15.この気持ちを、なんと言葉にするべきか。
ウィリアローナ姫に、会いたい。
ユリィが身をひるがえし立ち去った後、自室に戻る道すがらそう思い、言葉にすると、スタシアが静かな眼をしてレオンセルクを見つめていた。
「お会いしますか?」
彼女がどんな手段を使うか見当もつかなかったが、その顔は真剣そのもので、冗談を言っている様子はなかった。レオンセルクが今、といえば、今すぐにでも行動を起こしそうな、そんな佇まいに、レオンセルクがちょっと待ってよ、と笑いそうになる。
かまわず歩き出すスタシアの後を追うようにして、問いかけた。
「会えるの」
「城内にて間もなく清掃が行われます。その時を狙えば」
清掃? またたくレオンセルクに、スタシアは呆れた目になったが、こほんと咳払いで気を取り直したらしい。なぜだか眇められているその目は、レオンセルクを責めているようだった。
「先々帝時代から続く、不穏分子、不要で害ある議員の排除、です」
すがめられたその目というのは、つまりあなたが放置したために、エヴァンシーク陛下がすることになったんですからね、ということらしい。その目は口ほどに語っていた。肩身が狭くて笑ってかわすことしかできない。
「とにかく、その清掃が行われるその日のみ、ウィリアローナ姫の周囲が手薄になります」
おうさまが、姫にお会いしたいというなら、その時のほかにないです。
「おぉー……」
断言するスタシアが頼もしく、レオンセルクは両手を叩いて褒めた。すごい、私の隠密とやらは思ったよりも優秀だったんだねぇ、と他人事のように関心しながら、それで、と問うことにする。
「それっていつなんだい?」
小首を傾げてみせると同時に、榛色がそっとそらされた。なるほど、日時のめどは立っていないらしい。近いうちに、というそれだけの情報。
「ちょっと見直したのになぁ」
「とにかく」
レオンセルクが口を尖らせていると、それを遮るようにして、スタシアが声を大きくした。
「ウィリアローナ姫に、公式に面会をしようとしても、レオンセルク様の申し出は却下されるでしょう。他の議員に見つかれば、捕まり、現皇帝エヴァンシーク様に対する何らかの取引に使われかねません。なぜだか顔を知られていないレオンセルク様だからこそ、今、このお城で、このように出歩けるということをお忘れなく! 頼みの綱は宰相閣下ですが、ロードロス様も状況はレオンセルク様と同じです。特に今、エヴァンシーク皇帝が独裁とも取れる体制を敷いている中で、ロードロス閣下を捕まえて皇帝陛下に言うこと聞かせようと企てる輩もいるんです」
なぜ顔を知られていないかといえば、基本的に引きこもって政治を執り行っていなかったからだった。エレオリアが眠りについてすぐの頃は、寝る間もなく執務室にこもりきりで、仲介は全てロードロスが行っていた。目をみはるほどの美形というわけでもないし、レオンセルクの顔は印象的ではない。覚えているものも少ないだろう。
わざわざそれを言う必要もなかった、レオオンセルクはにっこりするにとどめて、問いを重ねた。
「そっかそっか。でも、それってどうしても待たなくてはいけないの? なんなら今すぐにでも。ちょっと会うくらい」
「やめたほうがいいです」
なんだか、今日のスタシアははっきりと断言することが多い。
「ウィリアローナ姫のそばには、ひとりの侍女と、二人の騎士が付いています。片方は騎士というと厳密には違いますが。どちらも化け物のような強さです。真正面からでは勝てません」
ただ会って話すだけなのに、どうしてそんな物騒なことを考えているのだろう。レオンセルクはただ、ウィリアローナ姫に会って、話が聞きたいだけだ。
エレオリアが目覚めるにはどうしたらいいのか、その、情報のかけらを求めているだけなのに。
椅子に座ってもらって、向かい合わせに、嘘も、ごまかしも、言い逃れもなく、姫が全てをしゃべりきるまで。
多少、手荒になったとしても。いや、なることはないはずだ、だって、ただ、話してもらうだけなのだから。
「とにかく」
深く思考に沈む前に、スタシアの声に意識が浮上する。ぼんやりと部屋を示す彼女を見て、自室に戻ってきたことを知った。
「長時間、姫と話をしたいというなら、その日なら丸一日がかりで城内が騒がしく、警護の目も欺けるでしょう」
なるほどなるほど、とレオンセルクはうなずく。けれど、でも、とスタシアを見遣った。
「その前に、一度くらい。一目、会ってみたいな」
笑ってみせると、スタシアはため息をついて、扉を開いた。
そしてその願いは、思ったよりもすぐに果たされた。
