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5.見開かれた菫色の瞳を、覗き込むことはなかった。

 こんな、ところに。


 目の前の青年の唇がそう動くのを見て、それはこちらが言いたい、という言葉をレオンセルクは強く噛み締めた。自然目つきが険しくなり、それを受けて対する彼が怯んだような気がする。でも、気を回してやる余裕はない。彼がここでレオンセルクと出会って、どう動くのか。ただじっと待つしかなかった。

「博士!」

 文官の男が、レオンセルクと金髪の青年が相対していることに気づいて、思わずというように声を上げる。金縛りが解けたかのように、彼ははっとそちらを振り返った。不安げな、迷うような足取りで離れていくのを見て、レオンセルクはほっと力を抜く。積み上げた本の壁の中から出て、廊下の文官の元へ行くべく研究室から抜け出した。


「……もうし、わけ、」

「いいよ、気まぐれにお忍びで出てきたのが、たまたま私の研究室だったということなら」

 君も知らなかったんだろう。謝る男を遮って、レオンセルクはため息をつく。研究室の扉を閉めて、廊下と完全に隔絶した。人目も構わずその場に座る。白衣が汚れることなど知ったことではなかった。

「なにも、わざわざこんな夜に来なくても。君たちはこれから夕食でしょう。勤務時間外じゃないの。ああ、あの人この時間の視察だったら余裕があるってことで見にきたんだったら、私は一体誰を恨めばいいのかな」

「申し訳ありません…‥。博士は、いつも夕食は遅くに召し上がるのですか……?」

「残念。私はさっき起きたばかりだから、夕食も何もこれから仕事なんだ」

 さっき? 夕方に? と男は困惑しているようだった。あぁ、これをロードロスへ伝えられたら、私は怒られてしまうな、とレオンセルクは苦笑する。彼はもうとっくに自分の領地に戻り、隠居生活をしているが、時々スタシアを通じて小言を届けてくるのだ。北方領主夫人であるルティーカも、スタシアと密に連絡を取り合っているらしい。二人とスタシアの制止によって、先日の学会には参加できなかった。言われずとも、参加する気はなかったけれど。その代わりにネリィとアガタがそれぞれの研究を学会で紹介することができたので、レオンセルクとしては全く構わないのだ。論文だけ提出して要項集には載せてもらっているので、研究も無駄にはなっていないのだし。

「昼間は不在と伺っていたので、この時間にさせていただいたんですよ」

 視察官の一人が、研究室から出てきながらそう言った。どうやらレオンセルクの言葉が聞こえていたらしい。きっちりと、視察官が扉を閉める姿を見ながら、肩をすくめる。研究室の扉は、あまり厚くできていないようだ。それとも平常心を保てないあまり、レオンセルクの声が大きくなっていたのだろうか。

「もう終わります。お騒がせいたしました」

 そっかそっか、とレオンセルクが小さく微笑むと、もう一人の視察官と一緒に、金髪の彼が部屋から出てきてぎくりとする。

「上の階は明日ですね」

「ええ。では、報告して帰ります。あなた方はここで解散しましょう」

 視察官がそれぞれ言葉を交わし、レオンセルクに一礼して去って行く。レオンセルクは本当に何もしていないが、あれで良かったのだろうかと思っていると、人影が一歩こちらへ近づいた。

 気づかないふりをしていたというのに、彼はこのまま立ち去る気がないらしい。

 レオンセルクは視察官を見送って、彼の方を向かずに窓の外へと視線を投げる。会話するつもりがないことを察しているのかいないのか、彼は隣に並び、同じように外を眺め出した。

(早く帰ればいいのに)

 口にはせず、レオンセルクはただ思う。隣の彼の容姿を思い起こしながら、ため息さえもこらえた。

 金の髪、菫色の瞳。生まれてから、二十と数年の若く瑞々しい容姿。


 輝く黄金の髪。レオンセルクの祖父と同じ菫色の瞳。

 レオンセルクが認めた、王の器。


 皇帝エヴァンシークが、そこにいた。



「……窓の外に、なにか?」

 同じように窓の外に目をやって、何を見ているのか、とエヴァンシークが問うてくる。この人は、レオンセルクと同じものを見たいと思うのだろうか。物心つく前からずっと放置してきた両親に、一体なにを思っているのだろう。

