6.驟雨、襲来。
お待たせしました。。。
いつもの時間に、扉を叩く音がする。今日ばかりは、その扉を開けるのを躊躇した。そんなネリィに気づいてか、アガタがすぐ横をすり抜け、何も言わずに扉を開ける。
今日も変わらず、柔らかな笑みでどうも、と栗毛の侍女が頭を下げる。アガタも律儀にどうも、と頭を下げ返した。そのやり取りを、ネリィはただ黙って見ているしかできない。この侍女は今日も、無意味な手紙の配達にやってきたのだ。上司が、全く読むつもりのないない手紙を。
いつものように、博士は? と彼女が聞く前に、ネリィは扉を押さえたままのアガタの隣に並んだ。
「あの、もうここには……。わたくしたち、手紙ももう、受け取れません」
「それは」
「先生は、手紙も見たくないご様子です。ですからもう、こないでください。学会が終わって、それまでの疲れが一度に出ているんです。先生を煩わせるものからは、もう、できるだけ引き離したいのです」
昨日、視察官が帰ってから、上司は何事もなく作業を促し、自身も論文に没頭し始めた。けれど、少しして突然立ち上がり、置物に立てかけてあったその日に受け取った手紙を破り捨てたのだ。真っ二つに、それを重ねて更に破ってを繰り返し、散り散りにしてしまった。
だからもう、ネリィとアガタは手紙は受け取らないと決めた。
ネリィが真剣に侍女を見つめていると、やがて、侍女は気落ちした様子でそうですか、と囁いた。
「そのように、お伝えすればよろしいでしょうか」
お願いします、とネリィは頷いた。侍女は手紙を出さず、頭を下げて帰っていく。
アガタを見上げると、うん、といつもの顔で頷いてくれた。ほっとして、緊張が解けた気がした。
なぜだか、今日は穏やかに目が覚めた。ゆっくり起き上がると、部下の二人はきょとんとネリィが皿を並べて食事の準備をしてくれている。静かに起き上がったレオンセルクに気がつくと、優しく笑ってくれた。
「もう少し時間がかかるので、先生は支度をしてきてください。ゆっくりでいいですよ」
ネリィの言葉に促され、レオンセルクは隣室へと向かう。途中、つい意識をしてしまってエラルベール伯からの手紙を探したけれど、どういうわけかどこにもなかった。今日は、あの侍女は来なかったのだろう。
なんとなくほっとして、レオンセルクは隣室への扉を開いた。着るものを何にしよう、と考えながら。食事後の孤児院への往診は毎日のことなので、着るものも変わらないのだけれど。
昨日のことを思い出しては、キリキリと心臓が痛む。早く日常の中で、忘れてしまいたかった。
忘れることに、していた。
考えれば考えるほど、考え行き着いた先にはろくな結論が待っていないと、わかっていた。
だから、思い出しても平気になるまで、忘れしまおうと。
明日はもう、胸は痛まないだろう。
明後日になれば、思い出すこともない。
その次の日には、きっと、忘れられる。
そんなことが、あったかも知れないけれど、と、他人事のように、思えるようになる。
半年間通い馴染んだ孤児院に行く途中、急な雨が降ってきて、ほとんどずぶ濡れになってたどり着いた。寄るところがあって途中で馬車を降りたのが仇になってしまった。
拭くものを真っ先に借りなければ、往診どころじゃないな、と思いつつ門をくぐると、城の侍女のお仕着せをまとった娘が立っている。
街に出た際雨に行きあって、雨宿りでもしているのだろう。
すれ違いざまに愛想よく「どうも」と声をかけられ、レオンセルクも軽く頭を下げる。
そのまま中に入ると、孤児の世話役として詰めている修道女たちが忙しそうにしていた。両手いっぱいに抱えられた敷布は、雨に気づいて慌てて取り込んだ洗濯物だろう。
奥の部屋から聞こえてくる歌は、急な雨で室内遊びを余儀なくされた子供達のものだ。すぐ脇の部屋から走って飛び出してきた少年が、ずぶ濡れのレオンセルクを見てぎょっとする。
「うわ! 先生までびしょ濡れ!」
大変だー! とそのままどこかへ走り去っていてしまった。なんでもいいから誰か拭くものをくれないかな、とレオンセルクが寂しく見送っていると、少年が走って言った方向から、別の修道女がやってくる。まだ若い、十代半ばほどの少女に見えた。
「あの、さっき男の子が……。これを持っていってほしい、と」
見習い中であることを表すヴェールで、ほとんど顔が見えない。不慣れな手つきでタオルを差し出してくるのを、不思議に思いながらレオンセルクは受け取った。新参なのだろうか。
修道女を通して、拭くものをくれたさっきの元気な少年に感謝しつつ、レオンセルクは頭や顔を拭いて行く。若い修道女も、ぽんぽんと肩を拭いてくれる。傍目には甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる修道女だったが、見かけだけで役に立っているかといえば微妙なところだった。同じところしか拭っていないし、そもそも上着は脱ぐから拭く必要もないし。
