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18.春に生かされた子ども

「妃殿下、あの」

 いつものように、シエラが朝議へ陛下の代理として出席していた時だった。一人の侍従から、声をかけられる。

「はい」

「エヴァンシーク殿下から預かった方のことですが」

「殿下、の……?」

 シエラに話しかけてきた侍従は、確か兵舎の担当のものだ。内心首を傾げながら、シエラは席を立って侍従とその場から退室する。

「殿下がハイマールに送られてから、まだ子どもだからと、ここに残されたんです。でも、それ以来すっかりふさぎ込んでしまって。名前も聞けないままなんです」

 兵舎は男所帯ですし、私も優しげな風貌とはほど遠く、子ども相手にどう接していいか、お手上げで。女官たちは、そもそも陛下に対し懐疑的ですし……。

 侍従は言いにくそうに言葉を濁した。勝手に娘を方々から集め、城の者をはねのけて、後宮に閉じこもっているレオンセルクは、女官からもあまり支持をされていない。本来の彼女の領分を奪っているのだから、当然だった。

「会います。案内してください」




 エヴァンシークがくらした片田舎。そこで拾った子どもを、彼はここまで連れてきてしまったらしい。そして数日もせぬうちにハイマールへと送られた。緊張状態が続く、前線だった。そんな所に、子どもを連れて行くわけにはいかない、ということだった。

 案内された兵舎の一室、扉を開けると、一見そこは無人に見えた。

 背後の侍従に示されて、寝台脇の床を示される。

「……」

 毛布にくるまって、眠る、小さな子どもがそこにいた。思わず一歩踏み出すと、びくりと子どもは顔を上げる。

 視線が、交わる。

 シエラと侍従の姿を認識すると、慌てて衣装棚の中に逃げ込んだ。

「食事は」

「かろうじて。水分を多く含む果実などを置いておくと食べるようなので、なるべくそうしています」

 年の頃は分からない。元々なのか、酷く痩せているのが一瞬でも見て取れた。いや、それより。

 シエラは侍従を振り返り、柔らかく微笑みかける。

「ここは任せてくださって結構です。二人にしていただけますか」

 しかし、と侍従は了承しない。曰く、子どもが暴れてシエラに何かあっては、とのことだった。

「大丈夫です。あなたも困りかねて私に話を持ってきたのなら、任せてくださいませんか」

 ゆずらない、強い意志を込めて告げれば、渋々と侍従は頷いた。部屋の前で待っているので、何かあったらすぐ呼ぶように、と言い含め、部屋を出る。

 さて、とシエラは衣装棚を前に手を腰に当てた。

「名前は、あるの?」

 問いかける。返事はなかった。シエラは扉にそっと手をかける。思いのほかあっさりと扉は開き。中でうずくまる子どもに、そっと膝をついた。

 どこにいるのは、子どもだ。何の力も持たない、ただの子ども。

「顔を上げなさい」

 立場を分からせなければいけない。

「エヴァンは」

 どこ、と、小さなつぶやきが聞こえた。しらず、シエラの目が細くなる。

「エヴァンシークは皇太子です。いずれ皇帝となる、高みを目指す方。何も持たない者は、そばにいることさえできませんよ」

 子どもは、ゆっくりと顔を上げた。真っすぐな眼差し、怯えるでも、疑うでもなく。

「賢い子ね。その瞳をもっているだけはあるのかしら」

 ここでようやく、子どもの内側に感情が見えた。

「隠しているつもり。驚いている? 残念ね。私、“よく見える”のよ」

 本来見えない神様さえも見据えるこの目に、隠せるものなどなかった。

 さらに顔を上げた子どもの頭から、ぱさりと毛布が落ちた。輝く金の髪。手入れされていない今でさえこれなのだ。きちんと整えれば、どれだけになるだろう。シエラは子どもに手を伸ばす。強ばった頬に触れ、顔を上げさせる。

