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4.もたらされる手紙と、やってきた思わぬ姿

 いつもの時間のノックの音に、ネリィはため息を吐きつつ扉を開けた。

 現れた小柄な女性に、どうも、と笑顔で挨拶される。ネリィも、どうも、と軽く頭をさげる。硬くまとめてあるネリィの栗毛と同じような色とは思えないふわふわした愛らしい髪を揺らして、その侍女は笑みを絶やさずそこにいた。

「あの、室長さまは……」

「寝てます」

 そこで、といつものように長椅子を指し示すと、栗毛の侍女は「あう……」と呻いた。それでは、と残念そうに懐から封筒を取り出して、ネリィにはい、と渡してくる。ネリィはあきれ顔で、それを受け取った。

「数日空きましたが、明日の分です」

「本当に、あなたのご主人様は待ってるの?」

「もちろんです」

 予定は空けてらっしゃいますよ、と侍女はにっこりと応える。ネリィよりも幾つか年下だというのに、落ち着いた所作振る舞いというのはさすが侍女だなと思う。こういう立ち振る舞いを求めて、貴族の娘たちは行儀見習いに城へ入れられるのかと、どこか遠い世界のことながらに納得した。

「あなたのご主人さまって、何者なの?」

「申し上げられません」

「無視されて怒ってないの」

「気長に待つとおっしゃってます」

「先生に何の用なの」

「存じ上げません」

「先生とどういう関係なの」

「存じ上げません」

「自分から来たらどうなの」

「そうですよね」

 質問責めにされ困ったように、侍女が微笑む。まるでネリィがいじめてるかのようではないか。

 自由に身動き取れないくらい尊い方、ということだろうか。先ほどから、何一つ主人の情報はもたらされない。それは、優秀な侍女の最低条件のようだった。それでも、ネリィは言わずにはいられない。

「だって、もう一ヶ月よ。ほとんど毎日きてるじゃない。あなたもご主人様も大変でしょうに」

 本当はよっぽとの暇人なんだろうななどと思っているのは内緒だ。そんなこと気づきもせずに、可愛らしい侍女はクスクスと笑う。

「お気遣いありがとうございます。でも、本当に毎日ではありませんから、大丈夫ですよ」

 それでは、失礼します。小さく腰を折って頭を下げ、栗毛の侍女は去っていった。ネリィが振り返るとアガタが肩をすくめてきて、ネリィは天井を仰いだ。受け取った手紙は、壁際の棚へ。置物に立てかけるようにしておいておく。ヘルクスが行こうと思った時に行けるように、そして新しい手紙が来れば、ヘルクスが開封しなかった古い手紙はネリィたちが処分する、ということになっていた。今の所、最初の一通目以降、手紙が開封された様子はない。

「侍女さん帰ったし、そろそろ先生起こします? アガタ?」

「そうだね。昨日と一昨日侍女さんこなくて、起こすきっかけ計り損ねたし。遅めに起こしたらさすがに「寝すぎた…」って先生呆然としてたから、起こそう。ネリィくんお願い」

 ヘルクスはいつも、目覚めて食事の後は孤児院に赴く。往診の時間はその日の夕食の前と決めているのに、二日とも夕食後となってしまった。普段はおっとりとしているのが、寝過ごしたことに落ち込んでさらに動きが鈍くなったのを、ネリィとアガタが必死で励まし送り出したのだった。そのことを思い出して、ネリィは小さく微笑む。まったく子どものような人だなと思いながら、ヘルクスを起こそうと手を伸ばした。

「先生、そろそろ起きてください」

 いつものようにガバリと起きるヘルクスにいつも通りにびっくりしてから、ごはんですよ、と声をかけた。




 今日も、あの侍女は来たんだろうな、とレオンセルクはため息を吐く。まいにちまいにちまいにち、飽きもせずに。律儀に、便箋も封筒も毎度別のものを使って。中は見ていないからわからないが、季節の挨拶なんかも織り交ぜているに違いない。

