17.呪われ、呪いをふりまいた、彼ら。
それは、私が今よりもっとずっと子どもだった時の事。今でも子どもではないかと大人は笑うけれど、今よりも子どもだった事だって、あるのだ。
大好きな人。側にいたいと思った人。
その人は、いつだって私に、私の理解などおかまいなしに、独り言を呟いた。
私は母に連れられて辺境伯領へ来ていたけれど、あの人は母とは頑なに会おうとしなかった。私たちをもてなすのは全て伯爵のお仕事で、私たちの滞在中、あの人は屋敷の奥の奥、書庫の机に向かって、本を読んでいるのが常だった。
見つけてしまったのは私で、それでも側に置いてくれたのはあの人で。
そんな風に私とあの人が出会ってしまっている事を、母も、伯爵も、きっと分かっていたに違いなかった。
「エリオローウェン様……」
その名はまるで呪いのようだ。人々の心を掴んで放さない、捕らえたまま、何も告げずに姿を消してしまった人だから。
エレオリアと、エリオローウェン。あの人たちは、きっと、関わった全ての人々にとっての呪いとなってしまった。
花嫁の代わりの私。王太子と幸せになるはずだった人の、やり直しの物語。
だから婚約者である彼も、きっと巻き込まれて生きている。
「……それでも私、国母になるの」
やり直しの物語でも、幸せを求めて何が悪い。
花嫁と同じ病気を治して、国に帰って、幼い頃に会ったきりの王太子と再会して、結ばれて、そして私は、神聖王国の国母になる。
誰を巻き込んでも、私、そうやって幸せになるの。
草原から吹き込んでくる柔らかい風が、金の髪をもてあそぶ。
十歳の時にこの屋敷へ引き取られてから、長いままの髪。その頃の記憶は曖昧で、だから、今こうして娘を抱いている自分が信じられない。
こんな風に、真っ当に、人としての暮らしができるなんて、思っても見なかった。
「ねぇ、プリマさま。《エレオリア》って、しってる?」
傍らで、見上げてくるのは歳のはなれた友人の娘だった。同じ、波打つ金の髪に、翡翠の瞳。利発そうな眼差し。将来が楽しみになる、七つの少女。
どこでその名を知ったのだろう。思わず空を仰いだ。
少女は身体が弱く、空気のいいこの辺境へ、母親とともに時折骨休めにやってきている。
せっかくだからと、今日は庭に出ていた。外の空気を吸いながら、手作りの菓子とともにお茶を楽しんでいる。
「その、《エレオリア》が、なあに?」
知っている。エリオローウェンの《花嫁》。貴族の間では有名だ。私自身は社交界に行くほどの暇もお金もなかった上に、そんな所に顔を出せるほど無恥ではなかったから、友人が教えてくれた。
「しりたいの」
まんまるの翡翠の瞳で、真っすぐに見上げてくる少女に、わたしは困った顔を浮かべるしかなかった。彼女の母である公爵夫人のほうへ顔を向け、二人、似たような表情を見合わせて、ため息を吐く。
「妙なことを吹き込む輩が、いるようで」
困ってしまうわね、と呟くのは、神聖王国指折りの権力を持つ、公爵夫人。私は刺激するわけにも行かず、同意も否定もできないまま、うふふと笑ってやり過ごすしかなかった。
「プリマと難しい話をするから、ウィリアローナ姫と領内を探検しておいでなさい」
夫人が言う。少女は驚いた顔をして瞬いていたが、やがて屋敷の窓を見上げていた。そのまま小さく頷いて、いってきます、と駆け出す。おいて行かれたウィリアローナは、慌てて短い手足をうごかし、彼女の後を追って行った。少女の身体が心配だったけれど、元気なのはいいことだと私は見送った。
少女が見上げた方向。そこは、屋敷の書庫だった。かといって、少女が特別本好きというわけではない。むしろ、普段から病気で倒れるたび療養と称され寝台から動けず、本を眺めるしかない環境、というのに、辟易している節があった。
書物というのは、少女にとって、病がちな自分の境遇、その象徴なのだろう。
だというのに、彼女は書庫を意識する。そこにいる人物を、見たくて仕方がないのだというように。
くだんのエレオリア。その、婚約者だった人。
そこにいるのが、彼だと、どこで彼女は知ったのだろう。
