18.いつかこの日の出来事を、君に語る日が来るだろうか。
今にも泣きそうに見開かれた目でウィリアローナはそれでも泣かない。悔しさに、唇を噛み締めて、でも負けるまいと必死にレオンセルクの方を見つめてくる。
「さい、しょから、魔性、に、魅入られているというのは、どういう」
「ん? あれ、知らない?」
神聖王国公爵家なら、知っているものだと思っていた。
「神様と春の女神様と人間の娘の話。神聖王国の最初の伝説。建国譚」
それに対して、ウィリアローナは知っている、と頷く。視線で続きを促されて安心した。
ウィリアローナはレオンセルクがこれから語るトンデモ論を、果たして受け入れてくれるだろうか。
「私はあれ、神様が人間で人間の娘が魔性だと思うんだよ」
訝しげに顔をしかめられたのがわかって、思わず笑う。
「誰からも愛される人っているよね。神聖王国の、先王時代の王太子がそうだった。行方不明になっちゃったけど、あの人は本当に誰からも愛されたよね。家出して、行方不明になっちゃって、残された人が可哀想だったくらいに」
それが、最初の人間の娘もそうだったんじゃないかって、レオンセルクは思うのだ。
「神様って言うのは、その時代に元々あった国の王様で、女神様はその奥さん。奥さん押しのけて、神様は魔性の娘を召し上げた、っていうの、どうかな」
「では、なぜ冬は」
「そこなんだよねー」
冬がなぜくるのか、という問いに、これでは答えられない。登場人物すべてをただの人間だったとするトンデモ論だからだ。
やっぱりこの案却下かな? とスタシアに聞くと、私は最初に申し上げました。と冷たく返された。思いついた時に語って聞かせたときから、彼女はこの調子だ。そっかそっかーと肩を落とす。
だって、レオンセルクは信じたくないののだ。
「君はファンタジーを信じているのかな。私はあんまり信じていないんだけど。まぁ、実際百何年も冬が巡り続けたり、春が戻ってきたりしているから、私の負けかなぁ。ファンタジーは存在するもんだねぇ」
胸の痛みをこらえながら、レオンセルクは目を閉じる。信じたくは、なかったのだ。世界に神様がいることなど。今はもういないのだとしても、確かに存在したのだという事実など。
「でも、やっぱり納得できないのは、何故ハプリシアに春は取り戻せなくて、君に取り戻せたか、なんだよ。父親をここで明らかにするのはやめておくよ。でも、大して変わらないはずなんだ。正統性がどうもなにも、大した問題じゃないはず」
だって。
エリオローウェンにだって、春は呼べなかったのだから。
「だとしたら、やっぱり君の母上に何かあったとしか思えないんだよね」
混乱するウィリアローナを前にして、レオンセルクは語る。調べたこと。調べても何も出てこなかったこと。ウィリアローナの母親が、正式な地位についていなかったこと。
「疑わしい事実ばかりが出てきて、肝心な真実が出てこない。だから、私は君に聞きたいんだ」
エリオローウェンの最愛は、何者だったのか。
力を持たぬ古代紫の瞳の少女は、ふるふると首をふる。亡き母を侮辱されて、憤りに顔が赤くなっていくのが見てわかる。なのに、返す言葉が見つからず袋小路に迷い込んでいるようだった。
「神様は、人間の娘に恋をして、結ばれて、息子が生まれた。息子に王国を与え、女神が自然に反した祝福を与えた」
畳み掛けるようにして、レオンセルクは繰り返す。
市井に知られる建国譚を。
「女神が王様に恋をして、祝福を与えた」
神聖王家に伝わる建国譚を。
ウィリアローナは知っているはずだ。
エリオローウェンが手にしていた、先王家に伝わる建国譚を。
いや、もしかすると、エリオローウェンでさえ知りえなかった歴史を知っているかもしれない。
ゆるりと、ウィリアローナはレオンセルクを見る。
静かな瞳。祈りを捧げる聖職者のような、物言わぬ穏やかな眼差しで。
その胸のうちで、一体誰の名を叫んでいるんだろう。
「本当に恨んだのは誰で、嘆いたのは、誰だったのでしょう」