 エラルベールを名乗る貴人が、来ることはないだろうレオンセルクを思いながら、困った顔で書くのが目に浮かぶようだった。かといって、レオンセルクは決して呼びかけに応じることはない。数日後に迫った学会にも、欠席することは伝えてある。レオンセルクはもう、二度と身分ある人の招きに応じることはないだろう。本当の身分を前提として会おうというなら、なおさらだった。

 真実の身分は、その勝手が許される場所にある。

 

 いつものように身支度を整え研究室に戻ると、ふと窓の外を見やった。

 季節外れの雪が、しんしんと降り続いている。皇帝夫妻が三日ほど城をあけ、近隣の町の視察に行っている。そこで降り出した雪だった。先ほどまで抱いていたのとは別の、苦々しい感情が胸をよぎる。なぜこんな感情を抱かなければならないのだと、途方にくれた。


 季節外れの、この雪。


 ウィリアローナ姫の不在がもたらした雪。

 かの姫君が訪れたことでやってきた春は、同じくその不在によって、こんなにもあっさりと翻る。

 民は思いもしないだろう。まだ残る呪いの名残が偶然姿を現した、北の大地だから雪くらい降る、くらいにしか思っていないに違いない。けれど、関係者は皆知っただろう。


 ウィリアローナ姫を、城から出してはならないと。


 ほんの一年前、神聖王国から花嫁行列をなしてウィリアローナ姫はやってきた。あの時、かの姫君が国境を越えると、たちまち国に春の兆しが満ちた。対して、姫君が城から離れるとこんなにも瞬く間に反転する。国境を越えてもいないのに、国内にいるにもかかわらず、城を離れた今、明確に冬の気配が忍び寄ってくる。

 ウィリアローナ姫は、もう二度と、この城を出ることは叶わない。レオンセルクは彼女の多くを知るわけではないが、それでも、なんでもないことだと笑う姿が想像できた。

 春を呼んだ聖女は、両親を亡くして公爵家に養子に入った後、神聖王国の王女ハプリシアの一の侍女になり、そして帝国の花嫁としてやってきた。九年もの間、彼女は公爵家と王城と、一歩も外に出ることはなかったのだという。だから、今までと何も変わらないわと、笑うのだろう。

 そんなことはないと、レオンセルクは思う。

 誰かが、何かのために、そんな風に閉じ込められていいわけなかった。帝国に春を呼ぶために、ウィリアローナは城にとどまる。ことはそんな単純な話ではない。それは、たとえば、仮の話、ウィリアローナ姫が愛する皇帝陛下その人を失ったなら。


 悲嘆にくれる姫君を、帝国はそれでも城にとどめ続けることとなる。


 雪を見ながらため息をつくレオンセルクを、ネリィとアガタはだまって見守っていた。ネリィが食事の準備を終わらせる横で、その後の外出に備えてアガタが上司の外套を用意する。そしてアガタ自身の支度も。今日の往診についていくのだ。この雪で何かあったとき、一人では危険だから。

 食事の時間は静かだった、レオンセルクが考え事をしているのを察してか、ネリィもアガタも黙ったまま。少しして、レオンセルクがふー、と息を吐いた時、ふと、ネリィがそういえば、と囁いた。

「噂、ですけどね。視察が来るのではないか、と」

「視察?」

「ええ。皇帝陛下の新体制になって七年。春が来て一年。皇妃様もお迎えして、後回しにしていたことを少しずつ進めていこうということで、国の事業の見直しが少しずつ始められているそうです。そんなわけで、星見の塔に先日視察が入ったそうですよ。縮小されるだとか予算が削減されるだとかの話は聞きませんけど。まぁ、国が見てますよ、という民への意志表明みたいなものでしょうか。星見の塔も、部屋ごとの視察だったそうなので、もしかしたらこの研究棟にも、研究室のごとの視察があるかもしれませんね」

