顔だけ返す。
「ノア・ヘルクス博士、という方なのですが」
うん。なんと返したものかなぁ。レオンセルクは本当に困っていた。まさか、ウィリアローナがレオンセルクをそうと知らずに話していたと思っていなくて。
「なぜヘルクス博士に? 皇妃様が?」
「さすがに皇妃として手紙は出していませんけど……。小児医療の研究をされていると伺って、なぜなのか、話を聞いてみたかったんです。わたしは、この国のこと、わからないことばかりなので。けれど、後々大切になることを見つけて行こうと思っていて」
今大切なことは、全部皇帝陛下がされていますから。そう付け加えて、ウィリアローナは宙を見上げる。
「この国の子どもたちのために、何かをさせてもらえないかと思って」
ふうんと思う。残念ながら、ヘルクス博士はそんな先のことは考えていないし、そんな話をするだけ無駄だろうな、と思ったけれど、言わなかった。ヘルクス博士はただ、研究をする場所と、その口実が欲しかっただけだ。崇高な志など持っておらず、ただ、日々を消化するための役割としてそこにいるだけ。
ただの、レオンセルクの魂の抜け殻。それが、ヘルクス博士だ。
「旗頭になることが、会いたい人に会うための手段なの?」
「……そうですね、今のは、建前ですね」
会話がつながっていませんでした。つい、はぐらかそうとしてしまいました、とウィリアローナは微笑む。基本的に硬い表情であることが多いお姫様は、ちらっと見ただけではあまりあの人を想像させることはない。けれど、時折みせるその笑顔は、
やはり、彼に似ていた。
「ちなみに、ヘルクス博士のことはどれだけご存知ですか?」
問われて、肩を竦める。なんと答えたものかとレオンセルクは視線を泳がせて、
「あんまり」
言葉少なに答えた。正直なところだった。
「半年前に、突然どこからか研究室長として抜擢された、と聞いています。経歴も実績も不明。研究棟に何年も勤めている候補者を抑えての、突然の登場」
その選定のされ方は、不自然だと思ったんです。
「今までの研究棟での様子からすると、突然研究室長がどこからか現れるなんてことはあり得ませんでした。そこで、ヘルクス博士のことをより詳しく調べさせてもらったんです。そして、博士が前宰相閣下のつてを持っていることを知りました」
ふと思う。このお姫様は、こんな風に、ただの研究棟の医学者に、なぜこうもスルスルと心情を打ち明けるのか。自身の持っている情報、知り得ている内情を、包み隠さず口にする。思惑があるようには思えないので、疑うことを知らない、警戒心の薄い、本当に守られて生きてきたお姫様なのだなと思わせた。城の内情に疎く、人心掌握の術も持たないレオンセルクにつべこべ言えることはないのだが。
「前宰相閣下がわたしの会いたい人に通じていることは確実なんです。だから、わたしは……」
手元の道具も片付いて、そろそろ孤児院を後にしたいけれどこのお姫様をどうしたらいいのだろう、と思っているところへ、ウィリアローナがじっとその古代紫の眼差しを向けていることに、うん? と笑顔を返してみせる。
にっこりと、その笑みが深まった。隣に座るウィリアローナから、そっと手を伸ばされ、右腕を両手でキュッと掴まれる。
「同じ研究棟の医学者であるなら、わたしをヘルクス博士に会わせてくださいませんか?」
困ったな、と思う。すがるでも媚びるでもない、ただまっすぐな瞳であるだけなのに、こんなにも抗いがたい。
確かにこのウィリアローナは、エリオローウェンの娘だった。
そして何より、
養子とはいえあの、神聖王国の中枢を握る一族。
シュヴァリエーン家の娘なのだ。
それでも、レオンセルクがヘルクスに会わせるというのは無理な話だった。ここで約束を取り付けたとしても、今まで通りにヘルクスとしての行動を取っていれば再会することはそうないとは思うのだが……。
(あぁダメだ。毎日ここに来ることは知られているから)
どう断ろうかと考えあぐねている間に、ウィリアローナはそういえば、と口にする。
「わたし、あなたのお名前をまだ聞いていませんでした」
大変失礼しました。と詫びる様子に、退路を断たれ始めていることを知る。詫びるくらいならその握ったままの両手を、レオンセルクの右腕から離すべきだと思うのだが。
さて、ここでレオンセルクはなんと答えるべきだろうか。もう、ヘルクスともレオンセルクとも答えられない。どちらも、ウィリアローナが探している相手なのだから当たり前だった。というよりレオンセルクに会うためにヘルクスを探して、そのヘルクスと会談するために今こうして話している相手が本人。全部本人、というのは、春の聖女の引きの良さというか、運の良さというか、本当に神様に愛されているのかもしれない。
白状するべきだろうか。ため息をついているところで、別のところからそれは果たされた。
「ノア先生、研究棟から迎えの馬車がきましたよ。急な呼び出しとかで! ついでに近くまでウィーアたちを乗せてあげてはくれませんかね」
世話役の修道女が廊下から顔を覗かせ、「お願いしますね!」と行ってバタバタと去っていく。今日は本当に忙しいらしい。こんなに相手にされない日は初めてだった。
今日は特にウィリアローナがいたために、話し相手の必要性を感じなかったからかもしれなかったが。
「ノア先生?」
ウィリアローナが、瞳をまん丸にしながらそう首を傾げている。修道女の立ち去った廊下の方をじっと見つめ、考え込み、やがてレオンセルクを振り返る。
「ノア・ヘルクス先生……ええと、博士?」
「ごめんね。実はそうなんだ」
手短に謝ると、まん丸にしていた瞳がさらに見開かれた。キュ、と掴んだままの手に、さらに力が込められる。十代の姫君の握力なんて、たかが知れていたけれど。
前作のウィリアローナ姫がグイグイきてますが、元々の周りの見えてなさは変わりなさそう。もう少し自覚を持ったらいいんじゃないかなと思う。
レオンセルクは強気にグイグイ来られるのに弱いよね。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
拍手も感謝です。
収録すると言っていた未収録の拍手小話ですが、データが消えておりまして、サルベージもできないようになっておりました。(すごくだいぶショックで立ちなおるのに時間がかかったんですけど)
落ち込んでも消えてしまったものは消えてしまったものでしょうがないので、また時期を見て増やしていきたいと思います。。。(まさかPCデータ引っ越しの時のバックアップを、必要な時にゆっくり移動させようと思ってたら、ものの三ヶ月後にあっさり消されるなんて夢にも思ってなかったんだよ……)
色々甘いところがあるので訂正するかもです。。。あと誤字脱字もまた後日。。。
よろしくお願いします。
ひとまずこの話だけ誤字脱字訂正……。全編にわたって誤字脱字誤謬誤表記が多すぎるので、暇を見て直していきたいとおもいます。。。




