14.魔女の伝える、建国譚
現れたその人物に、城の奥深くで隠れるように暮らす宰相、ロードロスは口元を引き結び、呻くようにつぶやいた。
「……なぜ」
透明な笑みで、レオンセルクはその問いを受けた。
わからないだろうな、とレオンセルクは思ったけれど、笑ってみせるだけだった。ロードロスがそのままじっと見つめてくるので、レオンセルクは困ってしまって、ひとまず、父のようなこの人に、言うべき言葉があった。
「ただいま、ロードロス」
まっすぐ見つめていうには気後れして、下を向く。
「途方に暮れて、逃げだして、なかったことにしてうずくまってみたけれど。私は結局、エレオリアのそばに戻ってくるしか、なかったんだ」
エレオリアに、ただ、会いたいだけなんだ。
レオンセルクは、ロードロスと対面したまま、今度はちゃんと顔を上げて、ロードロスの目を見て言った。
「エレオリアが目覚めたとき、必ずそばにいる」
そのために、戻ってきたんだ、と。
その翡翠の瞳は、丸く見開かれて、レオンセルクの前で立ち尽くしていた。相対するレオンセルクの心境も似たようなもので、内心困っていた。そんな様子を出さないまま、表面上はにこやかな笑みを絶やさずにいる。お互いに共の1人もなく、単独行動をしていたところでの邂逅に、巡り合わせのような縁を感じていた。
レオンセルクは、ただ、その少女がどう動くかを待っている。
「……」
彼女は何も言わなかった。ただその場で、文句の一つもつけようがない、完璧な一礼をして見せた。レオンセルクは、笑みを深くしてみせる。
「夢、叶わなかったんだね」
神聖王国シュヴァリエーン公爵家の第三子。
かつて、片田舎で療養という名の下、寝台に縛り付けられていた少女。神聖王国の国母になるのだと夢を語った彼女は、神聖王国王太子、リンクィンとは結ばれない。
「いいんです」
かつて、名前が嫌いだと、エレオリアと一緒にされたくないのだと弱々しく嘆いていた少女はどこにもいなかった。凛と美しく背筋を伸ばして、表情を綻ばせて、優しげな顔つきでレオンセルクをまっすぐ真正面から見返してくる。
上品な微笑みに、本当に、立派な貴婦人になったのだと理解する。若々しい少女が、懸命に大人ぶるようにも見えるし、その笑みの奥に何を隠しているのかとうすら寒くもなる。ルティーカとはまた違う、女性の底知れなさを突きつけられるようだった。
「春が来ても、あなた様の顔にかかる影は、晴れぬようですね」
理由を知りたいというのは、失礼になるかしら。
そもそも先帝レオンセルクと一対一で出くわして、よくもそんな風に言葉を紡げるものだと苦笑する。レオンセルク自身にその遠慮はないが、貴族の間で生きてきた彼女なら、今の状況がどういったものなのか、レオンセルクの立場というのが、わかるはずだろうに。
「わたくしは、以前出会ったお医者様に偶然再会し、お話ししているだけですわ」
小鳥のさえずりのように、歌うように、ユリィは笑う。底の知れない翡翠を細めて、レオンセルクに突き立てる。
「エレオリアを、まだ、愛しているのですか」
「他に誰を愛せると」
返事は考える前に口から飛び出した。それでも翡翠は突き立てることをやめない。
「眠り姫を見捨て、城を離れていたのでは?」
神聖王国の公爵家。ただの貴族の娘が、何をそこまで知るというのか。帝国の貴族でさえ知りえない事実を、なぜユリィが知っている。
「君は」
「皇帝陛下は、わたくしを魔女と罵るわ」
レオンセルクが全てを口にする前に、彼女は返事を口にする。にっこりと邪気のない笑顔で、一体何を知っているのか、そのかき消した問いを、彼女は語るというのだろうか。
その翡翠は、かつて寝台の中で輝いていたものとは違う光があった。
傷ついて、あがいて、捨てて、追い求め、手に入れ、もう二度と手放してなるものかと、決意するものの目。
