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6.語らぬ強引さは、透明な瞳から逃れられるかどうか。

「どういうつもりかご説明いただきたい」


 エレオリアが、そのやり取りを知ることはなかった。

 それは全て、同じ屋敷内であっても彼女の寝室から遠くはなれた場所でのことで。

 白衣を羽織った男は、優雅に足を組んで微笑む。向かいの席についているのは、この屋敷をまかされている老人だ。


「エレオリアを僕の屋敷に連れて行く。その為に、彼女は死んだことにしたい。偽りの葬儀をする協力をしてほしい、と申し出ているんだけど」


 わかりにくかったかな、と亜麻色の髪の男は笑った。押し黙る老人に向かって、肩をすくめる。


「きちんとした設備と、知識のある助手。整った環境で時間をかければ、助かるかもしれない病なんだよ。屋敷中の人間が、あの娘がここで死ぬものだと思っていたのだとしても」


 僕なら彼女を救えるんだよ。


 それなのに、ここに縛り付けておかなくてはならない理由はなんだ、と。男は呟く。黙って聞いていた老人は、小さく笑った。


「こちらが承服しかねるのは、偽りの葬儀、というところです」


 エレオリアは、伯爵家の娘。王太子の元婚約者。


「あなたは、この屋敷のもの全員に対し、王家に偽りを伝えよ、と仰せです。なぜ、正規の手段で、あのお方を救えないのですか」


「僕の事情に巻き込みたくないからさ」


 老人の言葉が言い終わるかどうかの早さで、男は言葉を返した。その笑みはどこか淡く、ゆっくりと目を閉じ、長椅子の背もたれに身体を預ける。


「学生という身分だから、家の力を使えないというのも、まぁあるけど。治療は今すぐはじめたい。手遅れになる前に。正規の手段をとろうと思えば、治療は僕の修学期間が終わってから、その上それから準備をすることになる。時間が、かかるんだよ。ただでさえ、治療には時間が必要なのに。他事に煩わされ、無駄な時間を食って、もう五年もたてば、あの娘は手遅れになってしまう」


 手段はある。お金も、人手も。時間さえあれば、男はエレオリアを誰に隠す必要もなく側に置くことができる。


 しかし、エレオリアには、決定的に時間が足りなかった。


「君たちは、あの子の名誉ある人生と、命。どちらをとるのって話だよ」


 死んだことにされれば、もう二度と光の元での生は叶わない。だからと言って、主人に死を選ばせることが正しいか、どうか。


「……エレオリア様は、花がお好きです」


 老人が、突然呟き始めた。


「鳥のさえずりや、優しい風。川のせせらぎ。ここには、何一つないものです」


 それでも。


「一面の雪を、愛しまれるようになりました」


 どこにいても、そこにあるものをあの方は愛されます。目に映るものを、あの方は愛されます。

 もう、見れぬようになるのだと。

 そう言って、惜しむかのように一日一日の変化を愛されます。

 うん。と男はうなずく。知っているよ。


 あの子は、世界に恋をしているね。


「終わりへと近づいているようにしか見えないあの方の未来を、夢見ても良いのでしょうか」


 震えながら、祈るように組んだ両手は、老人の額に強く押し付けられる。


「あの方の生を、絶望せずともいいのでしょうか」



 老人の訴える声に、湿ったものが混じる。あぁ、と男は微笑んだ。愛されているじゃないか、あの娘。


 男は、うん、とうなずいた。


「エレオリアは、僕が救ってみせる」


 必ず。





 こうして、エレオリアは死んだ。知らせはニルヴァニア王城へ、伯爵家へ、国の貴族たちへと伝わった。

 病の為、医師のすすめで火葬を執り行っても良いかと伯爵にお伺いを立てたが、伯爵からの返事はなく、ようやく返事をしたため送ってきたのは上の兄であった。


『治らぬといわれていただけあって、正体もわからぬ病のこと。どうか、そちらの医師のすすめにしたがってください』


 つまり遺体は、ニルヴァニアへ戻ることはなかった。

 屋敷の者たちはその手紙の返事に、エレオリアの髪を同封した。



 親兄弟の次となったものの、その手紙を最終的に受け取ったのは、変わり者と名高い、王太子だった。


「……エレオリア」


 中からこぼれ落ちた彼女の金髪を手のひらで受け止めた。拳が作られる。どう力を抜いて良いかがわからない。震える手で、顔に押し当てて。


「リア……っ」


 ずっと側にいたのに。

 ずっと側にいるはずだったのに。

 彼女を愛せなかったが為に、突き放されてしまったら最後、追いかけることができなかった青年は、



 涙をこぼすことなく、澄んだ瞳で空を見据えた。










 男の屋敷へ向かう途中。揺れる馬車の中、エレオリアは目を閉じて思う。

 過るのは、ずっと側にいた婚約者。

 あの、心優しい変わり者の王子様。


 誰かの胸に刻み付けるような記憶は、欲しくなかった。そんな風にして、誰かの記憶として、この世にとどまりたいとは思えなかった。


「ねぇ」


 狭い馬車の中、向かい側に座っている男に声をかける。

 あなたが興味あるのは、エレオリアの病だ。

 それなら、病気が治ったあとのエレオリアは、どこにいけば良いというのだろう。


 そういったことを聞きたかったのに、どう言えばいいかわからず口を閉ざした。


 死んだことになどせず、病を治す方法ならいくらでもあったに違いない。それこそ、黙ってエレオリアが男の屋敷へ行き、治療を受け回復して、戻ってくれば良いだけだ。死んだことにするのと、屋敷にいると装うこと、どちらが手間だろう。

 あの口のうまい男に屋敷の者たちは丸め込まれてしまったようだけれど、エレオリアが死ぬ必要などどこにもなかった。絶対に。

 それなら、そこに何か意味があるのだろうか。


 エレオリアの病を治したら、あの男はエレオリアをどうするつもりでいるというのだろう。


 エレオリアの生は、すでにエレオリアの手を離れている。死ぬのを待つばかりだった命を、拾ったのはこの男だ。

 だから……。


 だからと言って、それは、エレオリアの思考停止の理由にはならないのに。





「エレオリア」


 呼ばれて、目を開ける。とろりと澄んだ瞳と目が合って、瞬いた。

 しばらくじっと見つめ合って、男はふわりと笑う。


「なんでもない」


 なんだ、ともう一度瞬く。自然目が眇められ、首を傾げそうになって、先ほどのエレオリアと同じことをしたのだと気がついた。あんな風に見つめた覚えはないけれど。




 男の屋敷で暮らすにあたって、エレオリアはいくつかの約束事を言い渡された。

 まず、外に出ようとは思わないこと。部屋に面した中庭を一つ与えるから、そこで満足してほしい。

 次に、屋敷の人間と無闇に言葉を交わさないこと。特に、ニルヴァニア王国の伯爵令嬢であったことは、もう忘れてほしい、男が病を治す為につれてきた、病気の娘。それ以上でも以下でもない、と。けれど、待遇は徹底させるから、心配しないでほしいとも。

 それから、なるべく一人にならないこと。常に部屋には侍女を置くから、少し調子が良くなったからと言って一人でどこかに行かないでほしい。

 言葉を交わすなというくせに、一人になるなという。調子がこれ以上良くなることなどあるものか、とエレオリアはむっと唇を引き結びながら、つい、と目を逸らした。

「エレオリア?」

 優しい口調で問いかけてきた彼の目は真剣で、エレオリアは渋々、うなずいたのだった。


 まったり更新中です。読んでいただきありがとうございます。

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