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5.神聖王国第一王子

 エリオローウェンを羨んでいた。

 全てを持っていたエリオローウェン。美しい婚約者も、両親からの期待も。人心を引きつける魅力も。選択の自由も、頭脳も、何もかも。

 それに引き換えレオンセルクは、期待などされぬまま。ただ父の気まぐれに巻き込まれぬよう姿を隠され、何一つ不自由なく育てられつつも、孤独なままで。結局父の前に引きずり出され道を示され、そこから逸脱することなく、望まれるままに冠を抱いた。

 エリオローウェンの苦悩など知らない。ただ、王太子と言う与えられた位の元に、周囲の期待を裏切ることなく立ち続けていたということ。その孤独な高みで、笑みを絶やさなかったということ。


 そして、眠るエレオリアの横で、彼女を思ってのあの、眼差し。


 その彼が、もう、どこにもいないということ。


 それを知ったのはごく最近で、調べなくても分かることは、きっと、彼は、鮮烈にその存在の記憶を人々に焼き付けた。

 神聖王国における、エレオリアのように。

 彼を知る世界の全ての人々に、鮮やかに。



 そしてその神聖王国から、一人の少年がやってきている。


 そこは客室棟の一室で、異国からやってきたその客人に与えた部屋だった。

 銀の髪に、深海の瞳。その理知的な眼差しに、どうしてもエリオローウェンの、エレオリアの姿が重なる。エリオローウェンにとって、従兄の孫に当たる、その第一王子。落ち着かない様子で、レオンセルクの向かい側に座る姿は、まだ年若い少年そのままで、どこか微笑ましい。

「楽にしてくれて良いよ。人払いをしているからね。今回の会談は非公式なもので、君は国の視察にきただけ。そういうことになってる」

 レオンセルクが言葉をかけるのを遮るように、一瞬リンクィン王子の口が声なく動いた。けれど恥じ入るように唇を引き結び、視線を落とす。

「?」

 どうかしたのだろうか、とレオンセルクが注視するけれど、視線を落とした王子はそのまま顔を上げない。膝の上に作った拳をずっと睨むように見つめていて、その握る力は、端から見て分かるくらいに力をこめたり抜いたりを繰り返していた。

 まるでなにか、言うべきことを言うために、勢いをつけようとしているかのように。

「皇帝陛下」

 か細い声で、王子はやっと口を開いた。

「折り入って、お願いがあって、この国にきました」

 その言葉に、レオンセルクは瞬く。そして、非公式とはいえこの小さな王子との会談が成立した背景を考える。交渉相手はレオンセルクではない。ロードロスだ。あの、先帝の治世で、限られた権限を用いて議会を支えた男。それでも驕ることなく、レオンセルクのために今なお国に尽くす忠義の臣。そんなレオンセルクの腹心と交渉する能力があった、もしくは実現させる部下がいた、リンクィン。

 さすが、神聖王国。自分と比べて、レオンセルクが思わず笑う。エリオローウェンの一族なのだから、当然かとも。

「その、願いとは?」

 なんの交渉術もないレオンセルクには、なんの含みもなくそう問うしかない。そんなふうに続きを促されることなど想像もしていなかったのか、リンクィンはびっくりしたように瞬いている。本来であれば、一国を背負う血筋に生まれた者同士。しかし、皇帝と第一王子と言う明確な地位の違いを持つ二者。レオンセルクは上からはねのけても良かったはずだし、リンクィンは突然の申し出を咎め立てられる覚悟もしていたはずだった。

 それでも、レオンセルクは元々、ただの医学者でしかなかったのだ。

 王となるべくしてなったわけではなく、ただ、その地位に据えられただけの医学者。ロードロスをはじめとする臣下に政のほとんど全てを任せっきりにして、ときどき思いつきを口にして、必要な書類に判を押す、お飾りの王。後宮にこもり、気まぐれに他国を侵略する、冷酷無比の、暗君。


 高みにいる者としての、かけるべき言葉など、知らない。


 止める者のいないレオンセルクは、好きなように立場など関係なく続けた。

「簡単なことなら、叶えてあげるよ」

 にっこりと。苦労するのはきっとロードロスだろうに。きょとんと瞬いたままのリンクィンの表情が強ばった所を見ると、恐らく簡単なことではないのだろうが。

「……皇帝陛下、私は、いずれ、神聖王国を背負うつもりです」

 幼い少年の決意の言葉に、うん、と頷く。侮るでもなく、嘲るでもなく。けれど、続く言葉に様子が違うらしい、と眼差しが硬くなる。


「その上で、障害となる人物がいます」


 神聖王国に、王子は一人。第一王子、リンクィン殿下。そして、月の妖精と褒めそやされる、まだ愛らしい幼さの残る第一王女、ハプリシア姫。

 それ以外に、王位継承権を持つ王族はいないはずだった。エリオローウェンが姿を消して、やっとの思いで選出された、先王の弟から連なる家系。それが、今の神聖王国国王のはずだ。

 神殿の圧力やその他の制約により、極力神殿と対等にやり取りができるよう作られたバランス。だと言うのに、そこに障害があると言う。

 その障害とは、何者なのか。

 そして、この若き王子は、その人物をどうしたいというのか。

 幼さの残る整った顔立ちで、微笑めばきっと誰もがほだされるような魅力を持ちながら、神聖王国第一王子は、酷く真剣な表情で、その願いを口にした。

「できることなら、私は、その者を王国から追放したい」

 わずかな沈黙のあと、レオンセルクが息を吐く。邪魔な存在を、帝国に追放したい。なるほど。同盟先なら追放先としてはありえないことではない。

 語っていない事情があるのも分かった。それはこれから聞くとして、その話を持ちかけた理由を先に聞いてみたかった。リンクィンの握る拳が震えるのを眺めながら、口を開く。

「それによって、帝国に何の利益が」

 王子の表情が強ばる。あとから思えば、彼は誰からか聞いて知っていたに違いないのだ。その件について、レオンセルクが激怒する可能性を。

 それは、もしかしたら北の大国ヴェニエール皇帝の逆鱗に触れることになるかもしれないのだ、ということを。


「そのものは」


 それでも口にしたのは、きっと、彼自身引くことができないからだったのだろう。彼も、守りたかったのだ。


「その者は、この国に」


 その語りだしで、予感を抱く。白い大地と、萌える大地が瞬間脳裏に閃いた。そうして続くのは、青空の下で微笑む最愛。

 続く言葉を聞いた瞬間、息を吸う音が聞こえた。それが、自分の物だとはすぐには気付かなかった。



「春を、呼びます」



 瞑目する。王子の言葉が耳に残りわんわんと響く。


 確かに一度、春は帰って来た。春を取り戻すのに必要な人間は実在する。そうして今、冗談のように手の中に転がり込んできた。

 そして、目の前の、他国の王子が突然邪悪なものに思えてくる。


 少年の声が、レオンセルクの耳元で聞こえた気がした。




 どうか、この国に、


 春を。


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