声は、もう出ないはずなのに。ウィリアローナははっきりと口にした。
その、問いかけでもない静かなつぶやきに、レオンセルクは確信する。胸に熱いものがあふれ、自然と顔には笑みが浮かんだ。
「全て、君は知っているね」
言葉をかけた途端、ウィリアローナはまるで意識が戻ったかのように瞬いて、人間らしい表情になる。さっと体がこわばり、顔色が白くなった。あ、と思う。レオンセルクはきっと、今、最大の機会を失った。もう、彼女の声はほとんど出ない。先ほどの色を保った声は、一体どうやって出したのか、レオンセルクにはわからなかった。きっと、ウィリアローナにもわからない。
小さく息を吐いて、レオンセルクは目を閉じる。スタシアの合図に、観念した。そろそろウィリアローナの居場所を移さなければ、見つかってしまう頃合いだった。
「ほんとは全部聞かせてもらうつもりだったのに、君が余計なことするから」
「悲鳴などあげられて、化け物騎士に襲われるのは避けたかったので」
そっかそっか、と笑う。ウィリアローナに付き従う神聖王国からやってきた少年騎士は、いずれ帝国最強の騎士になるのだろう。
「その状態じゃ、語らせるのは酷だしなぁ。また今度にしようかな。その隙があると良いんだけどねぇ」
軽薄に笑い続けていると、ウィリアローナの眼差しがきつく、レオンセルクを睨みつけた。迫力はなく、脅威はない。だから、またね、とレオンセルクは片手を上げる。
「また今度ね、お姫様」
椅子から立ちがる。ウィリアローナの横を抜けて、出口の方へと歩き出す。この後はスタシアがウィリアローナを次の場所に連れていく手筈になっていた。
「ま、って」
ほとんどかすれて聞き取れない呼びかけに、振り返る。
「うん?」
「なんで、こんな」
もっともな質問だった。ウィリアローナにはきっと、知る権利がある。
「ハプリシアだと思ったのさ、君のこと」
なのにね、聞いてた話とずいぶん違って。
「あの人を愛してくれる花嫁は、リンクの妹だとばかり思っていたんだ。息子のように思っていた、たびたび可愛がっていたあの可愛い王子の。それが違うって言うから、調べたくなった」
まぁ、とっくの昔に情報はまとめられて、聞いたその瞬間にこの子が書類を出してきたわけだけれど、とスタシアを示して笑う。
「そしたら今度は辺境伯が気になって、君の母上が気になって、調べていくうちに、決定的な何かが出てこないことに気づいた」
だから、直接聞くしかないと思った。それだけの、話だよ。もう良いかな? と首をかしげる。ウィリアローナは顔をじっとレオンセルクを見つめたままだった。
「あなたは、誰」
「私かい?」
何だそんなことかと笑って、軽やかに向き直る。ウィリアローナの顔を、親しげに覗き込んだ。なんて名乗ろうか、と迷いながら、正直に告げることにした。
「私は、最もコウテイヘイカを愛さなくちゃいけなくて、それでいて、あの人から最も憎まれている者だよ」
「それ、って」
どうやらウィリアローナには正しく伝わったらしい。
「きっとあの人は、花嫁たる君の口から、私の存在がこぼされることさえ、耐えられないことだろうから」
こんなことを、あの人のいないところで、ウィリアローナに言うのはきっとずるいことだろう。
「私は、幸せにしたかっただけなんだけど。でも、私が望んだ幸せは、あの人の不幸に繋がってしまった」
「あの人……」
そんな風に呼ぶの、と痛みを耐えるようにウィリアローナは囁いた。うん、と頷く。皇帝エヴァンシークは、優しい女の子を迎えてくれたのだと、改めて嬉しく思った。
「だからね、お姫様。あの人を幸せにしてやってくれないかな」
「愛されていた君なら、あの人のことも」
もう、待てない、というように、スタシアはウィリアローナを取り押さえ、意識を奪う。崩れ落ちる小さな体を見下ろしながら、唇をかんだ。
レオンセルクは、自分にもう、なにも打つ手がないのだと自覚するべきではないな、と思った。




