5.このとき娘も選んだのだ。
妙な宣言をされた。
時間が止まったかと思った。
というか、そんなものはまぁ、ただの現実逃避なのだけれど。
エレオリアは、言い寄ってくる男のいなし方など、知らない。
だってエレオリアにはエリオローウェンがいたから。
優しい優しい王太子殿下しかいなかったから。
こんな瞳を向けられて、どうすれば良いかなんて、エレオリアは知らない。
向けられるその瞳が、どんな意味をはらんでいるかも、わかるはずがなかった。理解できないものに、ただ困惑を抱いた。
だから、逃げ出したかったのに、エレオリアにはそれも叶わなかった。
だから、せめてもの抵抗として、そろそろと寝台から抜け出して、男から一番遠い位置にある長椅子の陰に隠れた。その間、男から目を合わせたままで。
「あぁ、何をしているの」
黙ってエレオリアのやることを見ていた男は苦笑して、エレオリアを追いかけた。う、とエレオリアが立ち上がって身を翻すのを、背中からあっさりと抱き上げて。
その軽い身体に、しょうがないな、というように眉を下げて笑う。
「……おろせ」
「えー?」
抱き上げられたまま、おろされる気配がない。ちょっと、とエレオリアが呟く。男はそのまま窓に向かおうとするのを、まさか、としがみついた。
「出ないよ」
くつくつとこらえるように笑う。至近距離でのこらえた笑い声は、低くエレオリアの奥の方へと響く気がした。
「雪がやんで、数日経つ。すぐにまた降り出すんだろうけど、これはこれで、ここでは貴重な光景なんだよ」
窓から見える、一面の雪。空は鈍い色の雲がたれ込めていて、今にも降り出しそうだというのに、雪はちらついていない。これが、この国でいう、『一年で最も寒さがやわらぐ季節』。
「身体を壊したらどうするんだい、僕のエレオリア」
身体ならもう壊れている、というか僕のエレオリアって何だそれはもう決定しているのか。どちらを先に口にするべきかで悩み、結局何も言えなかった。黙ったままのエレオリアの頭に、男は頬を寄せる。
「言いたいことがあるのに、飲み込まないで。僕に聞かせて」
何を言ってもこの男を喜ぶのだろう。そんな気がした。そう思えば、何も言う気にならなかった。エレオリアはため息を吐いて、張りつめていた肩の力を抜く。
自然と身体は男へと完全に預ける形になり、え、と今度は男の身体が強ばった。ざまあみろ、と実際力が入らなくなりながらも内心で思う。慌ただしくぎこちない動作で、男はエレオリアを寝台へ寝かせた。その動きと表情をすぐ側で見ていたエレオリアは、なんだか可愛いな、とくつりと笑う。
突然動いて寝台から抜け出したこと。さらに、隠れた長椅子の陰は窓が近く、もっとも冷気が迫る場所であるということ。案の定身体はすっかり冷えていて、身体がひどく重くなっていた。
こんなことで、と自分の身体に苦笑する。
こんな些細なことが身体に無理をしたこととなってしまうだなんて。
「馬鹿」
短く罵倒されたけれど、エレオリアは淡く笑みを返す。う、と男は怯んで、はー、とエレオリアの横たわるすぐ側に突っ伏した。亜麻色の短い髪が敷布にかかる。
完全に出来心で、理由などなかった。
エレオリアは、そっとその頭に手をのせた。
「……何」
男の声に、いや、別に。と小さな声で返す。聞こえただろうか、と思いながら、さらに続ける。
「何故、あたしの人生を欲するんだ。あなたにどんな得がある」
毎日のように交わす言葉の数々は楽しかったし、食わせ物だとは思うけれど良い人だと言うことはわかってきた。なんだかんだと研究対象かもしれないが、治療の為にきてくれているのだ。
それでも、無償でなにかしてくれるような、お人好しには到底思えない。
口にしてみて、思いは強まった。
「……うん、考えれば考えるほど、意味が分からない。そんなに、あたしの病、症状が珍しいのか?」
違うよ、と男は参ったような顔で視線をそらした。
