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13.あなたの望むまま、描く幸いのままに。

 少しして、屋敷の使用人が軽食を応接間へと運んできた。簡単な具材をパンに挟んで、片手で取って食べられるものだ。思いがけないもてなしに、スタシアがキョトンと見ていると、使用人がにこにこと口を開いた。

「奥様とレオンセルク様が、それぞれに、何かお腹に入れるものを、ここに、と」

 スタシアが両手を頰に当て、レオンセルクとルティーカへ眉を寄せてみせる。

「そんなに、食べ足りてないように見えますか……。隠密としては、細身でいるに願ったり叶ったりですが」

「不健康そうだわ」

「ちゃんと寝ているかい?」

 口々にバッサリと言われ、肩を落とすスタシアに、レオンセルクはくつくつと笑った。以前から常々思っているが、この娘、果たして本当に隠密として上等なのだろうか。こんな風に打ち解けては、それこそ、本当に、足を洗わせてしまいたくなる。

「あなたも年頃なのだから、そろそろ身の振り方を考えたらどうなの」

 ルティーカなどはそう言って、スタシアに未来を与えようとしている。レオンセルクにその気が露ほどもないことを、彼女は知らないのだ。

「身の振り方」

 キョトンと復唱するスタシアに、あきれた、とルティーカはため息をついて、軽食をスタシアの口に押し込んだ。大人しく憤慨もせずもぐもぐと咀嚼するスタシアに優しいまなざしを向けて、ルティーカがちらりとレオンセルクへと視線を向ける。うっかりすると、にらんでいるようにも見える。

「レオンセルク様。ちゃんと考えていらっしゃるんですか」

「……と、いうと」

 わかっていたけれど、はぐらかした。まだよくわかっていないスタシアに、自分の口から告げることを避けたのだ。レオンセルクにその気はないのに、嘘でもたとえ話でも、突き放すようなことは言えなかった。

 その態度に納得いかなかったのだろう。詰め寄るようにして、ルティーカが言い募った。

「スタシアはもう19ですのよ。嫁ぎ先の面倒を見てやるのが、雇い主の責任ですわ」

 婚姻という手段をもってして、幸福をつかんだルティーカは、疑っていないのだ。少女たちにとっての幸いが、嫁ぎ、子を産み、育てることにあると。

 そして、それが叶わない少女がいることなど、思ってもいない。


 隠密の少女たちというのが、どんな人生を歩むものなのか。


「ルティーカ様」

 案の定、スタシアが困ったように微笑む。いいんですよ、と、制するように。レオンセルクとスタシアが目配せしあったのを見て、ルティーカは口をつぐんだ。

「ずるいわ。二人でそんな風に、内緒の話をするのね」

 つん、とそっぽを向くルティーカは、本当に娘めいていて、何年たっても美しい秘訣かな、とレオンセルクは漠然と思う。人のことを言えない自覚はあったが、大人である自覚が少ないと、人は若いままで居られるのかもしれない。

「本当にいいんです。それに私、そんなこと考える暇はないのですよ。今も、一刻も早く、お城に戻りたいのです」

 スタシアはそう言って、ふわりと微笑む。

 本当に、この娘は、美しく、柔らかに成長した。

 出会った頃の無情さは消え去り、誰かを思いやれる優しい娘になってくれた。


 できることなら、血なまぐさいところから、引き離してやりたい。


 そう、レオンセルクの胸のよぎった思いは、果たして本音なのだろうか。唯一の味方。ずっと傍にいてくれた女の子。彼女まで、どこかに行ってしまったら、レオンセルクはどうしたらいいというのだろう。

 こんな世界でなければ、良かったのに。

(そう、こんな、私を取り巻く世界が、こんな風でなければ。もっと、優しければ、良かったのに)

 そしたら、みんなで、笑顔で。

「レオンセルク様のお顔を見れて、安心しました。ねぇ、おうさま」

 私の唯一の、おうさま、と、いつまでたっても、彼女はそう呼ぶ。

「私、お城に戻ります。エリも、陛下も、姫さまも、放っておけません。でも、必ず、お側に戻ります」

 だから、僕を置いていくの?