 恨んでいるに違いなく、最初の頃こそ遠くから見ていたけれど。皇太子にしたのも、皇帝にしたのも、レオンセルクはこの人を自分の都合のいいようにしか扱ってこなかった自覚がある。

 恨み言をぶつけられる覚悟さえ、持ち合わせていなかったけれど。

「……あなたは、今。幸せかい?」

 彼の方を見ないまま、つぶやくように問いかけた。隣の彼がこちらを伺うのがわかっても、顔を向けるつもりはない。こちらを見ないレオンセルクになにを思うのか、彼は視線を窓の外へと戻した。

「……幸せに、したいと」

 自分が、なる前に。

 それは、ウィリアローナ姫に対しての想いなのだろう。彼女の幸せが、自らの幸せだと、この人は言い切るのだ。


 そんな風に、想える相手が、いる。

 抱きしめて、離さないようにしている、存在が。

 きっと、ウィリアローナもこの人を守るべく手を伸ばしている。

 手の届く、場所で。


 開いた口を、閉じるしかなかった。

 何を言える。

 たった一人守れず。息子に、母を与えられず。手本になれたかもしれない皇帝という立場でさえ、エレオリアを理由に得て、そして捨てた。


 どんな顔をすればいい。自分よりもはるかに立派な皇帝となった、たった一人の慈しむべき存在に。どんな風に対することができる。

 こんな風に遠ざけたがっていることを、もし、エレオリアが見ていたら。

 思った瞬間、声が出た。

「望んでなんか、なかった」

 独り言のような言葉が、本当に小さな小さな言葉が、漏れた。

「こんなの、少しも、望んでなかった」

 遠い日に、ほんの少し、一瞬だけ憧れた、家族というものの形。

 それが、こんな形になってしまったことなど、永遠に、知らないままでいたかった。



 長い、長い沈黙の中、急速に傍の気配が冷え込んでいくのを感じる。先ほどまで健気にも寄り添うべく努力しようとしていた空気が、見る影もなくなった。

「……そうか」

 低く、唸るような声だった。その言葉は、ほとんど初めて接する父への対し方に迷う青年のものではない。もう、彼はたった今、レオンセルクに対して皇帝エヴァンシークとして振舞うことを決めたようだった。

「よくわかった」

 酷薄な笑みの混ざった、声だった。

「ならば、目を閉じていればいい」

 彼は一歩足を引いて、頑なに彼のほうを見ないレオンセルクに向きなおる。背丈はレオンセルクよりもずっと大きく、その立ち姿一つ取っても、そうなるべくしてなったのだとわかる。国の誰もが、誇りに思える皇帝の姿だった。

「何も見ず、関わらず、そうして城の隅にいることは許そう。あなたが俺に関わることは、もうないだろうから」

 だから、と低く、彼は続けた。

「あなたが今後、俺に関わるものに手を出すと言うのなら」

「もう、次はない」



 目を伏せて、レオンセルクはエヴァンシークの方を向いた。顔を上げることはなく、そのまま、


 皇帝エヴァンシークに、臣下の礼をとる。礼はとるのに、そのまま背を向けて研究室の扉に手をかけた。視線がこちらに刺さったままであることには、ちゃんと、気づいている。


「先代を思い描いて、ああはなるまいと願いながら、生きているだろうね」



 扉をあけて、半身研究室に入ってから、振り返る。扉の影に隠れるようにして、レオンセルクから見れば扉に皇帝の姿を隠すようにして、その、金の髪だけ視界に入れた。


「私も、そうだったんだよ」


 言い捨てて、扉を閉めた。すぐに小さく、皇帝が壁を殴りつける音が聞こえる。ああ、これで、きっと、レオンセルクは息子を失ったのだろう。

 けれどどうでもよかった。皇帝と対立したことに、何の後悔もなかった。そもそも、以前ウィリアローナをさらった時点で、皇帝は今回レオンセルクを拘束してもよかったのだ。それをしなかったのは、