「へぇ」

 視察だなんて。

 レオンセルクは小さく笑う。自分が皇帝だったときは、考えもしなかったことを、あの人は真面目に、実直に、誠実にやっている。国を思って、正しい王様として。

(あの人が、ウィリアローナ姫を真に愛しているというのなら……)

 もう一度だけ、レオンセルクは窓の外へと視線をやった。視察に出た皇帝夫妻は、今日帰って来る予定だが、帰って来なければいいのに、と思う。

(そのまま、逃げてしまえばいいのに)



 レオンセルクの祈りに反し、皇帝夫妻が帰ってきた。狙ったように雪はやみ、ウィリアローナ姫の運命が決まったようなものだった。

 ある日孤児院への往診から帰ったところで、自分の研究室が騒がしいことに気づく。なんだろう、と思いつつも部屋に戻ると、ネリィとアガタがばたばたと室内を整理していた。驚いて何があったのかとレオンセルクが問えば、今気がついたというように、ネリィがお帰りなさいを言った。そして、アガタが事情を聞かせてくれる。

「視察?」

 すべて聞く前に、レオンセルクは思わず声を上げてしまった。先日話していたことが現実となったのだ。言葉の途中での問いかけに、気分を害することもなくアガタはうなづいた。

「そうなんです。これからくると先ぶれが」

 ええと、とレオンセルクは考えて、隣室の扉を見た。

「私はこっちの部屋にいるから、失礼のないようにね」

「せんせい?!」

「ちょっと待ってくださいだめですよ。この研究室がちゃんと国の求める研究に従事しているかどうかを見にくるんですから」

「そうですよここで示しておかないと、先生がいなくてどうするんですか! 研究室がなくなってしまうかもしれないんですよ」

 それはない、とレオンセルクは思うけれど、二人の気迫に勝てず、部屋の隅で本を積み上げ壁を作った中で、ただじっとしていることで凌ぐしかなかった。私は空気、と唱えながら小さくなって本を読む。二人の部下は手分けして散らばっているものをかき集め整理し、見栄えだけを整えているようだった。全くしっかりした部下で助かる。

 しばらくして聞こえたノックの音に、ネリィが慌てて応じた。

「博士は?」

「そちらに」

 扉から顔をのぞかせ、レオンセルクを「博士」と呼ぶのは、この研究棟の責任者である文官の初老の男だった。ロードロスと話を合わせて、レオンセルクをどうにかこの研究室に置いてくれている。目が合うと恭しく頭を下げ、すぐすみますから、と廊下に戻る。視察とやらの出迎えに行ったのだろう。

 すぐ済むなら、それでいいかと、本に視線を落とすと同時に、部屋の外が騒がしくなった。先ほどの男が、何やら慌てている声がする。何をあんな風に大声を上げているのだろう。

 なぜ、だとか、なんとか。

 視察の手により扉が開くと観念したかのように男は押し黙りじっと顔を俯かせる。

 不思議に思いながらそれを見やっていると、三人の男が研究室の見聞を始めた。ずかずかと無遠慮に入ってくる二人が、まずネリィ、アガタにいつからこの研究室にいるか、と言った通り一遍の簡単な問いかけをしている。アガタとネリィが代わる代わる答えていくなかで、室長はあれか、などと指されはしたが、呼びつけられることはなかった。

 余った一人はしげしげと本棚や器具を眺めている。その美しい金の髪は貴族のようで、そう思えばこうして仕事をせずにいるのは、名目だけの役割だからかとレオンセルクは勝手に納得する。首筋にかかる長さの髪はうなじでまとめられており、高価な縁なしの眼鏡に慣れていないのか、目元に手をやるのに何度か指が硝子にぶつかっていた。

 そっとため息をついて伏し目がちになった。その眼差し、目の形に、レオンセルクは息を飲む。

 ふと、その貴族が振り返り、部屋の隅で本に埋もれていたレオンセルクと目があった。


 その、菫色の瞳が、見開かれるのがわかる。

 


 こんな、ところに。

 そう、震える唇がうごくのが、わかった。



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