 見た目も良い。エヴァンシークが拾ったと言うなら、側に置きたいと言うなら、許容できる容姿だろう。

 利発そうな眼差しだった。その眼差しに、私は思わず微笑みかける。

「陛下に会う気はあるの? エヴァンの隣に立つために。あなた自身の未来を切り開く、そのために」




 後宮に子どもを連れて行く。何人か引き止めたけれど、皇妃の地位を最大限利用して、陛下の元までシエラは辿り着いた。

 子どもはシエラに逆らわない。分かっているのだ、シエラが与えるものを。

 やってきた部屋は、誰もいない。いつも陛下がいるのはエレオリアの眠る部屋だったけれど、今回シエラがレオンセルクを呼び出したのは、別の部屋だった。

 さすがに、レオンセルクも子どもをあの部屋に通したくはないだろう。

「その子?」

 突然背後から声をかけられ、子どもと二人でびくりと肩を震わせる。入ってきた扉を閉め、燭台に火を灯す姿を見つめながら、レオンセルクも今きた所なのだと理解した。

「えぇ、そうです。この子です」

 ふぅん、とレオンセルクは椅子に座り足を組む。椅子の背にもたれて、視線は下からにもかかわらず、見下すように。

「名前は」

 問いかけられ、思わずシエラは傍らに立つ子どもを見下ろした。レオンセルクはじっと子どもを見つめている。

(ないはずだわ)

 シエラはぼんやりと思った。シエラと同郷で、同じ理由で外に出されたと言うなら、ないはずだ。

 けれど、そんなシエラの予想に反して、子どもは声変わりのしていない声を震わせ、なにごとか囁いた。

「何」

 レオンセルクが問い返す。根気よく、本人の口から言わせる気のようだった。

「エリオ、ロー……」

 言葉尻の消えた声。それでも、シエラとレオンセルクは顔を見合わせた。次の瞬間、レオンセルクがくつくつと笑い出す。

「そんな大それた名をつけたのは、いったいどこの誰だろうね」

「陛下」

「使い物になるの」

 それは、この子どものことか。シエラは慌てて頷いた。

「これから、するのですよ」

「ふうん」

 品定めをするようにして、レオンセルクは子どもを見下ろす。少しだけ何か考え込んだかと思えば、小さく笑った。

「……私には、いなかったから」

 その笑いは、どこか寂しそうで。

「陛下?」

「エヴァンの味方に、なってくれる?」

 頷く子どもに、レオンセルクは、今度はふんわりと笑った。よかった、と呟いて、ふらりと立ち上がる。こちらに何も言うこと無く、部屋から出て行ってしまった。

「今のが、皇帝陛下」

 この冬の大国の、頂点に立つお方。傍らの、この、小さな子どもに伝わるだろうか。

「あの人は、何一つ秀でた力はないけれど、それでもしなやかな強さを持っている。もしかしたら、とうに狂っているかもしれないけれど、あの人は、それでも立って、歩いて、笑って、そうして泣くの」

 あの人は、強い。

「でも、エヴァンシーク様はきっと無理だわ。陛下よりもずっと、若くして皇位を継ぐ。あの場所は、孤独よ。誰か寄り添える人が必要なの」

「今は、」

 子どもは、小さな声で囁いた。

「エリ、は、エヴァンのもの。なんだよ」

 と、呟く。拙い口調は、どう足掻いても、幼子のものだった。

「どんなことでもする? 辛くても、我慢できる?」

 シエラの眼差しに、幼子はじっと見つめかえす。その視線に、シエラはそっと手を伸ばし、丸い頭を撫でた。

「三ヶ月後に、エヴァンシーク様はハイマールから帰還するわ。きっと、武功を立てて。そして、また別の戦場に行くでしょうね。そのとき、あなたは置いて行かれたい? ついて行きたい? どちらが、エヴァンのために動けると思うの」

「ついて行けるように、なれるの」

 綺麗な瞳が輝いた気がした。




 酷いことをする、と分かっていた。

 綺麗な子どもだ。見た目も良い。中性的な顔立ちで、年を重ねれば重ねるほど、それを武器に美しさに拍車がかかるだろう。

 きらびやかな場所で、戦うこともできたはずだった。

 けれど、何よりも欲しい《エヴァンシークの味方》の為に。レオンセルクの同意の元、シエラは、この子どもをより深い闇へと突き落とそうとしている。


 暗部と隣り合わせの、隠密に、この子どもを仕立て上げようとしている。


 ごめんね、と囁いた。


 同郷の仲間であるというのに。

 同じ瞳をもって、迫害された、仲間であるというのに。


読んでいただきありがとうございます。

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