「馬鹿だなぁ、あの人は」

 一体何を、期待できたというのだろう。


 暗い顔で呟いて、顔を上げるとネリィとアガタじっとこちらを伺っていた。泣きたい気分になりながら、ヘラリと笑う。思った以上に、この居場所。レオンセルクは気に入っていることを、今更ながらに自覚する。

「視察が入るなんて、参ったね。今日の予定、崩れてしまったけど再開しようか」

 仕切り直して促せば、頼りになる部下二人は思い思いに頷いて、それぞれの本日分の作業を始めだす。レオンセルクも、先日の学会で新しく発表された論文の読みかけを手に、長椅子に寝転がった。

「あっダメですよ先生、この間そうやって寝ちゃったでしょう。食べてすぐ寝ると牛になるんですよ!」

「あんなことがあって二度寝なんてしないよ。ネリィくん、広机、綺麗にしてくれてありがとう。これだけ広さがあると、何でもできそうだねぇ……。うーん、次は何をしようかなぁ」

「次は……って、大掛かりな実験装置作るときはちゃんと言ってくださいよ! アガタと二人で夜中に勝手しないでくださいね! あと、ちゃんと研究に則した装置にしてくださいね。ただやってみたかっただけ、で突然飴作り出したりしないでくださいよ」

 ちょと悪戯めいたことを考えると、ネリィはすぐに小言を挟んでくる。勝手も何も、ここはヘルクス博士の研究室で、ヘルクス博士というのはレオンセルクのことなのだから、勝手をして当然のはずなのに。

 今までこんな風に遠慮なく咎め立てる相手なんていなかったので、新鮮だった。


 もう、ここで、こんな風に静かに生きていければ、それでよかった。






(よかった……)

 くつくつと笑うレオンセルクの笑顔に、怒っていたはずのネリィは、全くもう、と笑ってしまう。視察官がいる間の上司は、まわりの空気が張り詰めていて、近寄るのも怖かった。

 二人の視察官とは少し身なりの違った金髪の男性は、ただ室内を見て回るだけで、ネリィにもアガタにも話しかけてこなかった。あの人は何しに来たんだろう。あの整った顔立ちは、どこかで見たことがある気がしたのだけれど。

 上司を眺めながら、ネリィはくるくると思考を回す。


 ふと、確信をかすめた気がして、心臓がひやりとする。

「あれ?」




 あの、人は。

 

 めまぐるしくたくさんの人の顔が現れては消える。高貴な場所、煌びやかなところで、あの人を見た。

 あの人。あの人は、


 確か、


(皇帝陛下……?)



 それでは。


 その皇帝陛下に、近しいような物言いをする、上司は、一体誰なのだろう。


 いつも読んでいただきありがとうございます。

 お気に入り登録もありがとうございます。

 評価もありがとうございます。

 数日午前5時にまとめて読んでくださった方がいたような気がします。ありがとうございます。

 更新が遅すぎるあまりに、4回も通し読みしてくださった方にも、ありがとうございます。


 思いの外レオンセルクの方が頑なだなぁと思いました。前作わたしのお姫様〜、では、皇帝エヴァンシークの妙な頑なさが目立ったというのに……。

 ということで、これからweb拍手の方に一本お話を公開しようと思っております。のちのち収録する予定ではありますが、こちらも合わせて楽しんでいただけると幸いです。

 時間のなさにかまけて放置し続けていたweb拍手ですが、今後少しずつ追加していけたらなと思っています。放置している中にも拍手してくださった方々ありがとうございました。おかげさまでめげずに頑張れました。

 一本か二本、収録し損ねているweb拍手小話がある気がしています。こちらも、近いうちにバックアップ用HDから発掘して、web拍手のお礼に混ぜておきますね。


 最終話まで、このペースで更新できたら、と思っております。今年中の完結を目指しております。毎年そう言っていたような気がしますが、今年こそは完結したいと思います。本当に誤字脱字、誤謬の驚くほど多い小説におつきあい頂きありがとうございます。少しずつ修正して行きます。

 何卒最後までよろしくお願いいたします。


 真城

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