 遠い昔の自分が、そんな風に口走るのを浮かべて、レオンセルクは小さく笑った。顔を上げて、スタシアの榛色を覗き込んで、手を伸ばして、そっと撫でてやる。

「好きなように生きておいで、スタシア。君の望むことを、ひとつずつ、成していくといい」

 くすぐったそうに、美しい彼女ははにかんだ。そして、なぜだか何か言いたげにじっとこちらを見てくる。

「スタシア?」

 問いかけると、スタシアははにかんだ表情のまま、レオンセルクの手を取る。

「おうさまは、何を望むの。幸せを、思い描くのはどんな光景?」

 ひたと、その榛色がレオンセルクを見据え、ぶれないまま息を潜めていた。ただ、ひたすらに、レオンセルクが何を言うのか待っている。想い描く幸せ、などと。

 あの少女から聞くとは思っていなかった。

 真実彼女が、レオンセルクの想い描く幸いを知りたいというなら。

 それなら。

「……僕も、お城に戻ろうかな」

 口からこぼれるようにして出た言葉に、レオンセルク自身が驚いて戸惑った。腕を組んでみて、顔に手を当て、整理しながら考える。口走ってみたものの、考えれば考えるほどそれは名案に思えた。

「ウィリアローナに会ってみたいな。春を呼んだ、神聖王家のお姫様」

 何か言いたげにスタシアが瞳を揺らしたけれど、レオンセルクを止めることはなかった。それよりもルティーカが、どうして? とレオンセルクを見てくる。

「ずっとここにいるわけにはいかないよ」

 レオンセルクは、できるだけ優しい声でそう告げた。この北領は、ルティーカの夫の家が長く守り続けている領地だ。そこに、お忍びとはいえレオンセルクが長くとどまっていては、いずれ無用の災いを招くだろう。

 春が来てから、数ヶ月。本当に、心安らかな時間を過ごさせてもらった。だから、本当に、感謝しているんだ。

 そう言って微笑むレオンセルクに、ルティーカは泣きそうな顔を隠すように、両手で覆った。


 逃げ出したエリオローウェンも、逃げ出した先で、かつて、こんな風な気持ちだったのだろうか。


 帰城の準備のため、あてがわれている客間で荷物をまとめながら、ふと、思う。

「君はそこで、見つけられたのかな。だから、戻ってこなかった。戻ってこずにいられた?」

 レオンセルクには、できなかった。逃げ出した先で、安らぎを得る一方で、このままではいけないという焦燥感が身に迫り続けていた。エリオローウェンが見つけ、とどまっていられた理由が最愛なのだとすれば、レオンセルクが逃げ出したのはその最愛なのだから、当然だった。


 最愛エレオリア


 もう、何ヶ月も考えることをやめてしまった、レオンセルクの唯一。

 忘れようとしたわけじゃない。なかったことにしたかったわけじゃない。ただ、もう、これ以上どうしていいかわからない。春が来れば、春が来ればと言い訳のように祈りのように念じていたことが、現実となったのに目覚めない最愛を前にして、もうどうしていいかわからなかった。

 膝から崩れ落ちて、泣き伏して、あの寝台に突っ伏して、身体が枯れ果てるまであそこに居そうだったところを連れ出したのはロードロスであり、スタシアであり、受け入れたのがルティーカだった。

(春を呼んだのが神聖王家というなら、エレオリアの身体にも春を呼んでもらうしかない)

 だから、レオンセルクはウィリアローナに会わねばならなかった。何としてでも。その血を調べて、エレオリアにどんな影響を及ぼすか、思考し、研究しなければならない。


 そして、エレオリアが何よりも望んだのは、エヴァンシークの幸福だった。


 けれどきっと、エヴァンシークの幸福というのは、ウィリアローナを幸福にできるかどうかなのだろう。直接会って話したことは数えるほどでも、伝え聞く分と行動を追って見ていれば何となくわかる気がした。

 だから、ウィリアローナ姫が幸せかどうかも、見届けなければならない。


 星に祈るように、レオンセルクも、誰かの幸せを祈ってみたかった。




「ルティーカ様は、どうして、あんなにもレオンセルク様を案じていらっしゃるのですか」

 レオンセルクが一足先に応接間から立ち去って、残されたスタシアはぽつりとルティーカに問いを向けた。彼女は少し瞬いて、考えるように目を伏せる。

「身も蓋もない言い方をすれば、責任、かしらね」

 言葉の意味がわからず、スタシアが何も返せないでいると、ルティーカは困ったように手を頬に当てる。昔話に、なるのだけれど、と語り出した。

「わたくしの不用意な一言が、促した行動が、どんな結末を迎えるのか」

 遅いか早いかの違いで、結果は変わらなかったのだとしても、それでも。

「あの日あの時、わたくしがしたことは、余計なことじゃなかったのかしらと、そればかりが気になって。あのお二人に、不幸なことになってほしくなくて、ただ、その一心なのよ」

 自分のためなの。自分のしたことが、間違ってなかったのだと、思いたいだけなの。


 目を伏せて寂しそうに、ルティーカが言ったのはそれだけだった。


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