3.そして娘は男と出会ったのだ。
ものの出入りの激しいこの帝国は、医療大国としても名高かった。
ニルヴァニア国王が自らヴェニエール皇帝に働きかけ、片田舎に医者が何人も出入りするようになる。近くに国内有数の全寮制の学校とやらがあるのも理由かもしれない。一度研究室に戻って症例の確認を、だのなんだの、会話の端に聞こえてくるから。
エレオリアはそこで治療を受けながら、幾ばくも残っていないであろう自分の残りの命の量を想像していた。
「二十まで、生きられぬかもしれませぬ」
ある医者はそういった。
「今のままの生活であれば、長く生きられるやも」
こんな、寝台に横たわったまま、本を読んでいるだけで倒れるような生を、お前は生きていると言えるのか。
入れ替わり立ち替わり、まるで実験動物を見るかのように医者が屋敷を出入りする。馬鹿馬鹿しい。もう、静かな場所に行きたい。だって、窓の外はこんなにも美しい。雪が降り続き、一面が真っ白く塗りつぶされて。
煩わしいものなど、全てがあの雪の下に埋まってしまったかのようだ。
両腕から伸びるくだの数に、無理だとわかっていながら、口にせずにはいられなかった。
「外に、行きたいな……」
傍らに誰がいるかなど思いもせず、ただ、そう呟いた。
かたん、と椅子が引かれる音に、エレオリアが見ていた窓とは反対側に人が座っていたことに気づく。
「そっかそっか?」
涼やかな声をきっかけにして、彼女がゆっくり振り返ると、そこには静かな目をした亜麻色の髪の青年が立っていた。
「少し痛むよ?」
言うなり、寝台に膝をついてのしかかってきた青年、否、男に、エレオリアは驚き慌てふためいて悲鳴を上げることすらできぬまま、気がつけばくだの全てが取り外されていた。
「……のしかかる必要、は、あったか?」
やっとの思いでそう問いかける。
「抵抗する君から下手に抜いたら内出血。君の場合はそれだけですまず貧血で昏倒。そして数日寝込むことになっていたと思うけど?」
エレオリアに馬乗りになったまま。言い方は素っ気ないのに、顔が笑っている。悪いやつだ、とエレオリアは咄嗟に思った。というより、驚かされたせいで心臓はばくばくと脈打っているし息も切れかけているので、どちらにしろ昏倒しそうな流れではないだろうかこれ。
「さて、じゃぁ、いこうか」
ばかでかい寝台の、エレオリアの足が届くことのない足下にたたんであった毛布を広げ、男はにっこりとする。なんだ、と構えたのも無意味で、その毛布はふわりとエレオリアの頭上へとかぶせられた。
「ちょ」
ぎゅっとくるまれたかと思えば、身体がふわりと浮く。なにごとかとなんとか毛布から顔を出せば、男がエレオリアを抱き上げ運んでいた。
「は、ちょっと」
かたん、という音ともに、窓が器用に開けられる。さすような冷気が頬にあたった。
「この部屋が一階で良かったね、っと」
あたしを抱いたまま身軽に窓のふちへと飛び乗った、どういう人間だこの男。なに、外?
ぶわりと、視界が開ける。
高い位置で抱き上げられているエレオリアの金髪が風に流された。咄嗟に、男の顔、首に、腕をまわす。
「この国は永遠の冬だろう」
「もうすぐ春だよ」
「春が、この国には来ないと」
「それでも、ただ、雪が降らなくなるだけの日が十数日続くだけだとしても、冬が和らぐ日はあるよ」
それが、今。
男はそう言って、エレオリアを見上げた。胸に抱くようにしてその顔を抱きしめていたエレオリアは、振り返った男の顔、その位置の危うさに身を強ばらせる。
対する男は、そんなエレオリアに笑顔を向けた。
「美しいだろう」
あぁ、と思う。
この人は、国を、愛しているのだ、と。
それから、すぐに部屋に引き返し、エレオリアは寝台に寝かされて口元まで毛布をかけられた。くだも元通りに取り付けられ、その日の男はどこかに消えて行ってしまった。それはもう、幻のように。
それ以来、男はエレオリアの部屋へ毎日くるようになった。
他の医者は入れ替わり立ち替わりであるのに、その男だけは、一人優雅に寝台横に椅子を置いて、いつも手元の手帳に何か書き付けている。
特に何も言葉は交わさない。あの日のことはなかったかのように振る舞われて、戸惑ったのはエレオリアの方だった。
白衣を着ていたから、医者の一人なのだろうか。ある日そう問いかけたら、まさか、と笑われた。
「んー、勉強中。修学中とでも言うのかな。剣が振れないなら机にかじりつけって家の方針でね」