この少女は、一体何を失い、今、何が損なわれることを恐れるというのだろう。
「あなた様が先送りにした問題を、レオンセルク皇帝陛下が了承してくださって助かりました」
ふんわりと恥じらうように、微笑みながら、彼女は歌う。
「この国に春が来て、本当に良かったですわ」
何が。
この違和感はなんだろう。春を呼ぶために、ウィリアローナ姫とエヴァンシークの婚姻について言い出したのは、リンクィンのはずだ。なぜ、自分の望みが叶ったように言うのか。
『私は、その者を王国から追放したい』
ウィリアローナ姫を、王国から追放したかったのは。
まさか、という思いで、レオンセルクはユリィを見つめた。何も答える気は無いというように、ユリィはにっこりと拒絶する。
「何が、良かったんだい」
この少女と話し出してから、自制が効かなかった。眉間にしわがより、視線が足元へと落ちていく。こんな、自分の息子よりも年下の少女に、何を恐れる。
「めでたし、めでたし、でしょう?」
「何、が……」
めでたしなものか。ユリィは何が言いたいのだ。彼女は何が言いたい。何を知っている。
神聖王国、公爵家。
そういうことじゃない。彼女は、何か、誰もが足りない何かを知りえている可能性が、どこかに。
ぼんやりとした直感を頼りに、記憶をたぐる。雪が降り積もる片田舎。エヴァンシークの様子を見に、たびたび立ち寄っていたあの町。かつて、エレオリアが療養し、終の住処と定めていた、あの場所。
『知っているの?』
公爵家所有の館。
『《エレオリア》』
エレオリアと見間違えた、金の髪、後ろ姿。交わした、会話。
『君は、彼に会ったことがあるの』
『……違うわ』
ハッとする。翡翠の瞳を真正面から受けて、息を呑んだ。
「君は、」
言葉にならず、続く言葉を一息に口にできない。
彼女は、おそらく。
「エリオローウェンを、知っているんだね」
この少女は、きっと。少女が生まれる前に行方不明になったエリオローウェンを、知っている。
「ウィリアローナ姫は、知っていますわ」
何を。
「この土地にまつわる、物語を」
ご存知ですか、とユリィは問う。
「春の女神と、冬の神様と、人間の少女の物語」
ユリィが歌うように語るその物語は、かつてこの帝国の首都を王都にしていた、神聖王国の建国譚。
少女を愛した神様と、神様に愛されなかった女神様。神様と少女の息子が王となり、神聖王国を作った。その王国に与えられた、女神の恩恵。その王国から王都を奪った帝国。
女神の怒りを買った帝国は、冬に閉ざされた。
別のところでは、女神が王に恋したのだと。土地に反した祝福を与え、王の血縁が王都から去った時、その祝福は反転し、呪いとなってしまったのだと。
王家が持っている伝承と、市井で伝えられる物語は違っていた。
そしてさらに。どちらでもない真実の物語を、ウィリアローナ姫が知っている、とユリィは言う。
話を聞くに、その神に愛されたという少女が空恐ろしかった。神様の奥方にと定められていたはずの女神をも押しのけて、神様の隣にあることを許された少女。女神は少女を憎んだのか、許したのか、それとも、女神でさえもその少女を愛したのか。
けれどともかく、何よりも、その物語はこの国の冬に深く関わると言う。
それはつまり、この国の春にも深く関わるということだ。
では、エレオリアの目覚めには、どう関わる。
知る必要が、あると思った。
レオンセルクの真ん中が、ゆっくりと冷え固まっていく気がした。エレオリアの目覚めのために、選ぶものは最初から決めていた。
「ユリィ、君は、何を望むのかな」
翡翠の瞳を細めて、赤みの強い金髪を背中に払って、彼女は艶やかな笑顔とともに一礼した。
望むものを手にするためには、手段を選ばぬ魔女が、そこにいる気がした。




