12.あたしのいる場所を、彼女は知らない。
目を覚ましてから、すでに丸一日は経っていた。
目覚めて二日目。寝台に埋もれて、エレオリアは寝返りを打って身体をおこす。
(無為に時間を過ごしているようにしか、思えない。何か……。なに、を……)
ことん、と花瓶を置く音を耳にして、振り返る。シエラの動作でそんな音が出るなどありえない。
「お前」
誰だ、と問いかける。すると、答えるのは素早かった。
聞いたばかりの名前を呼びかける。
「オルウィス」
「はい」
「この国の、南方の避暑地に滞在している貴族を、調べられるだけの伝手はあるか」
「へっ」
青年は一瞬目を瞠る。しかし、すぐに思案するよう視線を落とした。冷静に頭のまわるいい子だ。
あれから、十四年だったか。エヴァンシークも、このオルウィスと同じくらいだろうか。
一目、見たかった。髪は金だったし、瞳は菫色だったように思う。エレオリアに似ていると、レオンセルクが嬉しそうだったのを覚えている。けれど、それでも男の子だ。成長すればするほど、きっと、レオンセルクに似てくるに違いない。
(あいたい)
「使える伝手を、ためらわなければ……」
「では、頼みたい。誰が春を呼んだか、調べたいんだ。恐らく彼女は、二日前か三日前にこの国にやってきた誰かだから」
なんの根拠も無く、春の女神を宿らせた、春を呼ぶ誰かを女だと確信していた。
だって、春の女神だ。
傍らの神様が、焦がれて焦がれて、狂うほどの、人、だ。
淡く微笑むエレオリアを見て、オルウィスはそっと視線をそらした。初々しいその仕草に、もっと笑みを深くして、横になる。目を閉じて、眠った。
起きている時間と、眠っている時間は不安定で、長いこともあれば短いこともある。
眠る時は、いつだって沈んで行く感覚だ。どこまでも、深く、深く。黒衣の男に手を引かれて、どこまでも沈んで行く。
光の届かないほど深い場所へ。魚でさえも、息ができないような場所へ。
神々の住まう、美しく澄んだ空間へ。
それは、甘い誘惑。
けれどエレオリアは信じている。そんな場所に沈んでしまったエレオリアの腕を、迷い無く掴んで引っ張り上げてくれる最愛を。
エレオリアは、信じている。
「……何か見える?」
呼びかけに、外を見ていたわたしは首を振る。頭を撫でてくる感触に、目を細め心持ちその手のひらにすり寄った。
けほ、と咳が出る。寒さを突然自覚して、瞬いた。腕を抱いて、寒い、と傍らに訴える。
頭の手がはなれ、ふわりと毛布にくるまれる。ぱたぱたと足音とともに空気が動いた。
もそもそと膝を抱えて、腕に手のひらを押しあてる。ぱちりと火の中ではぜる何かの音をなんとなしに聞いていると、よく知った気配がよってきた。
「春」
囁きに、頭上を振り仰ぐ。
(……母さま)
正確には違うと知っていたけれど、そう呼ぶしかなかった。失ってしまったのだ。けれど、そっくりなものが入れ替わりに寄り添うようになったのだ。
今、わたしが慕うべき「お母様」は、お忙しい。わたしの側にいつもいるのは、この「母さま」。
廊下の方から足音が聞こえた。そちらに目をやる。湯気のたつ暖かい飲み物を手に、ヒューゼが立っていた。わたしも、それは知っている。おいしもの。甘い、飲み物。
「ヒューゼ」
小さな囁きが聞こえたのか、彼は嬉しそうに笑った。毛布でくるまれているわたしの手を出しやすいように整えてくれ、額にキスを貰う。わたしは飲み物を受け取って、お礼に頬へとキスを贈った。
ぱっと離れたヒューゼは驚いた顔をしていて、わたしはその顔を眺めながら飲み物を口にした。
兄と、姉と、ヒューゼと、上の弟と、下の弟。ヒューゼとしか会わないけれど、「お母様」から聞いたことは、覚えている。
わたしは、この兄妹の、六番目。
「ウィリア」
ヒューゼが呼んだ。何? と視線を返す。
「喉は痛くない? だからいやだったんだ。いくら妹がいるとはいえ、こんな国に何日も滞在するだなんて」
瞬くわたしに、反応がないのを見て取ったのか、ヒューゼは「なんて今更言っても仕方ないか」、と肩をすくめる。
「この国はね。本当は冬に閉ざされた国なんだ」
それなのに、今、春が戻ってる。だから、珍しい時にこれてよかったのかもしれないね。
「僕ら、神様の奇跡に触れているんだよ」
わたしはなぜだか、「母さま」を見上げた。