「話したくないなら、話さなくても、構わないのよ。あなたは何も言っていない。それで、いいの」
公爵夫人が突然呟くようにそう言った。私は、驚いて何も言い返せない。
「わたくしはね、あの子に、出会ってほしいと思って送り出したわ。何も言わずに、姿をくらましたあの礼儀知らずの殿下に」
彼の存在を、公爵夫人にまで知られていた。友人とはいえ、立場はあるのだ。どうしよう、と途方にくれる。女伯爵を名乗っているとはいえ、私の身分などただのはりぼてなのだ。領民が受け入れているから名乗ることができるというだけの、実権なき称号だ。
「姉のことを、わたくしの口から言うことはできないし、プリマに語らせるのは酷だとも思うの。だから、わたくし、姉のことは殿下の口からあの子に伝えるべきだと思うのだわ」
筋違いとは、分かっているのよ。と、彼女は力なく言う。私の方を見もせず、後ろめたいと思っていることを隠そうともせずに。
公爵夫人である彼女の弱音は酷く珍しく、聞き逃しては、遮ってはならないのだと、強く思った。
「そして、あなたに酷いことを言うとも、分かってる。けれども、時々思うのよ。仮に、姉の婚約破棄の申し出を殿下が受け入れず、あの二人は城にとどまり、姉のさいごを、優しい光の中で、殿下が看取ってくださっていたなら、と」
時々、どうしようもなく、思うのよ。
そうすれば、伯爵令嬢エレオリアの人生は、悲劇だと伝えられず、歴史の繰り返しに巻き込まれず、わたくしの娘も、神殿によるやり直しの物語の、その配役にされずにすんだのでは、と。
その嘆きに、私は何も言ってあげることができなかった。
「勝手を言っているのは、分かっているの。そもそも、エレオラウファンの物語の配役に、わたくしがなれば良かった話なのだから」
救いの手を差し出してくださった公爵の手を取って、逃げ出すようにして、役目を姉に押し付けたのはわたくし自身。
公爵夫人の口にするこれは、私に対する恨み言だ。
私の後ろに隠れている、彼への、言わずにはいられない恨み言。言うまいとひき結んだ唇から、こぼれ落ちた、ほんのひとしずく。
愛する姉のエレオリアのことも、愛する娘の少女のことも、全て、自分か彼のせいなのだと、苦しくて苦しくて、口にせずにはいられなかった言葉。
どうすれば、救われるのだろう。
エレオリアが、生きていたなら、何を言ってくれるのだろう。
「生きてるって言ったら、どうする」
その日の夜、うとうとと眠りそうになりながら、今日のことを話していると、傍らの彼がぽつりと囁いた。
ぱちりと、頭の中が瞬時に冴え渡る。今、なんと言った。
「僕に見捨てられて、異国の片隅、小さな別荘で亡くなったと言われている彼女が、じつは今、幸せを知って、愛されて、生きていると言ったら」
思わず身体を起こして、横になっている彼の胸ぐらを掴んだ。男女の力の差があると言えど、完全に優位な体制で、私は彼を睨みつける。怒鳴りつけようとして、言葉を探しているうちに泣きたくなった。
「なぜ、そんな、笑えない冗談を言うの」
彼は乾いた笑いを吐き出す。
「うん。ちょっと、自分でも気が滅入った」
あぁ、と思う。こんな風に、この人や、彼女に関わった人間は、呪われているのかと。実感とともに思う。
誰もが、こんな風に、胸の痛みに、顔をしかめて。でもどうしようもなく、笑うしかないのだと。歪んだ顔で、笑うのだと。
それなのに彼は、でもね、と掴まれている胸ぐら、私の手に、そっと自分の手を重ねる。
「嘘じゃない」
先ほどの言葉の全部が、嘘のたとえ話ではないよと、彼は言う。
「僕が、エレオラウファンの物語を与えられたのは、ある意味で、神殿の目も節穴ではなかったんだな、と思うことがある」
彼は、私がはねとばした毛布を拾い上げ、広げる。そして私を抱き寄せ、ぬくもりを纏った。傍らで目を閉じ、眠ろうとする彼を私は引き止めようと口を開きかけ、気が削がれてただ寄り添う。
神殿の紡ぐ物語に縛られたのは、彼も同じなのだ。
「僕は、エレオラウファンを無視できない。僕自身が、それを許せない。君にも物語があるように、僕も、それを抱えてうまれてきてしまったから」
