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1.目覚めから、ぬくもりを


 呼び声が、聞こえる。

「レオン。レオン」

 優しい声。ずっとずっと、聞きたかった。最愛の、呼び声が。

「起きろ、レオン。政務に遅れる。ロードロスがまた扉の前で待ちぼうけを食らってしまう」

 眠い。どうして起こすんだろう。こんな風に、誰かに目覚めを促されることなんて、いつ以来だ。腕の中のぬくもりが心地よくて、無意識に抱き寄せる。

 それに応えるようにして、くつくつと笑い声が響いた。

「だめだ。起きろ、レオン」


 どくんと、心臓が、鳴った。


「……エレオリ、ア?」


 嘘だ。

「エレオリア」

 一瞬にして目が覚めて、嘘じゃない、と抱きしめる。今度は明るい笑い声。嬉しそうで、楽しそうな、エレオリアが腕の中に居た。記憶にないほど大きな笑い声に、体調は、と肩をつかんで引き離す。寝台に横たわるエレオリアを、伸びた腕で挟んで、真上から見下ろす形で。

 自分の真下で笑うエレオリア。寝台に広がる、金の髪。金の睫毛に縁取られた瞳は、緩く細められ、深海の色がのぞいていた。

 また、どくりと心臓が鳴った。

「目覚めた、の……?」

 レオンセルクが思わず口走った言葉に、何を言う、と最愛が笑う。

「お前よりずっと先に目覚めていたぞ」

 あぁ、なんだ、と思った。表情が緩んで、そのままエレオリアの肩口に顔を押し付ける。

「全部、夢か」

 エレオリアが眠りに落ちたこと。目覚めないこと、全部、夢だったのだ。こみ上げてくるものに、こらえようと唇をかんだ途端、たおやかな手が後頭部に触れた。

「泣いているのか」

 泣いてない、と呻く。エレオリアが、くつくつと笑う。低く、楽しそうに、笑う。側頭部に寄せられる柔らかな感触に、自分は、間違ってなかったのだと思った。

 唐突に、強く。

 愛されて、いることを、自覚する。



 何年も何年も、想いを寄せている相手から、なんの見返りももらえず。それで心が、弱くならないわけが。



 心臓が、また、鳴った。

 背筋が、寒くなる。今、何を、考えた。この腕の中にいる存在は。



「エレ、オリア」

「どうした」

 耳元で声がする。どうしよう、もう、最愛の顔が見れない。

「ほら、もう本当に時間がないぞ」

 その言葉が、別の意味に聞こえてくる。


「今日はエヴァンに、政務をする姿を見せてやるんだろう」


 そんな未来が、あったら良かった。

「エレオリア」

 自覚できるほど、硬い声が出た。どこかで自分を見下ろして、嘲笑している自分がいる。胃の方からせり上がる感覚に、どこまで弱いのだ、と悪態をつく。


「愛しているよ、エレオリア」


 エレオリア。エレオリア。

 愛して。


 愛して、いるから。

 愛して。


 耳元で、微かに笑う、声を聞く。


 その全て、自分が作り出した、幻だというのに。

 愛している、と、エレオリアが、いう。



「……」

 最悪な気分で、目を覚ます。外は薄暗く、けれど、この年の瀬、止まない雪に、朝になっても外は薄暗い。夜明けなのか、分厚い雲の向こうではとっくに日がのぼっているのか、分かりもしない。

「……エレオリア」

 うつぶせでなんて寝ているから、あんな夢を見たのだ。レオンセルクは仰向けになって、両目に右腕を押し付けた。目の奥からこみ上げそうになる液体に、こぼすものかと、夢と同様に唇を噛んだ。

 春が来て、ほんわずか、伸ばされて、頬に触れられた、手のひら。

 あの感触が消えない。

 焦がれて、焦がれて、ようやく触れて、掴めたと思った。そうしてまた、その手から滑り落ちた。

(その衝撃を、いつになったら、こえられるのかな)

 考えてはいけないことが、頭をよぎりそうになる。この、弱さをこえるには、

(本当に、独りになるまで、無理なんだろうか)