城に戻ってきてこちら、基本的に以前のまま保たれていた自室に引きこもり、医学に関する論文を読み漁るレオンセルクだが、時々侍女に扮して城内を歩き回るスタシアの確認を経て、部屋の外を歩くこともある。その日も、少し歩こうか、と部屋を出たところだった。
ふと、スタシアが表情を変える。
「おうさま」
一声かけて、今なら、こちらへ、と言葉少なに、普段なら立ち入らない政務棟の一角へと案内される。
すぐそこの突き当たりを右に曲がれば、皇帝陛下の側近が詰めているだろう執務室だ。ちょうどそこに、一人の少女が目の前を横切った。
見えたのは、横顔だけだった。思いつめたような眼差しは伏し目がちで、黒髪が結い上げられもせずに背中に流されたままになっている。けれど、見るからにその衣裳は使用人のものではなかった。レオンセルクが一目で何者か見当のつかぬ相手とは、と驚いているところに、スタシアが背後からそっと声をかけた。
「あの方が、ウィリアローナ姫です」
「あの子が? リンクの妹の? 黒髪だったよ?」
その問いには答えず、スタシアはただ、一目、お会いしたかったのでしょ? と囁く。それを聞きながら、レオンセルクはその背中を追った。
なんで。
嘘だ、という、よく分からない感情がレオンセルクを襲う。あんなの、全然、リンクィンに似ていない。
春を呼ぶ姫君の話を持ちかけられた後、どれだけ気の無い返事をしても、あれから何度かリンクィンはレオンセルクに会いに来ていた。めげずに、何度も言葉を交わしたことはなんとなく覚えていた。
あの少年の妹が、エヴァンシークの唯一になるなら、と思ったのだ。彼女が春を呼ぶなら。
神聖王国の現王家は、先王の弟から続く血筋だ。正確には、先王の、弟の、長女の、長男というのが今の神聖王国国王だっただろうか。その息子がリンクィンに当たる。
この、黒髪の少女が、リンクィンの妹……。
その後ろ姿を見つめながら、落胆を隠せなかった。エリオローウェンの従姉の孫。なぜだろう、なぜだかレオンセルクは願っていたのだ。エリオローウェンの遠縁が、この国を救ってくれると。エレオリアを目覚めさせるのなら、それは、エリオローウェンにまつわる、同じ銀の髪を持つ誰かでしかないのだと。
「お嬢さん、あんたがリンクィン王子の妹で、この国に嫁いできた、春を呼ぶお姫様かい」
本当に?
レオンセルクが疑いを持って背後から声をかけると、なんの疑いも警戒もない様子で、ウィリアローナは振り返った。見知らぬレオンセルクの姿を見て、そこで初めて警戒心を抱き、一歩距離を取る。警戒心を持っていないのはもとよりだが、即座に逃げ出さないのは迂闊だとも思った。どちらにせよ、レオンセルクが言えることではなかったが。
この時点で、レオンセルクはウィリアローナの顔を見ていなかった。翻る黒髪に目を奪われ、なぜ、こんな黒い髪なのだろうと、そんなことを考えていた。
「はい?」
対するウィリアローナは、レオンセルクに対し警戒はあっても怯えはなく、訝しげな表情でレオンセルクの言葉の意味を考えるように、一瞬だけ固まった。
「……そうです」
釈然としないながらも、確かに、彼女はそう肯定する。本人が肯定するのだから、疑いのよりはないのだろう。レオンセルクは、一度ぎゅっと、目を閉じた。
「そっかそっか」
にこやかに笑って見せて、ウィリアローナ姫を見る。
その、古代紫の瞳と目があって、思考が白く染まった。
ウィリアローナ。その名前の響きを、どこかで知っていると、思った。
エリオローウェン。あんなにも憧れて、長い間行方知れずで、死んでしまったらしい、彼の名前と。
そして、じっと見つめてくる、その目元の形。その眼差しを、レオンセルクは知っていた。
「ウィリアローナ」
震えそうになる声を、こらえるのが精一杯だった。
「皇帝陛下を、よろしく頼むよ」
「は。えっ」
そのまま彼女を見ていられなくて、レオンセルクは踵を返す。後ろ手に手を振って、来た道を戻ることにした。
「先帝がろくでなしだったからさー、あの人も苦労してるんだよー」
叫ぶように言葉を届けて、レオンセルクは廊下の角を曲がったところで壁に寄りかかり、乱れかけた息を整える。すぐ傍で、スタシアがレオンセルクの様子をじっとうかがっているのがわかったが、構っていられなかった。
「ウィリアローナは、ハプリシアじゃないんだね」
ようやく、そのことを理解する。驚いた様子のスタシアに、ごめん。悪かったよ、とレオンセルクは繰り返して。両手で顔を覆う。
帝国に春を呼んだという少女は、エリオローウェンの遠い親戚、どころではな、なかった。
「君の、娘が」
この国に、春を呼んだんだ。