私の物語。私の、春の女神の物語。
私自身の物語なのか、それとも、ただ、私は選ばれただけなのか。
この物語は、いつかウィリアローナも狂わせるのだろうか。
そう思うと、少し、怖かった。愛してやらなければと思う。あなたがあなただから、私たちは愛するのだと。過去も、神様も、関係なく。
たくさん、たくさん。
私たちとあなただから、この幸せがあるのだと。
「僕がエレオラウファンを何も知らなければ、神殿の思うまま、神殿の描く上書きの物語に付き合っただろうけれど」
それができなかったのは、持っていたからだ。
「エレオラウファンの愛した人、その物語の上書きに、耐えられなかったのは、僕なんだよ」
だから逃げ出した。周到に。生まれたばかりの、可哀想な双子の兄弟に何もかも押し付けて。
君に会うまで、いろんな所に行った。後宮に引きこもっているって噂が広がってた、帝国の王様の所にも。
「……ヴェニエール皇帝、レオンセルク」
私でも知っている皇帝だった。彼の口から始めて聞く、その人の話。
「一度会ってみたくて、会いにいったんだ。ねぇ、プリマヴェル。僕と婚約解消したエレオリアが、どこに行ったか知っている?」
何を言いだすの。
「ヴェニエール、帝国」
時々、愛してはいるけれど、この人の問いかけを恐ろしく思う。何を企んでいるのか、底のしれない、深海の瞳で笑うから。
「皇帝レオンセルクやそのきょうだいは、先帝から姿を隠すために、国中に散らばって育ったんだけど」
その、レオンセルクの馴染みの土地と、エレオリアのさだめた終の住処が、同じ地だったのだと言えば、どんなことを想像する。そのレオンセルクは、帝室の習わしで、剣術か学術かを選ばされ、学術を選んで、さらに医学に秀でたのだと言えば。
また起き上がりそうになって、それを阻まれる。いったい何を言いだすの。いったい、どんな真実をこの人は知っていると言うの。
「いつか、会えるかな」
眠たげに、彼は言う。会いたい、と私は言いかける。もしも、そんな、夢みたいな、物語が生まれたというのなら。
光を信じられると、思った。
そんな風に、話に聞く悲劇の伯爵令嬢、病に伏したエレオリアが、異国の医学者である皇帝に見出され、幸せを掴んでいるというなら。
彼や、彼女に呪われた人々は、きっと、みんな、救われるのに、と。
眠る最愛の髪に、口づけを落とす。
「世界が、そんな風に優しくあれば良かったのにね」
胸の痛みを表情に滲ませ、そう呟く。わかってる、とエリオローウェンは囁いた。世界がもたらす救いは、そう簡単には訪れない。
病にかかったまま、冬の呪いにかかったというエレオリア。彼女が目覚めるのは、いつだろう。
エリオローウェンが祈りを捧げる神様が、再び微笑みかけてくれる日は、くるのだろうか。
そんな日はこないと、知っていた。根拠も無く、エリオローウェンは確信していた。
だから。
「僕にとっての救いはもう、これで良い」
最愛にプリマヴェルを見出して、宝であるウィリアローナを手に入れた。そうして、異国の地、眠る大切なエレオリアの存在をも探し当てることができた。
それ以上があるとは、思ってはいけない。
「あいしてる」
かつての婚約者へ。腕の中の最愛へ。そして、エリオローウェンが生きた証となる、宝へ。
さいごの時まで、僕は幸福だと信じて疑わなかったよ。
君と、同じように。
エレオラウファン。
これは、
その時が訪れる、ほんの一年前の、話。
読んでいただきありがとうございます。
お久しぶりです。お待たせしました。またちまちまと更新再開したいと思います。
だと言うのに、えぐいし重いし救いがないしで、申し訳ありません。えぐいなーと思いながら書く。基本的に、エリオローウェンとプリマヴェル関係は、表面上まったく救いがないです。一通り書くと大体救われないのです。救いがある所と言えば彼らがどう割り切ってどう幸せに暮らしていたかって言う本当にただその一点につきるのです。
けれど物語中一番精神的にタフなのも、この夫婦なんだろうなぁと思います。




