表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
34/91

15.取り戻す為に動くには、この場所はいらないから。





「でも、こんなことになるのなら」

 エリオを愛しておけば、よかった。などと言いそうになって、口をつぐんだ。

 思っても、口にしてはならないことがある。

 その選択だけは、後悔してはいけなかった。


 ふと気配を感じて、扉を注視する。勢いよく開いた扉の向こうに、求めていた姿があった。

(よかった)

 会えた、と言うには、あまり一方的すぎた。

 レオンセルクを視界に入れて間もなく、エレオリアのまぶたは、重く閉ざされたのだから。

 それでも、その一瞬で、その姿を、焼き付けて。

 側にくる懐かしい気配。エレオリアの名を何度も何度も呼ぶ最愛の声。


(あいしているから)


 泣いてほしい。あたしの不在に、どうか、心から、傷ついて。

 大国の皇帝陛下。

 民の為ではなく、あたしの為に、どうか、あたしだけの為に、あってほしい。


 腕を宙に浮かせ、手を彷徨わせれば、一瞬で暖かい手に包まれた。「エリ、エリ」と何度も呼ぶ声がする。

 その呼び名は、何度聞いてもエリオローウェンだろうと、エレオリアは微笑う。手を掴まれたまま、さらにエレオリアの手は宙を泳いで、レオンセルクの頬を探し当てた。

 指先に触れた温かな水に、あぁ、と喜びが湧きあがる。


 レオンセルクが、泣いている。

 泣けばいい。いつか目覚めた時に、もう泣かないでと口づけを送るから。

 世界の終わりのように、絶望して。

 癒されないで。

 その傷を癒すのは、あたしでありたい。


 だから。


「はる、を」

 囁きような言葉にも、レオンセルクは耳を澄ませるように息をひそめた。

「れおん、はるを、よんで」

 そうすれば、きっと、また会える。

「どうか、……りあ……を」



 その言葉を飲み込むようにして、口づけを受けると同時に、エレオリアの意識は闇の底へと沈んで行った。




 深く深く、それ以上はもうもたないと神様があたしの手を引いて底へと沈んで行く。

 神様は、無慈悲にあたしの命を長らえさせるための眠りを誘うわけでもなく、レオンセルクとの時間を残してくれたのだろうか。


 ウィリアローナの名を、届けられただろうか。


 届けられていたとして、目覚めたエレオリアが後悔しなければいいけれど。







「口づけで、お姫様が目覚めるだなんて、信じていたわけじゃないけど」

 眠りに落ちたエレオリアを抱きしめるレオンセルクを前に、シエラは何も言えなかった。

「全ての御伽話を、呪いたくなりそうだ」

 暗い瞳で呟く皇帝陛下に、深く深く頭を下げる。何もできなかったシエラ。ただ、短い春に目覚めたエレオリアの意識を、できるだけ長く繋ぎとめる為だけにしかあれなかったシエラ。

 謝罪の言葉さえ、口にするのもおこがましかった。


「春を、呼びましょう。陛下」



 その呼びかけが聞こえていないわけではなかったけれど。

 レオンセルクは、返事をしなかった。ただ、エレオリアを抱きしめて、頬を寄せ、目を閉じて。

「エリ……。エレオリア」

 触れる頬は柔らかく、出て行った時と何一つ変わらない。ただ、その居場所が異なっていた。寝室の寝台から、居間の長椅子へ。そして、確かに、この手はレオンセルクへと伸ばされた。幻覚でも何でもなく。


 エレオリアは、目覚めていた。


(もっと、早くに戻っておけばよかった)

 春の知らせを受けた時点で、諸外国への訪問など、放り出して。

(戻らないのか)

 最後の、機会だったのでは。

 口から漏れだしそうになる悲鳴をこらえ、レオンセルクはその考えを否定する。だって、エレオリアはまだ、こんなにも暖かい。顔色だって、生気に満ちているとは言えないが、死んでしまうようなものでもない。

「春を……か」

 エレオリアが眠る長椅子から、彼女を抱き上げる。そのまま室内を移動し、寝室の扉を片手で開いた。

 豪奢な寝台、白い敷布。温かな暖炉の火、窓ぎわの椅子。そして、飾られた白い花。

 目覚めたエレオリアは、また、この花を愛でたのだろうか。

「この花はね、エレオリア。本来の姿では、ないんだよ」

 いつか、見に行こう。二人で、君が愛した花を、野に咲く自然な姿の、この花を。

 囁いて、寝台に寝かせる。眠り姫の物語、その挿絵の出来上がりだった。


「春を、呼ばなくては」

 呟いて、そっと目を伏せる。

「エヴァン、今、いくつだろう」

 息子の名が、自然とこぼれる。エレオリアが眠りについてしばらく片田舎へ足を運んでいたけれど、今はもう久しい。

「陛下……?」

「そっか、確か、十五か。あと半年もすれば十六だったね……」

 皇太子には少し前にしていた筈だ。書類の上で。冊立式はしていないけれど、ひとり息子だし、周知の事実。レオンセルクのきょうだいたちがもつ継承権は、先帝がとっくに整備していた筈だから、命の危険もない。

(はず)

 レオンセルクの手ごまは少ない。皇帝直属の隠密は、皇室に仕えるものであってレオンセルク自身の駒ではなかったし、そもそもレオンセルクはずっとそういった手回しを怠ってきた。もしかしたらロードロスが味方を得ているのかもしれなかったけれど。いや、そうでなければここまで立ち行かないだろう。