両手で顔を覆って、彼女は消える。顔を覆う直前見えたその目は、絶望の色を写していた。
「ウィリア?」
どうしたの、と呼びかけに、わたしは何も、と首を振る。
いつも傍らにいてくれるあの人を母と呼ぶのは、似ているからだ。ただ、それだけのこと。
失ってしまったのだ。
何も分からないうちに、消えてなくなってしまったのだ。
けれど、なぜだろう。かすんで今にも消えそうだったあの人が、この国に来てから、徐々にその存在を濃くしているような気がする。
それに比例して、わたしは寒気を覚えるのだ。
まるで力が吸い取られるようにして。そう、たとえば、神々からの呪いのように。
「ウィリアローナ?」
ヒューゼの声が聞こえる。寒い。
目が、眩む。
目覚めて、三日目。
その日の昼頃、目覚めた時に、ちょうどオルウィスがやってきた。
「調べてきました」
そう言って、尋常でない紙の束を渡してくる。エレオリアは瞬いて、その紙束を受け取り、さらに目を剥いた。
オルウィスと紙束と、交互にみやり、最後には紙束に視線を向けて、ぱらぱらと一通りめくってみて、ため息を吐く。
「何者なんだ」
「侯爵家のじいさんとこで、家令みたいなことを」
知っている。ヴェニエール帝国侯爵。いつまでたっても家督をゆずらないあの男。十四年経った今もまだ、退いていなかったのか。
能力のない息子にゆずった所で、家が傾くのは目に見えているけれど。
だが、あの家。先祖代々家令の一族が取り仕切っているのではなかったか。
「おまえ、この能力で……。侯爵家の、外部から来た家令、で収まっているの」
今までも、これからも。ずっと収まってるよ、と彼は笑う。
その紙の束には、避暑に来ている家が、国、地域別に整理しているだけでなく、その構成。貴族から使用人に至るまで、一人ひとりの経歴までもまとめてあった。
これを、たった一日で。
いったい何百人にわたると思っている。その中から、エレオリアが目覚めた前後にやってきた貴族を選り抜いたというのだ。
「俺一人でやったわけじゃないよ」
伝手はあるって、言ったでしょ。と彼はいうが。それでも、短期間でこれだけの情報を集める能力、それを扱う力量があるということだ。
一通り眺めていって、「オルウィス」と声をかける。
「もういいよ。さがって」
「え」
それで、十分なのか、というように彼は戸惑う。エレオリアはそんな青年に、笑ってみせた。
「そこに収まっていたいのなら、これ以上は知らない方がいい。あたしがどこの誰かも、いや、あたしがここにいたことさえ、忘れた方がお前の為だ」
笑みを深くして、それが、背中を押すのに変える。オルウィスは困惑顔のまま、少し考えた後、踵を返した。
彼は、侯爵にその身を捧げているのだろう。きっと、そこは彼にとってよい環境なのだ。なぜ彼がここにいたのかエレオリアには定かではないが、しかし、後宮であることを抜きにしても、こんな所にいていい青年ではないのは確かだった。
青年の気配が遠ざかったのを確認して、一枚一枚書類をめくって行く。
伊達にエリオローウェンの婚約者をやっていたわけではない。帝国と神聖王国、古王国など、主要な貴族は全て頭に入っている。その中でも、特に神聖王家に繋がる可能性のある貴族を選んで行く。
そうして、とある束で手を止めた。
ニルヴァニア神聖王国 シュバリエーン公爵
かつてエレオリア療養しつつ終の住処と定めていた、ヴェニエール帝国領。神聖王国との国境の森近く。国指折りのアカデミーがあるにも関わらず、単に片田舎と広く呼ばれる、あの屋敷。
その、持ち主。
エレオリアの妹が、嫁いだ家。
読んでいただきありがとうございました。まだまだ続きますひとときの春編。
誤字脱字などございましたらご一報いただけると幸いです。
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雑記
ちょっとエレオリアの妹と公爵のラブロマンスなんかも面白そうねとか思ってしまいました。C@mpusノート三冊分に年表を書き足し書き足し書いているのですが、みるみる埋まって行く感じが面白いです。9月生まれ12月生まれが多いです。(数字は出していませんが、基本的に一年は12ヶ月です。春夏秋冬、くらいしか表現していませんけど)




