17.春を呼んだお姫様へ
帝国の都がある、あの土地の最初の物語。
まだ、この地に神々が残っていた時代。
神様は、人間の娘に恋をした。二人はやがて結ばれて、息子が生まれた。
その息子がいずれ、神聖王国初代国王となる。息子に与えた神様の土地は、冬が厳しい。それを哀れんだ春の女神が、祝福を与えた。
これは、王国の市井に伝わる、建国譚。
リンクィンがレオンセルクに話して聞かせたのは、次の話だ。
女神が王様に恋をして、王国が立った時に、祝福を与えた。
単純な、恋の話なのだと。
真偽のほどなど考えるまでもない。
神様がいた頃の話など。
どちらにしろ、かつての内乱で帝国ができたとき、神聖王国の都は奪われた。神聖王国の都が帝国の都にすげ代わった時に、女神の怒りが帝国に降り注いだらしい。
そうして帝国は、建国以来冬の国となった。
初代神聖王国国王に与えられた女神の祝福が、転じて呪いとなったのだという。
呪いがなければ、目覚めるだろうか。
確証もないまま、それでも、真実に一番近いものへ、問わねばならなかった。
自室で書類を眺めながら、レオンセルクはため息をついた。目が霞んで、眉間を揉みながら顔を上げた時、ようやく辺りが暗いことに気がつく。
いつもならスタシアが明かりを入れてくれるのに、まだ姿がないようだった。
そっかそっか、いないのか。珍しいこともあるもんだねぇ、と独りごちながら、慣れない手際で、時間をかけて明かりを灯す。
ウィリアローナが来てから、この城は賑やかになった。やはり、女主人という存在は城の人間にとっては欠かせないのだろう。自分が皇帝として立っていた時よりも、みな生き生きと働いている気がする。
その光を受けるようにして、レオンセルクのまわりは静かだった。
眺めていた資料をもう一度見つめて、もう一度息を吐く。
春を呼んだ、ウィリアローナ姫。
スタシアが調べるだけ調べたのであろう姫の生い立ちや取り巻く環境は、知れば知るほど不可解だった。
辺境伯、エラルベール。長く王都から遠く離れた国境を統治し続けていた、神聖王国の古い血統。
そこで、ウィリアローナは生まれ育ち、野党に襲われた一家の中で、唯一生き残ったのだという。しかし、その公的記録が、どこを探してもないのだ。犯人も不明、目的も不明、夫婦のほか、犠牲者の数や、当時の屋敷の警備体制でさえ。
それどころか、伯爵夫妻の存在も。
エリオローウェンが、そこにいたはずなのに。
公的には、流行り病で亡くなったはずの先代の名が、そのまま残っていたのだという。
姿をくらました王太子の存在を、そしてその死を、公表したくなかった誰かがいるのだろうか。
つまりは、エリオローウェンが愛した女性のことも、何一つわからないままだった。ただ、領民の話を聞くに、伯爵の実の娘ではなかったようだった。拾った娘をそれでも大切に、領民に愛される子に育てたのだと。伯爵としての正式な地位には付いていなかったのだと、知っている者も知らなかった者もいたが、それでも、構わなかったのだと誰もが笑った。
その名を、プリマヴェル。エリオローウェンの心臓を射止めた、特別な娘。その娘、古代紫の瞳を持つという。
「ウィリアローナ姫と、同じ色」
エリオローウェンの銀の髪を受け継がなかったその少女は、見事にその魔性の瞳を、母親から受け継いだのだ。
ふと、疑念を抱く。
プリマヴェルは、何者だったのだ。
「呼んできましたよ。何か聞きたいことでも?」
扉の方から聞こえたスタシアの声に、思考に沈んでいた意識が浮上する。傍に伴うウィリアローナが、薄暗い室内を伺うようにしているのを見て、存在を主張するべきかな、と意味のない返事をする。
「そっかそっか」
短い声にも、ウィリアローナはピクリと肩を揺らした。スタシアがそれだけですか、とでも言うように息を小さく吐くので、彼女の労をねぎらうべく、お礼を告げる。あとで頭も撫でてやろうか。
エヴァンシークが城内の浄化のため、ことを起こす前の晩に、スタシアは動いた。
レオンセルクを部屋に置き去りにして、お願いですからここを動かないでくださいねと言い含めて。そう言われてしまうと、出かけたくなる性分だったけれど。もしそうした時のスタシアの困り果てた様子を想像して、レオンセルクは満足することにした。
スタシアに促されるようにして、ウィリアローナがこちらを伺っている。本当に警戒を解かない小動物のようなお姫様だった。
「話がしたいだけなんだ」
どうして、とウィリアローナの古代紫に光る瞳が、まっすぐこちらに向けられた。その目が不吉だという人は、いるだろう。その色は、すべてを見抜くような静謐さが宿っている。身にやましい物を抱えている人にとって、その眼差しはきっと脅威だ。
しかし、その瞳にその力があったとしても、他人に興味がないのだろうとスタシアが考えるこのお姫様は、きっと気づけることに気づくことができないのだろう。
思考を停止して、怯えるだけの、ただの、女の子のようだった。
このままこちらの目的もわからないまま拘束するのはかわいそうで、レオンセルクは幾つか軽口を叩いたけれど、ウィリアローナの緊張は解せそうになかった。諦めて、本題に入ろうか、と居住まいを正す。
「ちょっと気になることがあってね」
何度彼女の情報を読んでもわからなかった。
諦め悪く、無意味に、何度も、何度も、なぞって。それでも、読み解けるものはなかった。
「ねえ、春を呼んだお姫様」
だからもう、聞くしかない。
「君はどうして春を、呼べたのかな」
