暗転.赤髪と皇帝陛下と金色《オルウィス》
「はい?」
人手が足りない、誰でも良いから、と言われたのは、いったい何を報告しあったのかわからない、皇帝陛下不在の朝議のあと、すぐのことだった。一番の若手で、ここの所、雑務を引き受けてばかり。オルウィスは否を唱えることも許されないまま、その言葉を発した侍従のあとを追いかけることとなる。
それが、きっかけと言えばきっかけだったのかもしれない。
(何で俺、こんなとこでこんなことしてるんだ……)
城勤め。高給取り。そんなもの、望んだことなどなかったのに。
しばらく居座る場所を、さだめたはずだった。侯爵家のじいさんのもと、あの人が死ぬまでは、あの家にいようと。
「お前、新しい皇帝に仕える気はないか」
一日の終わりの報告に、侯爵の部屋を訪れていた。一人、また一人と報告を終え、部屋を出て行く中、いつも最後のオルウィスが報告を終えた時のことで、突然の言葉だった。
オルウィスは何も返さず、ただじっと侯爵を見返す。この人は今、何を言ったのだろう。
最初は、聞き流したのだ。
「はいはい、そういう冗談は昼間に言ってくださいね、報告終わった後はもう俺、寝ますからね」と、そんな風に返した。
その時の侯爵は、一度ひいた。けれど、数日してから正式に、皇帝の補佐役として議員に推薦したいと、そんな申し出を、逃げようのない場所でしてきたのだった。
しばらくここで、ようやく決めた居場所。紆余曲折を経て手放し、城へとやってきた。最年少議員として注目を集めたのも一瞬で、後はいいように使われるだけだった。雑用から雑用へ、飽きもせず回される書類仕事を、とりあえず処理し続ける日々。寝ても覚めても書類仕事とは、人によっては病んでもおかしくないのだろうが幸か不幸かオルウィスには合っていたらしい。気がつけば、人から押し付けられる仕事だけで、城の内情が薄々分かってきていた。
どうやら、若き皇帝陛下には、味方がいないらしい。
城の内情、仕事のことなど全く知らないと思われている最年少議員に、簡単に仕事を押し付ける程度には。
書類が正しいかどうかなど、関係がないと言わんばかりだった。
人手が足りない、そう言われて案内されたのは、どこかの次の間だった。調度品を見ればわかる、高貴な人物の部屋。オルウィスのまだ覚えていない(覚える必要のない)、使用人用の隠し通路を辿ったため、城内のどの辺りかもわからない。
そこに、一人の女性が待っていた。
黄金の髪、青い瞳。オルウィスの母親くらいの年齢であろう、貴婦人。
こちらに顔を向けるまでと、向けた直後、ひどく厳しい顔をしていたのに、オルウィスの顔を見た途端、わずかに目を見開いた。右へ左へと視線を動かし、取り繕うように表情を改めた後、そっと目を伏せた。
「この方は構いません。奥へ案内をお願いします」
女性がそう言うと、ここまで案内をしてきた侍従はすぐに了承の返事をし、オルウィスへさらに続く部屋へと進むよう促してきた。訳も分からず背中を押され、扉の向こうへと押しやられる。あのような貴婦人が次の間に控えているような、貴人の部屋。どこの誰がいるのか想像もつかず、ただ身構えることしかできない。
その女性が、一度会ったことのある貴婦人であることなど、思い出しもせずに。一応は、どこか引っかかりを抱きつつも、その奥にいる人物をみとめ、何もかもが吹き飛んだ。
「……っ」
(なん、で……)
黄金の髪、菫の瞳。髪はともかくとして、瞳が持つその珍しい色彩に、思わずその名が脳裏に閃いた。
この国の頂点にいるお方。皇位継承からこちら、一度も朝議にも参加せず、議員をないがしろにし続ける、若き皇帝陛下。その名を声に出すのは憚られ、思わず息を飲む。続いて、その机に積まれる書類の量に目をむいた。
「……」
皇帝は、オルウィスを一瞥しただけで、すぐに机上へ視線を戻す。言葉を交わす時間も惜しいというように、オルウィスはぽつんとほっぽり出された。
ここまで案内をした侍従は背後の扉へと消えている。皇帝陛下の様子を見るに、お呼びじゃなさそうだから引っ込んでもいいだろうか。
それとも、何か指示を仰ぐべきか。いやしかし皇帝陛下にオルウィスの方から声をかけるなど恐れ多すぎた。ここは向こうが何か言い出すまで待つべきか、どうか。
「……手なら、足りている」
思考を巡らしていると、ドンと詰まれた塔の上から、一枚手元へおろし、黙々と目を通す。必要なところにペンを走らせ、終わると脇へまた積んでいく。一枚一枚、きた順番に。書類の種類問わず淡々とこなすその速度見ると、なるほどなににも対応できる大した皇帝なのだろう。武術に長けたという噂は死ぬほど聞いた。かといって頭脳労働が壊滅的というわけでもないらしい。
(ただ……)
効率の悪さに少し額を押さえた。たしかに仕分ける手間を考えればさっさと取り掛かった方がという考えにはなるかもしれない。
そして見たままに、手が足りているとも思えない。結局この書類量を皇帝陛下一人でこなしているのだ。ところどころ束からはみ出している紙を何気なしに見れば、オルウィスが整えた書類も混ざっていた。
(正しい書類も正しくない書類も、全部目を通して修正をしてから各部署に回しているということか)
味方がいないとは、こういうことか。
他にどれだけの弊害が出ている。
「へい、」
か、と申し出ると、風が吹いた。ぶわりと紙束の塔が崩れ、床一面に広がる。呆然とオルウィスがそれを見ている前で、皇帝陛下の端正な面差しがわずかしかめられた。
「……少しは、考えてくれ」
「ごめんね、エヴァン」
叱責は自分へのものかと思ったのも一瞬、閉まっていたはずの窓の縁、コンパクトに腰掛けている小柄な人影に気づく。窓からの侵入者は、皇帝陛下も既知の人物らしかった。
「手を貸してよ、そこの人。エヴァンってば、私の言葉でさえちっとも聞いてくれない」
金の髪をきらきらさせ、ひらりと成長途中の伸びやかな手足を伸ばして、その子どもは散らばった書類の脇に立った。あーあーとぼやきながら集め出す。その視線がオルヴィスに再び向けられる。
「ほら、早く。この書類、片付かないとエヴァン休めない」
ここにいるからには、あんたも簡単に帰れると思わないでよね。と、笑顔で言っている気がした。