笑っている。
けれど、なんだかその笑い方には、笑顔には、苦いものが含まれているような気がした。
「ところで君、ニルヴァニア王とどういう関係なの」
ものすごい勢いで話題を逸らされた気がする。というか何故そんなことをこの男が問いかけてくるのかもさっぱりわからない。何となく釈然としない気持ちで、エレオリアはため息を吐く。
「王太子殿下の、婚約者」
ばさばさ、と男の手から書類が落ちた。あぁあ、とエレオリアが寝台から出て床に膝を付き、書類に手を伸ばしていると、大きな手によって書類ごと握られる。
出来事の異常さを感じつつも、エレオリアの深い色をした瞳は、床の書類から離さなかった。
「元、だけどな」
わざわざ自らを傷つける、言葉を選んだ。
婚約を解消して、荷をまとめ、帝国の別荘にきて、どれくらいたった。
あの、庭先でエリオローウェンに抱きしめられたとき。あれは冬の終わりかけ、春の足音が聞こえてきている頃だった。
そうして今、この国でもっとも寒さの和らぐ季節だという。
(五ヶ月、か)
あの時と、同じことを考える。死ぬまで側にいたいと言えば、きっと、王太子殿下は受け入れてくださった。
お互い何一つ満たされぬまま、エレオリアは死に、エリオローウェンは別の誰かと結ばれていたことだろう。
今と、どう違う。
エレオリアはずっと一人で死ぬまでここにいて、エリオローウェンはずっと心を痛めることだろう。
きっと。
可哀想な女の子がいた、と。それだけだろうけれど。
あの人は、心を痛めてくださる。
「あたしは先が長くない。そんな人間を王太子妃に据えることはできない。『エリオローウェンの花嫁』を授けたのは、そちらの都合だというのに」
へぇ、と帰ってきたのは気のない返事だった。確かに、返答に困るだろう。ただでさえ病弱で、ほとんど寝たきりで、気を使うというのに。
その上不幸自慢とは、きりがない。自覚があった。だからもう、エレオリアは何も言わないことにした。
床に散らばった書類を集めようと、手を動かそうと思えば、右手が男に握られたままであることにきづいた。
「……」
無言で、左手だけを使って書類をかき集めていく。
「これで、全部だ」
はい、と顔を上げれば、目が合った。
静かな目が、エレオリアを見下ろしていた。
綺麗な、色。
とろりと澄んだ、これは何色と呼ぶべきなのか。琥珀というには、明るさが足りない。それでも輝けば、黄金になる予感がした。
「そんなに見つめないでくれる?」
言われた途端、左の目近くに触れる何かに瞬いた。
ゆっくりと離れて行く男の顔に、いつかと同じだ。エレオリアは悲鳴を上げることも忘れ固まった。今、何が起きた。
唇を、落とされた?
「あぁいけない、顔が真っ赤だ」
「ひっ」
胸の中央に無遠慮に手のひらが押し当てられる。あげかけた悲鳴が伸びきらなかったのは、それでもその手つきは医者だったからとしか言いようがない。
「あんまり君を興奮させたらいけないんだけど、つい」
悪い癖だなーと男はぼやきながら、立ち上がると、ひょい、と身をかがめて床に膝をついているエレオリアの手から書類をとった。自分が座っていた椅子の上に無造作において、エレオリアの両脇に手を差し込む。
ふわりと身体が宙に浮いた。
「落ち着く為に、とりあえず横になっていてよ。あぁ、今日はくだは取り付けないって話だから、ゆっくり眠って」
一瞬で寝台におろされ、毛布をかけられる。あまりの衝撃に何も言えないエレオリアの額を、男は優しい手つきでそっと撫でた。
「おやすみ」
にこやかな声とともに、エレオリアの視界がかすむ。あらがっているのに、まぶたが落ちていく。
疲弊した精神が、エレオリアに休息を求めていた。
こつり、と靴音が響いた。男の後ろ姿をわずかに捕らえて、思わず言葉がこぼれる。
「あした、も」
こつ、と足音が止まる。エレオリアのまぶたは完全に落ちていて、音だけを拾い上げることに集中した。
「あしたも、くる?」
沈黙があった。
エレオリアが、自分がもう眠りに落ちたのかと錯覚するほどの。
わずかでありながら、長い沈黙が。
「……くるよ」
扉が、閉まる。
その声は、苦笑まじりだった。
けれど、笑みを含んでいながら苦いものの存在を感じさせる、いつだったかの声よりは、ずっと。真っすぐだったと。
読んでいただきありがとうございました!。




