11.とても可愛らしい、このお姫様。
一人、城に残るスタシアが与えられた仕事は、お城の様子をレオンセルクへ報告することだった。
新しく来たお姫様が、どんな風に過ごしているか。
エヴァンシークが、不幸なことになっていないか。
胸に圧し掛かる感情は様々だったけれど、今は、ただ黙ってその役目を受け入れた。
エレオリアのことを口にしなくなったおうさまを、ただ、生かすために。
ウィリアローナはかわいい。最初のうちはじっと息を潜めて自分の居場所を探りかねているようであったのが、城に併設されている図書館の、閉架の書棚を出入りするようになってからは、黙々と読書に勤しんでいた。読書に勤しむお姫様というのも変わっている。見ていて気づいたことといえば、神聖王国にはお茶の習慣はないようだ。この国の一般貴族であれば、その思考は大変家計に優しいな、と無駄なことを思ってしまった。
どうしてか体を小さく折り畳むようにして本を読むので、様子を見ながら休憩を促すことにしている。お茶の誘いの多さに、さすがのウィリアローナも不思議そうにしているが。
それにしても、スタシアが用意したお茶を、興味深そうに口にするウィリアローナは、可愛い。あぁ本当に可愛い。
何事にも警戒し、慣れたと思えばそうとはわからぬ表情でそばに寄ってくる。あれを懐くというのだ。スタシアの顔を覚えていないのか、会うたびに初対面のようにして、その日の終わりごろには寄ってくる。スタシアも毎日ウィリアローナの部屋を訪れるわけではないので、忘れるのも仕方がないかもしれない。そもそもウィリアローナは、人間に興味がなさそうだ。
なぜスタシアがそんなことをしているかといえば、月の妖精と謳われるハプリシアがくると聞いていたのに、その侍女をしていたという娘がやってきた、という話に端を発している。すでに決まっていた侍女たちが仮病という名の体調不良を訴え城に出てこなかったのだ。お咎めはもちろんエヴァンシーク様がされた。レオンセルク様はハプリシアが来ると信じて疑っていなかった様子だけれど、これはきちんと訂正差し上げるべきだろうか。
とにかく、隠れ蓑として侍女のお仕着せをまとって城内をうろついていたスタシアが、人手不足の名の下に連行された。これは隠密失格かもしれないと落ち込むところだ。ついでにいえば、エリの目が大変厳しい。あの子は最初の最初っからウィリアローナ様のお側に控えていて、毎朝髪結いをしているらしい。というか、それ以外していないらしい。髪結いをしているところにうっかり姿を見せたところ、すごく胡乱な顔で見られた。
こっちだって顔合わせたくて合わせているのではないのに。
そもそも、気配消して髪結いする方もどうかと思うのだ。というかウィリアローナは本読み出すと全ての違和感に対する思考を放棄して、没頭するのやめませんかね! あのエリだって十分怪しいと思うのに。
ともあれ、ミーリエルという侍女代表がウィリアローナの部屋に来ることとなり、スタシアは解放された。今後も入り込めそうであれば、侍女としてウィリアローナの側で様子を伺うことにする。
エヴァンシーク陛下は、相変わらずだ。エリを大変容赦なく使っているようで、あの子は朝も昼も夜も問わず、城のあちこちを出入りしている。隠密特有の隠し通路とかでばったり会うと気まずいことこの上なかった。遭遇を避けようとすればするほど鉢合わせするのは、もう足掻くだけ無駄ということかもしれない。それともエリの方が上手ということか。生意気な。ある意味私は姉弟子だというのに。
陛下は時々食事や睡眠をとっていらっしゃるのか不安になるほどの働きぶりだった。二代続いて無能な皇帝を据えてしまった冬に閉ざされた大国ヴェニエール帝国というのは、実はギリギリの瀬戸際にいるのだと思い知る。
何せ命を狙う人間の数が尋常じゃなかった。エヴァンシーク陛下は、おそらく部屋の水差しの水を飲むことさえ気軽にできない状況だ。ウィリアローナもそれは同じで、本人に気付かせぬままエリが対処しているようだった。エリは、昼間はウィリアローナを守り、夜はエヴァンシークを守っている。エヴァンシークは陛下は、来る春への対処に手一杯で、城内の味方作りに失敗しているのではないだろうか。
通りがかりに出くわしたら、ついでなのでスタシアが成敗することにした。
つらつらと取り留めもなく考えながら、スタシアは報告書を書く手を止めた。傍らのエレオリアを見やりため息をつく。この城で、スタシアは特に決まった所属がない。つまりは拠点がない。というか、寝るための寝台が。そこで後宮の奥の奥、エレオリアの部屋を拠点として、報告書もここでしたためているのだった。
「エヴァンシーク陛下は、働きすぎだわ」
