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6.息ができなくならないように

 赤みの混じる、黄金の髪、はしばみ色の瞳。齢13で、少女はおうさまに引き合わされた。

(わたしの、おうさま)

 少女のであったおうさまは、思い描いたおうさまらしいところは一つもなく、どこか寂しげに笑う人だった。こちらを見ようとせず、遠くを見つめて。こちらを見ようともせず、自分の世界にとじこもった、おうさま。

「スタシア」


 そのおうさまは、少女に名前をくれた。はじめて目を合わせて、ゆっくりと、その名を口にした。目と目があって、その瞳は優しさに溢れていることを知る。名前をもらって、呼んでもらって、スタシアになれた少女は、胸に押し付けた両手を抱くようにして大切にすることを告げた時、その、おうさまの顔を見たのだ。


 つらそうな、かなしそうな、かつてできなかったことを後悔するかのような表情で、笑うおうさまを、みたのだ。

 スタシアは、この人に痛みがあることを知ったのだ。




 あれから、レオンセルクの様子がおかしい。あれからというのは、神聖王国の王太子、リンクィンが来てからだ。

 常にレオンセルクのすぐそばで、彼を見ているスタシアにはそれがよくわかった。

 王太子との非公式の会談ということになっているあの時、スタシアはそばにいなかった。室内は本当に二人きりで、次の間に控えることとなったため。

 あそこで、二人がどんな会話をしたかも知らない。

 ただ、あの日以来、レオンセルクがあの部屋に姿を消す頻度が増えた。皇妃にもレオンセルクにも、特別禁じられていないのに、スタシアが控えるのを拒むあの部屋。城の奥、後宮のさらに奥。静けさをたたえた、時が止まっているかのような場所。

 あそこに一体、なにがあるというのだろう。

 誰が、いるのだろう。

 あそこから戻ってきたときのレオンセルクは、ひどく透明な顔で、優しくスタシアに微笑むのだ。部屋に入れず立ち尽くしたまま。そのままの状態で、じっと待っているスタシアを見つけて。優しく、微笑んでくれる。


 いまにも消えてしまいそうな、感情も何もかも置き去りにした顔で、微笑むのだ。




 スタシアはある日、レオンセルクが私室でなにか本を読んでいるのを、ただ横で眺めていた。レオンセルクは皇帝の座を降りてから暇を持て余しているようで、私室にいることが増えていた。降りた直後こそ遠出をして女性に会いに行っていたが、戻って以降は部屋に閉じこもる日々だ。皇帝となった息子に会いに行く気もないらしい。

 私室には本が大量に置いてあり、暇を持て余した果てに、突然一つ頷いて、片っぱしから読み出した。その勢いに押されるようにして、スタシアにはなんの本かわからないまま、ただそばに侍ることとなる。


 ロードロスが訪れた今も、顔を上げもせずに本に没頭している。スタシアが呆れた目で彼を見ているのに、レオンセルクは気づくこともなく本を読み続けていた。おもわずロードロスに向かって肩をすくめて見せると、ロードロスはくつくつと笑っていた。

「……ずいぶんむかし、まだ多くのうちの一人の太子だった皇帝陛下へ、皇太子として立つことを告げたのは、わたしでね」

 没頭しているレオンセルクの邪魔をしないよう、小さな声で、ロードロスがスタシアを見る。

「それを全身で拒絶するかのように、今みたいに医学書に没頭していた」

 少し懐かしいな、と目を細めるロードロスへ、スタシアは瞬きながら首をかしげる。

「……医学書? 皇帝陛下は、医学者なのですか」

 そうだよ、とロードロスは肯定した。かつては医学を学び、唯一の最愛のためにその身を研究へと捧げた、一人の青年だったんだよ、と。

「……おいしゃさまなの」

「君には想像もできないだろうが。皇帝陛下は、人の病気を研究して、治す方法を見つける人だった。もう何年も医学書に触れていないはずだけれど、突然どうしたんだろうね」

 長年宰相を務め、ずーっとずっとレオンセルクを知っているロードロスの言葉を受けながら、スタシアは新しい事実をゆっくりと飲み込んでいた。

(おうさまにならなければ、きっと、いまも、医学者だった)

 一生それでいようと決めていた、レオンセルク。それを途絶して、皇帝の座に着いた、レオンセルク。

 それならきっと、皇帝の座を退いたいまなら、また、戻ってもいいはずだ。

 ただのレオンセルクに、戻っても。


 そんなことを思うのは、隠密として、失格だろうか。


 レオンセルクはスタシアの事情など知らない。スタシアがどうして強いのか、スタシアが、どうして城に連れてこられたのか。

 スタシアにどうして、名前がなかったのか。


 スタシアだって、レオンセルクのことなど知らない。あの最奥の部屋になにがあるのかも。医学者だった彼が、なぜ皇帝の座に着いたのかも。


 一緒にいて、ずっと思っていた。レオンセルクは、皇帝陛下らしくない。誰もがお腹に何かを抱えて笑いあう中で、汚いことを何も知らず、優しい顔で、まっすぐに人を見ることができるレオンセルクは、お城の人らしくないのだ。

 純粋に、何かを追求し、求めて、形にする。医学者。なるほど、とスタシアは納得した。レオンセルクは、結局、ずっと医学者なのだ。


 最奥の部屋に、いったい何があるのかスタシアは知らない。けれど、そこにはきっと、レオンセルクを心のどこかで医学者のままでいさせた何かがあるのだろう。


 レオンセルクは、医学者に戻ってもいいはずだ。

 勝手は承知で、あの人がちゃんと息ができるよう、誰かが動いていいはずだ。誰も動かないというなら。

(私が)




 後宮の奥、隠密の少女に導かれて訪れた一室に、身汚い娘を見て、先帝レオンセルクは固まる。自分の護衛役であるはずのこの少女は、いったいどこからこの娘を連れてきたというのだろう。

「ともだちです」

 嘘だと思った。けれど、このよくわからない身の上の隠密が、レオンセルクの視線にさらされ居心地悪くしている娘を、どういう理由わけか連れてきた。その理由を、ひとまず聞いてみようかと思うくらいには、レオンセルクもスタシアを信用している。

「私のともだち、病気なんです」

 だから、と少女はまっすぐに榛色をこちらへむけて、レオンセルクに告げた。娘を見る。なるほど、それは事実なのだろう。

「治してください」

 何を考えて、スタシアがこの娘をレオンセルクの前に連れてきたのか。無償の医療行為をこの娘にもとめているだけなのか、それとも。

 レオンセルクに、なにか医療行為をしてほしい、ということか。

「……いいよ、やること、特にないし」

 自身の護衛役がどういうつもりにせよ、レオンセルクは断らなかった。10年以上も遠ざかっていたことを、今更再開するなんて。それが医療行為ともなれば、ただただ馬鹿げているだろう。日々進歩している物事に、10年も遅れをとっている。今更戻れるだなんて、おこがましいかもしれない。

 でも、空いた時間の手慰みに読んでた本は、過去のもの、最新のもの、なんにせよ、何気なく日々読んでいたのは医学書だった。


 一度途絶した道だった。


 けれどこのまま、ただの『皇帝だった人』でいるよりも、ずっと、きっと、息ができるようになるだろうと、思った。

お久しぶりです。ゆっくりとではありますが、ちまちまと。


昼休みにスマホで下書き機能を使って執筆することを覚えました。更新ペース、改善されることを祈って……。

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