 最愛がいなくなった時のことまで、考えたく、ないのに。


 二ヶ月間、後宮をうろちょろしていた子どもを、思い出す。もう、ここにはいないけれど。ほんの基礎だけ仕込んで、エヴァンシークの元へ、送り込んでしまったけれど。


 エヴァンシークは、あの子がいる限り独りには、ならない。




 それで、良かったのに。


「……君はいったい何を考えてるの」

 最悪な目覚めで、最悪な気分のまま朝の仕度をして。眠ったままのエレオリアの元に行こうと部屋を出た途端、皇妃の使いが呼びにきた。

 導かれるままに、皇妃の元へ行ったと思ったら。

 赤みの混じる、黄金色の髪。低い位置で二つに結んだ、少女。聞けば、歳は十三だと言う。

 レオンセルクは、目の前の少女をじっと見つめ、呆れ返る。何故って、この少女の正体を薄々分かっているからだ。

「エリを仕込んだ伝手が、この子です」

 なんてことない風に、シエラが少女を示す。

 たしかにレオンセルクは思った。いったいシエラのこれまでの人生のどこに、あの子どもへ隠密としての教育を施せるだけの伝手が存在できたのか、と。

 そして、確かに聞いた。シエラ自身に、その手の内を明かすつもりはあるのか、と。

 しかし、いざ目の前に示された所で、納得できる話ではなかった。

「名前は」

「好きに呼んで良いよ、おうさま」

 無邪気に笑う彼女は、それはそれは楽しそうに、シエラの腕に子ども特有の細い腕をからませる。

「おうさま暗いね? 元気ない? わたし王様のためにそばに居てあげるよ。そうすれば寝る場所にもご飯にも困らないって言われたもんね。命の危険なんて心配ないよ。わたしぜーんぶけしたげる。ご飯の分だけ働くよ。わたしちゃんと分かってる。ちゃんと強いよ。信じてくれる?」

 にこにこと、少女はレオンセルクにさえずった。困惑を隠さずシエラを見れば、シエラはただ瞳を伏せる。

「この子は、陛下に」

 ただそう呟いて、少女の背を押しレオンセルクの方へと押しやる。少女は抵抗すること無く、レオンセルクの足下にかけてきた。

「よろしく王様。わたし頑張って働くよ」

 にこにことさえずる少女を、レオンセルクは気味悪く見下ろす。困惑顔のまま、腰を落として少女と視線を合わせた。

「とりあえず、その薄気味悪くてわざとらしい人格、どうにかならないかな……」

 レオンセルクがそう言えば、少女の顔面から、すっと表情が消えた。こてんと首を、かしげてみせる。

「きにいりませんでした? 皇帝陛下」

「あぁ、こっちの方がずっと良いや……」

 ほっと息を吐く。淡々とした表情で、ガラス玉のような眼差しに少しぞっとするが、先ほどの口調よりはずっとましだ、と断言できた。

 それで、とシエラを見上げた。

「どういうつもりだい」

 この子のことも、エヴァンの味方にするつもり? と、問いかける。それに対して、いいえ、とシエラは首を振った。

「先ほども言いました。この子は、陛下に」

 柔らかな青を湛えるその瞳は、固い表情のままそっと目を伏せる。あなたにも、必要です。と囁いた。わずかに聞こえたその囁きに、レオンセルクは眉を下げる。ほんとうに、この、皇妃の座に居続けるこの女の望みが分からない。




「君は本来、そこまでしなくとも、ただ、そこにいるだけで良かったのに」

 暗に、自分にこの少女は必要ない、と告げてくる。そんな手配までしなくても良い、シエラは、皇妃としてただそこにいれば、それだけで体面は保つのだから、と。けれどシエラは再度首を横に振る。伏せがちだった顔を、く、と上げ、一歩前へ足を踏み出す。正面から、祈るように手を組んで、皇妃は腰を落としたままの皇帝陛下に、静かに言い募った。

「陛下が必要ないと言うのが本当なら、殿下にも必要ないと判断されるはずです」


『エヴァンの味方に、なってくれる?』

 そう問いかけて、頷いた存在に、ふんわりと笑いかけた陛下。


 それならば、陛下にだって、とシエラは思ったのだ。だって、そこは、孤独な場所。たった一人で、味方も無く立ち続けるには苦しい場所。

 その場所から退こうとしている陛下に、いまさら遅いと人は笑うだろうか。まさに今、そんな風に笑おうとしている陛下が居た。

 ずっと遠くで見てきたシエラには分かる。そんな風を装って、それでも、この人は息子を見捨てない。その座を退いて、望むことをするのだと言いながら、エヴァンシークを置いて、エレオリアを残して、この城を出て行くことはないのだ。


 エヴァンシークに位を譲り、レオンセルクは表舞台から姿を消す。そうすれば、皇太后となるシエラも、宰相たるロードロスも、エヴァンシークの味方になる。新しい宰相が着くという話も出ていなかった。

(それでは、城の奥深くにとどまるレオンセルクには、誰がそばにいるというの)

 眠るエレオリアのそばにいる、レオンセルクは、誰が支えるというの。

「この子は、陛下のおそばに」

 強い眼差しで、シエラは言う。少女は表情なく、レオンセルクに寄り添った。肩口に、顔を埋めてる。さらに続ける言葉を、卑怯だ、とシエラは自覚していながら、それでも笑ってみせた。

「その娘、他に行く場所がないのです」

 レオンセルクのぎょっとした表情に、シエラは表情を保ったまま。レオンセルクが、恐る恐る少女を見下ろすその様を見ながら、自分の思惑が成功しつつあることを思う。一瞬の春が来て、わずかにエレオリアと視線を交わしたからだろうか。エヴァンシークを慕うあの子と言い、レオンセルクの身分に構わない子どもと話す機会が増えたからだろうか。

(レオンセルク様に、表情が帰って来た)

 傷ついた感情さえ、冷えた表情に押し隠すことを長年平気でやってきた、陛下の防御壁が。

 ここにきて、はがれてくる。眠るエレオリアに呼応して、人形のようにただ政務をしていた陛下が。


 痛みを、思い出した。


(だから、尚更)


 レオンセルクのそばに、この子を。


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