口に出してみる。エレオリアに聞かせるために。寝台に近寄り、両手をついて、エレオリアの顔を覗き込む。白い顔、病弱そうな、線の細い顔立ち。美しい人。儚い少女。エヴァンシークの母親に対して少女というには違和感があるが、しかし、エレオリアは、そうとしか言いようのない若さを保ったままだった。
スタシアは、今19だった。
眠りについた、エレオリアと同じ年。この、若さを保ったまま眠りについたエレオリアと。やがて、スタシアはエレオリアよりも年上になるだろう。レオンセルクも、エヴァンシークも、ウィリアローナも。エレオリアだけが、若く、美しいまま。
胸を焼く感情が何か、スタシアにはわからなかった。ただ、眠るエレオリアに、話しかけた。
「エヴァンシーク陛下が、一心不乱に何かに取り組む様子は、そう。確かに、レオンセルク様に似ているかも。ねぇ、エレオリア様」
同い年の、エレオリア。レオンセルクが愛した、ただ一人の。最愛。
「あなたは、レオンセルク様を、愛していますか」
レオンセルク自身に、聞くことのできなかった問いかけ。
「私、レオンセルク様の事が好きです。あの方は、私に名前をくれました。私、おそばにいるって決めたんです。6年間ずっとそばにいたんです。皇妃シエラ様だってもう、20年以上も、レオンセルク様のお側で、支えになって」
私たち以上に、あの人のことを想っているなら、早く、目覚めてください。
口にしそうになった言葉を、慌てて噤む。恨みごとのような、なんの意味もない言葉を飲み込んだ。レオンセルクが囚われているエレオリアから、一刻も早く解き放たれることを願った。早く、起きて。こんな言葉を、今まで、眠るエレオリアに何人もの人々が呟いたのだろう。
「あなたの目覚めを、星に祈ります。私を見ている、どこかの神様に、祈ります」
流れ者のスタシアは、この国の神様を信じてはいなかったけれど、それでも、今この一瞬だけ、祈る拠り所くらいにはさせてもらおう。
そんなふうに日々過ごしながら、とりとめもない日常を報告書に認めていった。婚約式典も終わって、ニルヴァニア神聖王国の王太子の訪れで一波乱あったようだけれど、それも問題なく過ぎて。
今日も、スタシアは侍女の格好で城内を歩いていた。エヴァンシークの様子でも覗いてみようかなどと、とりとめもなく考えながら。
「も、申し訳ありません!」
なんとなしに執務室を横切った時、聞き捨てならない言葉を聞くこととなる。それは、ミーリエルの声だった。
概要を拾い聞きし終えたと同時に、身を翻す。
ウィリアローナの、行方が知れない。
城が今どういう状況かわかってない唯一の人間が、単独行動で姿をくらますというのは、護衛官からするとあってはならないことだった。
春を呼んだウィリアローナに、何かあったら。
そう頭に浮かべた瞬間ぞっとした。またこの国は冬に戻るのだろうか。それこそ、エレオリアがもう二度と目覚めない気がした。
(春が来ても、目覚めてくれないけれど)
まだ、春が来ることでエレオリアが目覚めるなどという幻想を抱いているのか。もうすでにその未来は現実となり、潰えているというのに。と、スタシアは自嘲するしかなかった。あぁ、違うかもしれない。スタシアはもはや、エレオリアが目覚めるかどうかというところに価値を置いていない。そのことによって、レオンセルクが傷つかないかどうかが、最も重要なのだ。
なんにせよ。
ウィリアローナを失えなかった。
最後に向かったという中庭に降り立つと同時に、首ねっこを捕まれスタシアは連れ去られた。
ひきずられながら、その力がどこから出ているのかわからない細腕に気がつく。スタシアが気づけない気配など今のところこの人だけだった。
金の髪が、傾く日の光に照らされて、輝いている。
「……エリ。離して」
「手伝って」
言葉を無視して振りほどき、並走しながら事情を聞こうと、少し早く走って顔を覗き込む。
「珍しい顔」
ぽつりと呟けば、うるさいな、と顔をしかめられる。幼い頃を知っている相手というのは随分やりにくいらしく、言葉も短い単語ばかり選ぶようにして、事情を喋った。
全て聞き終えた後は、呆れ果ててため息をついた。
「ウィリアローナ姫ったら、冬森に入っちゃったの」
「陛下と聖女様狙いのバカに見つかったの。人が集まりそうで、中庭にあんたの姿が見えたから、戦力に数えさせてもらったんだ」
「いい迷惑。手伝わないとは言わないけどね。一つだけ、エヴァンシーク陛下には言わないで」
ちらりとその目がスタシアを見た。別に、言わないよ、と、消えるような声で、つぶやいた。
この手を血で汚すことに何の抵抗もなかったけれど、エリがそれをするということが、何となくやるせない気持ちになる。そんなことをこの子に対して思うなんて思ってもなかった。