いつその上着を脱ごうかと悩んでいると、別の部屋から古参の修道女が顔を出した。さきほど敷布を抱えていた女性だ。
「あら先生! いらしてたんですね。ごめんなさい慌ただしくて。急に降るものだから。ダメですね、雨って話には聞いてたけど何度経験しても雪とは勝手が違うんだもの。ちっともなれなくって」
いやいや、と首をふると、若い修道女が瞬きながら首をかしげる。
「先生…?」
若い修道女の言葉に、修道女は頷きながらレオンセルクに両手のひらを差し出す。あぁ、と頷いて、レオンセルクはようやく上着を脱ぐことができた。
「そうよー。あなたは初めてお会いするのだったわね。お城の研究棟に勤めてらっしゃる、偉い医学者様よ。研究のため、と言って毎日きてくれるの」
「お、しろ、の…?」
途切れ途切れにつぶやいて、じり、と若い修道女がさがっていく。城に嫌な思い出でもあるのだろうか。レオンセルクがきょとんと見守るのもつかの間、なんでもなかったかのように、そうですか、と落ち着いて居住まいを正した。
「ちょうど良かった、二人で話しでもしながら待っていて。急に降ってくるんだもの、仕事が増えてしまったわ。すぐ終わらせてくるから」
「えっ」
「いや、私は」
修道女の申し出に、レオンセルクもウィーアと呼ばれた若い修道女も、それぞれ声を上げる。にもかかわらず、修道女はにっこりと椅子をすすめた。
「先生も、今日は目立った怪我人も病人もいませんから、ゆっくりしていってください。ウィーアも、迎えが来るまでまだあるでしょう?」
それは、まぁ、と彼女は否定しない。結局断りきれずに、ウィーアとレオンセルクは隣り合わせに席に着いた。そういえば、とレオンセルクは首をかしげる。この見習いのウィーアは、なぜ孤児院にいるのだろう。見習い修道女といえば修道院で修行を積む身で、孤児院の子供達の世話をするのは正式な修道女の役目のはず。今までは来てなかったのが、どうして今日突然?
レオンセルクの疑問が聞こえたように、卓を挟んで向かいに立つ修道女はくすりと笑った。
「ウィーアは以前、遠くの修道院から手伝いに来てくれていたのです。今は結婚して、時々慈善市などで手を貸してくれるんですよ。正式な修道女ではないから、見習いの格好で、ですけど。たまたま近くまで来たからと、次の慈善市の打ち合わせによってくれたんです。孤児院に来たのは、本当にたまたま」
「若いのに」
結婚してるの、おどろいて思わず口走ると、「神様よりも良い人がいたのよね?」と修道女に話を振られ、ウィーアは慌てたように首を振った。恥ずかしそうに頬を抑える姿がかわいらしく、若いって良いねぇ、とレオンセルクはおもわず微笑んでしまう。
「あら、先生だってまだまだこれからでしょう?良い人くらい、いるんじゃないの」
そこのウィーアとはそれこそ親子ほどの年の差の、とっくのおじさんに何を言うんだい、とレオンセルクは笑う。何もかも忘れたことにして、ただ、その軽口わらうことにした。ひとしきり笑って、さぁもう一仕事してきます、と彼女はうでをまくった。あぁ、忘れるところだった、とウィーアを振り返ると、
「お城の学者様とお話しするんだから、そんなにヴェールを目深にかぶっては失礼ですよ」
立ち去る間際に突然そう言って、ウィーアのヴェールをとってしまう。詰め込んでいた黒髪がばらりと落ち、レオンセルクは彼女のぎょっとした顔が目に入って、あぁ、とその取り上げられたヴェールをなんとなく目で追った。一瞬見えた顔に、引き寄せられるようにして視線を戻す。
古代紫の瞳と目が合って、みるみる見開かれていく目に、あぁ、みるみる驚いた顔になっているのは、いま、レオンセルクの方か、と鏡写しのように思った。
思考できないまま、勝手に、驚愕の言葉が口をつく、
「な、んで」
「わぁあ……」
しぼりだすようなうめき声をして、ウィーアはその、小さな両手で顔を覆ってしまった。
黒い髪に、古代紫の瞳。
十代半ばの少女の。
つい先日、結婚した、というのは。
「ウィリアローナ姫……?」
「お城の皆さんには、内緒にしてください!! 特に陛下に絶対!」
言葉が重なり、レオンセルクは彼女の言葉をうまく飲み込めず、何も言えなかった。対する彼女は、そろりそろりと両手から顔を上げ、祈るような目で見つめてくる
その、あの王国の、誰からも愛された王太子と同じ目を、して。
日付変わる直後更新が、突然の直前更新ですみませんすみません。。。
雪ばっかり振ってた冬の国で、雨って付き合い難しいだろうなぁ、とふと思いました。
多分、馴染みないだろうなぁ。そしてちょっとでも太陽が出てたらお外に出してお日様の光で乾かしたくなるんだろうなぁ。




