8.たいせつと、たいせつを
「はるが? はるって、あの春ですか。春が来るんですか?この国に?」
スタシアは信じられない、と半笑いのまま問い返した。この、何年も春が来なかったこの国に。たった一人の来訪によって、春が訪れる?
神聖王国から、まほうつかいがやってくる。
そんな、物語みたいなはなし。
半信半疑で問い返すスタシアを、だよね、とレオンセルクは冷めた眼差しで見ていた。ついでに苦笑を返してやる。
エヴァンシークが皇帝になってからの数年は、医学者の真似事なんかをしながら日々を過ごしてきた。皇帝でいた時よりも、思考を回して、皇帝をやめた直後よりも、なんだか息がしやすくて、つい、のめり込むようにして数々の思考に没頭した。
患者はどこからかスタシアが連れて来る子供ばかり。子どもの治療を専門にしていた覚えはないのに、彼女はどこからか、的確に、短期にせよ長期にせよ治療を必要とする子どもをつれてきた。
子どもには関わりたくなかったのに。
自分の言葉一つ一つに、疑い、信じ、拒絶し、感謝してくる。大人の言葉に振り回される子どもに、距離を取りたかったのに、何年も関わり続けることとなってしまった。
いつかのリンクィンの言葉は、真実なのだろう。その王女は、春を呼ぶ。レオンセルクが思考を放棄して、決断することから逃げたことを、それでも納得させて、当初の希望を押し通した。
リンクィンの言う、王になるために邪魔になる誰か。それをきっと、血を分けた妹なのだろう。なにせ、他にいないのだから。妹を持ち上げようとする派閥を抑えるために、王女ハプリシアを、春を呼ぶ聖女として、神聖王国から追い出そうと考え、成功した。
その意思を貫く力は、まさしく大陸において最も古い国の一つである神聖王国の王位にふさわしい。あの若さで、彼は、賢王を予測されるに十分な動きをしている。
「しゃべってみると、ただの青年なんだけどなぁ」
「はい?」
私室で論文を片手につぶやけば、すぐそばに控えていたスタシアがキョトンと瞬いている。花を飾っていた手を止めて、レオンセルクに向き直ろうとするのを、なんでもないよと手を振ることで制した。件の王子、ただ一つ気になるのが、時折ひどく雰囲気が変わることだ。四角四面の礼儀正しい、王子教育の行き届いた青年が一転して、無邪気な市井の若者のような様子になることが、ある気がする。
(気のせいかもしれない。私は、そういった人の変化の機微を察することに長けていないから)
きっと、エリオローウェンならば、気づいたのだろう。幼い頃から城で生まれ育ち、様々な人間に囲まれて生きてきた彼なら。
「陛下」
思考に耽っていると、スタシアが呼びかけてきた。顔を上げてその姿を探すと、さっきと変わらない場所にいた。花瓶を何やらいじりながら、スタシアがこちらを見ようともせずあちこちへと視線を動かしている。言葉を探しているようだった。
こういう、落ち着きのない様子は、一緒にいるようになった5年前から変わらない。彼女は基本的に付き人、隠密に徹していて、幾度か例外はあれど、基本的に自身の意思はレオンセルクが聞かない限り主張しなかった。そうしてあえて主張しようとするとき、レオンセルクの反応が予想できないのかこちらを見ようとしない。
(まぁ、その例外の時というのが、この病人は友人だから治せだとか、とんでもないことを言い出すけどね)
そのスタシアが、何か言おうとしている。その姿は、隠密にも何にも見えないな、とつくづく思うのだ。この子は、自分さえいなければ、女の子として、普通に生きていけたに違いないと、年頃になった彼女を見るたび落ち着かない気持ちになる。
「その、おっしゃった春、というのは……本当に」
「さあてねぇ」
「さて、って」
陛下がおっしゃったんじゃないですか、と口を尖らせる彼女に、レオンセルクはくつくつと笑う。
「確かに、私はそう言ったかもしれないけど、結局まだわからないよ。春を呼ぶ娘が来ることによって、春が来るか、どうか。その時になってみないと、わからない」
一度、その時は来た。そして、その時、確かに……。
(エレオリア)
祈っても、いいだろうか。
祈っても、いいのだろうか。
春を。
一度は目をそらした、奇跡を。
かつて奪われ、そして、再びその手から滑り落ちたそれを、望んでも。
きっと、目覚めたら、彼女は孤独だろう。20年以上も眠りについて、一人若いままで。周り全てが時を経ている。息子でさえも、自分よりも年上になっている現実が、待っている。
目覚めさえすれば、治療は出来る。彼女の病は確実に治るだろう。そうして、そうすれば……。
(そうすれば、どうなるんだろうね)
彼女が何を選ぶか、レオンセルクは想像をめぐらすことを拒否した。目を強く閉じて、それ以外のことを考える。息を吸って、吐いて、目を開く。手に持っていた論文を机の上に置いて立ち、花瓶の前に立ったままの少女に向き直った。
「スタシア」
名前をはっきりと呼ぶと、彼女も姿勢を正す。ピンと背筋を伸ばして、まっすぐにレオンセルクの方を向いて、何をいうのかとジッと待っている。
この娘はずっと、レオンセルクが名前を呼ぶたび、そんな風に言葉を待つ。綺麗になったな、と何となしに思った。人並みの幸せを与えたいと思うのは、傲慢だろうか。妻も、息子も、満足に幸せになどできていないというのに。
せめてこの娘だけでも。そう思うのに、これから口にする言葉は、これから先の彼女の人生を縛るだろう。
「君に、紹介しておきたい人が、いるんだ」
私の最愛。
春になって、目覚めたとすれば、おそらく世界の誰よりも孤独になる人。
その時が来るというのなら、彼女が幸福を手入れるまで、この娘にこそ、そばにいて欲しいと、願う。
(どちらに対しても、私の勝手だ)
拒否することは許さないが、それを許されるとは、到底思っていない。




