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9.榛色と最愛

 そこで眠る人は若く、美しかった。


 淡い金の髪に、白い肌。まるで人形のように寝台に横たわる女性は、わずかに上下する上掛けによってのみ、生きているのだと知ることができた。

(……この方が)


 レオンセルクの痛み。


 最奥の部屋、初めて入った室内は、思っていたよりもずっとものが少なく、けれど、落ち着いた調度品が要所要所に置かれている、好感のもてる内装だった。たとえ知らない場所で目覚めたとしても、この部屋で目覚めなたなら、不安感を覚えることはないだろう。

 きっと、皇妃シエラが指示を出して、整えたに違いない。

 ただ一つ置かれた寝台に、横たわる女性。少女と言ってもいいようなその人は、ただ、そこにいた。

 スタシアは祈るような気持ちで、寝台の脇に膝をつく。声をかけることさえ憚れる静寂の中で、ただ、祈った。

(早く、起きて)

 今すぐ目覚めて。おうさまが、壊れてしまう、前に。


「今の、皇帝の、本当の母親なんだ」

 ぽつりぽつりと、一言ずつ区切るようにして、寝台の足元、膝を抱えて座り、レオンセルクは語る。

「皇妃は、本当の母親ではなくて、もともと、この人の侍女だった」

 あのかわいそうな皇妃は、身代わりなんだよ。と、罪を告白するように、淡々と、なぜ、スタシアに聞かせているのかわからなかった。レオンセルク自身わかっていないのかもしれなかった。

「エレオリア、って言うんだ。私の、」

 突然言葉を切って、レオンセルクは黙り込んだ。スタシアが不思議に思うほど待っても、口を開かない。思わずレオンセルクの方を見る。表情は髪や影によって、うかがい知ることはできない。

「おうさま」

 呼びかけると、恐れていたかのように、震えた。なんて言ったら、いいのかな。そんな風な震える声が聞こえたと思うと、


「……結婚は、してないんだ」


 思いもよらぬ言葉を告げられ、スタシアが絶句する。

 なぜ。

 こんなにも愛しているのに。こんなにも、片割れの不在によって生きるのが困難になるほどの存在だというのに。

「好きじゃ、なかったの」

 思わずそんな言葉が溢れた。だって、不思議でならない。勝手に思っていた。結ばれているのが当然だと。当然、思い合って、結ばれて、幸せなうちにエヴァンシークが生まれて、その最後に、不幸にもこのような状態になってしまったのだと。

 レオンセルクの、一方的な思いだったとでも言うのだろうか。そこまで考えたところで、レオンセルクが顔を上げた、なんといっていいものか、その顔に浮かんでいるのは、ひどく穏やかな苦笑だった。

 その顔があまりにも優しいものだったから、スタシアはなぜだかほっとする。今にも壊れてしまいそうな顔をしていたら、どうしようと思っていたからだ。

「いろいろあったんだよ。私が、いろいろやってしまった。この人にとって、取り返しのつかないことを、たくさん」

 やるんじゃなかったと後悔することはないけれど。そう続けるレオンセルクは、遠い昔を思い出しているように、宙を見ていた。スタシアの知らない時代だ。生まれる前の、昔の話。

「おうさま」

 戻ってきてほしくて、スタシアは呼びかけた。いつもの調子で。その実心の底から心配しているなど、気づかせてやらないように。おうさま、おうさま。どうか、

 呼びかけを思い描いて、口をつぐむ。


 これ以上、おうさまに何を願うというのだろう。


 そして、スタシア自身に与えられるものも何もないことを、知っている。思い知っている。皇妃シエラを思えばなおのこと、この男に与えられる人などどこにもおらず、何もないのだとわかっていた。

 与えられるのは、ここに横たわるこの人だけだ。

 見れば見るほど不思議だった。10年以上も前に子供を産んだことなど信じられないような若さを保って、今の所誰かに世話をされている様子もなく、まるで、時が止まったかのようにそこに存在している女性。

 まるで、物語に出てくる眠り姫のようだった。そう、王子の接吻で目覚めるという、あの物語。あの物語のように、接吻で目覚めれば話は簡単だろうに。

「……春が来れば、目覚めるのですか」

 女性をじっと見つめながら、傍らのレオンセルクに問いかける。幾つか話をしたうちの一つに、混ざっていた。春が来ないせいで眠り続けているという話。春が来れば、目覚めるのだろう。


「春を呼ぶという、エヴァンシーク様のお相手。全て調べてあげても構いませんか」

 好きにすれば、という言葉は、何も期待していない様子だった。優しげな表情はいつものままで、でもどこか遠くを見ている。あの、忌々しい、透明な顔をしている。スタシアは無性にむしゃくしゃする。叶うことなら、この人こそ、何年たっても変わらないその両頬を力一杯引っ張ってやりたくなる。

(この女性が目覚めたら、やってもらうの)

 一つ決める。起きてすぐとは言わない。いつか、絶対。結局この人自身がおうさまをどう思っていたかまでは、王様自身に聞くことはできなかったけれど。それでも、いい。

 大切だったのだとしても、そうでなかったのだとしても、ほおを引っ張られる事くらい、おうさま自身は甘んじて受け入れそうな様子だから。


 おうさまが、帝位を譲った息子、エヴァンシーク。

 その、結婚相手。春を呼ぶ、神聖王国のお姫様。生まれた時から、帝国に春を呼ぶとされるお姫様。その噂を聞かなかったはず無いのに、レオンセルクはどうして彼女を帝国に連れてこなかったのだろう。帝国の力を持ってすれば、いくらでも理由は作れただろうに。







 そうして、少しずつ調べていくにつれて、違和感を覚えていく。

 本当に、この人は、春を呼ぶの?


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