「君が良いと思った」
男も寝台に突っ伏したまま、頭にのせられたエレオリアの手に、さらに自分の手を重ねる。
「君の病気、まだ治療法が確立されてないから他国に知られてないだけで、時間をかければこの国のちからで治せるんだ。それなのに、君は何もかも諦めていて」
最初は、不幸顔をした女の子に対して、治してやるから覚悟しろ、くらいの気持ちだったんだけど。
「諦めてるのに、覚悟があって、綺麗だと思った。じっと静かな顔のまま、笑いも嘆きもしない君を見てたら、なんだか」
おもむろに顔を上げたかと思うと、男は満面の笑顔でエレオリアの手を握って、離さなかった。背中に冷たいものを感じた気がして、エレオリアは瞬きを返す。
「感情をむき出しにした時、どんな表情をするんだろうって想像したら、」
ただの笑顔であるはずなのに、なぜ冷たいものを感じたのか。ただの、異様に無邪気な、たくさんの言葉を言わないままで事を押し進めているかのような、その、笑顔、は。
「ぞくぞくしてさ」
ぴ、とエレオリアの身体が強ばる。
とろりと融けるような笑みでそう口にした男はなんだか、そう、はっきり言ってしまっていいのか憚れるが、しかし、他に言いようがない。
(へ、へんたいだ……)
せめて変人であってほしかったなどとくだらないことを思ってしまったが。とはいえ、かつての婚約者であるエリオローウェンは変人だったけれど。
いやいやいや、と思わずけほ、と咳き込んだ。とたん男が心配げな顔を向けてくる。
「君の表情が、心から幸せを感じた時、どんなに綺麗な顔になるんだろうって思ったら、止まらなかった。なのに、どうしてこの子は諦めているんだろうって」
うん、だから、と男は目を伏せた。
「君が君の人生を諦めているのなら、命も、未来も、僕が貰いたいってことで。一応これ、口説いているつもりなんだけど」
だから、エレオリアはこういうときなんと言葉を返せば良いのか、知らないのだ。
枕に顔を半分埋めて、困惑顔でため息をつくエレオリアに、なおも言葉を重ねる。
「君の、幸せな顔が見たいんだ。病気は僕が治す。死なせない」
「……死ねと言っただろう」
あぁ、言ったね、と男はうなずいた。
「だって、めんどくさいでしょ。神聖ニルヴァニア王国の伯爵令嬢なんて。しかも、王太子殿下の元婚約者? どれだけの手間と時間と人間を使わなくちゃいけないんだろうね」
諦める、という選択肢はないのか。そう思ってから、あれ、と気がつく。それらを消費すれば、この人はエレオリアを迎えることができるということだろうか。不可能ではない、と?
しかし、男が口にするのはもっと非常識な手段であった。
「だから、ニルヴァニア王国の伯爵令嬢である君はここで死んだことにして、僕の屋敷に招待するんだ。お披露目する気はない。僕は君の病を診ることができて、静かにひっそり暮らせれば、それで良い」
「……意味が、分からない」
男にとっての利点が、見当たらない。
だから、と男は口を尖らせた。
「君の未来を想像して、ぞくぞくした。それだけだよ」
君の未来をすぐ近くで見てみたい。
だからつまり、この男。女性としてのエレオリアを望んでいるわけではなく。
人間としてのエレオリアに、興味をもったということだろうか。
さしずめ、何かの研究対象のように。
そうに決まってる。だって、エレオリアは何も差し出すものがない。唯一自由になるこの身体だって、病に蝕まれ、虫の息だ。
会話は、楽しい。研究対象として見られているのだと思ったところで、何故だか不快感もない。
あぁ、それなら。
それなら、もうすでに諦めたこの命だ。
この男になら。
エレオリアは、後悔しないかもしれない。
読んでいただきありがとうございました!
今後もよろしくお願いします。
前作「わたしのお姫様はとてもお美しい。」とは異なり、のんびり更新したいと思います。週一か週二ペース。
よろしくお願いします。