女の子の目が、見開かれるのがわかった。
ゆるゆるとウィリアローナは首を横に振り、声を出そうと口を開くが、かすれた声しか出さない。怯えた顔で、泣きそうな顔で、それでも首を振る。
「そっかそっか」
首が痛みそうなほど振っていたので、それを止めるために相槌を打った。知らないのか、と小さく笑って首をかしげて見せて、うん? と思う。
「なんで声、でないの?」
スタシアの方を見るのは、レオンセルクとウィリアローナ、ほとんど同時だった。しれっとウィリアローナの背後に立っていたスタシアが、そっと目をそらすの見て、うそでしょ、と内心ひどく焦る。
なにしてんだ、この娘。
「あの人に怒られるの私だよ!」
思わず叫んだ。あろうことか、悲鳴を上げさせないためか何かで、喉を使えなくしたのだ。
叫んでから、いやエヴァンシークに怒られるなんてことはないか、むしろ顔を見たいとも思われてないだろうし。深まる溝、彼の幸は私の不在、と思い至り、レオンセルクは深いため息をついた。一瞬で考えたことがすべて口からだだ漏れたような気がしたけれど、そんなことはどうでもよかった。
気づけば視線が下がっていて、スタシアが目の前にいることにも気づかず、そしてそのまま彼女が背後に回ったかと思えば、座っている椅子に衝撃があった。
「!?」
目の前のウィリアローナが、両手で口元を覆って、驚いた目をしている。
蹴られたようだった。レオンセルクが受ける衝撃など、たかが知れているだろうに。それどころかスタシアの足の方が痛むに決まっているのに。
「うっわ君ほんっと容赦ないよね」
「そもそも、花嫁を攫っている現時点で何らかの注意は避けられないかと」
そりゃそうだ。いや、注意で済むかな。
スタシアの指摘に内心肩をすくめてみて、そろりそろりと逃げ出せないかと視線を巡らせているウィリアローナに呼びかける。
「無理だよーこの子、すーっごい速いから、逃げても追いつかれて連れ戻されるからねー」
少しだけ停止した後で、ウィリアローナはそっと視線をこちらへと戻した。
「さてさて、話がずれたね。えーっと、なんで春が呼べたのかな? これに君は、何も知らないようだった。だろうね。じゃあ、もう一つ聞くよ?」
優しく聞いているつもりなのに、ウィリアローナの表情は、追い詰められる小動物のそれだった。
でも、聞くと決めていた。
知らなくては、ならないと。
「君の母上は、何者だったのかな?」
エリオローウェンの、最愛。
すべてを投げ打ってでも、手に入れたかった女性。あのエリオローウェンが、すべてを捨てるのに値した、存在。
その娘であるはずのウィリアローナはなぜだか、わからないと繰り返し首を振る。
「辺境伯爵領のひとり娘? たった一人残った?」
促すように問えば、ぼんやりと宙を眺めながら、ウィリアローナは頷いた。思考に沈んでいるのがわかる。深く深く潜って、そして、そっと眉根が寄せられた。視線がレオンセルクへと向けられて、じわりと焦点が合わされていく。
「そっかそっか」
ウィリアローナは違和感に気付いたようだった。視線を向けられて、「あぁ、気がついた?」と思わず笑ってみせる。前回レオンセルクが声をかけた時のことを思い出したのだろう。レオンセルクは、ウィリアローナをリンクィンの妹だと思い込んでいた。
「そっかそっかー。やっぱり賢い子だね。そうだね、私は最初、君をハプリシアと勘違いしていたね」
でも、銀髪じゃなかったからね。 そう付け足して、肩をすくめてみせると、
「私が訂正しました」
スタシアが小さく付け足した。さも自分で後から気付いたように言ったのに、なんで言うんだと額を押さえる。ウィリアローナは反応に困りはて、呆然としていた。きっと、その小さな頭のなかで懸命にいろんなことを考えているのだろう。
何を考えているのか興味はあったけれど、そこに没頭させるつもりはなかった。目的はそんなことじゃない。
「いやいや。君は、自分が発生した時のことを覚えているのかと思ってね」
言葉の意味がわからないと、途方にくれる少女に向かって、ひどい言葉を投げかけている自覚があった。
レオンセルクは今、ウィリアローナにそのあり方の根本を疑ってかかっている。
ウィリアローナの母親、プリマヴェルの存在をよりにもよってウィリアローナに問いかける。
「ニルヴァニアの辺境伯爵領に、ひとり娘なんていたかなーって」
前かがみになるようにして、ウィリアローナの顔を覗き込む。少し距離があり、周囲も薄暗い。そんな中では、ただの仕草にしかならなかったけれど。
「極めつけはその眼の色でね。綺麗な赤紫。これは、もう、魔性を疑わずしてどうするって話になるわけなんだよ。わかるかな、お姫様。ニルヴァニアの先王時代の王太子は、そんな瞳の色はしてなかったはずだからね」
続けて呟いた言葉は、自分でも意識していなかった。
「まぁ、もともと王国は魔性に魅入られた国なわけで、その都をぶんどった帝国も似たようなものなわけだけどさぁ」
愕然とした顔もかわいらしいというのはお得だなぁ、と全く関係ないことを思いながら、レオンセルクはウィリアローナをじっと見ていた。カタカタと震えながら、合わない唇で、それでも彼女は言葉を紡ぐ。
「わたしは、ちゃんと、母様と父様の子ども、よね?」
スタシアがウィリアローナの声を奪うのに、レオンセルクの知っている薬品を使ったなら、その喉はひどく痛むだろうに。
「さぁ」
返す言葉は、努めて優しくなるようにした。
「どうだろうね」