 敵がいない要因の一つに、民は皇帝を恐れている。

 レオンセルクではなく、先代が行った皇帝の行う暴虐を。

 民は、長く続いた先代の治世を、まだ覚えている。理不尽な断罪を。

 そして、怯えているのだ。

 レオンセルクがいつ暗君に傾くか、息をひそめて。身を縮めて凌ぐことしか、この国の民は知らない。立ち向かう気概を持つものは、端からいなくなってしまったのが、この国だから。

 だから、どちらにしろ、いまのうちなのだ。

 民が、怯えている今のうち。


 今なら。

 春を、呼ぶ。この国の、春の女神を捜しにいける。だから。


「……私は、皇帝をやめるよ。エレオリア」



 ごめんね、と思わず口からこぼれた。

 エヴァンシークに言え、と、エレオリアなら言うのだろうな。そう思うと少し、笑みがこぼれた。







 教師の荒げた声が聞こえる。夏期休暇における学内で、こんな騒ぎは珍しかった。


 片田舎のアカデミー。“彼”自身把握していない家の複雑な事情とやらで、敷地内の片隅を借りて住むようになって十四年。学ぶようになって、九年。それ以外の場所を知っているわけではないが、学校と呼ばれる性質上、教師が大騒ぎしている状況というのは、珍しいと思う。

 ふ、と息を吐く。“彼”は椅子に行儀悪く膝を立てて座り、本をそこに立てかけめくっていた。

 雑談に興じていたはずの寮生たちのざわめきは、次第に疑問符をはらんだどよめきへと変わって行く。

 そこは、図書館内に設置されている談話室。夏期休暇を持て余した寮生にとっての憩いの場であった。そこが、どこかいつもと違う雰囲気に包まれる。

 学士課の生徒たちは小声でこの事態の原因を論じだし、騎士課の生徒たちは警戒心あらわに緊張を高めているのだ。

 額にかかる明るい金の髪をかきあげ、襟足より少し長い髪に、そろそろ切るかなどと意識の端に考えつつ、ふと顔を上げる。ほとんどの生徒が外の騒ぎに意識を向けている中で、それでも何人かは、それどころではないと言わんばかりに夏期休暇課題の論文と戦っている。これも、ここの日常であり、非日常だった。なんとなく、周囲につられて張りつめそうだった心にしなやかな落ち着きが戻ってくる。

 警戒心を最大にして、迎え撃とうとしていた心づもりから、緩やかにこの事態の推測を立てるだけの余裕が生まれた。


 片田舎にある為当然とも言えたが、このアカデミーの生徒の大多数は寮生だ。貴族の子息や商人の息子。珍しくはあるが、いずれ領地経営を任される娘や、とある屋敷に仕える為、執事として学びにきたものなど、男女身分、年齢、問わず、同じ学び舎で、同じ教師の元差別無く学んでいる。学はあっても夏期休暇に帰る家がないものも多い。

 時折、他国からの留学生も受け入れている。アカデミーでの課題の量からして、そういった者たちさえも、帰省しにくいのが、この片田舎の学校だった。この夏期休暇を満喫しているのは、よっぽど上手くやりくりしている者か、課題免除の特待生ぐらいだろう。


 その傾向から分かるように、教師は生徒の家の事情よりも何よりも、学習環境を守る為に動くことが多い。実際それらのために奔走するのは、研究一辺倒の教師たちよりも、学長をはじめとする、寮母や食堂管理者など、経営側の人間だったけれど。学校としての方針が、生徒の学習環境の保護だった。

 つまり、教師の様子からして、家の事情から生徒を連れ戻しにきた家人か……。


 そう思考が辿り着いた所で、談話室の扉が開かれる。姿を現したのは、無遠慮な客人と……、

(珍しいな、副学長だ)

 そう思ったのも一瞬だった。さぁ、答えは出た。青年は菫色の眼差しを一度だけ投げかけたあとは、この騒ぎを関係ないものと断じる。読みかけの本に視線を落とした。視線はそのまま、今度は副学長の姿が現れた事実について考察する。

 学長は名誉職、副学長が、このアカデミーの権力者、というのは、代々上級生から下級生へ、まことしやかに伝えられる、嘘か本当か確認することもできない噂話だ。とにかく、副学長は生徒の前にめったに姿を見せないし、忙しく飛び回っているという事実しかない。

 そんな副学長が、客人を引き止めようと声を張り上げているのが、聞こえた。

 その姿を、意外に思う。けれど、家の都合で子息を連れ戻しに無理矢理ここまでやってきた家人を、止めようとする副学長の姿に、疑問の余地はどこにもない。

 “彼”には、関係のないことだった。


「エヴァン」


 そんな中、名前を呼ばれた気がして再び顔を上げる。振り返れば、何の間違いか、無遠慮な客人が立っていた。その背後に、険しい表情の副学長が立っている。

 立てていた膝を伸ばし、足を床につける。眉をひそめて、菫色の眼差しを、二人へと向けた。


読んでいただきありがとうございました!




雑記

わざわざ辞めんでも、って感じですけど。(自分で言っちゃう

この辺りの理由漬けは、後々できたらなって。説明した上で無理矢理感が残ったら失敗ですが、よろしくお願いします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